十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントをおわけします。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

この記事は、「十種神宝」姉妹サイト「国語学習の手引き」をもとに作成しました。興味のある方はこちらへどうぞ。
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中学に入学して最初の教材です。指導事項として、指導書には次の二つがあげられています。
  • ア 文脈の中における語句の意味を的確にとらえ、理解すること。
  • (ア)音声の働きや仕組みについて関心をもち、理解を深めること。
詩は文学的文章です。
詩の文脈における語句の意味を的確にとらえるには、次の二つのことがポイントだと思います。
  • 文学的文章読解の基本である状況設定「いつ・どこで・だれが・何をしたか」を的確にとらえること。そしてその時の登場人物の「気持ち」を文で表現すること。
  • 用いられているレトリックをもとに、作者は何を印象的に表現しようとしたかをとらえること。
この二つは今後、文学的文章を読解する際に常に留意しなくてはいけないことです。
この二つのポインれが指導事項「文脈の中における語句の意味を的確にとらえ、理解すること。」となります。

そして、この状況設定とレトリックの二つをもとに作品を解釈してこそ、音読が朗読につながり、二番目の指導事項「音声の働きや仕組みについて関心をもち、理解を深めること。」に発展していくのだと思います。

しかし、この「野原はうたう」の扱いは1時間しかありません。
これではとても文学的文章読解の基礎を教え、理解から表現(朗読や文による説明)にまでつなげていくことは不可能です。
そこで次の「声を届ける/書き留める/調べる/続けてみよう」の4時間とあわせて、5時間扱いとしています。

この教材で私は、中学最初の文学的文章の学習として、文学的文章の読み方の基本を教えます。

第1時間目 あしたこそ

この詩の作者、工藤直子と言えば、生徒たちは小学校一年生の「ふきのとう」という教材の作者です。
  •  よが あけました。あさの ひかりを あびて、竹やぶの 竹の はっぱが、「さむかったね。」「うん、さむかったね。」と ささやいています。雪が まだ すこし のこっていて、あたりは しんと しています。
ふきのとう
冒頭を読んでやると、生徒は思い出すと思います。

そして生徒に「これはいつ・どこの話?誰の話だった?」と問います。多くの生徒は覚えていて答えられると思います。

  • 国語は、何かを説明する文章と、「おはなし」とに分かれています。詩は「おはなし」……文学の仲間です。中学最初の学習として、文学的文章の読み方の基本を学びましょう。
  • 文学的文章を読むときは、まず「いつ」「どこで」「だれが」「何をしたのか」、そして「どう感じたのか」をはっきりさせて読むことが基本です。そして「だれ」にあたる人の気持ちを、文できちんと説明できるようになりましょう。
と説明します。
ここまでで授業の前半が終わります。
たんぽぽ

「あしたこそ」でまず指導しなくてはならない内容は「連」です。
「段落」という言葉は小学校で習っていますから、「詩における段落のようなもの」で「一行空ける」ことを教えます。

第一連から「いつ」「どこで」「だれが」「何をしているか」わかるかを問います。
そして昼間、野原で、たんぽぽが、そよ風の中で綿毛を空に舞い上がらせている状況を説明していることに気づかせます。

この中から「ひかりを おでこに/くっつけて」は比喩というレトリックであることを押さえます。

作者は意図的にレトリックを用いています。つまり、作者はその部分を読者に印象づけたかったのです。
この比喩から、明るい、天気の良い日中であることや、綿毛の一つ一つが光り輝いている様子が生き生きと連想されることを説明し、「この単元ではレトリックがたくさん出てくるから、しっかり覚えておこう」と告げます。

更に「なぜたんぽぽは、綿毛を舞い上がらせているのでしょう。」と問います。
「風が吹いているから」というような答えを「その通りですね」と躱して、「国語の答えのヒントは、必ず文章の中にあります。ヒントを探しましょう。」と返します。
気づいて欲しいのは、直前の「はなくらく ひを/ゆめにみて」であり、綿毛についている種が地面に落ちて、芽が出て花が咲く日を思い描きながらタンポポは綿毛を舞い上がらせているのだ、ということをおさえていきます。

これらは、こちらから説明するのではなく、教師が質問し、生徒に答えさせるべき内容です。
レトリックで表現されている内容は、多くの生徒は読んだだけでわかると思いますが、そのわかったことを言葉にして表現することが国語科では大切なのだと思います。

