十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントをおわけします。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

センター入試国語の、この問題を解くために、まず必要なのは、訓読文を書き下し文に直し、更に現代語に訳す力です。
これは知識・理解に属します。つまり、知識・理解の基礎がなければ思考力は発揮できないということです。

このブログで説明してきた通り、思考力とは既有の知識を結びつけ新しい知識を生み出すことですから、知識がなければ問題が解けないというのは、当然と言えば当然のことです。

更に現代語訳
  • 家をどこに建てたらいいか占って、
  • A 北の丘に倚りかかるようにして建て、
  • B 門扉を南の川に面して開く。
  • C 谷川を堰き止めて水を引き、井戸水を汲む代わりにし、
  • D 槿を植えて壁で囲む代わりにする。
のA~Dの部分と図を照合し、適合するものを選ぶという簡単なお仕事です。

このような作業は、例えば小学校では「ごんぎつね」の学習で「兵十の家の様子を絵に描いてみましょう」等、選択肢ではなく直接図示する授業を展開してきています。

また中学1年生の国語の一番最初の教材「野原はうたう」では、「あきのひ」という詩を読んで次のような情景を説明する学習をしています。

【問 次の詩の情景を説明しなさい】

  あきのひ       のぎくみちこ
 かぜが/とおりすぎました
 わたしは はなびらを/ゆすりました
 だれかに よばれたきがして/ふりかえると
 ゆうひが くるくると/しずむところでした

【疑問】
  • 傍線部「わたしの はなびらが/ゆすれました」とならない理由
  • 「くるくると」という擬態語の状態
【疑問から導かれる結論】

  • 「わたし」は意図的に花びらを揺すった。
  • 「くるくる」は回転する様子。
  • 秋の夕暮れ時、野菊の「わたし」は風に「おやすみなさい、また明日ね」と花びらを揺すって挨拶をし、後ろを振り向くと太陽もまた手をくるくると振っているように挨拶してくれていた、と解釈できる。
この授業は、与えられた問題に対し、次の作業を行わせるものです。
  1. まず疑問を持ち、
  2. 疑問に対する一次的な解を得、
  3. それらの解を総合して最も適当と思われる解を導き出す。
センター国語は、この2.と3.を評価するための問題と言えます。

2.は、現代語訳させただけでは単に訓読文を書き下し文に直し、更に現代語訳するだけの知識・理解の問題になります。

そこで思考力を見るために図示させれば良いのですが、これは論述と同じで評価が困難です。
そこで選択肢問題になったのでしょう。
(しかしこの出題では、全文現代語訳ができなくても、解法テクニックを用いれば論理的に正解が導かれてしまいます。)

これが、思考力を評価しようとする入試の限界なのだと思います。

一方、「あきのひ」の授業で得た結論は「真」であるという論証はテキストからは不可能ですから、入試問題には不適切だと思います。

いずれにせよ、思考力というものを考えたときに、与えられた問題に対し、それを解決するために「なぜ」と問う力が必要だと思います。
この自ら設定した「なぜ」に対する解答は、知識を活用・転移させれば可能なことです。
そして知識から得た解答を演繹的・帰納的に思考し(最近はこれ以外にも思考法があるという研究もあります)解決に導く力が必要だと思います。

「あきのひ」の授業で、【疑問】や【疑問から導かれる結論】を教師が与えてしまったのでは、生徒の思考力は育ちません。
教えてしまった内容は単なる知識レベルに留まり、新しい知識を自らが創り出したことにはならないからです。

授業ではまず、思考力のベースとなる知識を確実なものにしてあげなくてはいけません。
そして更に問題を与えた後、そこから最適解を得るために「なぜ」と問う力と、知識を活用して得られた一次的な解答を総合的に判断して仮説を立てながら問題を解決する力、この二つをどのように育てるかが思考力を育てることにつながると思います。
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「思考力」や「判断力」は、これからの教育のキーワードとなります。
しかしこれに振り回されて知識をなおざりにしてしまったのでは、思考力の土台は育ちません。
その上で思考力や判断力をつけるのがこれからの教育の命題となるのだと思います。
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最後のセンター入試が行われました。
来年度から「大学入学共通テスト」に名前を変えて実施されます。

