十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントをおわけします。興味のある方はこちらをご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

 国語関係の記事は、「十種神宝 中学国語 学習の手引き」の下書きになっています。興味のある方はこちらをご覧下さい。https://y-oono.jimdofree.com/

中学国語 授業のヒント

第19段落に「だから、いきなり『かっこいい。』と思えるのだ。」とあります。

第4段落の「なぜか『かっこいい。』と思った。」に対応する部分です。
「かっこいい」と思った理由が第5段落以降の本論であり、この第19段落が結論部分といえるでしょう。

単純に考えると「だから」の直前「つまり、レオナルドが絵画の科学を駆使して表現したものが、とてもよく見えてくる」から「かっこいい」と思えると筆者は言っています。

ここでいう「絵画の科学」とは第3段落で言う「解剖学」「遠近法」「明暗法」「など」ですが、これを駆使して描いたから「かっこいい」と思ったのではありません。
「絵画の科学を駆使して表現したものが、とてもよく見えてくる」から「かっこいい」と思ったのです。

では「絵画の科学を駆使して表現したもの」とは何でしょう。

この文に「つまり」とありますから、この文は直前部分「絵の構図がもっている画家の意図」を言い換えたものです。
ですから、第19段落の最後の部分をまとめると、次のようになります。
  • 絵画の科学を駆使して表現しようとした、絵の構図が持っている画家の意図がとてもよく見えてくるので「かっこいい。」と思える。
つまり筆者は「絵画の科学を駆使したことがかっこいい」と言っているのではなく、「画家の意図を、絵画の科学を駆使して表現していることがかっこいい」と言っているのです。

ですから、第19段落を要約すると、次のようになります。
  • 細部が落ちて消えてなくなっているため、絵の構図(絵の全体)がよく見えるようになり、絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図がはっきりわかるようになったので「かっこいい」と思える。
このあたりは、単元プリントなどの解答には若干疑問符がつくものがありますから、注意してください。

では「画家の意図」とは何でしょう。

「絵の構図がもっている」ものとは「そこ(『最後の晩餐』)に描かれた人物たちの物語を、ドラマティックに演出」(第13段落)することです。
キリストと12使徒の最後の晩餐の場面を生き生きと表現することだけでなく、それがまるで観客(修道士たち)の目の前で演じられる舞台のように感じさせようとする、ダヴィンチの舞台監督のような意図だと筆者は言っているようです。

つまり「解剖学」手のポーズはもとより「顔の表情や容貌」(第11段落)、動作等「一人一人の心の内面までもえぐるように描く」ため手段であり、「遠近法」や「光の明暗」も「あたかも本物の食堂の延長にあるようにすら見える」(第14段落)ための手段に過ぎないのです。

この反証が第20段落です。完成当初は細部の描き込みに圧倒されたために「本当の魅力=絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図」が見えなかっただろう、と言っています。
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第20段落末の「レオナルドが描きたかったのは『それ』なのだ」の「それ」とは、「そのような『全体』」であり、「ぼんやりした形の連なり」です。そこに「この絵が持っている本当の魅力」があると言っています。
そして「本当の魅力」とは、聖書における最後の晩餐の一瞬を登場人物のドラマとして生き生きと描き、修道士たちを「まるでキリストたちといっしょに晩餐をしているかのような気持ち」(第16段落)にさせることです。

この評論文は、「絵画の科学」が「画家の意図」を実現させる手段として成功しており、そこが「かっこいい」のだ、と言っているのではないでしょうか。
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第12段落以降は「最後の晩餐」の「遠近法」と「明暗法」の説明です。

遠近法
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遠近法は、イラストなどではバースとも言われる描法です、
第12段落で述べられている通り「遠くにいくにつれて小さく描く」書き方は「線遠近法」と言われます。