私は、この力が小学校で鍛えられたかどうかを、このあたりで見切り、その後の指導の参考にしていきます。

第2連は倒置法が用いられています。
普通の順序に並べかえると、「あした/たくさんの「こんにちは」に/であうために/どこまでも/とんでいこう」となります。
倒置法では、一番最初にくる言葉が、一番言いたい言葉であることをおさえます。

「たくさんの『こんにちは』」は、比喩です。
ここでタンポポ(の綿毛)の気持ちを書かせ、発表させます。

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ここに載っている内容をわかりやすく解説したものに、予想問題をつけたワークシートをBOOTHのショップで販売しています。興味のある方はこちらへどうぞ。


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7時間目以降は「別の人物の視点で書こう」です。

「別の人物」とは、この物語の場合エーミールと母親の二人です。
この時のポイントは、テキストに書かれている事実を絶対に落とさない、ということです。

彼らは主人公ではありませんから、その心理についてはまったく述べられてはいません。
そのため、自分の想像で物語を膨らめる余地があります。

しかし、自分の想像部分を膨らませるあまり、テキストに書かれてある事実を無視してしまっては、まったく異なる物語を創作してしまったことになります。
単に登場人物の名前だけ同じで、テキストとは関係ない話となりますので、今までの読解の授業が生かされません。

今までの細かな読解から、その登場人物が、当然そう思い、感じているだろうことを忠実に書き起こすことが「別の人物の視点で」という意味だと思います。
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エーミールの視点から物語を再構成する

エーミールの視点から物語を再構成する場合、落としてはいけない点は以下のものがあります。

  1. コムラサキを見せられたとき、エーミールはどう思ったか。
  2. 「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」は、どんな気持ちで言ったのか。
  3. 「結構だよ~」の台詞を聞いて顔色が変わった「僕」を見て、どう思ったか
  4. その後どうなったか
小学校4~5年生くらいのエーミールは「僕」にコムラサキを見せます。

「僕」は彼を「気味悪い性質」と言い「妬み、嘆賞しながら彼を憎んで」いました。

では、エーミールは「僕」をどういう人物と考えていたのでしょう。

もしエーミールが「僕」の考える通りの嫌なやつなら、鑑定し値踏みをした後で難癖をつけたのは嫉妬からだったかも知れません。
あるいは「僕」の気持ちを考えずに自分の知識をひけらかしたかった、とも考えられます。

では、なぜ「僕」はエーミールにコムラサキを見せたのでしょう。
もしも「僕」がエーミールに親近感を覚えていたとするならば、そしてエーミールもまた「僕」を友人だと感じていたのなら、話は違ってきます。

鑑定し値踏みした後の彼の話は、40円程度にしかならない理由の説明であり、「今度はこういう所に気をつけたらいいよ」という不器用なアドバイスだったとも考えられます。

『ドラえもん』ののび太君は出来杉君に一方的に敵愾心を向けていますが、出来杉君はのび太君を友人と考えています。またしずかちゃんをめぐっては「のび太くんにはかなわない」的な発言をしています。
「僕」とエーミールの関係は、のび太君と出来杉君の関係に似ていた、という解釈も可能なのです。

クジャクヤママユのエピソードでエーミールは、「僕」の犯罪を罰する気も、賠償を求める気もありません。ひたすら「僕」のアイデンティティーを否定するだけです。これを「僕」は「軽蔑」ととらえましたが、失望やそこからくる静かな怒りと考えることもできるかも知れません。

勝手な空想をせず、あくまでテキストに書かれた内容に対して、自分なりの解釈を加え書いていくことがポイントなのです。

生徒は知る必要のないことですが、ヘッセが父母の望みに従って神学校でまっとうな生活をした「もしも」の姿がエーミールだったとすると、自分自身を非難する「もう一人の自分」だったのでしょう。「もう一人の自分」なのですから、内心親和感を覚えていてもおかしくはありません。

そして「僕」はエーミールの側の人間に成長し「客」としてここにいるわけです。
この姿をもしエーミールが見たとしたら、エーミールは何を考えるのでしょう。

母親の視点から物語を再構成する

エーミールに比べて登場場面はとても少ない母親です。

母親の最初の台詞では、「僕」の賠償責任について言及していますが、罰する気はないようです。
これは、少年裁判の結果、教育的措置としての不処分に該当するものと考えられます。
  • お前の罪は罰しないよ。既に十分に反省し罰を受けているから。でも賠償責任は果たさなくてはね
というのが母親の考えでしょう。
まず、この「僕」から告白され「おまえは、エーミールのところへ行かなければなりません」と言ったときの気持ちを説明します。

