十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントを作成しています。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

昔々、『大鉄人17』(石ノ森章太郎/毎日放送 東映)という巨大ロボットものの特撮がありました。
物語は、国際平和部隊・科学研究所の佐原博士が、あらゆる災害から地球環境を保全するためにスーパーコンピューター・ブレインを建造したことから始まります。
ダウンロード (1)巨大人工頭脳システム ブレイン
次第に自我と超生産能力を持つようになったブレインは
「人類こそが地球を滅ぼす。人類は地球にとって最大の災害であり有害」
という結論をはじき出しました。
そして「地球にとって最大の災害」である人類を抹殺すべく、
ブレインは巨大ロボットを何体も作りだしました。

そして17番目のロボットには、
動き回ることができるもう一人の自分として自我を与え、「ワンセブン」と命名します。
ダウンロード大鉄人17(ワンセブン)
しかし、17(ワンセブン)は、地球環境の保全に対し
「人類だけが地球を救える。人類は地球に有益」
と結論を出しました。

ブレインも17も、あらゆるデータにアクセスし高度な情報処理を行うことができるという点で同等の能力を持っています。
しかし導き出した結論は正反対のものだったのです。

さて、今回の学習指導要領の改訂で
「学力」という言葉はすっかり影を潜めてしまいましたが、
あえて「学力」という言葉を使うとすると、
今回の改訂で求められる「学力」って何でしょう。

「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性等」を三つの柱として
「何ができるようになるのか」の視点から学習内容が決め出されているのが今回の改訂の特徴です。

「知識・技能」はインプットにあたるものでしょう。
それを効果的に処理するものが「思考力・判断力」であり、
アウトプットが「表現力」というわけです。
そしてこの流れの燃料として「学びに向かう力・人間性等」が考えられているのだと思います。

PISAや全国学調に代表されるような、
複数のテキストから、与えられた命題に対し自分なりの考えをまとめ、それを説明させる問題は、
この力の流れを再現したものです。

この力は、高い情報生産能力を純粋に求めているものだということがわかります。
そしてこの力は、現代社会が必要としている学力に他なりません。

学力観には二つの立場があります。

一つは、社会が必要とする力を学力とするものです。
この力を求めて近代学校が生まれました。

そしてもう一つは、子どもが人間として生きようとする力(自己実現を目指す力)を学力と考えるものです。
これは19世紀デューイ等の思想が根底にあります。

戦後の日本の教育は、この二つの学力観の間を揺れ動いたと言ってもよいと思います。

社会が必要とする学力にせよ、自己実現を目指す学力にせよ、
いずれも先人達が英知を結集して導き出した結論です。
どちらが正しいかを私たちは簡単に論ずることはできません。

同等の情報でも処理の仕方によって結論は正反対になることは、『大鉄人17』のエピソードを振り返るまでもなく、ありうることです。
そして正反対の結論を止揚することは、更に難しいことです。

例えば、社会が求める情報リテラシーを中心に考えると、
自我の成長に欠くことのできない感受性や想像力の育成は隅に追いやられます。

ブレインや17は、
人間以上の現実認識力(情報収集・処理能力)のもとに主体形成力を発揮し自我をつくりだした後に、
初めて結論を得ました。

しかし、学校で情報リテラシーに特化した教育ばかりを行っていれば、
与えられた課題に対する結論を導く力は身につくかも知れませんが、
その間にどれだけ感受性や想像力、ひいては自我を育てることができるか、
私は疑問に思います。

私たちは、ブレインや17が持った情報生産能力だけでなく、
自ら人間として生き、成長していく能力を育てることを忘れてはいけないと思います。


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光村の指導書を見ると、
「古今和歌集仮名序」と「君待つと」を合わせて3時間で扱うことになっています。
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おいおい、ちょっと待ってくれ、
そんな短い時間で、教科書の載っている和歌を教えられるわけないじゃん、
と言いたいですね。

そこで、よくある指導は、
生徒に好きな短歌を調べさせ、発表させる、というものです。

しかしこの方法はなかなかうまくいきません。

自分の発表はそれなりにやりますが、人の発表はそんなに真剣に聞かないからです。
もしグループでやらせるとなると、
グループの誰かに任せてしまって、まったくやらない生徒も出てきます。
ダウンロード
一人一人にレポートを出させて、それをまとめようとしても、
この受験に向けて総合テストの対策に忙しいこの時期に、
やってられない、というのが3年生の気持ちでしょう。

