文学的文章読解のポイントとして「いつ」「どこ」「だれ」をまず明らかにする、というのがあります。
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 「故郷」が発表されたのは1921年。その前年に作者魯迅は紹興に帰省していますから、その時のことがモデルになっているのかもしれません。

 1920年代といえば、第一次世界大戦後の世界恐慌から戦争の足音が聞こえ始めた時代。
 中国では植民地化が進み軍閥が跋扈していた時代です。

 生徒たちは、社会で一応この頃の日本や世界の情勢を学習します。
 しかし、当時の中国についての知識はほとんどない状態です。 

 一方「故郷」は、当時の中国民衆を読者として想定しています。
 ですから、時代背景はほとんど説明されていません。

 ですから中学生には、この時代がどんなものだったのか想像すらできません。

 国語科で扱うのですから、社会科の授業の補足をする必要はありませんが、教える側として、ある程度の知識を持っている必要があると思います。
 
「眠れる獅子」から「死せる豚」へ…混乱の幕開け

 日本が「太平の夢」をむさぼっていた江戸時代、清は「三世の春」と呼ばれる黄金時代を迎えていました。
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 一方、18世紀のヨーロッパは革命の世紀ででした。
 イギリスの清教徒革命(1640)や名誉革命(1688)、フランスのフランス革命(1789-1799)、アメリカの独立(1776)といった市民革命の世紀であり、
 綿工業に代表される工場制機械工業による大量生産と、蒸気機関の発明による動力革命交通革命を軸とした産業革命の時代だったのです。
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 これは同時に、民主主義と資本主義の時代の訪れでした。

 産業革命による大量生産は、大量に原料を必要とします。
 そして大量に生産された製品は売りさばかなくてはいけません。

 そこでヨーロッパの列強は、それを植民地に求め、世界に侵出していきました。

 19世紀になると、イギリスは中国から茶を輸入する代わりに、既に植民地化したインドへ綿織物を、インドから中国へ麻薬のアヘンを輸出するという三角貿易を始めます。
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 これがもとで、アヘン戦争(1840-42)が起こりますが、この過程で清も列強の侵出の脅威にさらされます。
 更に国内では太平天国の乱(1851-64)などの乱が勃発して「内憂外患」の状態となりました。

 この流れの中で、日本にも海外列強が訪れ、不平等条約を結び、明治維新を迎えます。
 明治維新により誕生した明治政府は、富国強兵政策により急速に近代化(資本主義化)を進め、列強に並ぼうと日清戦争(1894-1895)を起こすのです。
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 清にとって日清戦争による敗北は、「眠れる獅子」とそれまで言われてきた清の弱さを世界に露見した形になり、以後欧米列強によっていいように食い荒らされるようになりました。

 清国内では日本のような近代化を進める改革が行われましたが、かえって人々の反感を買うようになりました。
 そして、1911年に武昌で起こった蜂起をきっかけに辛亥革命がおこり、宣統帝溥儀は退位して清は滅亡、秦の始皇帝以来の皇帝による統治も終止符が打たれました。

「故郷」の時代
ダウンロード (4)孫文
 辛亥革命により、孫文国民党を結成して中国の国会の第一党となり、明治維新や自由民権運動のような新しい国「中華民国(「中華人民共和国」ではありません。今の台湾政府ですね。)によって民主政治を推し進めようとしました。
 しかし清で内閣総理大臣を務めていた袁世凱が水面下で工作を行って独裁色を強め、それに反対する孫文らの革命勢力を退け、孫文を日本への亡命に追い込んだのです。

 このような腐敗した政治状況は、革新的知識人層を失望させ、彼らに文学的な啓蒙運動を行わせるきっかけとなりました。
 これは「文学革命」と呼ばれ、腐りきった中国の状況を一般庶民に自覚させるべく、誰でも読めるように従来の文語ではなく口語で訴えました。

 この文学革命のの中心人物としては、『新青年』を発行した陳独秀や白話(話し言葉)文学を提唱した胡適などといった人たちがいたましたが、その中の1人が魯迅です。

「故郷」と魯迅

 当時魯迅は、現在の東北大学医学部で藤野巌九郎教授のもとで留学生として学んでいました。
 清の風俗である「纏足(ヤンおばさんの足です)」を医学の力で直そうと考えていた、と言われています。
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 ところが日本で、銃殺される同胞を笑ってみている中国人の映像を見、本国の惨状を聞いて、「医者として中国人を治そうにも、治せるのは体だけであり、中国が列強から自立するためには中国人の精神を治さなくてはならない」と思い、文学の道に転じたとされています。(単位がとれず卒業の見込みがなかった、という説もあります。意見には個人差があります。)

 『故郷』を書いた1921年は、独裁者として君臨していた袁世凱は既に亡く、各地に軍閥と呼ばれる軍人勢力がごった返す混乱状態にありました。
 その影響は庶民の暮らしにも影響を与え、人の心さえも変えてしまっていたのです。

 『故郷』の叙述では、「豆腐屋小町」と呼ばれたヤンおばさんは外面・内面ともにかつての面影はなく、実の兄弟のように親しかったルントウも変わり果てて、地主階級と小作人という身分の壁によって接し方も異なるものになってしまったと書かれています。

 魯迅は『故郷』の中で、変わり果てた故郷や人々を見て悲哀かみしめつつも、
  • 思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
と文末で述べ、一条ばかりの希望を失わない決意をしたのではないでしょうか。

その後の中国

 では、「故郷」のホンルやシュイションはどういう時代を過ごすことになるのでしょう。

 その二度にわたるロシア革命で台頭したボリシェヴィキ(ロシア共産党)の指導によって、魯迅とともに文学革命をリードした陳独秀が中国共産党を結成します。
 この結果、蒋介石率いる「国民党」と毛沢東率いる「中華ソビエト共和国」の二つの勢力が、中国に並び立つこととなりました。

 最初、この二大勢力は互いに争い、中国は内乱状態となりました。
 しかし1937年7月7日に盧溝橋事件が起こり、1カ月後には日本により上海まで占領されたため、国民党と中国共産党は手を結んで日本との全面戦争へと突入したのです(日中戦争)。

 しかし、1945年に日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏をすると、再び国共内戦(国民党vs共産党の内戦)に突入します。
 この中で農民が「内戦は地主への戦い」とみなして共産党軍(のちの人民解放軍=中国軍)に参加するようになり、共産党軍が優勢になります。
 そして1949年10月1日に毛沢東が「中華人民共和国」の建国を宣言し、分裂状態に一応のピリオドが打たれました。そして敗れた国民党は台湾に逃れ、未だ共産党政府とは対立状態にあることはご存じの通りです。

 そして現在、「統一」された中国は高度経済成長を迎え、世界第二位の大国となりました。しかし、この中で貧富の差が一層広がっています。 

 中国の若者は1989年、民主政治の実現を起こそうと魯迅たちと同じように、「天安門事件」という形でアクションを起こしました。
 しかし、結果はご存じの通りです。

 時代や状況は違いますが、どこかそれは『故郷』の舞台と似ているような気がしてなりません。

 魯迅の「互いに隔絶することのないように」と願った「新しい生活」は訪れたのでしょうか。それともまだ「偶像」のままなのでしょうか。


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