十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントをおわけします。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

確かな学び

「情報処理能力」と「情報生産能力」の違いとは何でしょう。これはマーケティングの世界では有名な話です。
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靴のセールスマンが2人、南洋の孤島を訪れた。島の人たちを見ると、皆が裸足である。
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そこでひとりのセールスマンは、本社に次のような手紙を出した。「えらいところへ来ました。我々にはまったく用のないところです。誰も靴を履いていないんですから」

ところが、もうひとりのセールスマンは、興奮しながら、本社にこんな電報を打ったという。「すばらしいところです。まだ誰も靴を履いていませんから、いくらでも靴が売れます」

でも会社はこの報告に納得できずに3人目のセールスマンを派遣した。

すると、このセールスマンは島民にいろいろと聞き込んでから、会社にこのような電報を打った。
「島の人間は誰も靴を履いていません。そのため彼らの足は傷だらけです。私は島民に、靴を履けば足は守られ、足の痛みから解放されると説明しました。みんな非常に喜んでいます。島民の80%が一足12ドルなら購入すると言っています。これなら初年度だけで5000足は売れるでしょう。まずはシンプルなもので十分なので、安価に大量生産できます。これに島までの輸送と現地での流通や販売にかかるコストを差し引いても大きな利益が見込めます。ライバルに気づかれないうちに早く話を進めましょう。」
参考文献:『コトラーのマーケティング・コンセプト』(フィリップコトラー著、恩藏直人訳、東洋経済新報社)
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最初の二人は、目から情報を処理し「島の人間は誰も靴を履いていない」という結論を得ました。
本当にそうなのか、なぜそうなのか、自分の視覚から得られた情報からしか判断していませんから、情報収集やその分析も含めた情報処理能力に問題があった二人です。
しかし、同じ結果をもとに、一人は「靴は売れない」、もう一人は「靴は売れる」と異なった情報を生産し、会社に報告しました。

三人目のセールスマンは「足は傷だらけ」と新しい情報を追加し、コストパフォーマンスを計算した上で「靴は売れる」という情報を生産しました。
しかしここには、靴を履かないことによるこの島の背景や文化等の情報が欠けています。

彼の生産した新たな情報は「靴を売る」ことを前提としたものだったような気がします。

PISA型学力は産業界の要請によるものだと言われています。そしてここで求められる人材は三人目のセールスマンのような人間です。

「靴を売る」という与えられた命題に対して、的確に情報を収集・処理をし、最適解を導き出し具申する力とも言えます。

一番最初のセールスマンは、ひょっとしたら、島の人間に靴を履かせることによって、流通や販売等の経済的な波及効果も考えた上で島の生活や文化が破壊されてしまうかも知れないと考え「靴を売ってはいけない」と主張したかったのかもしれません。

確かにPISA型学力は、これからの社会に必要不可欠なものだと思います。
しかし同時に、与えられた命題について、その善悪を見極める心も育てないといけないと思います。
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そしてそれを育てることができるのは、国語科では文学的文章の読解のような気がします。
今回の学習指導要領の改訂で文学的文章に対する指導のウェイトが下がっているのが、とても心配です。



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OECD(経済協力開発機構)によるPISA(学習到達度調査)の結果が発表されました。
日本では「読解力」の低下が著しいという結果がでました。

PISAの結果が悪かったために、若い先生たちが当時学んでいた「ゆとり教育」の見直しが行われたのはご存じの通りです。
そして今、教育委員会をはじめ各学校で、全国学調の成績を上げるためにどうしたらいいか、を考えています。まるで「全国学調の成績を上げることが正義である」かのような勢いです。

