1990年代バブルが完全に崩壊し日本の不景気が始まった頃、
 阪神淡路大震災オウム真理教によるテロ等が起こり社会的にも不安・不安定な時代となりました。
 『クレヨンしんちゃん』の主人公野原しんのすけ君はこの頃に生まれています。
146640©臼井儀人/テレビ朝日
 「ゆとり教育」が始まったのもちょうどこの頃です。

 ゆとり教育は1987年生まれの人が中三の時に始まり、2001年生まれの人が小一の時に終わります。

 ちょうど新卒の先生たちの世代になるかもしれませんね。

 特に新卒の先生たちが過ごした小~高校時代、
 日本は平成不況・リーマンショックの中でデフレが進み、
 就職も2003年には大卒の就職率が過去最低の55%までに落ち込みます。

 激戦を勝ち抜いて就職したにもかかわらず社会に出てすぐに辞めてしまう若者が多いことが社会問題になりました。

 「失われた10年」と言われる時代です。

 学校は土曜日を休みとして完全五日制となり、「学力低下」が社会的な問題となり、校内暴力が多発しました。

 そんな時代の中で新卒の先生たちは育ちました。

   新卒の先生たちが学んだ「ゆとり教育」って何だったのでしょうか。

   1996年に文部省(現在の文部科学省)の中央教育審議会(中教審)が「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第1次答申の中で、
  • 我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力など自己教育力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。(中略)我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を、[生きる力]と称することとし、知、徳、体、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。
と述べています。

 それまでの「詰め込み教育」と言われる知識量偏重型から、思考力を鍛えることに重きを置いた経験重視型に教育方針を転換し、そのために学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指したのです。

 1992年以降の3回の指導要領はこの「生きる力」を目指しています。

 そして思考力や問題解決能力などを重視し、個性を尊重しました。
 学習内容も体験的な学習や問題解決学習などの占める割合が従来よりも多くなり、評価も関心・意欲・態度を重視する方向となりました。(「新学力観」)

 新卒の先生たちは、この方針に従った教育を受けて育ってきたのです。

 「知識偏重教育」とは結果としての知識を大切にする教育です。

 では「知識」はどのようにして生まれるのでしょうか。

 何もないゼロから新たな知識を生みだすことはとても難しいことです。
 それが簡単にできる人を天才と呼ぶのだと思います。

 私たちが何かを考えたり思いついたりする場合、今頭の中にあるいくつかの知識を組み合わせたり変化させたりして新しい知識を生み出しています

 そしてそれには、論理的な演繹的な思考と直感的な帰納的な思考(*1)が必要です。
 そのための体験的学習や問題解決学習だったのだと思います。

 「生きる力」を育成するというのは、出口としての知識ではなく、その知識を生み出すための力をつけるということだったと私は考えています。

 「ゆとり世代」と言われ、
 「指示待ち人間が多い」「常識がない」「自分中心的」「自信満々だが実践力がない」「打たれ弱い」等、他の世代から滅茶苦茶に言われ、

 更に「ゆとり世代」は差別用語とまで言われたため、
 新卒のみなさんより後の世代は「さとり世代」と呼ばれるようになりました。

 しかし新卒のみなさんは「ゆとり世代」であることを恥じる必要はありません。

 みなさんこそ、新しい知識を創造する……その力を育てられた世代のはずです。
 そして、だからこそ、新指導要領で示される「生きて働く知識」を育てることができるのは、みなさんたちの世代しかいないと思います。

  *1) 演繹法と帰納法
 演繹法とは、一般的かつ普遍的な事実を前提として、そこから結論を導きだす方法です。例えば、「人間は哺乳類である」「哺乳類には血液がある」という2つの普遍的な事実を前提とした場合、演繹法では「人間には血液がある」という結論を導き出すことが可能です。このことから、演繹法は数学的な推論方法ともいえるでしょう。ただし、前提として選定した一般論や普遍的事実が誤っていると論理が破たんしてしまいます。逆をいえば、前提の選定さえ間違えなければ、非常に強い説得力をもつ推論方法であるともいえます。
 帰納法とは、さまざまな事実や事例から導き出される傾向をまとめあげて結論につなげる論理的推論方法です。帰納法で重要視されるのは、多くの事例に共通することをまとめることで、聞く者に「納得感」を与えます。例えば、「今朝テレビでハチミツの効能について報道していた。また、同僚のA君も毎朝ハチミツを摂取していて体調がよくなったとのこと。他にも、定期購読している雑誌の中でハチミツが体に良いと紹介されている。よってハチミツは体調の改善に効果がありそうだ。」という帰納法による説明では、「テレビでの報道」「同僚の体験談」「雑誌の記載」といった事象を総合して「ハチミツが体に良い」という結論を導き出しています。この例の場合のように、複数の具体的事実から同一の傾向を抽出して、結論(推論)に持っていくのが帰納法です。さらにここでは、テレビ、同僚の話、雑誌と3通りの経路から情報を入手していることで、偏った情報ではないという印象が深まるため、聞く者に納得感を与えやすくなっています。
 「風が吹けば桶屋が儲かる」の話で、「風が吹く」→「砂埃が立つ」→「目の不自由な人が増える」→「三味線を習う」→「三味線の材料の猫がいなくなる」→「鼠が増える」→「鼠が桶をかじる」→「桶屋が儲かる」と順序よく考えていくのが演繹法、途中を一足飛びにして「風が吹いて砂埃が舞う」という事実と「桶が売れるので桶屋が儲かる」という二つの事実を直感的に結びつけるのが帰納法です。
 人間の思考は、どちらを使って、ということはありません。何かピンときたら、それが正しいかどうか、演繹法や帰納法を使って考え、答えに確信を持っていきます。そして、この思考を身につけるには、体験的な活動や問題解決学習が適しています。このことを明確に狙ったのが「総合的な学習の時間」だったのだと思います。


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