他にも遠くに行くほど色が薄くなる「空気遠近法」や、ものの重なりにより遠い近いを示す「畳重遠近法」などがあります。

遠近法を用いて描くと、その絵は「奥行きが感じられるように」なります。

そして『最後の晩餐』では小さく描いていく比率を、実際に見える比率と同じにしてあるため、第14段落「壁に描かれた部屋は、あたかも本物の食堂の延長にあるように」見えるのです。
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線遠近法には消失点があります。「最後の晩餐」で用いられているのは一点透視図法です。
最近では消失点が二つある二視点透視画法というのがあって、目の錯覚を利用して空間を広く見せる技法がイラストやアニメで用いられています。
ダヴィンチの時代にはこの技法はありませんでした。

マンガなどに集中線というものがあります。
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消失点というのは、集中線の集中するところでもあります。
『最後の晩餐』の消失点に集中線をあわせてみると、イエスに注目が集まることがよくわかります。

マンガではありませんから、集中線を書き込むわけではありません。
ダヴィンチは遠近法の消失点を利用して中心人物を際立たせようとしているのです。
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明暗法と「光の効果」

明暗法は、キアロスクーロとも言われる技法で、明暗のコントラスト(対比)により、明暗を少しずつ変化させて立体感や量感を出したり、明るい人物の周囲を暗い背景にすることにより人物を際立たせたりする技法です。

『最後の晩餐』の場合は、イエスの背景をあえて明るくすることで、イエスの姿をくっきりと浮かび上がらせ、イエスの主人公感が高まっています。

しかし「明暗法」は第3段落に登場する言葉で、第14段落には「光の効果」、第15段落には「光の明暗の効果」と微妙に違う表現をしています。なぜでしょう。

第14段落以降で筆者が説明しようとしている内容は、対比的に明暗を描き分けるという意味での「明暗法」とは微妙に違うからです。

『最後の晩餐』に「描かれた部屋の明暗」は、実際の「食堂の窓から差し込む現実の光の方向と合致」させてあり、それによって、見る人は「壁に描かれた部屋は、あたかも本物の食堂の延長にあるように」錯覚してしまう。それをダヴィンチは計算して描いたのだ、と筆者は言っているのです。

このため14段落以降では、あえて立体感や量感を出したり中心となるものを際立たせたりするために用いる「明暗法」という言葉を使わなかったのだと思います。

筆者は芸術学者ですから、ひょっとしたら「明暗法」にはこういう使い方があるのかも知れません。

いずれにせよ、ダヴィンチは修道院の食堂で食事をする修道士達が「まるでキリストたちといっしょに食事をしているような気持ち」(第15段落)になるように計算して、食堂の壁に「最後の晩餐」を描いたのだ、と筆者は主張しているのです。
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筆者は、解剖学に基づいて描かれたダヴィンチの『最後の晩餐』の手の描写を「手のポーズの見本帳」「心の動きの見本帳」と言い「弟子達の動揺」を表現していると言っています。

さらっと言っていますが、生徒には具体的にはわからないでしょう。

キリストを中心にして、右側に顔の出ている人物から見ていきましょう。

トマス(イエスの右隣)
聖書では、情熱はあるがイエスの真意を理解せず少しずれている人物として描かれています。イエスが復活した時も、他の弟子たちの言葉を信じないで、実際にイエスに会ったとき、ロンギヌスの槍でつかれたイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んでその身体を確かめたとも言われていることから「疑い深いトマス」とも言われています。
右手の指を一本立てていますが、これは「裏切り者は一人だけですか」とイエスに聞いていると解釈されていますが、イエスの復活の際にわき腹の傷に指を差し込んだことを暗示しているとも言われています。

大ヤコブ(イエスの右二人目)
「雷の子」と呼ばれるくらい激しい性格とされる彼は、両手を広げ大げさな身振りで驚きを表現しています。隣のトマスの表情と比べてみると、その性格の違いがはっきり出ています。