これは一面では正しいですからね。そして「学力」という言葉そもものを使わないようにした文科省は慧眼だと思いますよ。

全国学調に対する教育委員会の対応と同じように、PISAの成績を上げることに敏感になり、そのために万策を尽くし方向転換をすることすら辞さないのが文科省です。

だって産業界=社会の要請なのですからね。

PISAの成績はなぜ伸びないのでしょう。

それは学習塾で取り扱わないからです。

塾の目的は、一人一人の生徒が高校・大学入試に対応できる力を身につけさせることです。
PISAも全国学調も、その成績は一人一人に還元されません。

文科省は「そうならないように……」と言っていますが、どうなんでしょう。
文科省は全国学調の成績を入試に加味しようとした某地方自治体を必死で止めましたけどね。

ですから学習塾は、PISAや全国学調に特化した内容は教えません。

ところが現在、大学入試制度が改革されようとしています。
今回は英語の民間試験導入や論述問題等の問題は解決されませんでしたが、いずれ大学入試はPISA問題に似てくると思います。

既に難関大学の問題はそうなっているところが多いですね。

そして大学入試を変え、それによって高校の授業を改革し、高校入試を変え、義務教育も変えていこうということは「大学入試改革で雪崩を起こす」でお話した通りです。
今回PISAの結果が出て、教育改革は更に加速するでしょう。

今回のPISAの問題は、読解力問題を見ればわかるように、パソコン画面に提示されるブログや書評、ニュース記事を次々と読み、設問に答えていく形式のテストです。そして最後の問題は、これらのテキストを読解した上で、根拠をあげて自分の考えを書く問題になっています。
2018 読解力
確かにパソコンの操作に慣れていなければ不利なのですが、問題の本質はそこではありません。

この問題の特徴は、次々と提出されるテキストの情報を高速に処理していく力(情報処理能力)とその結果を組み合わせ、与えられた課題に対して最適の解を時間内に導き出す力(情報生産能力)の二つの能力を測ろうとするところにあります。

PISAが求める「読解力」とは、「憎きもの」でお話しした「読解リテラシー」のことです。
そして高度な増俸処理能力と情報生産能力については「二つの学力観」で少し説明させていただきました。

もしPISAが求めるものを測定するような問題が大学入試で一般化された場合、学習塾ではこぞって高得点がとれる指導に切り替えていくでしょう。そしてこれは必ず高校入試に波及します。塾はそのノウハウを中学生にぶつけてくることは想像に難くありません。

今は学習塾が「自分には関係ない」と横を向いているからPISAや全国学調の成績が上がらないのです。

しかし入試となると塾は時目の色を変えて指導ノウハウを確立し実践していくでしょう。
そしてその指導は、徹底的に過去問を解かせ、解くポイントを指導していくものになるのだと思います。

過去問をたくさん解かせれば全国学調の成績が上がることは各都道府県レベルで実証済みでしょう。そしてその解法テクニックをうまく解説してやれば鬼に金棒です。……これは私が実際やっていました。
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その時学校は……

これは国語科の問題だけではありません。社会科も同じです。
そして国際化の時代、テキストはすべて日本語で書かれているはずがありません。英語で書かれたテキストに対してこそこの能力が求められている……だから英語教育に力を入れているのでしょう。

数学的リテラシー、科学的リテラシーの問題も同じです。
公開されている2015年の科学的リテラシー問題は、数値や図表・グラフ、あるいはデータの正当性等を問うもので、内容的に今回の読解リテラシーの問題と変わりがないのです。

今、受験戦争が最も厳しいとされる某隣国は低下傾向にあります。今までの入試問題に対応している知識重視の授業ではダメなのです。

そしてそう遠くない将来……おそらく3~5年後、わたしたちが旧態依然の、教科書の内容をただ教えようとする授業を展開していたら、生徒や保護者は学校への信頼をなくしてしまうかもしれません。

……授業改革を行うのは、今しかないのです。


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ダウンロード (1)話し合いは終わりだ
ガメレオジン(『仮面ライダー(スカイライダー)』©石ノ森章太郎/東映

 「では、グループでこの問題について話し合ってみましょう。」

 授業でよく聞く台詞です。
 指導要領の文言からは消えましたが「アクティブ・ラーニング」という言葉が、「問題解決型学習」という言葉とともに広まるにつれ、クローズアップされてきました。
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 そして、問題解決のためには話し合いが必要で、それがアクティブ・ラーニングだ、という考え方が生まれてきてしまったような気がします。

