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憎きもの
  • にくきもの。急ぐことあるをりに来て、長言するまらうと。あなづりやすき人ならば、「後に。」とても、やりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いとにくく、むつかし。
〈現代語訳〉
  • しゃくに障るもの。急用がある時にやって来て、長話をする客。容易に見下げることができる人ならば、「後で。」と言ってでも、帰してしまうことができそうだが、そうはいってもやはり(相手が立派で)気がひける人であれば、(さすがにそうもできず)ひどくしゃくに障り、不快だ。
  
 全国学調の結果が公表されました。

 で、いわゆる活用問題(今年はA・Bがなくなり、ほとんどが活用問題になりました)の成績が全国平均と比べて低い……なんとかしなさい、と毎年言われているところも多いと思います。
 毎年言われている都道府県やその学校は、今年も成績が悪いと、もっとプレッシャーがかかるんでしょうね……きっと。

   で、国語なんですけれど、やっぱり活用問題が伸びないというのは、多くの自治体や学校の課題なのではないかと思います。
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写真は問題がAとBに分かれていた時代のものです。

 じつはこの問題、PISAでいう「読解力」の問題ととても似ているんです。

 「読解力」と言ってはいますが、実際は「読解したことをわかるように説明する力」までを見ています。これは「読解力リテラシー」といって、「数学的リテラシー」や「科学的リテラシー」と並んでいる概念です。

 そもそも「リテラシー」には、次のような意味があります。
  • 書かれた(印刷された)言語に限らず、様々な言語、コミュニケーションの媒体(例えば、ボディランゲージ、画像、映像 等まで含む)を適切に読み取り、適切に分析し、適切にその媒体で記述・表現できること

 ですからPISAで考えている「読解力」は、「言語を中心とした図表やグラフ等、示されるテキストを理解し、分析し、その結果をもとに、与えられた問題に的確に解答する力」を測ろうとしているわけです。
 国語科が指導する「読解力(reading comprehension)」とPISAや全国学調で求める「読解力(literacy=読解記述力)」とは別物なのです。

 そして全国学調が終わると「テキストの解釈、熟考・評価に課題がある。」「自由記述(論述)の設問に課題がある。」というご託宣が下るわけです。

 全国学調やPISAで求めている「読解力」は、国語科のみの課題ではないのに、校長先生から「国語科は何をしている」風のことを言われたり、教育委員会から「国語科としてこのような対策を考えていきます」と言われたりすることがあります。

 これって、とても悲しいことで、まさに全国学調の結果は国語科にとって「憎きもの」なのです。

 ところが最近、国語科にその責任を求めるという風向きが変わってきました。

 全国学調査やPISAの結果から、思考力・判断力・表現力の育成が課題であることは既に明らかになっていることです。
 また、学校教育法においても、「思考力・判断力・表現力等」が学力の重要な要素として示されました。
 そして、その育成の手だてとして、教育活動全体で言語活動の充実を図ることが重要であることが指摘されています。

 言語は「知的活動(論理や思考)」「コミュニケーション」「感性・情緒」の基盤であるとし、「言語は全教育活動の基盤」であるとして、全教科で取り扱う重点として「言語活動の充実」を新学習指導要領の柱の一つに掲げたのです。

 ここでいう「言語活動」とは、「言語によるさまざまな活動のことであり、言語の範囲は数式などを含む、広い意味で学習において用いる概念を表す記号全般」(愛知県教育委員会)とされています。

 文字言語に限らず、図表やグラフ等も含めた「言語」を用いない教科などないから、「全教科で取り扱う」のですね。

 この考え方が、「アクティブラーニング」につながります。

 言語が「生きてはたらく」ものとなるためには、活動を伴うものでなければ実効性は薄い、という考え方のもとに、学習指導要領等で各教科のポイントが説明されています。

 まあ、PISAや全国学調の問題は、国語科の考える文章の「読解力」とはまったく異なる内容を測定しようとしているのですから、当たり前といえば当たり前なんですけれどもね。

 しかし、PISAや全国学調風の問題が、大学入試や高校入試の国語の使われ、それがあたりまえになると、それこそ日本語文化の衰退の危機だとも思います。

 そうなると、PISAを頂点とした学力体系こそ国語科にとっての「憎きもの」なのだと感じるのは私だけでしょうか。


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