学び」って何でしょう。

「学び」は、もともと「学ぶ」という動詞から生まれた言葉です。
「学ぶ」の語源にはいくつかの説がありますが、「学ぶ」は動詞ですから動作や状態を表す語に間違いありません。
つまり「学ぶ」というのは結果ではなく、行動を指す言葉で、それが名詞化した「学び」も、一定の動作を表します。

ですから授業の中で得た知識に「学び」はありません。
知識を得るに至るまでのアタマの中の動きこそが「学び」なのです。

得られた結果ではなく、結果を出すまでの行動が問題なのです。

では、日々の授業でどのようにしたら、50分間一人残さず「学び」という行動をとらせることができるのでしょうか。
  • 教師がカリスマ性を身につける。
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信仰される先生になる。吉田松陰みたいな先生でしょうか。
  • 考えない者には恐怖を与える。
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©原哲夫・武論尊/集英社
戦時中の軍事教練や『北斗の拳』のラオウ=拳王がまさにこれです。
  • 対価を要求する。
お金を払う以上、何かを得ようとがんばるのが人間です。

他にも
  • 競争させる
将来の見通しが立たない今、競争の先にあるものって何?と考えるとむなしいだけです。
良い成績をとって良い会社につとめても、この時代、定年まで安定しているところなんかありません。
  • 褒美を与える
サーカスの動物のようにうまくできたら「よしよし」と褒めて角砂糖でもあげるわけにはいきません。
角砂糖の代わりに評定値とか高校の推薦とか……それ、露骨にやっちゃだめでしょう

等々、たくさんの方法があると思います。
しかし、私たちは決してやってはいけない方法もあると思います。
ちなみに、上の方法はすべて「無理」か「アウト」だと思います。

……少なくとも公然とやってはいけません。

では、どうやったらよいのでしょう。
その方法は、大昔から、それこそ星の数ほどの方法が考えられてきました。

例えば、
  • 学習問題に対し課題を「スモールステップ」にして提示していくとか、
  • 問題を解決するために必要な「既習事項」を授業の導入で確認するとか、
  • 一人一人の考えが定まってきたら「他人の意見」に触れさせるとか、
  • 「4人グループ」にするとか。
いわゆる研究授業でやっていることは、ほぼ「学び」を成立させるための手段の研究なのです。

「学び」を「生きる力」の中で考えた場合、
これからは「生徒自らが考える」授業に変えていかなくてはいけません。

理科や社会などは最も強く「学ぶ」授業が求められています。
国語や数学も同じです。
いろいろある解決の方略を考える過程が授業となるのだと思います。
英語は体育や音楽と同じくトレーニングの要素が大きいとは思いますが、「生きた言語活動」がそれにあたるのではないでしょうか。

これからの時代、
「生徒に知識を確実に身につけさせること」ではなく、「生徒に考える力を確実につけること」が授業の大切な条件になります。

メタ認知等の世界に踏み込んだ指導です。

たいへんな時代になったものですね。


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