いじめ防止対策推進法の定義では、いじめの要件を
  • 行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じていること
としています。次の事例を考え見ましょう。
  •  AさんがBさんを殴り、Bさんは先生に「Aさんに叩かれた」と訴えてきた。AさんがBさんを殴ったのは後にも先にもこの1回だけであった
 これは法の定義に照らせばいじめです。
 例えばAさん(またはAさんの保護者)が「そんなのはいじめじゃない。何かあって一度殴っただけじゃないか」と主張しても、アウトであることに違いがありません。
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 この事例では暴力を振るったため非常に明確に理由付けができますが、
 これが「悪口を言われた」「物を隠された」等になると、更に指導がすごくやりづらい状況となります。
 「わざとじゃない」と主張されたり、物隠しの場合は犯人すらわかりません。(実は家に忘れていただけ、ということもあります。)

 「本人が苦痛を感じたら即いじめと判断するのはどうか」等の意見もあります。

 しかし、これに対しては、
  • いじめには多様な態様があることに鑑み、本法の対象となるいじめに該当するか否かを判断するに当たり、「心身の苦痛を感じているもの」との要件が限定して解釈されることのないよう努めること
という衆参両院の文教委員会の附帯決議が載せられています。
 つまり、本人の主観による決めつけや思い込み、あるいは「わざと『いじめられた』と主張し相手を陥れる」冤罪の主張が通らないように、しっかりと「客観的な状況はどうなのか」等の事実確認を行うことの重要性も謳われています。

 社会通念としてのいじめの定義を拡げて「どんないじめも見過ごさないようにしよう」というのがこの法の趣旨なのです。

 「やんちゃな子が、少しくらいおいたをしたっていいじゃないか。そんな中で子供は育っているのだ」という意見もあります。
 それに対して「いかなる乱暴な言動も、人を傷つけるものであり、絶対に許されない行為だ」というのがこの法の精神なのでしょう。私たちは教育公務員として、遵法精神に則り、いじめを早期に発見し、「教育」しなくてはいけないのです。(ちょっと怖い言葉の使い方解釈ですね…。)

 しかし、ここまで考えてみると、これは「いじめ」の問題にとどまらず「生徒指導」の問題だという気がします。

 学校経営等で「安心・安全」と慣用句のように二つ並べて述べることが多いようですが、「安心」していたのでは「安全」は確保できません
 3年の国語で学習する『挨拶』のように、「安心」して生活していると「安全」は脅かされる、という厳しい現実を生徒にもしっかり教えていかなくてはいけないと思います。