photo0jpg魯迅の故郷 紹興の風景
前回の続きです。

第4時 ルントウに会う


 前時までに学習した内容をまとめると、以下のようになります。

 「私」が「望」んでいるのは「美しい故郷」であり、
 現実の風景や状況は「美しい故郷」を見失っている状態(失望)であること。

 「美しい故郷」の象徴は「小英雄」ルントウであり、
 「私」は「美しい故郷」を見失いはしたが、まだ探し求めていること。

 あと2時間で、単元を終わらせるにはどうしたらよいでしょうか。

学習問題
  • ルントウに会い、「美しい故郷」を求めた「私」はどうなったのだろう。
 答えは「絶望」です。

 しかし、これをストレートに考えさせたのでは、国語の力がついたとは言えません。

 生徒は、ルントウと会って絶望に変わったのだろうということはわかりますが、
 具体的に叙述から考えているのではなく、展開から予想している場合が多いからです。

 そこで、しっかりと叙述に返すために、
  • 「私」の気持ちに大きな変化が起きたのはいつか。その理由はなぜか。
  • その結果「失望」はどう変わったか。
という学習課題を提示します。
  • 私は身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた。私は口がきけなかった。
 「身震いした」瞬間が「いつ」の答えです。
 理由は「悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた」からです。
 その結果「私」は「絶望」しました。

 範囲が広いので、「身震いした」を見つけるのには少し時間がかかるでしょう。

 生徒はいくつかの叙述を挙げてきます。
 発表させて「心理の変化は行動によって記述される」ことを思い出させ、
 心理の変化した瞬間の叙述を考えさせます。

 「悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまった」という思いはルントウも同じです。

 ルントウも「喜びと寂しさの色が顔に現れた」とあります。
 「唇が動いたが、声にはならなかった」とありますが、何と言おうと迷ったのでしょうか。
 「最後に」とありますから、「旦那様!」と言う前に、間があったと思います。

 (その時「私」が先に「ルンちゃん」と言っていれば話が変わったかもね。惜しかったね。)

 故郷の寂しい風景や苦しい経済状況、
 社会情勢の悪化とともに変わってしまったヤンおばさん
 ……これらに失望していた「私」です。

 「私」にとっての小英雄たるルントウは「美しい故郷」との唯一のつながりで、
 「兄弟の仲」でいて欲しかったのだと思います。
 そのルントウから「身分の差」という因習によって拒絶されてしまったのです。

 既に清は滅亡していましたが、意識の上ではまだ「身分の差」というものが残っていました。
 明治時代に入っても、士族が歩けば道を譲る、ということがあったようです。それと同じですね。
 これは「経済力の差」「教養の差」等に言い換え、それらを全部ひっくるめたものが世襲的に受け継がれているのだと思えば良いでしょうか。

 ルントウは、「兄弟の仲」よりも、身分の差による「他人行儀」を選んだのですね。

 「私」は、小英雄から拒否され、絶縁状を突きつけられたように感じたのでしょう。

 今まで見失っていただけの「美しい故郷」が、
 ここではっきり、現実には存在しないことを悟り「絶望」するのです。

ヤンおばさんの取り扱い

 ヤンおばさんは、当時の時代背景を象徴する存在です。
359b033b5bb5c9ea2ef92405df39b6003bf3b3c9杨二嫂(ヤンおばさん)
 昔は豆腐屋小町と呼ばれていましたが、今はその美貌はすっかり変わってしまった。
 「私」は美人だった頃のヤンおばさんがどういう性格だったか覚えていません。
 しかし現在ヤンおばさんは、私のことを金持ちと決めつけて酷いことを言う、嫌な性格として描かれています。
 しかも、引っ越し作業の中で、人の家のものを勝手に盗んでいきます。

 最後の場面で、
  • 他の人のように、やけを起こして野放図に走る生活を共にすることも願わない(也不愿意都如别人的辛苦恣睢而生活)
と書いてあります。
 他の箇所は「私のように」「ルントウのように」と限定していますが、
 ここだけは「他の人のように」とヤンおばさんには限定していません。

 貧しさによって道徳や倫理等を失ってしまったたくさんの人々を表していると読めます。
 当時の中国の経済格差や身分慣習を象徴する存在がヤンおばさんなのでしょう。

 これを扱っていると、字数オーバーになることが考えられます。
 クラスの実態によって、取り扱うかどうかは悩むところですが、
 物語の本筋とは離れた枝葉の部分ですから、軽く触れる程度で十分だと思います。
ダウンロード (8)現代の豆腐屋小町「西施ちゃん」

第5時 故郷に別れを告げる場面


学習問題
  • 「故郷」で作者が伝えたかったものは何か考え、書こう。
 これを解く手がかりは、次の叙述です。
  • 思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ
 この叙述から、以下のことがわかります。
  • 「地上の道」=「希望」=「あるものともいえぬし、ないものともいえない」
 「希望」は、現在は存在しないが「歩く人が多くなれば」存在する、というわけです。

 この直前の部分は、以下のものです。
  • まどろみかけた私の目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月が懸かっている。
 これは小英雄のいない「美しい故郷」の風景です。
 「金色の丸い月」が浮かんでいるだけです。
ダウンロード (6)
  • 「金色の丸い月」を目指してみんなで道を進んでいこう
というのでしょう。

 「金色の丸い月」は、
 「美しい故郷」の代わりに「私」が見ようとしたもので、
 人々が「互いに隔絶することのない」「新しい生活」の象徴です。

 「新しい生活」は、神話時代でもない限り、現在に至るまで地上に実現することがなかった理想郷でしょう。
 ですから「金色の月」と同じく、手の届かないところにあるものです。
 いくら「金色の月」を目指して「地上の道」を歩いていっても、そこにたどり着くことはありえません。

 だから「地上の道」は
 人工的に作られた「偶像」であり、
 実現する可能性が「希」なものであり、
 それでも求めて止まないから「希望」なのです。

 たとえそれが実現する可能性がほとんどないとしても、
 私たちは理想を目指すことを忘れてしまってはいけない

 ……それが故郷との別れの場面の主題だったのではないかと思います。

 これを教師が説明するのは簡単で、10分程度で終わります。

 しかし、
  • これにどう気づかせるか、
  • 考えた結果をどう文にまとめさせるか、
国語としての授業です。
  • 学習問題を据えるのに5分、
  • 手がかりとなる叙述を挙げさせるのに10~15分、
  • これらの中から「地上の道」「希望」「金色の丸い月」「偶像」「新しい生活」というキーワードを抽出するのに5~10分、
  • キーワードを使って文または文章にまとめる作業で10分、
  • 残りは発表と振り返りの時間で1時間が終わります。
 こんな流れでしょうか。

 単元を通しての山場となりますので、
 先生の「講義」ではなく、生徒が主体的に活動する「授業」を成立させましょう。