物語は、基本的に架空の世界を舞台にしています。
作者はリアリティを持たせるために、現実に近い設定をする場合がありますが、あくまでもこれは「設定」なのです。
ですから読者は、この物語の舞台の「設定」を具体的にイメージしないといけません。
そこで、授業ではまずテキスト全体を通読してから、物語の舞台設定を具体的に考えさせます。
作者はリアリティを持たせるために、現実に近い設定をする場合がありますが、あくまでもこれは「設定」なのです。
ですから読者は、この物語の舞台の「設定」を具体的にイメージしないといけません。
そこで、授業ではまずテキスト全体を通読してから、物語の舞台設定を具体的に考えさせます。
舞台設定とは、「いつ(時間設定)」「どこ(場所設定)」「だれ(登場人物設定)」の三つです。
生徒にこの物語を一読させた後、ワークシート等にまとめさせると良いと思います。
この時、「何ページの何行目の何という叙述からそれがわかるか」を必ず書かせます。
それが学習指導要領に示される「筋道をたてて考える」力につながります。
この時、「何ページの何行目の何という叙述からそれがわかるか」を必ず書かせます。
それが学習指導要領に示される「筋道をたてて考える」力につながります。
いつ(時間設定 回想部分を除く)
9月上旬のある日の午後の出来事
- 最初の場面=4時間目終了後しばらくして(12:40~45頃)5~10分前後 4時間目は隣の教室は自習であった。
- 校庭の場面=放課後
- 公園の場面=放課後 下校中
9月上旬であることはすぐわかるのですが、時刻を2時間目休みや給食後のことだと読み取っている生徒が多いようです。これは明らかな誤読ですので、きちんと押さえておく必要があると思います。
どこ(場所設定 回想部分を除く)
- 最初の場面=教室内。「私」の席は教室後方窓側にある。
- 校庭の場面=校庭の水飲み場付近。
- 公園の場面=公園
最初の場面の「私」の席は教室後方窓際であるというのは、次のことからわかります。
- 「私」の机に前方から戸部君がぶつかってきたことから、給食配膳のことを考え、「私」の机は教室前方にあるとは考えにくい。
- 廊下に出た「私」を戸部君が見ている(廊下から自然に戸部君が見える)位置は、教室の廊下側とは考えにくい。
これをやると、けっこう盛り上がること請け合いです。
また、小学校から通う塾が複数近所にあることから、中小の地方都市であることが予想されます。
だれ(登場人物設定)
- 「私」 中学1年 女子 夏美は小学校時代の友達。戸部君は小学校時代からの知り合いで現在同級生。図書委員会所属。主人公。小学校時代から戸部君に好意を持っているが、本人はそれに気づいていない。
- 夏美 中学1年 女子 「私」は小学校時代の友達。現在クラスが違う。
- 戸部君 中学1年 男子 「私」は小学校時代からの知り合い。現在同級生。サッカー部所属。「私」との関係について友達からからかわれており、本人も少しは「私」を意識していると思われる。
- 戸部君の友達 中学1年 男子 「私」の同級生。戸部君と同じサッカー部に所属。
- 掃除をしているおばさん デウス・エクス・マキナ*1)。作者の分身。
物語文とは登場人物の心理の変化が語られる文章です。この物語は「私」の一人称で「私」の気持ちが語られていますから、主人公は「私」です。
一人称小説であるが故に、読者にとって「私」と戸部君との関係がわざとわかりにくく書かれています。
読み方によっては、まるで戸部君が「私」に好意を抱いているような錯覚を与えてしまいます。
しかしこれは叙述トリック*2)による作者のミスリードです。
(原作:アガサ・クリスティ 制作:ITV)
『名探偵ポアロ』アクロイド殺人事件は有名な叙述トリックです。
作者は「私」と戸田君は小学校時代から相当親しく「私」は戸田君に好意を寄せていることを巧妙に読者にわかりにくく書いています。
読み方によっては、まるで戸部君が「私」に好意を抱いているような錯覚を与えてしまいます。
しかしこれは叙述トリック*2)による作者のミスリードです。

『名探偵ポアロ』アクロイド殺人事件は有名な叙述トリックです。
作者は「私」と戸田君は小学校時代から相当親しく「私」は戸田君に好意を寄せていることを巧妙に読者にわかりにくく書いています。
例えば、最初の教室の場面で「なんで~」と反復法を用い読者の注意をひきつけてから「なんでサッカー部なのに先輩のように格好よくないのか。」と「私」に言わせています。
これ以外の「なんで~」は小学校のころの出来事ですが、この一文のみ中学入学後のことと考えられます。(小学校に部活はありませんからね。)
サッカー部員の先輩が格好よいのが仮に事実だとしても、戸部君が格好よくある必要はありません。戸部君に格好良くあってほしいという「私」の願望でしょう。
また、校庭の場面で戸田君の声を「ずっと耳になじんでいた」と慣用表現を用いて記述しています。慣用表現を表現技法と考えるかは疑問ですが、小学校時代からずっと耳になじんでいたわけですから、「私」は戸部君を相当親しく感じていたと考えて間違いないと思います。