次に、まだ中庭にいる「僕」を見て「今日のうちでなければなりません」と言った時の気持ちです。
当然息子の姿を目にしているのですが、なぜ謝罪に行くことをためらっているか、母親はどの程度わかっていたのでしょうか。
これは、「僕」以上にエーミールが母親(大人たち)にどういう子供と考えられていたかによります。

次に「僕」が帰ってくるまで待つ気持ちです。当然心配でしょう。

そして「僕」が帰ってきてから何も聞かずかまわずにおいた気持ちです。
「僕」の帰ってきた時の表情を見て、謝罪は受け入れられなかったことはわかったはずです。

最後に「僕」が食堂へ行ったのを見た気持ちを書きます。なぜ寝室でなく食堂へ行ったのか、食堂で何をしようとしているか予測できたのか、予測したとしたらそれをどう思ったのか。
様々な解釈が成り立ちます。

この「母親」視点の物語は、書いた生徒の母親に対する願望が込められる可能性が高いですから、興味のあるところです。



第9時間目 エーミールか母親の視点から物語を書く
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第5時間目 盗みを犯した「僕」の心理変化をつかむ

この時間のねらいは、登場人物を取り巻く「状況」と登場人物の「心理」の相関の中で登場人物は「行動」している、ということを押さえることです。

文学的文章は、この三つの要因の中で「心理」を省くことにより、より読者を物語の内容に迫らせる(感情移入させる)という特徴があります。
この「心理」の変化は、それをもたらした要因である「状況」やその結果である「行動」を読み解くことによって読み解くことができるということを教えるための時間です。

「二年後」とありますから、物語の「僕」は生徒たちとほぼ同じ年齢です。
小学校で常軌を逸するレベルで熱中していたことをまだ続けていたのですから、ほとんど病的な状態でしょう。

僕が「熱烈にほしがっていた」クジャクヤママユの話を聞いて、一目見るために隣家に侵入、特に見たいと渇望した「あの有名な斑点」に魅せられて窃盗行為をし、犯行を隠すためにとっさにとった行動が結局獲物を台無しにしてしまった、という流れを「状況」とそれに伴う「心理」の変化、変化によってもたらされた「行動」をワークシートにまとめさせると良いでしょう。

これらを示している叙述を的確に抜き出しワークシート等に書かせます。
そして「心理」の部分に叙述がなかった場合は、生徒に言葉を考え補わせます。

ここで展翅板と展翅のしかたがよくわからないと、盗みをする前後の状況がよくつかめませんから、きちんと解説しておきましょう。
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展翅されているので羽の斑点は見えない

これを全体で発表し共有するので一時間かかります。

最後に「盗みをしたという気持ちより、自分がつぶしてしまった、美しい、珍しいちょうを見ているほうが、僕の心を苦しめた」という叙述から、「僕」がつらく思ったのは、獲物の価値を壊してしまったことであることを押さえます。

第6時間目 なぜちょうを指で粉々に押しつぶしてしまったのか考える

いよいよ単元の学習問題の解決編です。

「僕」は母親とエーミールに自分の犯行を告白しています。
その内容とは母親の「自分でそう言わなくてはいけません」の「そう言」った内容でしょう。

「僕」は母親にどんな内容を打ち明けたのか、生徒に考えさせます。
年齢がほぼ等しいので結構リアルに発表できると思います。
  1. クジャクヤママユを見たくてエーミールの所へ行った。
  2. エーミールはいなかったが部屋に入った。
  3. 蝶を探したら展翅板にあった。
  4. 羽を見たらどうしても欲しくなってつい盗んでしまった。
  5. 下から誰か来る音がしたので、あわててポケットに入れた。
  6. これはいけないと思って返しに行ったが、クジャクヤママユは壊れていた。
こんな内容に違いありません。

これを聞いて母親は、①エーミールに直接この内容を伝えること(自分でそう言わなくてはいけません)②自分の持ち物の中から、賠償を支払うこと(どれかをうめ合わせにより抜いてもらうように申し出るのです)③許しを請うこと(許してもらうように頼まなければなりません)を指示します。

