十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントをおわけします。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

更に「走れメロス」の登場人物も、つっこみ所満載です。

1 アブナイあんちゃん メロス

もし今の日本で、世情に疎く世論の動向などにまったく関心がない若者が、一人の老人の「国の指導者は人殺しだ」「自分の周囲の人間を次々と粛清している」という言葉を聞いただけで、暗殺を思いつき、その足でホームセンターで刃物を買い求め、のこのこ官邸に乗り込んだ人間がいたとしたらどう思いますか。
メロスがやったことは、これと同じです。メロスは一般の常識をわきまえない危険人物です。
更に、妹の結婚式を「間近だ」と勝手に決めてしまったり、承諾も得ずにセリヌンティウスを人質として差し出したり、極めて自己中心的な性格な行動を平気でとっています。
ところが困ったことに、自分を「偉い男」「弟になったことを誇ってくれ」と言い、自分に「正義」があると言ってはばかりません。自意識過剰で自尊心が高く、ほとんど自己陶酔の世界に陥っています。

ほとんど疾病レベルの超アブナイあんちゃんだと言えます。
緋のマントを捧げた少女には「考え直せ」と言ってあげたいと思います。

2 一番得をしたのはディオニス王
Dionysius_I_of_Syracuse
王は、妹婿によるクーデター計画により人間不信に陥り周囲の者を次々と粛清し、そのために世論は離れ支持率最低の状況です。
自身もストレス過多で不健康ですから、愚かではない王は、早晩自分の王朝が滅亡するかもしれないことを悟っていたかもしれません。悪循環に陥っています。

そんな王がメロスにしたことは、人質をとることで自分を暗殺しようとしたメロスを放免し、もし帰ってきたら人質を解放し処刑する、という裁定を下しただけです。
今の刑法では殺人未遂及び内乱罪ですから死刑にまではならないと思いますが、当時の常識として、王は即座にメロスを処刑しても当然だったと思います。(ついでに連座制が適応されるなら、妹や妹婿も死刑だったでしょう。メロスは結婚式をあげさせたら即妹を離縁すべきでした。)

そうしなかったのは、自分の主張が正当であることの宣伝材料とし、世論に訴えるためです。
そのために、事件の経緯を公表し自分の主張が正しいと宣伝するために刑場に民衆を集めたのでしょう。
ですからこの目論見に失敗した王は、帰ってきたメロスを
「なるほどお前が約束どおり帰ってきた。ならば私も約束を守ろう。お前を縛り首にする。」
と言って、さらっと始末してしまうことができました。

ところが王はメロスを許してしまいます。
しかし、これにより結果的に民衆から「王様万歳」と叫ばれます。
世論は一気に好意的なものとなり、支持率も急上昇したわけです。
王が支払ったリスクは「わしの心に勝ったのだ」と敗北宣言をし罪を赦したくらいで、他には何も失っていません。ローリスク・ハイリターンの極みです。

ディオニス王にとって、世論の圧倒的支持を得たということは、これ以上ないくらいの幸運な結末です。どこかの国の首相もきっとうらやましく思っていることでしょう。

3 セリヌンティウスは聖人君子

メロスの友人セリヌンティウスは、最後の場面で三日間で一度だけメロスを疑ったので自分を殴れ、と言います。
それはメロスが直前に「途中で一度、悪い夢を見た」から殴れ、と言ったからです。

そもそもメロスが「悪い夢」を見たのは一度だけでしょうか。

メロスは結婚式で「あの約束をさえ忘れ」、「このままここにいたい」と願います。
出発してからも「幾度か、立ち止まりそう」になります。
「未練の情」てんこ盛りのメロスです。
ところがメロスは、しれっと川を泳ぎ切って倒れた時のことしか言っていません。
この時は疲れ切って昏睡状態であったために思わず本音が顔を出したようにも読めます。

セリヌンティウスがメロスのことを本当に理解していた「親友」なら、メロスは迷わずに戻って来るなどとは考えないはずです。
きっとメロスは迷うだろう、迷っても結局は来ようとする気持ちはあったに違いない、でも何か理屈をつけて戻らなかったとしても、それはそれでメロスらしいな、と考えたはずです。
だいたい相談もなく自分を人質に差し出してしまうご都合主義のメロスです。おそらく「メロスが戻ってこなくて自分が死刑になってもしょうがないや」と諦めていたのかも知れませんね。