私たちだって和歌の学習に何時間もかけてはいられない、というのが本音です。
3年生の気持ちであると思います。

そこで、私はこの単元を次のように指導しています。

1時間目

まず、教科書に載っている和歌を一枚の紙にまとめ、全部すらすら読めるまで音読させます。

次に「歌はもともとシャウト(感情のほとばしり)である」といい、
♡の気持ちがこもっている歌はどれだろう」と問い、一人一人に紙に印をつけさせてから、
グループ毎に話し合わせ、グループとしての見解をまとめさせます。

間違いなく上がるのは額田王「君待つと」、東歌「多摩川に」でしょう。

意見の分かれるのは防人歌「父母が」、大伴家持「春の園」、小野小町「思ひつつ」だと思います。

ここで「♡の歌」と言ったのは、
男女の恋愛を歌った歌と、親子の情愛を詠った歌とをわざとあいまいにするためです。

「♡の歌」に入れても良いものはどれか。なぜそう考えるのか、
これを言わせることを通し、
歌の理解を深めると共に、
生徒なりの「部立て」(和歌の分類)を行わせようというのです。

話し合いを進める中で
「♡は、恋愛の歌と親子の情愛の歌に分かれるんじゃないの?」と生徒は考えます。
出てこなかったら、こちらから言ってしまってもかまいません。

そして

「♡マークは、男女の恋愛の歌と、親子の情愛の歌に分かれたね。
では他の歌は、どのように分類できるか、次の時間までに考えてきてください」

と言って、一時間を終わります。

2時間目

2時間目は、生徒が考えてきた分類に従って分けていきます。

これは、原典に基づいた正式な「部立て」である必要はありません。
大切なことは、和歌で読まれた内容のおおよそを生徒が自力で理解していくことなのです。

和歌が単独で高校入試に出題されることは、あまりないと思います。
出題されるとすれば、歌物語として出題されるでしょう。

そこで、その対策として私は、かつて教科書に載っていた「伊勢物語」で指導をしています。
興味のある方はこちらからどうぞ。

生徒たちは、
  • 景色を詠んだ歌
  • 季節を詠んだ歌
  • ♡マーク以外の人情を詠んだ歌
などを考えてくると思います。
あくまでも生徒が考えたもので良いのです。

その中で、生徒の考える分類に従いながら、

「その通りですね。そこでプチ知識として~」と、正確な知識を与えていきます。

例えば
柿本人麻呂「東の」は実はヨイショの歌だったとか、
山上憶良「憶良らは」は宴会で場を盛り上げるための歌だったとか、
紀貫之「人はいさ」は冗談の言い合いの歌だったとか……。

これをやっていると、1時間などすぐに過ぎてしまいます。

そして最後の一時間は、和歌から連歌、俳諧、俳句に連なる日本文学史の復習と、韻文の技法の復習をやっておしまいにします。

時期的に言うと、
統一模試も佳境に入り、最後の総合テストも間近な時期でしょう。
生徒がなるべく受験に集中できるように、
そして一点でもたくさん点がとれるように指導していくのが功徳だと思います。

「シカの『落ち穂拾い』」の学習プリントを作成しました。
興味のある方はこちらへどうぞ。
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新そばの季節となりました。各地で新そば祭りが開かれています。
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そもそも「新そば」とは秋蒔きのそばで9月から11月に採れたものを年内に食べる「秋新」と呼ばれるソバのことです。

じつは「秋新」に対し「夏新」というのもあり、これは6月中旬から8月中旬に収穫されます。
夏新より秋新のほうが味・香りが断然優れるため、あえて秋新だけが「新そば」と呼ばれもてはやされてきました。
最近はオーストラリア方面から輸入され、保存技術も格段に向上していますから、味の違いはそんなにないかも知れませんが、
やはり収穫されたばかりの「新そば」は高い香りはもちろんその味わいは何とも言い難いうまさを感じてしまいます。

