十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントを作成しています。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

 十種神宝(とくさのかんだから)とは、「古事記」「日本書紀」と並ぶ史書「先代旧事本紀」に登場する、霊力を宿した十種類の神の宝のことです。「古事記」や「日本書紀」では、三種の神器が登場していますね。
 十種神宝の霊力はすさまじく、
国家の隆盛も滅亡も操作できるほどの霊力が備わった神器であるとされているそうです。「先代旧事本紀」によると、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)が天磐船で河内に降臨する際、天神御祖から授けられたとされ、これを授けられた者こそが正統なる王位継承者と成り得ると考えられています。

 十種神宝は、以下の機能を持った10の神器です。

  • 沖津鏡(おきつかがみ) 高い所に置く鏡。太陽の分霊とも言われる。裏面には掟が彫られている、いわば道しるべ。
  • 辺津鏡(へつかがみ) いつも周辺に置く鏡。顔を映して生気・邪気の判断を行う。
  • 八握剣(やつかのつるぎ) 悪霊を祓うことができる。
  • 生玉(いくたま) 願いを神に託したり、神の言葉を受け取ったりする玉。
  • 足玉(たるたま) 全ての願いをかなえる玉。
  • 死返玉(まかるかへしのたま) 死者を蘇らせることができる玉。
  • 道返玉(ちかへしのたま) 悪霊封じ・悪霊退散の玉。
  • 蛇比礼(へびのひれ) 魔除けの布。もともとは、古代鑪製鉄の神事で、溶鋼から下半身を守るための前掛け。のちに、地から這い出して来る邪霊から身を守るための神器となった。
  • 蜂比礼(はちのひれ) 魔除けの布。振ったり身を隠したりして、天空からの邪霊から身を守る。または、邪霊や不浄なものの上にかぶせて魔を封じ込める。 
  • 品々物之比礼(くさぐさのもののひれ) 物部の比礼。ここに物を置くと品々が清められる。死人や病人をこの比礼を敷いて寝かせて、死返玉により蘇生術を施す。また魔物から、大切な品々を隠すときにも使う。
 また布瑠の言(ふるのこと)」という呪文があり、ひふみよ いむなや こと ふるべ ゆらゆらと ふるべ」と唱えることで、十種神宝の霊力を呼び覚まし、死者をもよみがえらせることができると言われています。

 タイトル『十種神宝』は、このブログ「十種神宝 学校の基礎・基本」の他に、いくつかのHP等から成り立っています。
 これらのシリーズは、神器である十種神宝が様々な機能を持っているように、少しでも学校の先生や学校に通う子どもたちの役に立てるようにと考え、『十種神宝』と名付けました。

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 数年前に、匿名の「伊達直人」氏が恵まれない子ども達にランドセルなどをプレゼントしたことが話題になりました。
 「伊達直人」とは、タイガーマスク(原作:梶原一騎。マンガ・アニメの初代です。実在のプロレスラーではありません。)の本名です。
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©梶原一騎・辻なおき/東映動画
 伊達直人は、孤児院出身で、悪役レスラー養成機関「虎の穴」にスカウトされ、レスラーになります。
 終戦後まもなく、世の中に戦災孤児があふれている時代でした。

 「強ければ それで いいんだ/力さえ あれば いいんだ」
 (『孤児のバラード』作詞:木谷梨男 アニメ『タイガーマスク』副主題歌

 とばかり、当時の日本も「力」を求めて邁進していた時代でした。
 そして、その頃は「学歴」が貧困から抜け出す唯一の手段でした。

 時は移り、世の中はグローバル化が進み、再び「強ければ それで いい」「力さえ あれば いい」という新自由主義の考え方が広まってきました。
 こんな時代の中で日本が生き残るにはどうしたらいいのか、40年程前(80年代頃)から教育界でも真剣に模索されてきていました。

