私が教職に就いたのは、今から40年以上も前、小学校が振り出しです。

私の主な免許状は中学校と高校ですが、小学校の免許も持っています。
当時、校内暴力の嵐が吹き荒れ、連日のように対教師暴力や生徒間暴力が報道され、非行(と言うより犯罪行為)が蔓延していました。
金八先生の第2シリーズに描かれた「荒れた学校」がリアルに存在する時代だったのです。(その頃の生徒さんは「主権は首相にある」と真顔で主張する国会議員様になっています。教育の成果ですね……笑)
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そんな現状があって、教員志望で小学校の免許を持っていれば、たいていは中学校ではなく小学校の採用試験を受けました。
今はどうか知りませんが、当時は小学校と中学校は別々に採用していました。いくら荒れていたとしても小学校の方がまだましと思ったのです。

ポカリスエットという不思議な飲み物が売られるようになった時代です。「こんなもの、誰が飲むのだろう」と不思議に思ったことを覚えています。
また任天堂のゲームウォッチが発売されましたが、持っている子など一人もおらず、問題になったのはそれからしばらく後のことです。

最初に赴任したのは、とても大きな規模の小学校で、一学年6~7学級ありました。ですから担任の数だけでも30人以上いました。
職員室もとても大きく、職員室の一番端にあった私の席から校長先生、教頭先生の席はとても遠くにありました。
当時は禁煙などという概念はありませんでしたので、職員会議の時は紫煙が漂い「校長先生はリアルに雲の上の人だ」と思いました。

みなさんは見たこともないでしょうが、プリントはすべて謄写版印刷でした。
ヤスリの上にロウを引いた原紙を置き、その上から鉄筆でガリガリと穴をあけ製版することからガリ版印刷とも呼ばれていました。
ダウンロード
印刷も、原紙を印刷機にセットし、ローラーにインクをつけながら一枚一枚わら半紙(更紙)に刷っていました。
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わら半紙というのは真っ白ではなく少し黄土色がかった、新聞紙を少し厚くしたような紙です。今では上質紙にとってかわられ、単価も上質紙より高くなっています。

製版はガリ切りと言ってすべて手書きです。
ヤスリと鉄筆で原紙に穴を空けていくので力もいりました。
しかも間違えると修正液をつけて切り直さなくてはいけません。
一度刷ると原紙はインクまみれになってしまうので、もう一度刷り直すのはとても難しいことでした。

ですから、職員会議などに出したプリントの内容を修正して再提出するのはすごく労力のかかる仕事でした。
会議などでは「ここのところを書き直してもう一度出してください」と言われないように、内容がこれでよいかたくさんの先生と青焼きを使って確認しあいました。
必要によっては原案が通るように十分に根回しをし、文言も吟味したました。
やり直しを言われることを考え、その時点での最高の内容になるべく細心の注意を払わざるを得なかったのです。
従って誤字脱字もほとんどなかったように記憶しています。

今は簡単にワープロなどを使って、書き直すのも一瞬の作業でできます。
職員数分を印刷しろと言われても大変なことではありません。
そのためか、文書の作成が非常に雑になり、内容に対する配慮等も欠けてしまっているように感じてなりません。