「月に思う」は、きちんと取り扱うかどうかは、学校により違いがあります。
私の場合、次の内容を約1時間でおさえます。

雪月花
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「雪月花」とは、テキストにも書かれている通り、冬の雪、秋の月、春の花のことです。
四季おりおりの自然の美しさ、風雅な眺めをいいます。
日本の自然美ですね。

この言葉は、白居易の詩に由来します。
この詩では「雪月花の時」とあり、それぞれの景物の美しいとき、すなわち四季折々を指す語でした。
そうした折々に、遠く離れた部下のことを思っている、という内容の詩です。

似たような言葉に「花鳥風月」というのがあります。
これも美しい自然の風景や、それを重んじる風流を意味します。

こちらは日本の貴族の遊びからきた言葉です。
「花鳥風月」とは元々貴族が自然の美しい景色を堪能して、それを詩歌に盛り込んでしたためるという風雅な遊びを意味していました。
2年生で習う「扇の的」では、赤色の地に金の日の丸を描いた扇が海に舞い落ちる様子を名所の紅葉に例えて美しさに感動する平家の公達の姿が描かれています。
花鳥風月を和歌に織り込むのが貴族達にブームだったのです。

これが室町時代になり、世阿弥の「風姿花伝」の中に
  • 上職の品々、花鳥風月の事態、いかにもいかにも細かに似すべし
という文があります。
花を愛でて鳥のさえずりに耳を傾けて、自然界の美しい風景に親しむ様子を「花鳥風月」と表したのです。
この「風姿花伝」から「花鳥風月」という言葉が使われ始めたとされています。

「花鳥風月」は、自然の美しいものや風景を意味し、
「雪月花」は、「雪と月と花」から、日本の四季折々により楽しめる美しいものを意味します。
どちらも自然の美しいものを表しているのですが、
「自然界のもの」であるか、「四季折々のもの」であるかという微妙な違いがあります。

ちなみに、宝塚の組は「雪月花」が由来です。(今は星と宙組が加わっています。)

旧暦の八月十五夜の月は中秋の名月

現在八月といえば夏です。私は以下のように指導しています。
  • 「新春」という言葉があるように、昔は1~3月を「春」、4~6月を「夏」、7~9月を「秋」、10~12月を「冬」と言った。
  • だから、8月は「中」の秋で中秋と言う。
  • ただし、実際の季節は今と同じではない。昔の8月は今の9月以降である。年によって違うが、一ヶ月以上ずれている。
  • これは、今の暦が太陽暦と言って太陽の動きをもとに作られたものであり、昔の暦は太陰太陽暦と言って、月の動きをもとにしていたためである。太陰暦では一年間の長さが太陽暦と比べると一年間で11日短くなってしまう。そこで太陽の動きを参考に、季節のずれを閏月というもので修正していた。
  • ちなみに八月十五夜は2019年の場合9月13日にあたる。
生徒に覚えておいて欲しいことは、
古文で春夏秋冬とあっても、今の季節とは少し違うかも知れないということです。
特に俳句の季語は古文の春夏秋冬で言い表しますから、
「こいのぼり」は夏の、「七夕」は秋の季語となります。
季節感としては、今のものと一ヶ月以上離れていると思って間違いありません。
古文を読んで今の何月何日になるかは、ネットなどで調べさせると良いと思います。

時間があれば、十二支と時刻、方位の関係も教えてしまいます。
これは2年生の「扇の的」の「ころは二月十八日の酉の刻ばかりのことなるに~」のところでも扱います。

望月

月の満ち欠けをもとにした太陰暦では、空の月が一番欠けた状態を「朔」(さく)と言い、
この「朔」から約15日たつと満月になり、これを「望」(ぼう)といいました。
朔は「ついたち」とも読みます。
ですからその月の初めが月が一番欠けた状態の日で、15日が「望月」の日となるわけです。

さやけさ
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テキストに「明るくくっきりとしているものに対するすがすがしさ」とあります。
古語辞典には「清く澄んでいること。明るくはっきりしていること。すがすがしいこと。」とあり、「~に対する」と微妙なニュアンスの違いを、筆者は主張しています。

明るくくっきりした月の光は、単なる物理的現象です。
その現象に対して「すがすがしく感ずる」のは自分であり、
それを「自分の心のありよう」と言いたいのだと思います。

自分の心のありよう

「自分の心のありよう」とは、ありのままの自分の心の状態のことです。
雲間から漏れ出た月の光を見てすがすがしい美しさを感ずる素直な気持ちを言います。

そして、例えば「義務教育の-」と言った場合、
「あるべき姿」「理想的なあり方」という意味になります。
月の光を見てすがすがしく感じるのが理想的な気持ちの持ち方である、と主張しているともとれます。

つまり、
「私たちは新たな月の美しさに触れ、それに向かい合ったときの私たち自身の心のありように気づく」
とは、月の光を見て美しいと感じている自分に気がつく、とか、
そう感じる自分は間違ってはいないんだと思っていいことがわかる、という意味になります。

これを詳しく解説しているのが、次の「この歌に歌われているような光景は~」に始まる段落です。

この歌を知らなかったら、同じような景色を見てもそれを美しいと思わないでスルーしてしまうじゃないか、この歌を知っていれば、同じような景色を見て「あ、これは美しい景色なんだ」と気がつくじゃないか、ということです。

そして、このような古典の時代から受け継がれている気持ち(美意識?)は、「私たちがまだ知らない私たち自身の心」で、古文を読んで、「新たな自分」を発見しましょう、と言っているのです。

ここらへんは、読解問題として是非テストに出題したいところですね。