 強烈な競争社会の中では、自分に必要な“もの” “こと”は何かを自分で判断し、貪欲に吸収し、成果に結びつけていかなくては、生きのびることはできません。

 そこで生まれたのが「生きる力」です。

 「生きる力」で求められるのは、お互いの考えを尊重し、意見を擦り合わせ調整して一つの結論を導く「話し合い」の力ばかりではありません。

 それよりも大切なのは、まず自分で考え、更に他者からの情報を貪欲に取り入れることで、自分の中で結論をよりよいものにしていく、個人主義的な力です。
 他人に協力させることはやぶさかではありませんが、自分が必要とする情報を集め、自分自身が処理し、自分から行動できるようになりなさい、というのが「生きる力」なのだと思います。

 口を開けていれば棚からぼた餅が落ちてくる、そんな待ちの姿勢では餓死するばかりです。そして「貧困からの脱出」という点では、日本よりもはるかに東南アジア諸国の方が切実です。
 ハングリー精神旺盛な諸外国と、生き馬の目を抜くような競争に打ち勝って生き残るのためには「生きる力」が必要なのだと思います。

 この力をつけるために、これからの授業は、
 活発に意見交換をする場面よりも、静かに自分の追究をし、追究の中で自分の疑問や意見を相手に「聴く」ことで、自分の考えを一層確かなものにしていく
 ……「相談する」とは少し意味が違う、そんな姿が求められるのではないかと思います。
 自分で頭を動かし体を動かさない者は、これからの競争社会の中で餓死するばかりなのです。
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 文科省の考えるグループ学習とは、この活動を円滑に行うための装置という側面もあるのではないでしょうか。

 これからの授業で大切なのは、どのように個の追究を保証するか、ということでしょう。
 この「追究する」という行為や心を育てることこそ、現代社会の中で生き延びるために大切なものであると思います。

 自分は目の前の生徒達にきちんと競争社会で生き残る「力」をつけているか。
 安易に「対話的な学び」と言いながら、安易に「話し合い」という発表会で済まそうとしていないか。

 日々の授業を振り返ってみましょう。

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ダウンロード (1)話し合いは終わりだ
ガメレオジン(『仮面ライダー(スカイライダー)』©石ノ森章太郎/東映

 「では、グループでこの問題について話し合ってみましょう。」

 授業でよく聞く台詞です。
 指導要領の文言からは消えましたが「アクティブ・ラーニング」という言葉が、「問題解決型学習」という言葉とともに広まるにつれ、クローズアップされてきました。
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 そして、問題解決のためには話し合いが必要で、それがアクティブ・ラーニングだ、という考え方が生まれてきてしまったような気がします。

 本当にそれでいいのでしょうか。

 「アクティブ・ラーニング」は2012年8月中央教育審議会答申では次のように説明されています。

 「学習者である生徒が受動的となってしまう授業を行うのではなく、能動的に学ぶことができるような授業を行う学習方法です。」
 生徒が能動的に学ぶことによって「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」内容だそうです。


 まあ、一方的に講義をする授業に比べれば、「話し合い」は生徒が授業に参加する点で「能動的に学ぶ」姿は見られるでしょう。
 しかし、もともと「話し合い」というのは、異なる意見を調整し同意を得るための手段です。利害や意見の異なる者同士が互いに調整しあって答えを出すことが目的の活動なのです。

 確かに学活の「話し合い」は、クラス目標を考えるとか、クラスマッチのチーム分けをどうするかとか、というような問題を解決するためには有効な手段だと思います。
 しかし、例えば数学の問題を「話し合い」で解決しても良いのでしょうか。
 
 「話し合い」と「アクティブ・ラーニング」とは目的が違うのです。
 「アクティブ・ラーニング」は、あくまで生徒が能動的に学ぶための手段であり、生徒を能動的に学ばせることが目的なのです。

 アクティブ・ラーニングの手法はいくつかありますが、
  • Think-Pair-Share(他者の意見と比較をしながら、自分の考えを明確にしたり深めたりしていくのに適している。)
  • ラウンド・ロビン(ブレインストーミングの簡易版。新しい考えを次々に生み出していくにに適している。)
  • ピア・レスポンス(レポートやプレゼンテーションのアウトラインを他者の目を通して検討する。書き手と読み手の視点を体験するのに適している。)
 などが、授業で行われる主なものだと思います。
 これらはいずれも、その生徒に「考える力」をつけるための手段に過ぎません。ただ単に対話すれば、議論すればいいということではないのです。

