昭和52年の学習指導要領改訂によって「ゆとりと充実を」をキャッチフレーズに「学校が創意を生かした教育活動」を週1時間行うこととなりました。
実際に運用されたのは私が勤め始めた頃からです。当時は「学裁(学校裁量の時間)」と言われ、学校毎にいろいろな名前をつけていました。

いったいどんなことをしたらいいのか、誰もわかりませんでした。
「行事の事前学習に充てたらいいんじゃないか」「ドリルなどの授業では十分にやらせることができない内容をやろう」という考えもあったと思いますが、それは声にはなりませんでした。

信州教育は、時流に先立ってそれをバカ正直に実行しようとする癖があるようです。

例えば大正デモクラシーの時代に「信州白樺教育」と呼ばれる自由主義的な教育が大流行したり、その影響を受けて教科書を使わない授業をした川井訓導が処分され、それを契機に満蒙開拓青少年義勇団を日本一送り出すようになったりと、とにかく極端なのです。
戦後も「先生デモやろう」「先生にシカなれない」といった「でもしか先生」たちを中心に単元主義教育が大流行しました。

この時流に先立つという伝統は「ゆとり教育」でも遺憾なく発揮され、子ども達の活動を中心に学習を組織し、文部省(現文部科学省)の意図を精一杯実現しようとしました。
いまにして思えば大正時代、長野師範で行われた淀川茂重杉崎瑢の研究学級の焼き直しです。

ちなみに研究学級の「教育は~児童のうちから構成されるべきものである。」(淀川茂重著「途上」)という実践は最初、長野県の生活科や総合的な学習の時間に受け継がれていたように感じます。

鳥インフルエンザやアレルギーななかった時代です。
当時、山羊やウサギ、ニワトリなどを飼うことが流行していました。
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しかし私の学級は何も飼っていませんでした。
前任の先生が「新卒の坊やに飼育はたいへんだろうから」と年度末にお別れしたのだそうです。

しかし、確か新卒2年目だったと思います。どなたか忘れてしまいましたが、学校に生きたカモシカを数頭寄贈してくださいました。
そしてどこかの学級がカモシカを飼わなくてはいけないことになり、私に白羽の矢が立ちました。
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子ども達はとても喜びました。
子ども達は全校からアンケートをとって名前を決め、餌を調べ、当番だけでなくみんなかいがいしく世話をしました。

しかしそんなことでシカが飼えるわけがありません。

学校に広い土地を確保してもらって柵を作り、栄養が偏ってはいけないということで配合飼料も買っていただきました。
獣医に連れて行ったこともあったような気がします。

何よりも困ったことは、シカの逃亡です。
柵は私の身長くらいあったのですが、シカにとってはハードル走のハードル程度の高さなのです。
シカは臆病な生き物ですから、夜何かに驚くとピョンと柵から飛び出してしまいます。
そのたび電話がかかって呼び出されました。

大人より大きな体のシカです。一人ではつかまえられません。
教員住宅にいる先生達に声をかけ手伝ってもらい、週に何度も大捕物をしました。

生き物を飼うと言うことは、とても大変なことなのです。

総合的な学習と聞くと、いつも「大正時代の実験学級とどこが違うんだろう」「戦後の単元学習とどう違うんだろう」と考えてしまいます。
どんなことでも、何か新しいことをしようとするとき、それは既に誰かがやったことかも知れません。

歴史は繰り返されるのです。

先人がどういうことをやって結果はどうだったのか。
それを知って自分の実践に生かしてこそ歴史は前へ進みます。
    新しいことを実践するのは素晴らしいことです。そんな授業をして欲しいと思います。若い人の特権です。そして……できたらでいいですから、同じようなことをした人はいないか、ちょっと調べてみるのもよいかも知れません。ネットで調べてもいいし、周囲の先生に聞いてもよいでしょう。そうすれば、あなたのアイディアが更にもう一歩前進すると思います。