 本当にそれでいいのでしょうか。

 「アクティブ・ラーニング」は2012年8月中央教育審議会答申では次のように説明されています。

 「学習者である生徒が受動的となってしまう授業を行うのではなく、能動的に学ぶことができるような授業を行う学習方法です。」
 生徒が能動的に学ぶことによって「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」内容だそうです。


 まあ、一方的に講義をする授業に比べれば、「話し合い」は生徒が授業に参加する点で「能動的に学ぶ」姿は見られるでしょう。
 しかし、もともと「話し合い」というのは、異なる意見を調整し同意を得るための手段です。利害や意見の異なる者同士が互いに調整しあって答えを出すことが目的の活動なのです。

 確かに学活の「話し合い」は、クラス目標を考えるとか、クラスマッチのチーム分けをどうするかとか、というような問題を解決するためには有効な手段だと思います。
 しかし、例えば数学の問題を「話し合い」で解決しても良いのでしょうか。
 
 「話し合い」と「アクティブ・ラーニング」とは目的が違うのです。
 「アクティブ・ラーニング」は、あくまで生徒が能動的に学ぶための手段であり、生徒を能動的に学ばせることが目的なのです。

 アクティブ・ラーニングの手法はいくつかありますが、
  • Think-Pair-Share(他者の意見と比較をしながら、自分の考えを明確にしたり深めたりしていくのに適している。)
  • ラウンド・ロビン(ブレインストーミングの簡易版。新しい考えを次々に生み出していくにに適している。)
  • ピア・レスポンス(レポートやプレゼンテーションのアウトラインを他者の目を通して検討する。書き手と読み手の視点を体験するのに適している。)
 などが、授業で行われる主なものだと思います。
 これらはいずれも、その生徒に「考える力」をつけるための手段に過ぎません。ただ単に対話すれば、議論すればいいということではないのです。

 具体的に考えてみましょう。
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 例えば理科に、「化学変化と物質の質量」という単元があります。
 化学変化で物質の見た目は変わってもその背景には変わらぬ構造や法則があります。この構造や法則を理解するが一つの目標です。

 生徒にとって、目に見える事象との対話だけで解決するのは難しいと思います。
 そこで他者の意見や教師のアドバイスを聞く、つまり他者と対話することによって解決に近づくこともあります。
 そしていろいろな情報を自分の中で考え合わせ、自分自身と対話していくことによって解決していくものなのではないでしょうか。
 安易に知識を与えるのではなく、生徒一人一人が自分の考えを持って、それを対話によって修正していく過程に「学び」があるのだと思います。

 しかし、そういった構造や法則を既に知識として持っている生徒は、どの学校のどの教室にもいます。そして、それを他人に吹聴したがる生徒もいるかもしれません。
 そういう生徒には「なぜそう考えたの?」「どうやって証明したの?」と聞いてあげましょう。
 (本で読んだり人に聞いたりしたことをそのまま信じるのって、宗教的で非科学的だよね。)
 そしてそれを、「どうやったら確かめられると思う?」と全体に投げ返す方法もあります。
 「知っている生徒がいて答えてしまったら終わり」というのは知識偏重の姿勢でアウトです。生徒への切り返しは、教師の技量が問われるところです。

 また英語科では、ただ対話活動をやらせればいい、というわけにはいきません。なぜなら、生徒の「学び」が「アクティブ」にならないからです。
 授業では「こんな表現を身につけさせるために、どんな活動をさせればよいのだろう」から「こんな表現をしたくなるような活動は、どんな活動がベストだろう」という発想の転換が必要です。

 今までの授業では「先に英語表現ありき」という授業が多かったような気がします。
 ジョークのネタになっている “Is this a pen?” “Yes.it's a pen.” という対話とか“I am a boy.”というような文がその例です。「そんなの見りゃわかるだろ」「なぜそれを言う?」と突っ込みどころ満載の不自然な文が「先に英語表現ありき」の考え方です。

