いのち
欅

ケヤキの木に、小鳥がたくさん止まっている情景です。

小鳥の数は一匹や二匹ではありません。
「ふところに だいて/とても あたたかい」くらいの数です。
ぎっしりとケヤキの木に止まっているのでしょう。
こんなに小鳥が木に集まって止まるのは、冬の夜です。
ケヤキは落葉樹ですから、葉がすっかり落ちたケヤキの木に、夜、ぎっしりと小鳥が集まって休んでいるのです。
たくさんの小鳥たちが羽を休めることができるのですから、きっと大きなケヤキの木に違いありません。

「私の心臓は/たくさんの小鳥たちである」というのはもちろん比喩です。
冬、葉を散らして、まるで骨だけになったようなケヤキの木の「命のもと」がたくさんの小鳥たちだ、といっているのです。

「ふところに だいて~あたたかいのである」から、ぎっしり集まっている小鳥たちを、ケヤキはとても暖かく感じていることがわかります。

問題は「だから~いきていくのである/だから~いきていて よいのである」の部分です。
小鳥たちが「心臓」のようなものなら「小鳥たちが集まってくるので、生きていくことができる」というはずです。

なぜ「小鳥たちがたくさん集まっている。だから、私は生きていくのだ。生きていてよいのだ。」というのでしょう。

小鳥たちにとって、ケヤキの木は、寒い冬を越すための大切なねぐらです。
大きなケヤキの木のおかげで冬越しができるのでしょう。

ケヤキはそのことを知っています。
小鳥たちの暖かさを自分の命と感ずるとともに、小鳥たちを守っていこうという気持ちが「いきていくのである」という言葉に集約されます。
そして、小鳥たちを守ることに誇りをもっていることが「いきていて よいのである」という言葉に表れています。

「小鳥たちを守り、共に生きることを喜び、そのことに生きがいを感じている」というのが、主人公のケヤキの気持ちです。

作品の季節と時間帯

作品から、はっきり分かっている季節と時間帯は、次の通りです。

  あしたこそ   春     日中

  おれはかまきり 夏     正午頃

  あきのひ    秋     夕方

  いのち     晩秋~冬  夜

 きれいに順序よく並んでいます。光村図書の意図を感じさせます。
とすると「いのち」は冬、「あしたこそ」は午前中(春の朝は朝露がある可能性が高いので、綿毛は飛びません。)と解釈するのが適当かも知れません。
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