トマス・大ヤコブトマスと大ヤコブ

フィリポ(イエスの右三人目)
胸に手をあてて「まさか私ではないでしょうね」とでも言うように、イエスに何か訴えかけています。

フィリポフィリポ

マタイ・ユダ・シモン(イエスの右四~六人目)
三人とも手のひらを上に向けています。この三人は互いに顔を見合わせ、何か話しています。イエスから一番離れた場所ですから、キリストの言葉がはっきり聞こえず「今、主は何とおっしゃったのか?」と問い合っている姿に見えます。

ヨハネ(イエスの左一人目)
聖書に「イエスの最も愛した弟子」とされている人で、「黙示録」を残しました。聖書で彼はイエスに寄りかかっており、彼が「この中に裏切り者がいる」と言ったとき「それは誰ですか」と尋ねたとされています。ダヴィンチの絵はこの直後の状態を描いたものなのかも知れません。隣のペドロが何か話しかけ、彼は両手を組み合わせています。ペドロの話を静かに聞いているようです。

ペトロ(イエスの左二人目)
ペトロは12使徒のリーダーです。彼は立ち上がり、左手でイエスを指さし、右手はナイフを持って腰にあてています。「裏切り者は殺してやりましょう」と言っているのでしょうか。彼はイエスが捕らえられるときに、追っ手の耳をナイフで切り落としています。

ユダ(イエスの左三人目)
裏切りがバレていることがわかったユダの右手には、裏切りの代償として受け取った銀貨三十枚を入れた袋が握りしめられています。
ペトロ・ユダ・ヨハネヨハネ・ペテロ・ユダ

アンデレ(イエスの左四人目)
両手を胸のあたりにあげた、驚きの手です。
ヤコブ・アンデレアンデレと小ヤコブ

小ヤコブ(イエスの左五人目)
左手を伸ばしています。ペトロに「ちょっと待て」と言っているようにも、ユダを指さして「こいつです」と言っているようにも見えます。

パルトロマイ(イエスの左六人目)
テーブルに両手をつき、立ち上がった姿です。イエスから遠い位置にいるのでよく聞き取れず思わず立ち上がったのでしょうか、それとも「なんだと!」と立ち上がったのでしょうか。

ざっと見てみましたが、これを教科書の挿絵をみながら解説させるより、生徒を13人並ばせてポーズをとらせ、どんな気持ちか説明させるのが手っ取り早いでしょう。

それまでの『最後の晩餐』は宗教画として聖書の説明のために描かれたものでした。
ですからここに描かれた十二使徒たちは皆キリスト教の「聖人」です。ダヴィンチは驚きや怒り、悲しみを持つ生身の人間として描こうとしたのです。
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言うまでもなく国語科は内容教科ではなく形式教科です。ですからこの教材の言っていることを理解させる指導をするのはどうかと思います。あくまでも次の指導事項を指導していかなくてはいけません。
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
  • エ 文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。
これらを4時間に納めるのは至難の業です。

まず、生徒にとってわかりづらい「抽象的な概念を示す語句」をチェックしていきます。

1~4段落

それまでの絵画とは違う、全く新しいもの(第3段落)

二年生のこの時期ならば、「ルネサンス」という言葉は社会科の既習事項ですが、言葉だけ知っていても中身はまったく覚えていない、ということがあります。
ルネサンスな何かよくわからない生徒にとって、それ以前の中世キリスト教文化の中で描かれた『最後の晩餐』はどのような絵だったのか、知っているはずがありません。
当時の人々が見慣れた『最後の晩餐』とは、下の絵のように、聖書の文言を絵にして説明したものだったのです。
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「それまでの絵画とは違う、全く新しいもの」は、次の段落で「科学が生み出した新しい芸術」に言い換えられています。そして読者に、本物の『最後の晩餐』を直接見たら「どう思うだろうか」と問いかけ、自分は「なぜか『かっこいい』と思った」と述べています。

生徒はダヴィンチの『最後の晩餐』を見て、筆者のように「かっこいい」と「衝撃」を受けるでしょうか。まず無理でしょう。
生徒にとってダヴィンチの『最後の晩餐』が初めてであり、『最後の晩餐』と言えばダヴィンチのものしかないのですから……。