このような「私」の気持ちを、周囲はうすうす知っていたのでしょう。だから物語の冒頭で、サッカー部の男子諸君が戸部君を「私」の方へ押しやるという行為をしたのでしょう。(「私」がいじめの対象でもない限り……。)
そして、そういう噂を立てられていることを「私」も感づいていたからこそ「わかんない」とあえてその噂そのものを否定しようとしているのではないかと思います。
これ以外の「なんで~」は小学校のころの出来事ですが、この一文のみ中学入学後のことと考えられます。(小学校に部活はありませんからね。)
サッカー部員の先輩が格好よいのが仮に事実だとしても、戸部君が格好よくある必要はありません。戸部君に格好良くあってほしいという「私」の願望でしょう。
また、校庭の場面で戸田君の声を「ずっと耳になじんでいた」と慣用表現を用いて記述しています。慣用表現を表現技法と考えるかは疑問ですが、小学校時代からずっと耳になじんでいたわけですから、「私」は戸部君を相当親しく感じていたと考えて間違いないと思います。
このような「私」の気持ちを、周囲はうすうす知っていたのでしょう。だから物語の冒頭で、サッカー部の男子諸君が戸部君を「私」の方へ押しやるという行為をしたのでしょう。(「私」がいじめの対象でもない限り……。)
そして、そういう噂を立てられていることを「私」も感づいていたからこそ「わかんない」とあえてその噂そのものを否定しようとしているのではないかと思います。
このような経緯があるからこそ、校庭の場面で素直に戸部君の冗談の真意を悟って
という叙述が効いてくるのです。
ここまでおさえるのに、だいたい1.5~2時間かかります。
- 中学生になってちゃんと向き合ったことがなかったから気づかなかったけれど、私より低かったはずの戸部君の背はいつのまにか私よりずっと高くなっている。
という叙述が効いてくるのです。
ここまでおさえるのに、だいたい1.5~2時間かかります。
*1) デウス・エクス・マキナ(deus ex machina、羅: deus ex māchinā)
「機械仕掛けから出てくる神」という意味の演出法の一つ。劇の内容が解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況を一気に解決に導き、物語を収束させるという古代ギリシアの演劇の手法。
エクス・マーキナー(機械によって)とは、神を演じる役者がクレーンのような機械仕掛けで舞台(オルケストラ)上に登場したことによる。
アリストテレスは、演劇の物語の筋はあくまで必然性を伴った因果関係に基づいて導き出されていくべきであるとし、行き詰った物語を前触れもなく突然解決に導いてしまうこのような手法を批判している。“夢落ち”もデウス・エクス・マキナの一つである。(他の誰が許しても、手塚先生はお許しになりませんよ。)
エクス・マーキナー(機械によって)とは、神を演じる役者がクレーンのような機械仕掛けで舞台(オルケストラ)上に登場したことによる。
アリストテレスは、演劇の物語の筋はあくまで必然性を伴った因果関係に基づいて導き出されていくべきであるとし、行き詰った物語を前触れもなく突然解決に導いてしまうこのような手法を批判している。“夢落ち”もデウス・エクス・マキナの一つである。(他の誰が許しても、手塚先生はお許しになりませんよ。)
*2) 叙述トリック
推理小説などで、ある事柄や一部の描写をあえて伏せることによって、読者に事実を誤認させるテクニックのこと。
私たちは小説を読む時に、文章から与えられる情報によって、足りない部分をそれぞれ想像しながら読んでいる。その際にある程度思い込みや先入観がはたらくことを利用して、明示していない部分(=作者が隠匿している部分。時間や場所、人物など)を、読者が想像によって「勘違い」するように、意図的にミスリードを誘うもの。例えば真犯人は実は語り手だったというように、主にミステリー小説に用いられる。例えば「語り手」自身が犯人だった、というようなトリック。
この作品前半の場合、戸部君はストーカー行為を行っていたとも読めるが、それは「私」が自意識過剰であったためであり、真犯人は「私」ということになりますね。
推理小説などで、ある事柄や一部の描写をあえて伏せることによって、読者に事実を誤認させるテクニックのこと。
私たちは小説を読む時に、文章から与えられる情報によって、足りない部分をそれぞれ想像しながら読んでいる。その際にある程度思い込みや先入観がはたらくことを利用して、明示していない部分(=作者が隠匿している部分。時間や場所、人物など)を、読者が想像によって「勘違い」するように、意図的にミスリードを誘うもの。例えば真犯人は実は語り手だったというように、主にミステリー小説に用いられる。例えば「語り手」自身が犯人だった、というようなトリック。
この作品前半の場合、戸部君はストーカー行為を行っていたとも読めるが、それは「私」が自意識過剰であったためであり、真犯人は「私」ということになりますね。

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