この改革の目玉の一つに思考力や判断力をみるというものがあります。(大きな二つの目玉は失明してしまったようですが……。)

例えば某有名進学塾では「必要な情報を組み合わせて思考・判断させる問題」として、「文章・図・資料などの複数の情報を提示し、必要な情報を読み取る力や、読み取った情報を比較したり組み合わせたりして、課題を解決する力を問うことを意識した問題が出題されそうです。」と言っています。

実は、この傾向は数年前からセンター入試に入れられていて、本年度も各教科で数問出題されています。

そこで、本年度出題された国語の漢文の問題をもとに、「思考力や判断力」をどのように測定するつもりなのか、そして私たちは今、何ができるのか考えてみましょう。

そのために、まず次の問題を解いてみてください。
漢文の知識がなくても解けるように、現代語訳もつけておきました。
現代語訳を参考にしてこの問題を解いて、この問題を解くために必要な力とは何なのか、考えてみましょう。
これがセンター入試で求められた「思考力」と言われるモノなのです……。

大学入試センター試験 国語 第4問
【リード文】
   次に挙げるのは、六朝時代の詩人謝霊運の五言詩である。名門貴族の出身でありながら、都で志を果たせなかった彼は、疲れた心身を癒すため故郷に帰り、自分が暮らす住居を建てた。これはその住居の様子を詠んだ詩である。
【本文の傍線Bの部分及び脚注】
漢詩原文
【問3】
傍線部B「卜室倚北阜 啓扉面南江 激澗代汲井 挿槿当列墉」を模式的に示したとき、住居の設備と周辺の景物の配置として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
センター漢文
以下はヒントです。テストには載っていません。
【書き下し文】
室を卜(ぼく)して北の阜(をか)に倚り 扉を啓きて南の江に面す
澗(たにがは)を激(せきと)めて井に汲むに代へ 槿(むくげ)を挿(う)ゑて墉(かき)に列(つら)なるに当つ
【現代語訳】
家をどこに建てたらいいか占って、北の丘に倚りかかるようにして建て、門扉を南の川に面して開く。
谷川を堰き止めて水を引き、井戸水を汲む代わりにし、槿を植えて壁で囲む代わりにする。

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いのち
欅

ケヤキの木に、小鳥がたくさん止まっている情景です。

小鳥の数は一匹や二匹ではありません。
「ふところに だいて/とても あたたかい」くらいの数です。
ぎっしりとケヤキの木に止まっているのでしょう。
こんなに小鳥が木に集まって止まるのは、冬の夜です。
ケヤキは落葉樹ですから、葉がすっかり落ちたケヤキの木に、夜、ぎっしりと小鳥が集まって休んでいるのです。
たくさんの小鳥たちが羽を休めることができるのですから、きっと大きなケヤキの木に違いありません。

「私の心臓は/たくさんの小鳥たちである」というのはもちろん比喩です。
冬、葉を散らして、まるで骨だけになったようなケヤキの木の「命のもと」がたくさんの小鳥たちだ、といっているのです。

「ふところに だいて~あたたかいのである」から、ぎっしり集まっている小鳥たちを、ケヤキはとても暖かく感じていることがわかります。

問題は「だから~いきていくのである/だから~いきていて よいのである」の部分です。
小鳥たちが「心臓」のようなものなら「小鳥たちが集まってくるので、生きていくことができる」というはずです。