 例えば「過去形を使わせる」ために「昨日何を食べましたか」と互いに質問させる授業があります。
 生徒は、なぜ昨日食べたものを友達に聞かなくてはいけないのでしょう。また、なぜその質問に律儀に答えなくてはいけないのでしょう。「ノーコメント」ではいけないのでしょうか。
 これが「先に英語表現ありき」の授業です。

 「過去形を使うために会話する」という考え方の先にあるのがアクティビティ英語を使っての活動・体を使っての遊び)です。
 アクティビティは確かに必要な活動だと思います。しかし、決まったパターンを使った活動=アクティビティは、お子様向けの英会話教室で盛んにやっていることであり、AIの最も得意とするところです。
 指導要領で目指す、英語科における「言語活動の充実」とは「昨日食べたおいしかったものを友達に伝えたいから過去形を使う」ように仕向けなさい、ということだと思います。 
 実生活で生きてはたらく言葉の力を育てるには、表現しようとする気持ちを誘い、「この表現を使ってみよう」「自分の言いたかったことが言えた」と感じられる授業場面(英語の使用場面)をいかに設定するかが鍵となるのではないかと思います。
 
 これからは「伝えたいことが先にある学習活動」を単元や授業に位置づけることを大切になってくるのではないでしょうか。
 これはAIにはできないことだと思います。しかし、使わせたい表現を使いたくなるような授業の場面設定というのは、とても難しいことです。まさに教材研究の力量が問われることになると思います。

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 昔、ゲッターロボというアニメがありました。
 合体ロボットの元祖で、今のスーパー戦隊シリーズのロボットにも強い影響を与えています。
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©永井豪・石川賢/東映動画
 ゲッターロボとは、イーグル号ジャガー号ベアー号の3機のゲットマシンが合体する巨大ロボットです。
 3機の組合せで、次の3タイプに変化します。(おもちゃでの再現は不可能でした。)
  •  空陸戦を得意とする(一番ポピュラーな)ゲッター1 
  •  陸での高速移動及び地中活動が可能なゲッター2(ドリルは男のロマンだ) 
  •  重量戦及び水中活動に適したゲッター3
 ゲッターロボ自身強かったのですが、合体する前のゲットマシンにも
  • 運動性の高さ(赤い機体のイーグル号 ゲッター1の頭部になる)
  • 空力性の高さ(水色の機体のジャガー号 ゲッター1の腹部になる)
  • 安定性の高さ(黄色い機体のベアー号 ゲッター1の脚部になる)
 と、それぞれの特性と、高い戦闘能力がありました。

 今回の学習指導要領で言う「主体的・対話的で深い学び」というのはゲッターロボと同じです。
 「主体的・対話的で深い学び」とは
 「
主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」という、まったく特性の異なる3台のゲットマシンが合体し、三つの心が一つになったゲッターロボのようなものだと思います。

 中教審答申も、
 「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」はそれぞれ固有の授業改善の視点である。
 と説明しています。

 「主体的な学び」とは、生徒が、見通しを持って粘り強く学習に向わざるを得ない授業をしなさい、学習の後にそれまでの学びを振り返って次の学習につながる授業をしなさい、ということです。

 「対話的な学び」とは、ただグループ学習にすればよいという授業はダメですよ、生徒一人ひとりがテキストや他者や自己との対話を通じて考える授業にしなさい、ということです。

 「深い学び」とは、各教科の特質に応じた「見方・考え方*1)」を働かせなくてはいけない授業をしなさい、そのために「教える」場面と「考えさせる」場面をきちんを意識した授業を展開しなさい、ということです。

 若い先生方は、自作のワークシートを使って授業を進めることが多いようです。
 そこで、みなさんが毎日授業で使っているワークシートについて考えてみましょう。

 みなさんは、そのワークシートを使って、どういう力を生徒につけたいのでしょうか。
 授業の中で、3台のマシンの1台でも活躍する場面がきちんと盛り込まれているでしょうか。

 漢字や難語句、英単語・専門用語などの単なる知識を身につけさせたいのならば、書き取りや暗誦をさせたほうがより効果的でしょう。
 授業中にそれをやらせる時間はないのなら、それこそ課題として出し、次の時間に小テストをすれば済むことです。