これに対し「僕」は、何を「わかってくれないし、おそらく全然信じようともしないだろう」と考たのでしょう。

おそらく4の「羽を見たらどうしても欲しくなって盗んでしまった」ことでしょう。これを疑った場合、「最初から盗むつもりで来たんじゃないか」と思われてもしかたがありません。

また5と6だった場合、「最初から嫉妬のために蝶を壊すつもりで来たんじゃないか」と思われることでしょう。

「僕」は、純粋にクジャクヤママユの美しさ故に自分のものにしたくなった……見るまでは欲しいとは思わなかった、という気持ちなど、エーミールには理解できないと考えたのです。
美に打たれて初めてそれを自分のものにしたいと願うアーティスト的な魂と、結果としての価値こそ大切なものであるというリアリスト的な魂とは、わかり合うことができないと「僕」にはわかっていたのです。

しかしついにエーミールの所に出かけます。
その時エーミールは、標本を壊したのは「悪いやつがやったのか、あるいは猫がやったのかわからない」と言っています。
そして「僕」はエーミールが必死に修復しようとした状況を目の当たりにします。

「僕」はそこで母親に話したのと同じように告白しますが、「君はそんなやつなんだな」と言われます。

「そんなやつ」とは、平気で盗みをするやつ、という意味でしょう。
盗みは犯罪です。しかし自分の欲求を満たすためなら簡単に犯罪を犯す人間、という意味でしょう。「僕」のしたことは、まさにこの通りなのです。

あるいは嫉妬のために他人の貴重品を平気で壊すやつ、という意味だったのかも知れません。
もし本当に蝶が欲しくて盗みをするのなら、蝶の扱いは自然に慎重になりますが、最初から壊すつもりなら躊躇しないでしょう。
もし盗むのが目的だったとしても、盗品の扱いが雑だということは、盗むという行為自身に快楽を覚えていたことになります。それならば「僕」は生まれながらの犯罪者ですね。

しかしこう思われることは「僕」には想定内でした。まだキレていません。
「僕」は「そんなやつ」と言われる覚悟をしていたのです。

逆ギレしたのは、母の指示2に従い「僕のおもちゃをみんなやる」「自分のちょうの収集を全部やる」と賠償案を提示した時です。
  • 君の集めたやつはもう知っている=君のコレクションに価値はない
  • 君がちょうをどんなに取り扱っているのか、ということを見ることができた=コレクターとして失格である
この言葉は、自分が熱情を傾けてきたアイデンティティーを全否定するものです。
このため「僕」は完全に逆ギレしそうになります。

しかしこの二つの指摘に反駁することはできませんでした。「僕」は「一度起きたことは、もう償いのできないものだ」と悟って、エーミールのもとを立ち去ります。

「一度起きたこと」とは事実であり結果です。
蝶を行動に喜びを求めてきた「僕」ですが、行動には必ず結果が伴います。
その結果が誰かに不利益を及ぼした場合、それを賠償することは不可能である、と悟ったのです。

  • 誰も罰してくれないから、自分に罰を与えるため
  • 行動に喜びを求めた今までの自分を黒歴史としてなかったことにしようとした
等、「僕」が蝶のコレクションを壊した理由は、はっきりわかりません。
授業で扱った場合、拡散型の結論になるでしょう。
この追究の中で、生徒一人一人が最初に持った考えから、他の人の考えに触れて深化・変容する姿が「学び」の姿だと思います。

「一つ一つ取り出し、指で粉々に押しつぶし」た時の気持ちや、なぜ「押しつぶした」のではなく「押しつぶしてしまった」と言ったのか、細かな叙述にこだわって欲しいと思います。

ただ、「償うことはできない」と言っているので「罪の償いのために自分のコレクションを壊した」という解釈は誤りではないかと思います。
法律的にも「罰」は刑法上の制裁であり「償い」は民法上の賠償となりますから、一度犯した犯罪行為はいくら禁固刑や罰金刑が課せられたとしても罪を償ったことになるとは言えません。

例えばコンビニで万引きしたチョコレートを食べてしまった場合、窃盗罪で逮捕され罰金10万円を払ったとしても、罰金は国庫に納められます。罰金とは別にコンビニにチョコレート代金と慰謝料を支払わなくては罪を償ったことにはならないのです。
万引きでなく殺人の場合を考えるとよくわかると思います。