ところがメロスは処刑場に戻り、しゃぁしゃぁと「一度」と言ってのけます。
「ウソだろ」と思いながらも、自分も調子を合わせて「一度だけ」と言い、黙って殴られるセリヌンティウスです。

寡黙で、友のために死を覚悟してためらわないセリヌンティウスは、聖人君子か仏様のような人間だと思います。
こんなすばらしい友人を、どうやってあのメロスがキープできたのか、物語最大の謎だと思います。

4 謎の人フィロストラトス

セリヌンティウスの弟子を名乗るフィロストラトスは、王城間近に迫るメロスに近づき「走るのはやめてください」と言います。これはとても不思議な行動です。

フィロストラトスはセリヌンティウスが刑場に引き出されて以降の一部始終を見ていたはずです。
もし本当にセリヌンティウスの弟子ならば、なぜ師匠が処刑される瞬間までそこに留まらなかったのでしょう。
彼は途中で刑場から抜け出し、どこへ行こうとしたのでしょう。
そしてメロスに出会い、師匠が処刑から免れる唯一の手段=メロスが刑場に行くことをやめるように言ったのでしょう。
更に「ついてこい」とメロスに言われた後、彼はどこへ行ってしまったのでしょう。もしついてきたのなら、人混みをかき分ける手助けくらいはしたはずです。

シラーの詩では、セリヌンティウスはメロス家の執事もしくは家令に設定されています。
それならば彼の言葉は納得できますが……もし『走れメロス』の後日譚を書くのだったら、彼をメインに据えたいところです。

次回から、実際にどのように授業を展開するか説明します。
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「走れメロス」は、教材研究をすればすぐにわかるように、設定の矛盾がいたるところにある作品です。
この点からすると入試問題にはまず出題されない部類の小説ではないかと思います。

またこれは、道徳の教材ではありません。
国語の授業としてどのように成立させるかが学習のポイントとなります。

国語の学習では、テキストをどのように料理するかがポイントです。
そこでまず、素材としての「走れメロス」を分析してみましょう。
ダウンロード

「走れメロス」の矛盾点

1 メロスは走っていない

「算数・数学の自由研究」作品コンクール(理数教育研究所 2013)に入賞した「メロスの全力を検証」という中学2年生の研究では、作品内の記述をもとにメロスの平均移動速度を算出し、その結果「メロスはまったく走っていない」という結論を得ました。(PDFはこちらからダウンロードできます。)
私の計算でも、川を泳いだり眠ったりしなかった往路の移動速度は小学校低学年並みで、復路後半も小学校高学年の遠足以上、中学生の競歩大会未満の速度でした。

2 妹の結婚式の予定が食い違っている

メロスは妹の結婚式の食材調達のためにシラクスの町にやってきます。初夏(立夏から芒種の前日まですから6月頃)の話です。
一方「妹の婿」は「明日結婚式を挙げてくれ」というメロスに、準備が出来ていないという理由で「ぶどうの季節まで」待って欲しいと言っています。ぶどうの季節はどんなに早くても9月以降でしょう。
ギリシア時代の結婚は夫と花嫁の後見人との契約により成立しました。このような事件がなかったとしたら、いつ結婚式をあげるはずだったのでしょう。
夫である牧人と、花嫁の後見人であるメロスとは、結婚をあげる時期に共通の認識がなかったようです。どちらかが勝手な思い込みで行動していたとしか思えません。

「走れメロス」から見える事情

1 ディオニス王朝はいずれ近いうちに滅亡する

王は王妹の婿、王太子、王妹、王妹の子、皇后、臣下の順に粛清しました。
この順番から、王妹の婿が王太子をそそのかし王を殺害、実権を握ろうとクーデターを計画したと王は考えていたのではないかと思われます。
もし王妹の婿が本当にクーデターを企てていたのなら、王が極度の人間不信に陥ったとしても不思議ではありません。クーデター計画が本当にあったかどうかはわかりませんが、いずれにせよ王は疑心暗鬼になり粛清を繰り返しているのではないでしょうか。
この行き過ぎた行動に対して世論の反発が強まっています。その中で、王は現在ストレス過多となり、顔色がわるくなっています。健康が思わしくないのです。
早晩、王が健康を損なった時、求心力は一気に弱まります。
するとクーデターが起こる可能性が極めて高くなるでしょう。その結果、早晩王は暗殺されるか、良くても国外追放となり、王位継承者のいないディオニス王朝は滅亡するはずです。(モデルとなった王は息子に暗殺され、王位を継いだ息子も義弟により国外追放となっています。)
弟や従兄弟を殺し三代目に源氏の血が途絶える原因を作った源頼朝と同じですね。
メロスは、別に王を暗殺しなくても、数年後には「生かしておけぬ」という彼の願いは実現したはずです。

