十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントを作成しています。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

豊かな人間性

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©安能務・藤崎竜/集英社・「覇穹 封神演義」制作委員会
 太上老君は『西遊記』や『封神演義』で、神様よりずっとエライ仙人という立ち位置で登場する人物です。「道徳天尊」と呼ばれることもあります。
 みなさんには中国の春秋戦国時代、諸子百家の老荘思想で出てきた老子と言えばわかるでしょうか。

 私が「道徳」という言葉を聞いてまず連想するのが『老子』のこの一節です。

  大道廃、有仁義。(大道廃れて、仁義有り。)
       智慧出、有大偽。(智慧出でて、大偽有り。)
       六親不和、有孝慈。(六親和せずして、孝慈有り。)
       国家昏乱、有忠臣。(国家昏乱して、忠臣有り。)

      <現代語訳>
      (無為自然の)大いなる道が廃れたので、仁義の概念が生まれた。
      知恵を持った者が現れたので、人的な秩序や制度が生まれた。 
      親兄弟や夫婦の仲が悪くなると、孝行者の存在が目立つようになる。
      国家が乱れてくると、忠臣の存在が目立つようになる。
ダウンロード (4)
 人の道が失われつつあるから「道徳」がことさら言われ始めたのでしょう。
 この「道徳」を定着させるために頭の良い人たちが学習指導要領等をつくったのだと思います。

 この文言が載っている『老子』は上下二編それぞれ以下の書き出しになっています。

  道可道、非常道。名可名、非常名。
  (道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず。)
      上徳不徳、是以有徳。下徳不失徳、是以無徳。
  (上徳は徳を徳とせず、ここをもって徳あり。下徳は徳を失わず、ここをもって徳なし。)

      <現代語訳(意訳)>
 人が道と名付けた道は、真の道ではない。だから永遠不変の道理ではない。名にしても言葉にしても、人間がいて初めて存在するものだ。だから人間から見た一面的なものであり、物事の本質ではない。
 徳の高い人は徳を自慢しない。だから徳がある。低い徳の人は特にこだわる。だから徳がない。

 この上編の「道」、下編の「徳」の二文字をとって『老子』は『道徳教』とも呼ばれています。
 だから「道徳」というとすぐに『老子道徳教』を思い出すのです。(老荘思想は儒教的な「道徳」とは相容れないものなんだけどね。)

 タテマエをしたり顔で言う人はうさんくさい人と思われます。まさに「ここをもって徳なし」です。
 ひるがえって私たちが道徳の授業をするとき、「○○しなくてはいけない」「○○すべきだ」と指導書にあるような結論を安易に生徒に言ってはいないでしょうか。
 それを語る時のあなたの顔を、生徒はどのようにみているでしょう。「下徳は徳を失わず」(徳の低い人物ほど徳目にこだわる)になってはいないと、……そう信じています。

 よく「教師は後ろ姿で教える」と言われます。これが「上徳は徳とせず」だと思います。
 しかしわたしたちは決して上徳などではありません。

 確かに学問の面では、わたしたちは生徒に比べ、圧倒的に経験を積み知識をもっています。ですから生徒を指導し感化できるし、生徒も尊敬し模倣しようとしてくれるのではないでしょうか。
 
 しかし人格の完成(道徳的価値の追求)という人生の目的に対しては、「かくありたい」と教師も生徒も共に人間として羨望する存在に過ぎません。

 ならば志や愛や妬みやさげすみなど、様々な矛盾する人間的感情を生徒と共感することしかできない……「師弟同行」というわけですね。

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 「正義の味方」という言葉があります。
 『月光仮面』の原作者川内康範が、この主題歌の中で使ったのが最初だそうです。
DWwBKFvVAAAqzyP©川内康範/宣弘社
 「正義の味方」について氏は次のように述べています。
  
 月光仮面は月光菩薩に由来しているんだけど、月光菩薩は本来、脇仏なんだよね。脇役で人を助ける。月光仮面もけっして主役じゃない。裏方なんだな。だから「正義の味方」なんだよ。けっして正義そのものではない。この世に真の正義があるとすれば、それは神か仏だよな。月光仮面は神でも仏でもない、まさに人間なんだよ。
  
 氏は、戦争の経験から「絶対の『正義』などありはしない」と考えました。世の中のどこかに正義があるのではなく、正義は一人一人の心の中にしかないという考えです。
 そして、私たちはその正義の心の味方になることしかできないのだ、ということだと思います。

 正義の心を、学習指導要領に示される「道徳性」に置き換えてもよいと思います。
 世の中に絶対的な道徳などないかもしれません。しかし、人間は誰もが「道徳性」を持っているのではないでしょうか。
 そして私たちにできることは、生徒の持っている「道徳性」の味方となり、悪に負けそうになった時に救いの手を差し伸べることができるだけだと思います。