なぜ「小鳥たちがたくさん集まっている。だから、私は生きていくのだ。生きていてよいのだ。」というのでしょう。

小鳥たちにとって、ケヤキの木は、寒い冬を越すための大切なねぐらです。
大きなケヤキの木のおかげで冬越しができるのでしょう。

ケヤキはそのことを知っています。
小鳥たちの暖かさを自分の命と感ずるとともに、小鳥たちを守っていこうという気持ちが「いきていくのである」という言葉に集約されます。
そして、小鳥たちを守ることに誇りをもっていることが「いきていて よいのである」という言葉に表れています。

「小鳥たちを守り、共に生きることを喜び、そのことに生きがいを感じている」というのが、主人公のケヤキの気持ちです。

作品の季節と時間帯

作品から、はっきり分かっている季節と時間帯は、次の通りです。

  あしたこそ   春     日中

  おれはかまきり 夏     正午頃

  あきのひ    秋     夕方

  いのち     晩秋~冬  夜

 きれいに順序よく並んでいます。光村図書の意図を感じさせます。
とすると「いのち」は冬、「あしたこそ」は午前中(春の朝は朝露がある可能性が高いので、綿毛は飛びません。)と解釈するのが適当かも知れません。
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あきのひ
野菊

主人公は野菊。上の写真のような、夕日が沈む頃の野原が舞台です。

この詩は前半と後半に分かれています。
「かぜが/とおりすぎました~」と「だれかに よばれたきがして~」です。

前半で、風に吹かれて野菊の花びらがそよそよとゆれている情景が描かれています。
しかしこの詩では、「わたしは~ゆすりました」と、自分から花びらをゆらしたように書かれています。
実際だと、「ゆすられました」あるいは「わたしの はなびらは/ゆれました」となるはずです。

「私は、風さんが通り過ぎたので、『おやすみ、また明日ね』とあいさつしたのよ」という意志が感じられます。

 後半では「だれかに よばれたきがして」野菊は後ろをふりかえります。

自分が風にあいさつしたのと同じように「さよなら、また明日ね」と誰かが自分に呼びかけたと思ったのでしょうか。

ふりむくと沈む夕日が眼にはいります。
「くるくる」とは、丸くて愛らしいさまをあらわしたり、軽く回るようすを表現する擬態語です。

野菊は、夕日が自分に「おやすみ、またね」と手をくるくると振っているように感じたのでしょうか。
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おれはかまきり
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主人公はカマキリ、季節は夏。「あつい」「もえる ひを あびて」とあるので、正午過ぎでしょう。場所は同じく野原です。

この詩の特徴は、対句ではありませんが、第1連と第2連が対応していることです。

第1連で「あまり ちかよるな」といっています。
次の行「おれの こころも かまも」とありますから、「自分は攻撃的で、近づく人を鎌で切ってしまうような危ない性格だから気をつけろ」と呼びかけているのでしょう。

この時のカマキリの気持ちの手がかりは、「どきどきするほど/ひかってるぜ」「わくわくするほど/きまってるぜ」という擬態法にあります。

「どきどき」は、心臓の鼓動が激しくなるようすをあらわしていて、運動・興奮・不安・恐怖・期待などを示しています。

「わくわく」は、中から外へ激しく動いて現れる意味の「湧く(沸く)」から生まれたことばで、期待・喜びなどで心が弾み、落ち着かないさまを表します。
ただし「どきどき」とは違い、不安や恐怖、激しくなる鼓動を表す際には使いません。

ですからカマキリは、何かを期待し、心が弾み、落ち着かない気持ちでいます。

カマキリが期待しているものは、
第1連の「あまり ちかよるな」や「ひかってるぜ」、
第2連の「かまを ふりかざす すがた」や「きまってるぜ」から、
自己陶酔の世界です。
自分の強さに酔いしれ、相手もそれを認めることを期待しているのでしょう。

主人公の名前「かまきり りゅうじ」の「りゅう」は想像上の動物である龍からつけられているのでしょう。

「あつい」のはカマキリ君の心なのかもしれませんね。

音読させるとき、男子生徒はこの詩を音読したがります。
感情移入しやすいのでしょう。
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