筆者は、それまで描かれてきた中世キリスト教文化の『最後の晩餐』の絵をたくさん知っていて、その上で当時の人々と同じ気持ちになって「かっこいい」と「衝撃」を受けたと書いたのだと思います。

そんな筆者の考えに、生徒たちは共感できるはずがありません。

評論文を正確に読解するためには、評論しようとする対象に対する知識がある程度ないといけない、ということですね。
例えばAKBのジャンケン大会についての評論しようとしても、AKBの知識もなく興味・関心もない人にとっては、何を言っているのかさっぱりわからなくなるのと同じです。
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ともあれ、この「『かっこいい』と思った」理由を「じっくりと分析する」ことによって解説しようとしている評論文だということがわかります。

第5~8段落

人物の構図から、そんなことが感じられる(第8段落)

『最後の晩餐』は文化祭の時に体育館のステージ上に描かれる絵よりも大きな壁画です。
この大きな絵の前に立つと「そんなことが感じられる」(第8段落)と言っています。

「こんなこと」とは直前の「何かが、起こっている」ことです。
何が起こっているかというと、8段落で述べている内容でしょう。

では「この絵の構図から」なぜわかるのでしょう。

この段落のまとまりは「この絵の人物の構図」という言葉に集約することができます。
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上の絵は『けいおん!』(©かきふらい/京都アニメーション)のイラストです。

右から二番目の女の子(平沢唯)が最も大きく正面を向いて描かれています。見る人にとっては、最も近くにいる彼女に見つめられているのです。
同時に彼女は、両端の二人の視線を集めています。これらのことから私たちは、この子が主人公であると感じ取ります。
また、この子と隣の黒髪の子は、ほうきをギターのようにして遊んでおり、よく見てみると他の二人も打楽器を叩いたりキーボードを弾いたりするまねをしていることから、このイラスト「学校」「遊び」「音楽」に関係する話だと、『けいおん!』を知らなくてもわかりますね。
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次の絵は『けいおん!!』のイラストです。

前の絵の唯ちゃんがV字型に並んだメンバーの中央に入っており、主人公であることがよりはっきりします。
そしてメンバーの持ち物は軽音楽に用いる楽器です。
V字型の配置は、何か目的に向かって進もうとしている5人であることを暗示しています。
このことから、この話は軽音楽関係で何かをやろうとしているんだな、とわかります。
(実際には、軽音楽でコンクールに優勝しようとかいうのではなく、ごくユルい話なんですけどね。)

構図とは、表現の要素を組み合わせて効果を出す手段、または画面の中の要素の配置のことを言います。
『けいおん』のイラストでは、登場人物やその動作・持ち物などの要素の組み合わせや配置を工夫することを通して、『けいおん』という物語を表現しているのです。

筆者の「この絵の人物の構図」とは、この絵に登場している13人の一人一人の表情や仕草、そして彼らの全員の配置を通して、キリスト教の「最後の晩餐」というドラマを表現しているのだ、ということです。

構図の目的は、見る人の視線がイメージ全体に行き渡るよう誘導し、絵を興味深いものにするということです。
絵の伝えたいことと見る人の目の動きが一致しているように各要素の組み合わせや配置を工夫することが大切なのです。
そして「何が言いたいか」がはっきり見る人に伝わることが最も重要なことです。

この「構図」については、第3段落の「解剖学」「遠近法」「明暗法」に含まれていません。
それまでの聖書の解説に過ぎない宗教画から、「構図」によって聖書に物語としての命を与え、教義を超えた解釈を盛り込んでドラマ化したという功績はこの「構図」によるものだ、と第19段落以降で筆者は述べています。

「解剖学」「遠近法」「明暗法」と言った「絵画の科学」は、絵の伝えたいことを観客にはっきりと伝えるための手段に過ぎないのです。
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高校入試で出題される文章は、大きく説明的文章と文学的文章に分かれています。
学習指導要領で求める、学力という言葉の代わりに登場した「資質・能力」は、説明的文章を非常に重視しているのはご存じの通りです。中でも高校入試等で扱われるのは評論文や論説文です。
PISAや全国学調などでも、同じ題材に対する異なった評論文や論説文を複数読ませて比較させる問題が多いようです。