 具体的に考えてみましょう。
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 例えば理科に、「化学変化と物質の質量」という単元があります。
 化学変化で物質の見た目は変わってもその背景には変わらぬ構造や法則があります。この構造や法則を理解するが一つの目標です。

 生徒にとって、目に見える事象との対話だけで解決するのは難しいと思います。
 そこで他者の意見や教師のアドバイスを聞く、つまり他者と対話することによって解決に近づくこともあります。
 そしていろいろな情報を自分の中で考え合わせ、自分自身と対話していくことによって解決していくものなのではないでしょうか。
 安易に知識を与えるのではなく、生徒一人一人が自分の考えを持って、それを対話によって修正していく過程に「学び」があるのだと思います。

 しかし、そういった構造や法則を既に知識として持っている生徒は、どの学校のどの教室にもいます。そして、それを他人に吹聴したがる生徒もいるかもしれません。
 そういう生徒には「なぜそう考えたの?」「どうやって証明したの?」と聞いてあげましょう。
 (本で読んだり人に聞いたりしたことをそのまま信じるのって、宗教的で非科学的だよね。)
 そしてそれを、「どうやったら確かめられると思う?」と全体に投げ返す方法もあります。
 「知っている生徒がいて答えてしまったら終わり」というのは知識偏重の姿勢でアウトです。生徒への切り返しは、教師の技量が問われるところです。

 また英語科では、ただ対話活動をやらせればいい、というわけにはいきません。なぜなら、生徒の「学び」が「アクティブ」にならないからです。
 授業では「こんな表現を身につけさせるために、どんな活動をさせればよいのだろう」から「こんな表現をしたくなるような活動は、どんな活動がベストだろう」という発想の転換が必要です。

 今までの授業では「先に英語表現ありき」という授業が多かったような気がします。
 ジョークのネタになっている “Is this a pen?” “Yes.it's a pen.” という対話とか“I am a boy.”というような文がその例です。「そんなの見りゃわかるだろ」「なぜそれを言う?」と突っ込みどころ満載の不自然な文が「先に英語表現ありき」の考え方です。

 例えば「過去形を使わせる」ために「昨日何を食べましたか」と互いに質問させる授業があります。
 生徒は、なぜ昨日食べたものを友達に聞かなくてはいけないのでしょう。また、なぜその質問に律儀に答えなくてはいけないのでしょう。「ノーコメント」ではいけないのでしょうか。
 これが「先に英語表現ありき」の授業です。

 「過去形を使うために会話する」という考え方の先にあるのがアクティビティ英語を使っての活動・体を使っての遊び)です。
 アクティビティは確かに必要な活動だと思います。しかし、決まったパターンを使った活動=アクティビティは、お子様向けの英会話教室で盛んにやっていることであり、AIの最も得意とするところです。
 指導要領で目指す、英語科における「言語活動の充実」とは「昨日食べたおいしかったものを友達に伝えたいから過去形を使う」ように仕向けなさい、ということだと思います。 
 実生活で生きてはたらく言葉の力を育てるには、表現しようとする気持ちを誘い、「この表現を使ってみよう」「自分の言いたかったことが言えた」と感じられる授業場面(英語の使用場面)をいかに設定するかが鍵となるのではないかと思います。
 
 これからは「伝えたいことが先にある学習活動」を単元や授業に位置づけることを大切になってくるのではないでしょうか。
 これはAIにはできないことだと思います。しかし、使わせたい表現を使いたくなるような授業の場面設定というのは、とても難しいことです。まさに教材研究の力量が問われることになると思います。