そばは、かつては米の穫れない地域の救荒食物でした。
しかし江戸時代になって「粋」な食べ物として「文化」の域にまで高めた先人の知恵にはほとほと敬服します。

ちなみに、「そばは、そばとして純粋に味わって欲しい」というこだわりのお店もありますが、
私は「そば前」が大好きです。
そばつゆを使った卵焼きや上等な板わさなどをつまみに熱燗で一杯、というのはこれからの季節たまりませんね。

さて、新そばの季節だからこそ、もっとおいしくそばをいただきましょう。
「挽きたて、打ちたて、ゆでたて」がうまいそばの条件といわれ、これを俗に「三たて」といいます。
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製粉してすぐの粉を使い、打ったばかりの生地を包丁で切り、ゆで上げ、素早く水切りして出すそばがうまいのです。
少しでも時間がかかると、香りも味もどんどんと逃げていきます。

実際には、打ちたての場合のみ、包丁で切ったあとしばらく時間をおいて寝かしたほうが麺を打つ際に使った水が馴染み、ゆでが均一になってさらにうまいそばになると言われています。

そして、穫れたての野菜や果物がおいしいのと同じように、収穫したてのそばの風味は別格です。
淡く緑がかった新そばの時期は「三たて」ならぬ「四たて」の味が堪能できる絶好の季節です。

これはそばばかりではありません。
ラーメンなどは言うまでもありません。
伊丹十三は『女たちよ』の中で
「(スパゲッティは)温めたお皿に手早く盛り付け、まだ湯気が出ているうちにすぐ食べる(のが良い)」と言っていますし、
お寿司だって握ってもらったらすぐ食べる方が美味しいのです。

仕事も同じです。
「やらなくていいことはやらない。やらなければならないことは手短に」
というのは『氷菓』の主人公、折木奉太郎君の言葉ですが、
これは仕事の上ではあたりまえのことです。
ダウンロード (2)© 米澤穂信/京都アニメーション
それ以上に、やらなければならない仕事が発生してから、実際にその仕事を始めるまでにどのくらいの時間がかかっているでしょうか。

そんな時は、「困難は分割せよ」を参考に、仕事の優先順位を決め、効率化につとめましょう。

そばは伸びてしまったら、(食べるに値しないとまでは言いませんが)せっかくの新そばも台無しになるのです。
自分の仕事をマネジメントするのは自分しかいません。
伸びたそばを人に食べさせることだけはやめましょう。

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  • 30歳までにやるべきこと
  • 3年後に年収1000万円をかせぐ方法
  • 失敗しない子どものしつけ方
「こうすれば こうなる」…こういうことを主に書いたものは「ハウ・ツー」ものと呼ばれています。
最近は書籍ばかりでなく、料理の作り方などが動画でアップされています。
この手のものは、けっこう便利なものです。

本屋に行けば教育関係に限っていえば、
「指導要録の書き方」とか「生徒が身を乗り出す楽しい実験」「英語力を確実に身につけるには」「失敗しない子どものほめ方、叱り方」等々、
ハウ・ツー本のお世話になった方も多いのではないでしょうか。

最近の先生は本を読まない、と言われています。
全然知らない、見たこともない、という人は、この際是非どんな本があるか、本屋に見に行ってくださいね。

ハウツー本を読むことで、人の知らないであろう知識をいち早く知ることができたという喜びを持つことができます。
これハウツー本が求められる大きな理由な一つです。

本を読んだだけで知識が身に付いたというお得感から、次々とハウツー本を買う人も少なくありません。

ハウツー本は、本を読んだ後に自分の行動に置き換えて初めて成果になりますが、
本を読み切ったことで達成感を感じ、自分もなにかをやり遂げた気持ちになることもあります。
しかし、これは残念な人だと思います。

「こうすれば こうなる」…これは、私たちの知りたいところです。
指導案では主眼や仮説の骨組みになる部分とも言えます。
「こういう子どもに」がない……ということは、
「すべての子どもにあてはまる」ということですので、非常に一般化された指導法なのでしょう。

そして実際にやってみると、なるほど、子どもはそのように動くことが多いようです。
ですから、ハウツー本を読んだら、是非実践してみてください。

このような優れた実践…それはそれですばらしいものだと思います。
しかし、忘れてはならないことが一つあります。

それは「どういう子どもにする(どういう子どもを育てる)ための指導法なのか」という基本的な問いです。

例えば「計算問題が解けるようになる」ことは教育の目的の一つといるでしょう。
しかし同時に、計算問題が解けるようになることを通しどんな人間を育てるのか、と考えた場合、
手段であるとも言えます。