説明的文章の中の「説明文」とは、あるものの使い方、あることの内容をわかりやすく書いたものです。電気製品のマニュアルなどが代表的な例です。
教科書で言うと一年生の「ダイコンは大きな根?」のダイコンの仕組みや二年生の「生物が記録する科学」のバイオロギングの効用を、ただ説明しようとしている文章ですね。

これに対し「論説文」は、筆者の頭の中にある考えを論理的に書いたものです。
二年生の「科学はあなたの中にある」のように「科学とは何か」や、三年生の「『批評』のことばをためる」のように「人間が成長するために必要なものは何か」という問いに対する答えを論理的にを説明しようとしている文章がそうです。随筆は文学的文章にウェイトがかかっているものと説明的文章にウェイトがかかっているものとがありますが、二年生の「言葉の力」などは、この論説文に近い文章でしょう。

「評論文」は、この説明文と論説文の中間にあたります。何か現実にあるものを批評し、それに対する自分の考えを説明する文章です。「何かの事柄」とは現実にあるものとは限りません。実際に起こった事件や事故など以外に他人の考えを評論することもあります。

この二年生の「君は『最後の晩餐』を見たか」が唯一の評論文ということになります。

「評論家」という言葉が、時として責任感がない傍観者で文句ばかり言う人の比喩で使われるのも、評論するには何か元になるモノがないとできないからのように感じます。
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学校では、説明的文章の読解として次の教材を使って指導しているところが多いと思います。(平成元年現在。説明的文章は教科書改訂毎に差し替えられることが多い。)

1年
  •   6月 説明「ダイコンは大きな根?」
  •   6月 説明「ちょっと立ち止まって」
  • 11月 説明「幻の魚は生きていた」
2年
  •   6月 説明「生物が記録する科学」
  •   7月 随筆「言葉の力」
  • 10月 論説「モアイは語る」
  • 11月 評論「君は『最後の晩餐』を知っているか」
  •   2月 論説「科学はあなたの中にある」
3年
  •   5月 説明「月の起源を探る」
  •   7月 論説「『批評』の言葉をためる」
  • 11月 論説「作られた『物語』を超えて」
  •   1月 論説「誰かの代わりに」

今の二年生は、今後「科学はあなたの中にある」「『批評』の言葉をためる」等を学習することになっていますが、現実問題としてどうでしょう。書写指導や文法の学習、修学旅行等の行事などに追われて、きちんと説明的文章の指導をしないまま総合テストや模擬テスト等に突入する危険があります。

確かに10月教材「モアイは語る」で説明的文章を扱っていますから、「最後の晩餐」は唯一の評論文とはいえ、サラッと取り扱っておきたい教材でもあります。
生徒にとって、ある程度の基礎知識がないと正確な読解は難しい文章ですが、チャレンジさせることも必要かも知れません。
(同じ時期にやる「走れメロス」はツッコミどころ満載の小説ですので、「走れメロス」の批評文を書かせるという指導をしたこともあります。)

この4時間扱いの教材を、より効率よく消化する方法を考えてみましょう。
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3時間目 まとめとしての「黄鶴楼にて~」と「春望」

いよいよ五言律詩です。一時間目の授業で教えた内容を覚えているかから授業をスタートします。
残りあと1時間。今日中に「黄鶴楼にて~」を終わらせてしまわないといけません。
かと言って、知識注入型の授業をやっていたのではダメです。

まあ、研究授業をやるとしたら、ここですね。

この詩で指導しなくてはいけない内容は
  • 「故人」「辞」「煙花」「下」等の字義。
  • 転句と結句の意味。特に結句の現代語訳。
  • 詩の主題
ポイントは「詩の主題」であり、作者李白の心情に迫るあたりでしょう。

