昔々、『大鉄人17』(石ノ森章太郎/毎日放送 東映)という巨大ロボットものの特撮がありました。
物語は、国際平和部隊・科学研究所の佐原博士が、あらゆる災害から地球環境を保全するためにスーパーコンピューター・ブレインを建造したことから始まります。
ダウンロード (1)巨大人工頭脳システム ブレイン
次第に自我と超生産能力を持つようになったブレインは
「人類こそが地球を滅ぼす。人類は地球にとって最大の災害であり有害」
という結論をはじき出しました。
そして「地球にとって最大の災害」である人類を抹殺すべく、
ブレインは巨大ロボットを何体も作りだしました。

そして17番目のロボットには、
動き回ることができるもう一人の自分として自我を与え、「ワンセブン」と命名します。
ダウンロード大鉄人17(ワンセブン)
しかし、17(ワンセブン)は、地球環境の保全に対し
「人類だけが地球を救える。人類は地球に有益」
と結論を出しました。

ブレインも17も、あらゆるデータにアクセスし高度な情報処理を行うことができるという点で同等の能力を持っています。
しかし導き出した結論は正反対のものだったのです。

さて、今回の学習指導要領の改訂で
「学力」という言葉はすっかり影を潜めてしまいましたが、
あえて「学力」という言葉を使うとすると、
今回の改訂で求められる「学力」って何でしょう。

「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性等」を三つの柱として
「何ができるようになるのか」の視点から学習内容が決め出されているのが今回の改訂の特徴です。

「知識・技能」はインプットにあたるものでしょう。
それを効果的に処理するものが「思考力・判断力」であり、
アウトプットが「表現力」というわけです。
そしてこの流れの燃料として「学びに向かう力・人間性等」が考えられているのだと思います。

PISAや全国学調に代表されるような、
複数のテキストから、与えられた命題に対し自分なりの考えをまとめ、それを説明させる問題は、
この力の流れを再現したものです。

この力は、高い情報生産能力を純粋に求めているものだということがわかります。
そしてこの力は、現代社会が必要としている学力に他なりません。

学力観には二つの立場があります。

一つは、社会が必要とする力を学力とするものです。
この力を求めて近代学校が生まれました。

そしてもう一つは、子どもが人間として生きようとする力(自己実現を目指す力)を学力と考えるものです。
これは19世紀デューイ等の思想が根底にあります。

戦後の日本の教育は、この二つの学力観の間を揺れ動いたと言ってもよいと思います。

社会が必要とする学力にせよ、自己実現を目指す学力にせよ、
いずれも先人達が英知を結集して導き出した結論です。
どちらが正しいかを私たちは簡単に論ずることはできません。

同等の情報でも処理の仕方によって結論は正反対になることは、『大鉄人17』のエピソードを振り返るまでもなく、ありうることです。
そして正反対の結論を止揚することは、更に難しいことです。

例えば、社会が求める情報リテラシーを中心に考えると、
自我の成長に欠くことのできない感受性や想像力の育成は隅に追いやられます。

ブレインや17は、
人間以上の現実認識力(情報収集・処理能力)のもとに主体形成力を発揮し自我をつくりだした後に、
初めて結論を得ました。

しかし、学校で情報リテラシーに特化した教育ばかりを行っていれば、
与えられた課題に対する結論を導く力は身につくかも知れませんが、
その間にどれだけ感受性や想像力、ひいては自我を育てることができるか、
私は疑問に思います。

私たちは、ブレインや17が持った情報生産能力だけでなく、
自ら人間として生き、成長していく能力を育てることを忘れてはいけないと思います。


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