センター入試国語の、この問題を解くために、まず必要なのは、訓読文を書き下し文に直し、更に現代語に訳す力です。
これは知識・理解に属します。つまり、知識・理解の基礎がなければ思考力は発揮できないということです。

このブログで説明してきた通り、思考力とは既有の知識を結びつけ新しい知識を生み出すことですから、知識がなければ問題が解けないというのは、当然と言えば当然のことです。

更に現代語訳
  • 家をどこに建てたらいいか占って、
  • A 北の丘に倚りかかるようにして建て、
  • B 門扉を南の川に面して開く。
  • C 谷川を堰き止めて水を引き、井戸水を汲む代わりにし、
  • D 槿を植えて壁で囲む代わりにする。
のA~Dの部分と図を照合し、適合するものを選ぶという簡単なお仕事です。

このような作業は、例えば小学校では「ごんぎつね」の学習で「兵十の家の様子を絵に描いてみましょう」等、選択肢ではなく直接図示する授業を展開してきています。

また中学1年生の国語の一番最初の教材「野原はうたう」では、「あきのひ」という詩を読んで次のような情景を説明する学習をしています。

【問 次の詩の情景を説明しなさい】

  あきのひ       のぎくみちこ
 かぜが/とおりすぎました
 わたしは はなびらを/ゆすりました
 だれかに よばれたきがして/ふりかえると
 ゆうひが くるくると/しずむところでした

【疑問】
  • 傍線部「わたしの はなびらが/ゆすれました」とならない理由
  • 「くるくると」という擬態語の状態
【疑問から導かれる結論】

  • 「わたし」は意図的に花びらを揺すった。
  • 「くるくる」は回転する様子。
  • 秋の夕暮れ時、野菊の「わたし」は風に「おやすみなさい、また明日ね」と花びらを揺すって挨拶をし、後ろを振り向くと太陽もまた手をくるくると振っているように挨拶してくれていた、と解釈できる。
この授業は、与えられた問題に対し、次の作業を行わせるものです。
  1. まず疑問を持ち、
  2. 疑問に対する一次的な解を得、
  3. それらの解を総合して最も適当と思われる解を導き出す。
センター国語は、この2.と3.を評価するための問題と言えます。

2.は、現代語訳させただけでは単に訓読文を書き下し文に直し、更に現代語訳するだけの知識・理解の問題になります。

そこで思考力を見るために図示させれば良いのですが、これは論述と同じで評価が困難です。
そこで選択肢問題になったのでしょう。
(しかしこの出題では、全文現代語訳ができなくても、解法テクニックを用いれば論理的に正解が導かれてしまいます。)

これが、思考力を評価しようとする入試の限界なのだと思います。

一方、「あきのひ」の授業で得た結論は「真」であるという論証はテキストからは不可能ですから、入試問題には不適切だと思います。

いずれにせよ、思考力というものを考えたときに、与えられた問題に対し、それを解決するために「なぜ」と問う力が必要だと思います。
この自ら設定した「なぜ」に対する解答は、知識を活用・転移させれば可能なことです。
そして知識から得た解答を演繹的・帰納的に思考し(最近はこれ以外にも思考法があるという研究もあります)解決に導く力が必要だと思います。

「あきのひ」の授業で、【疑問】や【疑問から導かれる結論】を教師が与えてしまったのでは、生徒の思考力は育ちません。
教えてしまった内容は単なる知識レベルに留まり、新しい知識を自らが創り出したことにはならないからです。

授業ではまず、思考力のベースとなる知識を確実なものにしてあげなくてはいけません。
そして更に問題を与えた後、そこから最適解を得るために「なぜ」と問う力と、知識を活用して得られた一次的な解答を総合的に判断して仮説を立てながら問題を解決する力、この二つをどのように育てるかが思考力を育てることにつながると思います。
puzzle_boy

「思考力」や「判断力」は、これからの教育のキーワードとなります。
しかしこれに振り回されて知識をなおざりにしてしまったのでは、思考力の土台は育ちません。
その上で思考力や判断力をつけるのがこれからの教育の命題となるのだと思います。