「僕」は自分で自分を罰することはできても、罪を償うことは一生できないわけですから、人生をかけてちょう集めをやめることくらいしか自分の誠意を示せないのです。
まあ、母親が指示した賠償責任を果たすことができなかったので、せめて刑事罰を与えようとしたとも考えられます。
「僕」は中学1年程度ですから、ここまで考えたかどうかは怪しいですけどね。

しかし「罪」に対する「罰」と「賠償」の違いくらいは、生徒にきちんと教えたい内容だと思います。
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この教材は7時間扱いで、次の指導を行うことになっています。

  • ウ 場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てること
  • エ 文章の構成や展開、表現の特徴について、自分の考えをもつこと。
  • オ 文章に表れているものの見方や考え方をとらえ、自分のものの見方や考え方を広くすること。
更に「別の人物の視点で書こう」で2時間プラスされます。

「別の人物」は、このテキストではエーミールと母親しかいません。ですからこの二人のどちらかを選んで書くことになります。

後に評価の観点を述べますが、それより先に「僕」の視点という色眼鏡を廃した「僕」の実像を知っておかなくては、別の視点をもつことはできません。

まず「僕」の視点から描かれた物語を知ることから始めます。

第1時間目 通読 読後感想から単元を通しての追求課題をもつ

1時間目は、単元を通しての学習のねらいを持つことです。
そのためにまず最初から最後まで教師が範読し、感想を書かせます。
感想の中から「なぜ最後に『ちょうを一つ一つ取り出し、指で粉々に押しつぶしてしまった』のか」という疑問が生まれるように、展開していきます。

まあ、この学習問題は、特に何もしなくても必ず生徒から出てくるものだと思います。

この疑問が出やすくなるように、場面が目に浮かぶように、難語句の意味を補いながらゆっくり範読していきます。

第2時間目 プロローグからいつ、どこをつかみ、主人公はどういう人間だったか知る

「なぜ最後に『ちょうを一つ一つ取り出し、指で粉々に押しつぶしてしまった』のか」を知るためには、どういう物語か知ること、そのために「いつ・どこ・だれ」をはっきりさせる必要があることを告げます。
これまでの文学的文章教材の多くは、戦争教材以外、生徒の身近にありそうな話でしたので、そういった先入観を壊し、テキストに忠実に読む態度を培うのが本時の目的です。

「いつ」は、一日の中のいつか、一年の中のどの季節か、いつの時代か、の三つを明らかにします。

「いつ・どこ・だれ」がわかる箇所をプロローグの中から探し、傍線を引かせ、考えさせるのです。

「いつ」は、夕方から日没頃まで、蛙が啼いていますから季節は初夏です。
ランプを日常的に用いていますから、日本で言えば明治時代の話だと言うことがわかります。
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「どこ」は、北海道よりずっと北に位置する高緯度地方です。
「末の男の子が『おやすみ』を言った」時間は日没直後です。日没までに夕食を済ませ日の入りと共に寝てしまうと言うのは中世までの生活習慣で、近代以降ではありません。
しかし日没が午後9時頃だったら話は違います。北欧では初夏の日没は午後9時頃で、ここから高緯度地方ということがわかります。
登場人物の名前から考えてヨーロッパ文化圏でしょう。

「だれ」は「私」と「客(友人)」です。
二人は喫煙していますから成人しています。また「私」には数人の子供がいて、下の子供をきっかけに「幼い日の思い出」が語られることから、おそらく小学生程度でしょう。
とすると「私」は30歳以上と考えても良いと思います。自然に「客」も同じくらいの年齢と考えられます。

「私」も「客」も幼年時代「ちょう集め」をしていました。標本を「ピンの付いたまま箱の中から用心深く取り出し、羽の裏側を見た」とありますから、客は標本を扱い慣れていることがわかります。

そして「客」は「熱情的な収集家」であり「自分でその思い出をけがしてしまった」と言っています。
これが良い思い出ではないことは「不愉快」そうに見える態度や「もう結構」と早口で言った口調からもわかります。

この「その思い出」が次段落以降で語られる物語の内容です。

ここまででだいたい、授業の前半が終わると思います。
「では、ここから『客=友人』の話が始まるわけです。ですからプロローグの『客=友人』は『僕』になります。」と押さえます。
こんなことは言わなくてもわかると思いますが、中には混乱する生徒もいますから、一応押さえておきます。