 自分の考えを書き込む行為は、自分の考えをまとめさせるために書かせています。
 ならば、授業の流れの中で、それを全員に確実に書かせ、意見交換をさせ、発表させ、更に考えさせる授業になっているでしょうか。そうでないと「書かせる」目的は達成できません。

 「生徒にワークシートを埋めさせる」ことが、目的を達成させるための手段ではなく、それ自体が目的となってしまっている、ということはありませんか?
 生徒がワークシートを埋めるのは「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」のいずれかをさせるための手段にすぎないのです。

 確かに、ワークシートがあれば授業をするのが楽、ということもあるでしょう。
 そしてパターン化されたワークシートを使っていれば、生徒も次にやることがわかるので安心、ということもあるでしょう。

 しかし、私たちの仕事は、誰もが授業で使え、どの授業にも応用できる普遍的なワークシートを作ることではありません。(それは業者に任せましょう。)
 私たちが創らなくてはいけないワークシートは、
 「学び」を成立させるゲッターロボでなくてはいけません。

 その授業の、その生徒にしか使えない特殊なワークシートが求められているのだと思います。

  *1) 各教科等の特質に応じた「見方・考え方」
 「見方・考え方」とは、「どのような視点で物事を捉え、どのような考え方で思考していくのか」という、物事を捉える視点や考え方のことです。
 例えばアジサイの花(?)が咲いているのを見て「なぜ色が変わるのだろう」と考えれば理科的な見方でしょう。「一つの塊にはいくつの花があるのだろう、とすると一本の木にはどのくらい咲いているのだろう」と考えれば数学(算数)科的な考え方となります。「花の色が変わるのを人の心に例えた文章もあるな。諸行無常まで悟ったのは少ないな」と考えれば国語科的、「この色をどう描いたらいいのだろう」なら美術科的ですね。
 この追究によって得られたる新しい知識や技能は、更に既習の知識及び技能と結び付くことで生きて働くものとなります。また、考えていくこと自体が、思考力、判断力、表現力等を豊かなものとしたり、社会とどのように関わるかの視座を形成したりするために重要なものとなります。
 「見方・考え方」を育てることは、その子の資質・能力を育て、資質・能力が育てば更に「見方・考え方」も豊かになっていくのです。


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学び」って何でしょう。

「学び」は、もともと「学ぶ」という動詞から生まれた言葉です。
「学ぶ」の語源にはいくつかの説がありますが、「学ぶ」は動詞ですから動作や状態を表す語に間違いありません。
つまり「学ぶ」というのは結果ではなく、行動を指す言葉で、それが名詞化した「学び」も、一定の動作を表します。

ですから授業の中で得た知識に「学び」はありません。
知識を得るに至るまでのアタマの中の動きこそが「学び」なのです。

得られた結果ではなく、結果を出すまでの行動が問題なのです。

では、日々の授業でどのようにしたら、50分間一人残さず「学び」という行動をとらせることができるのでしょうか。
  • 教師がカリスマ性を身につける。
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信仰される先生になる。吉田松陰みたいな先生でしょうか。
  • 考えない者には恐怖を与える。
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©原哲夫・武論尊/集英社
戦時中の軍事教練や『北斗の拳』のラオウ=拳王がまさにこれです。
  • 対価を要求する。
お金を払う以上、何かを得ようとがんばるのが人間です。

他にも
  • 競争させる
将来の見通しが立たない今、競争の先にあるものって何?と考えるとむなしいだけです。
良い成績をとって良い会社につとめても、この時代、定年まで安定しているところなんかありません。
  • 褒美を与える
サーカスの動物のようにうまくできたら「よしよし」と褒めて角砂糖でもあげるわけにはいきません。
角砂糖の代わりに評定値とか高校の推薦とか……それ、露骨にやっちゃだめでしょう

等々、たくさんの方法があると思います。
しかし、私たちは決してやってはいけない方法もあると思います。
ちなみに、上の方法はすべて「無理」か「アウト」だと思います。