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 昔、ゲッターロボというアニメがありました。
 合体ロボットの元祖で、今のスーパー戦隊シリーズのロボットにも強い影響を与えています。
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©永井豪・石川賢/東映動画
 ゲッターロボとは、イーグル号ジャガー号ベアー号の3機のゲットマシンが合体する巨大ロボットです。
 3機の組合せで、次の3タイプに変化します。(おもちゃでの再現は不可能でした。)
  •  空陸戦を得意とする(一番ポピュラーな)ゲッター1 
  •  陸での高速移動及び地中活動が可能なゲッター2(ドリルは男のロマンだ) 
  •  重量戦及び水中活動に適したゲッター3
 ゲッターロボ自身強かったのですが、合体する前のゲットマシンにも
  • 運動性の高さ(赤い機体のイーグル号 ゲッター1の頭部になる)
  • 空力性の高さ(水色の機体のジャガー号 ゲッター1の腹部になる)
  • 安定性の高さ(黄色い機体のベアー号 ゲッター1の脚部になる)
 と、それぞれの特性と、高い戦闘能力がありました。

 今回の学習指導要領で言う「主体的・対話的で深い学び」というのはゲッターロボと同じです。
 「主体的・対話的で深い学び」とは
 「
主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」という、まったく特性の異なる3台のゲットマシンが合体し、三つの心が一つになったゲッターロボのようなものだと思います。

 中教審答申も、
 「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」はそれぞれ固有の授業改善の視点である。
 と説明しています。

 「主体的な学び」とは、生徒が、見通しを持って粘り強く学習に向わざるを得ない授業をしなさい、学習の後にそれまでの学びを振り返って次の学習につながる授業をしなさい、ということです。

 「対話的な学び」とは、ただグループ学習にすればよいという授業はダメですよ、生徒一人ひとりがテキストや他者や自己との対話を通じて考える授業にしなさい、ということです。

 「深い学び」とは、各教科の特質に応じた「見方・考え方*1)」を働かせなくてはいけない授業をしなさい、そのために「教える」場面と「考えさせる」場面をきちんを意識した授業を展開しなさい、ということです。

 若い先生方は、自作のワークシートを使って授業を進めることが多いようです。
 そこで、みなさんが毎日授業で使っているワークシートについて考えてみましょう。

 みなさんは、そのワークシートを使って、どういう力を生徒につけたいのでしょうか。
 授業の中で、3台のマシンの1台でも活躍する場面がきちんと盛り込まれているでしょうか。

 漢字や難語句、英単語・専門用語などの単なる知識を身につけさせたいのならば、書き取りや暗誦をさせたほうがより効果的でしょう。
 授業中にそれをやらせる時間はないのなら、それこそ課題として出し、次の時間に小テストをすれば済むことです。

 自分の考えを書き込む行為は、自分の考えをまとめさせるために書かせています。
 ならば、授業の流れの中で、それを全員に確実に書かせ、意見交換をさせ、発表させ、更に考えさせる授業になっているでしょうか。そうでないと「書かせる」目的は達成できません。

 「生徒にワークシートを埋めさせる」ことが、目的を達成させるための手段ではなく、それ自体が目的となってしまっている、ということはありませんか?
 生徒がワークシートを埋めるのは「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」のいずれかをさせるための手段にすぎないのです。

 確かに、ワークシートがあれば授業をするのが楽、ということもあるでしょう。
 そしてパターン化されたワークシートを使っていれば、生徒も次にやることがわかるので安心、ということもあるでしょう。

 しかし、私たちの仕事は、誰もが授業で使え、どの授業にも応用できる普遍的なワークシートを作ることではありません。(それは業者に任せましょう。)
 私たちが創らなくてはいけないワークシートは、
 「学び」を成立させるゲッターロボでなくてはいけません。

 その授業の、その生徒にしか使えない特殊なワークシートが求められているのだと思います。

  *1) 各教科等の特質に応じた「見方・考え方」
 「見方・考え方」とは、「どのような視点で物事を捉え、どのような考え方で思考していくのか」という、物事を捉える視点や考え方のことです。
 例えばアジサイの花(?)が咲いているのを見て「なぜ色が変わるのだろう」と考えれば理科的な見方でしょう。「一つの塊にはいくつの花があるのだろう、とすると一本の木にはどのくらい咲いているのだろう」と考えれば数学(算数)科的な考え方となります。「花の色が変わるのを人の心に例えた文章もあるな。諸行無常まで悟ったのは少ないな」と考えれば国語科的、「この色をどう描いたらいいのだろう」なら美術科的ですね。
 この追究によって得られたる新しい知識や技能は、更に既習の知識及び技能と結び付くことで生きて働くものとなります。また、考えていくこと自体が、思考力、判断力、表現力等を豊かなものとしたり、社会とどのように関わるかの視座を形成したりするために重要なものとなります。
 「見方・考え方」を育てることは、その子の資質・能力を育て、資質・能力が育てば更に「見方・考え方」も豊かになっていくのです。