回想部分の最初の段落を読み「『八つか九つのとき』とあるから、最初の部分からたぶん20年くらい前の話だね。当時のこの国の教育制度は日本と同じじゃないけど、日本で言えば小学校の中学年くらいかな?翌年『十歳ぐらいになった』とあるから小学校4~5年生だね。」と言い、ちょう集めに対する『僕』の気持ちがわかる所に線をひかせて授業を終えます。
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『少年の日の思い出』(Jugendgedenken)は、もともとヘルマン・ヘッセが1911年に発表した『クジャクヤママユ』(Das Nachtpfauenauge)を、地元の新聞向けに1931年に改稿したものです。
この年に留学中の独文学者・高橋健二氏がスイスにてヘッセを訪問した折、帰り際に道中の無聊を慰めるようにと、ヘッセから同紙の切り抜きを手渡されました。
帰国後それを翻訳して日本で発表したものが『少年の日の思い出』ということです。

この文章は1947年の国定教科書『中学国語』に掲載されて以来、70年以上も多くの教科書に掲載され続け、義務教育課程で中学一年生にトラウマを植え続けることになりました。
主人公の「僕」より知名度の高いエーミールの「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」というセリフがクラスの流行語になることだってあります。

「なんでこんな暗い作品が……」と思いますが、こんな作品だからこそ教材研究や授業のしがいがあるというものでしょう。

それはさておき、最近のラノベやケータイ小説にはチートキャラの主人公がよく登場します。
これは作者の願望の姿であり、自己投影で、主人公のキャラクターに作者自身を重ね合わせカタルシスを得ている、というのです。

自己投影は別に最近のラノベに限ったことではありません。
夏目漱石だって、森鴎外だって、作家というものは登場人物に自分自身を投影させているのは、少し小説を読んでみればわかることだと思います。

登場人物が作者の自己投影ならば、読者に味わわせたようなトラウマは、作者であるヘッセにあったのではないでしょうか。

そこでヘッセの経歴を調べてみました。
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ヘルマン・ヘッセは1877年に、敬虔なプロテスタントの家に生まれ育った宣教師の父母の二番目の子供として生まれます。父親は、言語学者としてまた学校の創設者として有名な人でした。

ヘッセもやはり宣教師になるべく、1891年にプロテスタント修道院神学校の神学校生となりますが、翌年規則づくめの学校に耐えきれず「詩人になるか、さもなければ何にも」ならないとの決意し逃げ出します。

すぐに捕まり両親の友人の神学者に預けられますが、そこで自殺未遂をします。

友人の神学者はこれを「悪意と悪魔的行為」としてヘッセを精神病院に入れることを両親に薦め、結局施設に送られ4ヶ月過ごします。診断は鬱病だったそうです。

退院した彼はまた学校へ行き始めますが、すぐにやめてしまいます。14~15歳のことです。

ここで気づくのはまず、ヘッセとエーミールが共に「先生の息子」であることです。
また学校をサボる「僕」の姿は神学校を逃げ出したヘッセと重なります。そして「僕」は「悪意と悪魔的行為」によりエーミールに裁かれます。

現在残るヘッセの書斎には、彼が採集した昆虫標本のコレクション箱が飾ってあるそうです。

その中に羽根が片方とれたクジャクヤママユの標本があるそうです。
(これはいくつかの中学生用資料集にも載っていますね。)
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作品で壊れたクジャクヤママユの標本をもっているのはエーミールです。
「僕」が作者ヘッセの投影された姿だとすると、エーミールは「もう一人の『僕』」だったのではないでしょうか。

蝶の美を求め続けた芸術家の「僕」と社会正義のエージェントであるエーミールは、共にヘッセの投影だとします。
すると、プロローグの「客=友人」は、あの時詩人への道をあきらめてしまったヘッセの「もしも」の姿だったのではないでしょうか。

「客」はもうちょう集めをやめてしまっていますが、ヘッセも、自分があの時、詩作をやめてしまっていたら、今でも心が痛むだろうな、と思ってこの作品を書いたのではないかと思えてなりません。

この解釈をもとに、物語を「別の人物の視点で書こう」というのを本単元のねらいとします。
この「別の人物の視点で」が更に発展して、2年生の「走れメロス」の批判的な読解につながっていくのだと思います。
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