2 この年は異常気象である

地中海性気候の土地が物語の舞台です。
地中海性気候では、冬には一定の降雨がありますが、初夏には雨が降らず乾燥しています。だからオリーブやブドウなどの栽培が盛んなのです。
ところが物語では初夏に大雨が降り、川は氾濫し、橋が流されています。災害レベルの豪雨と言えます。
婿となる牧人は「ぶどうの季節」を待つ以前に、今年はブドウが収穫できるか心配した方がよいと思います。

次回は「走れメロス」の舞台設定の謎です。

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明けましておめでとうございます。

初日の出に始まり、初詣、初夢、初湯。定番の初笑いを謳ったバラエティー番組。
このお正月、いかかお過ごしだったでしょうか。

生徒は書き初めの提出準備ができているでしょうか。

1月7日頃までは松の内と言って玄関に松飾りを飾り、その後鏡開きがあります。
この頃寒稽古や初釜が行われますね。
初釜とは、正月を迎えたことを祝い、元旦に汲んだ若水を使って行う新年最初の茶会のことです。
(お菓子は花びら餅が出てくるとちょっと嬉しいですね。)
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冒頭の句は、初釜という華やかな場で、あえて灰の美を詠んだところに侘び寂びが感じられます。

これを詠んだのは一茶。と言っても小林一茶ではなく、北海道大学の川村秀憲教授が開発したAI「一茶くん」です。
「一茶くん」は江戸から現代まで古今の名句と、季語にちなむ写真を学習し、句題か写真を示すとそれに即した俳句を1時間に14万首も詠むことができます。
しかし「残念ながら玉石混交です。だれか人の手を借りて選ばないと、多すぎて句会が台無しになります」。(朝日新聞「天声人語」2020.1/4)

AIは、見えたものや聞こえたものなどを含む膨大なデータを処理して判断し会話することや、決まったルーティーンを繰り返し早く正確に答えを導き出すことができます。
ですから将来、行政書士等の専門職やファミレス等の接客はAIに取って代わられるだろうと言われています。

一方、学習していないことでも自分で考えて判断し実行すること、抽象的にものごとを考えること、善悪や美醜の判断をし行動につなげること、人の気持ちを汲み取ることなどが苦手です。
ですから「一茶くん」は膨大な俳句を作れても句の善し悪しはわかりません。
善し悪しを決めるのは人間なのです。
(正岡子規の「月並」や戦後の「第二芸術論争」を思い出しますね。この手の論争はシリアスなマンガやラノベなどで「名作は存在するか」というテーマで時々お目にかかります。)

新学習指導要領では、このAIが苦手なことのなかでも、学習していないことでも自分で考えて判断し実行することを特に重点的に指導しようとしているような気がします。

一方善悪や美醜、人の気持ちを汲み取る等は「道徳」に丸投げしようとしているように思えてなりません。
しかし同じものを見ても、眼鏡の色が違えば異なる色が見え、同じ情報を分析、処理しても、ソフトが違えば処理結果は異なります。
大切なのは、(何が「正しい」のかはさておいて)正しい結論を導き出すには、正しい人生観、生命観、価値観、倫理観が形成されていなくてはいけない、ということです。

生徒たちに良いことと悪いこと、美しいことと醜いこと、変化し続ける心の襞を汲み取り手を差し伸べることは、人間しか教えることができないことだと思います。
私たちは、(財界や経済産業省の要望に添った)学習指導要領で求める人材を育成する一方で、更に意図的に、人としての心を耕していかなくてはいけないと思います。
(だから文学的文章の指導が極端に減少する昨今の傾向を国語科として危惧しています。)

人に人の心を教えるためには、まず教える側の心のありようが問われます。
何が正しいのか、何が美しいのか、人情の機微に触れるとはどういうことなのか、背中で教えることができる教師になって欲しいと思います。