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 高校にとって、その生徒の卒業後の進路はとても重要です。

 なぜなら、その高校の評価は、卒業生の進路で
決まるという面があるからです。

 ですから、
 より偏差値の高い大学に一人でも多く進学させるためには、
 大学入試の変化に応じて、高校の授業も変わらざるを得ません。

 そして、より「優秀な」学生を求める高校は、
 当然、高校入試も変えていくでしょう。

 そのため、公立高校の入試も、
 大学入試を意識したものにせざるを得なくなります。

 高校入試が変われば、当然それを意識して、中学校の授業も変わらざるを得ず、
 中学校の授業が変われば、小学校の授業も変えざるを得ないのです。

 この雪崩を起こすことがオオトリテエの狙いです。

 去年、小学校の英語の授業にAIが搭載されたロボットが導入されつつあり、将来的にはALTに取って変わる可能性もあるという報道がなされました。産経新聞 2018.8.24
 また、大学入試の英語では「読む」「聞く」能力に加え、「話す」「書く」力を測定するため、民間の検定試験を活用するということはご存じの通りです。
 そして英語の限らず、これからのテストの解答方法としてCTB(Compyuter Based Testing)方式*1)が重視されてくるそうです。

 前に、AIの導入により銀行などでリストラが進んでいることをお話ししました。
 近い将来、私たちの授業も、知識・技能の伝達の側面はテスト作成や採点も含め、AIにとって変わられるかもしれません。
 昔ながらの授業はもう通用しないし、そのような授業しかできない教師は、もう必要とされない時代がそこまで来ているかもしれません。

 では私たちは、授業をどのように変えなくてはいけないのでしょう。
 これが教育改革の「三つの柱」の中の「どのように学ぶか(指導方法や教科書の改善)」です。

 文科省は、2014年「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)」の中で、次のように説明しています。

 必要な力を子供たちに育むためには、
 「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと、
 「どのように学ぶか」という、学びの質や深まりを重視することが必要であり、
 課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や、
 そのための指導の方法等を充実させていく必要があります。

 具体的に考えてみましょう。

 例えば理科の授業では実験や観察をします。
 教科書には、クックパッドに載っているお料理のレシピのように、実験や観察の手順が詳しく書かれています。
 おそらく全国の理科の授業では、教科書の手順どおり実験が行われ、同じような結果が得られているでしょう。
 今までは、そういった授業でよしとされてきた面があります。しかしこれでは、知識・技能を伝えたに過ぎません。
 これからは、実際に実験をやらなくても、AIを使ってシミュレーションすればいいという時代が来るかもしれません。

 大切なのは、その実験は何のために行うのか、です。

 目の前にある「不思議な」事象に対し「なぜだろう」と疑問を持ち、
 疑問を解き明かすために、理科の見方・考え方を働かせて科学的に思考し、「こうなんじゃないか」と予想や仮説をたて、
 そしてその予想や仮説が正しいことを証明するために観察や実験を行っているわけです。

 この事象との出会いから予想や仮説をたて、それを証明するための観察や実験を組み立てる一連のプロセスこそ、授業で最も重視しなくてはいけない内容だと思います。

 シミュレーションでなく実際に実験を行ったとして、もしも班どうしで実験結果が違ったら、(これはありがちなことですね。)
 それはなぜ違うのか、どちらが科学的に正しいのかを議論する……そんな授業もできそうです。

  *1) CTB(Compyuter Based Testing)方式
       試験における工程を全てコンピュータ上で行うこと、およびそれを行うサービスのこと。

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