……少なくとも公然とやってはいけません。

では、どうやったらよいのでしょう。
その方法は、大昔から、それこそ星の数ほどの方法が考えられてきました。

例えば、
  • 学習問題に対し課題を「スモールステップ」にして提示していくとか、
  • 問題を解決するために必要な「既習事項」を授業の導入で確認するとか、
  • 一人一人の考えが定まってきたら「他人の意見」に触れさせるとか、
  • 「4人グループ」にするとか。
いわゆる研究授業でやっていることは、ほぼ「学び」を成立させるための手段の研究なのです。

「学び」を「生きる力」の中で考えた場合、
これからは「生徒自らが考える」授業に変えていかなくてはいけません。

理科や社会などは最も強く「学ぶ」授業が求められています。
国語や数学も同じです。
いろいろある解決の方略を考える過程が授業となるのだと思います。
英語は体育や音楽と同じくトレーニングの要素が大きいとは思いますが、「生きた言語活動」がそれにあたるのではないでしょうか。

これからの時代、
「生徒に知識を確実に身につけさせること」ではなく、「生徒に考える力を確実につけること」が授業の大切な条件になります。

メタ認知等の世界に踏み込んだ指導です。

たいへんな時代になったものですね。


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昭和の仮面ライダーのお話です。
  • 「仮面ライダーを倒せ!」「世界を征服するのだ!」
…毎回提出される無茶で曖昧な課題に対し配下の怪人たちは、課題解決の方法を一生懸命、企画立案し、実行します。

この怪人たちの姿は「学び」と言ってもいいのでしょうか。
また、ライダーを倒す作戦を考え実行できたら、「質の高い学び」ができたと考えてもいいのでしょうか。

その前に、
「良いも 悪いも リモコン次第」と歌われる、命令に従うことしかできないロボット“鉄人28号”の「学び」について考えてみましょう。
tetsujin28©光プロ/原作:横山光輝
 鉄人28号は、たった3つのダイヤルと2本のレバー(?)しかない操縦機と、「がんばれ!鉄人!!」という(主に叱咤激励の)音声入力によって、認識した敵の動作を予測し、敵に勝利するための複雑な自律行動をしています。
しかも、当時としては画期的な「学習機能」も持っています。
AIが搭載されているのですね。

コントローラーひとつで自由自在に動くとは言っても、しょせん人間が具体的に指示したことしかできない『ドラクエ』や、壁にぶつかってから動作を考えるおそうじロボットなどより、ずっといろいろ考えて動いているのです。

ですから、「学び」のランキングをつけると
  • ドラクエ<鉄人28号
となります。

ショッカーの怪人は、どうでしょう。

例えば、首領から
  • ショッカーの命令に従う人間を育成するにはどうしたらよいか
という学習問題を与えられたとします。

この問いに対し
  • 幼稚園バスを襲撃し幼児を誘拐し洗脳すればよいのではないか
という学習課題をもち、課題解決に向けて具体的に計画を立案し、積極的に行動を開始しました。

もしこれがうまくいけば、自ら課題を持ち、その解決に向けて積極的に考え、行動し、成功したのですから、「質の高い学び」といえそうです。

たいてい自分のミスと仮面ライダーの活躍
……というより財団Bの陰謀により失敗するのですが……。


「学び」を「考え行動する姿」ととらえた場合、
鉄人28号は、相手の行動を予測し自律的に行動したに過ぎませんが、ショッカーの怪人は、鉄人よりはるかに高い自律的な「学び」をしたと言えます。
  • ドラクエ<鉄人28号<ショッカー怪人
なのです。

そもそもショッカーには、生体改造を行うほどの高い「確かな学力」があり、
下っ端戦闘員でも一般人の3倍以上、改造人間に至ってはオリンピック選手も素足で逃げ出すほどの「健康・体力」があります。
まさに「生きる力」の権化なのです。

「生きる力」の3つの要素の中の「豊かな心」が欠けているだけで……。

ですから、私たちは単に「学び」ができるだけの優秀な人材を育成してはいけません。


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