そのために、これからも自らを見つめ、高めていきましょう。

いよいよ仕事始め。がんばりましょう。
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今年もよろしくお願いします。

今年も少しずつアップしていきます。

今年こそはアフェリエイトを導入し、
稗田先生が少しでもお楽になるようにがんばりたいと思います。

6日からアップを再開します。
記事その他のご希望があれば、ご連絡ください。

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学級によって異なるローカルルールがあることは生徒だって知っています。
ですから四月当初は、「○○はしていいですか?」「○○はどうしたらいいですか?」と聞きに来る生徒が多いと思います。
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その都度判断に迫られるため、その場であまり考えずに答えてしまうことがあります。これが、他の生徒が同じようなことを聞いた時に違うように答えてしまう原因です。
また、このくらいは自分で考えて欲しいと思い「自分で考えなさい」と言うこともあるでしょう。「自分で考え」た結果、生徒はみんな同じ結論を出すとは限りません。
結局「先生はブレている」と思われてしまいます。

しかしこのように単純に質問してくる生徒は、素直で良い生徒だと思います。
中には、新しい担任が決めた基準に対して「前の先生は○○だったよ」という生徒もいるでしょう。
この場合は「ヨソはヨソ、ウチはウチ」と言い放ち、ルール破りに対しては毅然として対応しましょう。
(これは一年生の最後に「来年は新しい担任のルールに従うように」と言って欲しいことでもあります。)

更に注意しなくてはいけないのは、「先生、提出物は明日でもいいですか?」というように、わかっていることをあえて微妙な言い回しで質問してくる場合です。
これは「先生は良いと言った」という言(げん)質(ち)をとるための質問です。
これに対しては毅然とした対応が求められます。

対策としては、予想される質問に対し、あらかじめどう答えたらいいのかしっかりと準備することです。
これは指導案の「予想される生徒の反応」の考え方と同じです。生徒目線に立って考えればよいのです。
そして「これは」と思うものは、成文化して全体に提示してしまいましょう。

これが最もローリスクでできるのは四月当初しかありません。
どのようなことを決めておかなくてはならないかは、実際に生徒目線に立って、経験していって欲しいと思います。

しかし、みなさんにとって予測できないことも多いと思います。
判断に困るような時には、すぐに答えずに時間を置くようにしましょう。

「ちょっと学年の先生に聞くまで待っていて」と、少しだけ時間を伸ばします。
その後、学年の先生達に確認をすれば、たいていは明確な基準を示してくれるはずです。

生徒の質問にすぐに答えられないのは信頼してもらえないかも、と思うかも知れませんが、誤った判断を下すよりもずっといいと思います。
自分の判断が間違っていて、一度許可してしまったことを取り消すことは、膨大なエネルギーが必要になります。
「えー、先生はこの前いいって言ったのに……」と教師の「判断がブレる」ことこそが、教師への信頼感を少しずつ失わせる原因の一つです。

それでもルールの変更をしなくてはいけない時があります。
その時は正々堂々と全体の場で伝えることです。

初期のルール設定が終わってそれに慣れた時期に、生徒が「先生、○○してもいいですか?」と聞いてくることがあります。
学級の状況や生徒の気持ちは刻々と変化していきます。その中で生徒自身が判断に迷っているのです。
「ルールを設定していないから設定して欲しい」あるいは「一度定めたルールを違う形にしてよいか」ということを聞いていることになります。またカースト上位の生徒が自分に都合の良いようにルールを変えようとしている場合もあります。

いくらもっともな話でも「では、そのようにしよう!」とその場で答えてはいけません。

この段階では、話をした生徒にとってルールは変わっていますが、それ以外の生徒にとっては以前のルールのままだからです。
そのため「ルールの変更は全員が聞いている場で行う」必要があります。

良い提案をしてきた生徒には「では、後でみんなの前で確認をするからね。」と伝え、帰りの会など全体の場で、全員にルールを変更することを伝えます。

この様な手続きをとれば、「不公平だ」などと言われることは減っていくと思います。

生徒たちに不公平感を感じさせないこと、正直者にバカをみさせないこと、自分の担任の先生は公明正大であり正義の味方であることを印象づけるために、一瞬でも気を抜いたら負けなのです。

                                                                              ……よいお年を。
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