「校舎をきれいにする」なんていうのは、明らかに手段に過ぎません。

教育の目的はすべて子どもにかえっていくものでなくてはならないのです。

子どもを思い通りに動かすことは、教師の力量です。
しかし私たちは、それにおぼれてはならないと思います。
常に目的を見極め続けること……そして目的を達成する為に最も適した手段を選択すること。

そしてその成果は、すべて子どもに還っていくようにしなくてはならないと思います。

ハウツー本の中には、「どういう子どもを育てるために」という内容が希薄・浅薄な(私の読解力では読み取れない)ものもあります。
私たちは、教師の思い通りに動く「鉄人28号」を造ってはいけないのです。

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職場体験学習で、生徒に人気のある職場の一つにケーキ屋さんというのがあります。
将来パティシエになりたい、という夢を持っている子もいるのではないでしょうか。
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パティシエになるために必要な資格はありません。
一般的には専門学校(製菓学校や料理学校の製菓コース)や短期大学など、
学校で基本的な知識や技術を身につけてから求人を探す人も多いようです。

学校を卒業したあとに、
洋菓子の本場と考えられているフランスなどの料理学校への留学をめざしたり、
有名ホテルのパティシエ部門で修業を積んでキャリア形成をし、
将来が自分のお店を持つ
……というのが理想的な進路ですね。

ところで,まともなケーキ屋さんは売れ残ったケーキがあっても決して安売りをしません。

なぜでしょう。

それは、もし夕方に割引したら客は夕方にしか来なくなってしまいます。
それでは経営が成り立たないからです。

それに,そのお店のブランドイメージを傷つけます。
「売れ残りを割引」はやはりいいイメージはないですよね。

まあ中には次の日に前日の売れ残りを「本日のサービス品」として売ってるお店もありますが…。
25日のクリスマスケーキの比喩を考えればイメージがわきますね。

授業も同じです。

テスト直前に「ここ、テストに出るぞ」とテスト範囲の復習をやってあげたらどうでしょう。

確かに“復習の授業”でやった問題が出て点数が上がれば生徒は喜ぶかも知れません。
しかし「毎日の授業って、何だったの?」「テスト直前の“復習の授業”を受けていればいいの?」ということになってしまいます。

しかも復習で点数を上げることができるのは、所詮暗記が効く知識レベルの問題です。
知識以外は、類似の問題を教えて練習させるしか方法がありません。

“復習の授業”は夕方に売れ残りのケーキを売るケーキ屋さんと同じです。
毎日の授業でしっかり定着させることができなかった、積み残しの内容を安売りしているだけなのです。

その教科の先生方全員が申し合わせて知識のブラッシュアップのための“値引きセール”をやっているのなら問題はないと思います。
しかし、もし“値引きセール”を潔しとしない先生がその教科に一人でもいたとしたら…。

生徒はその先生をどう思うでしょう。
毎日の授業をどう思うでしょう。

私たちの使命は、生徒の点数を上げることだけではないと思います。
(まあ、そういう面もあることは否定はしませんが…それが第一義でないことだけは確かです。)

基本“復習の授業”を主に行っているのは塾です。
そして塾に先んじて学習を進め、学習指導要領に示される学力をつけるのが“学校”です。

テスト前の“復習の授業”というのは、
“学校”というブランドイメージを大きく損なう行為なのではないでしょうか。

現在“アクティブラーニング”という考え方が大きく取り上げられています。
指導要領から文言がはずされましたが…私は良い判断だと思いますよ。

アクティブラーニングというのは、
知識などを受動的に身につけることに対する痛烈な批判が根底にあります。
「考える力」とか「解決する力」とか、難しい事はよくわかりませんが、
一方的に教えるのが授業ではないよ、という考え方です。

“復習の授業”はこれに逆行しているような気がしてなりません。

みなさん、時間が余ったら
「テスト勉強の自習だよ」と言い、復習は生徒に任せましょう。
そしてテスト前に時間が余らないように、きちんと教材研究をして毎日の授業を充実させましょう。
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