 「正義の味方」は、必ず圧倒的な武力をもっています。
 月光仮面の拳銃、ウルトラマンのスペシウム光線……時代が下るごとに、正義の味方の武器は強力なものに進化しているようです。
 正義を助け悪を滅ぼすには、どうしても圧倒的な強さが必要となるからなのでしょうか。
a473e262©円谷プロ
 今回の指導要領の改訂で、いじめや自殺問題への対応の充実がポイントとなりました。
 生活の中で生徒の差別的な言動を目撃したら……。

 差別的な言動をしている生徒の心の中の「正義」が負けているのです。
 (「正義」が弱くなったのか、「悪」が強くなったのか……これは相対的な問題だと思います。)
 「悪即斬」ではありませんが、速やかに悪を殲滅しなくては、差別されている側ばかりでなく、差別している側も不幸です。
 ためらわずに圧倒的な「力」で悪を滅ぼしましょう。(でも、体罰はダメ……絶対!
 それが「正義の味方」としての私たちの役目なのだと思います。

 そんな「正義の味方」も、いつかはいなくなる時が来ます。

 『ウルトラマン』の最終回では、ウルトラマンは宇宙恐竜ゼットンに敗れ、
 『ウルトラセブン』の最終回では、ボロボロになったセブンに帰還命令が下ります。

 ……「地球は自分たちの手で守らなければならない。」
 地球の防衛チームは、自分たちの手で怪獣を倒し、正義の味方は故郷へ帰るのです。

 テレビの「正義の味方」と同じように、私たちもいつかは生徒の目の前からいなくなる時がきます。
 あなたが今の生徒の前から消える異動の日までに、生徒一人一人が「正義の味方」に頼らずに悪に打ち勝つ力を身につけることこそが、あなたの役目なのではないでしょうか。

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ダウンロード (3)©石ノ森章太郎/東映
 石ノ森章太郎の『人造人間キカイダー』(萬画版……テレビ版とはストーリーが違います。)のお話です。

 キカイダーは、光明寺博士が「絶対に殺されない自然警備隊員」として造られたロボットです。
 研究を援助するギル教授(プロフェルサーギル)の企みに気づいた光明寺博士に、悪の命令に従わないための「良心回路(ジェミニィ……『ピノキオ』に出てくるコオロギの名前です。)」を埋め込まれました。
 しかし、完成直前に光明寺博士がダークの襲撃を受けたため、不完全なままの良心回路を持って誕生しました。

 人間の姿の時の名前はジロー。悪の命令を出す「ギルの笛」に反応し、苦しんだり自分の意志と無関係に悪事を働かされたりしてしまいます。

 物語終盤、ジローは仲間達と共にギル・ハカイダー捕らえられます。そして悪の命令に従う「服従回路(イエッサー)」を組み込まれます。
 良心回路を持たない仲間達はギルの僕(しもべ)になりますが、ジローは服従回路と不完全な良心回路を併せ持ったことによって人間と同じ善悪の「心」を持つようになります。

 そのため嘘をつくことが出来るようになり、最後の戦いにおいては、敵の僕に成り下がってしまった仲間たちを、次いでハカイダーを一撃で葬ります。
 戦いが終わってジローは、善と悪との「心」の戦いに苦しみながら一人でその場を立ち去るのです。
2485141ee0df452ec6715f74643ac4b4©石ノ森章太郎
 一年生の道徳に「自然教室でのできごと」(光村図書)という教材があります。
 自然教室で登山の前日に夜更かしをして体調を崩した生徒の物語を通して、中学校生活の始まりに際し,規則正しい生活の重要性について考えさせ、よりよい生活を送ろうとする実践意欲と態度を育てるのが目的です。

 もしジローが完全な良心回路を持っていたら、登山の前日の夜更かしなど考えることすらできなかったでしょう。
 逆に服従回路しかなかったら、迷わず夜更かしをしたことでしょう。
 不完全な良心回路と服従回路を持ったジローは、夜更かししようかどうしようか、悩んだに違いありません。

 「夜更かしはいけない」「規則正しい生活を送るのはいいことだ」ということがわからない中学生はいません。
 しかし、中学生も含めて、「わかっちゃいるけど、やめられねぇ……」というのが人間なのではないでしょうか。

 「本音と建て前は別」と割り切ってしまっては、心は成長しません。
 服従回路または完璧な良心回路しか持っていないとしたら、それはロボットだと思います。
 服従回路が告げる悪の誘惑があり、それに対抗する不完全な良心回路があって、その間で葛藤し続けるからこそ“人間らしい”のだと思います。

 今年から本格的に道徳が教科として導入されました。
 生徒が気づかない「徳目」を示すことは重要なことですが、「徳目」が示す行動規範に従うことを要求し、それに反することを「悪」と決めつけることは、生徒の心に服従回路を埋め込もうとする行為と大きな違いはありません。
 そしてそれが「本音と建て前は別」という意識を生み、もともと生徒の心にある悪の心を増長させることにつながるのではないかと思います。

 道徳の授業では、まず誰もが持っている「心の葛藤」を認め、その中で良心回路を強く育てていけたら、と考えています。

 これは教科としての道徳ではなく、生徒指導全般にも言えることかもしれませんね。


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