手立てとしては、考えさせ、一人一人で考えをまとめさせ、発表し合って更に考えを練り上げる部分が授業の見せ場となります。

しかし、漢字の意味を知らないと、作者の心情に迫ろうにも迫れません。単なる自分勝手な妄想のレベルです。ですから授業の前半はやはり字義をもとに指導をしていきます。

今まで1字ずつ字義から内容を考えてきましたが、「黄鶴楼にて~」では単語で区切って考えさせていきます。

  1. 「故人」は「古くからの親友」の意味であり、現代語とは意味が違うことをおさえる。
  2. 「辞」は「辞世の句」「先生のお宅を辞する」等の用例から退出の挨拶をするという意味であることをおさえ、この詩はどのような状況を表しているか考えさせる。教科書の記述をもとに「いつ・どこ・だれ・何をした」をおさえる。
  3. 「煙花」を「煙火」とテスト等で間違えやすいので注意を促す。
  4. 「揚州」は題名の「広陵」と同じであり、黄鶴楼のある武昌から見て長江の下流にあるため「下」の字を用いていることに気づかせる。
  5. 起句と転句が、「黄鶴楼」「煙花」「三月」「揚州」等、明るく都会的な雰囲気であることをおさえる。
  6. 転句では「孤帆」「遠影」「尽」等から暗い雰囲気に変わっていることに気づかせる。
  7. 転句の情景を考えさせる。
  8. 結句の現代語訳を考えさせる。ポイントは、書き下し文は古文であるためそのまま書いてはいけないことを教えること。「長江の天際に流るるを」と書いたら×。長江が天際に流れるのを」と書いても×。「長江が天際まで流れていくのを」等、長江の流れる方向まで注意して訳さなくてはいけないことを知らせる。
  9. 結句での筆者の姿から心情を考えさせる。
  10. 教科書解説文を読み、主題である「別離の悲しみ」という言葉をおさえる。
  11. 押韻を考えさせる。七言絶句の場合、押韻は起句・承句と結句になくてはいけないことを思い出させる。
この授業でもっとも大切にしたいところは、
  • 親友孟浩然が乗った「孤帆」を地平線のかなたに見えなくなるまで見送っていた李白が、見えなくなったその後でもずっと長江の流れを見続けていた、
その心情を考え合う場面でしょう。
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これがないと、ただの字句の解釈を教科書に沿って教えただけの授業となり、いわゆる国語の力はつきません。

今までと違い、教科書を開かせないことが授業を成立させるポイントです。

教科書には「別離の悲しみ」とありますが、これを自分なりの言葉で表現させるのがねらいです。
予習している生徒もいると思いますが、このような細かなところまで気づいている生徒は少ないでしょう。もし「別離の悲しみ」という言葉を教科書から知っていた生徒がいたとしたら、吹き出し等を用いるように、李白の具体的な言葉で表現させるのもよいと思います。

4時間目 「春望」でまとめの授業をしよう

いよいよ五言律詩です。

律詩ですから押韻の位置と対句をおさえないといけません。
五言律詩は、偶数句に押韻があり、第三句と第四句(顎聯)と第五句と第六句(頸聯)が対句ですが、「春望」の場合は第一句と第二句(首聯)も対句になっています。

この対句と押韻の指導の他に、まとめとして返り点の指導が必要です。

対句の性質がわかれば顎聯と頸聯はなんとか解けますが、間違いやすいのが第八句でしょう。
レ点の二連続は「春暁」にありましたが、ここは三連続となっています。

大まかな字句的な指導をした後で、「春望」の訓読文を書き下し文に直したり、書き下し文を訓読文に直したりする練習をやらせたり、起承転結の四コママンガを書かせたりしています。
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しかしこの四時間だけでは、十分に漢文や漢詩を読解する力がつくとは思えません。
やはりあとは、プリント等による練習が必須だと思います。

いずれにせよ、駆け足で進める単元ですが、手抜きはしたくないと思っています。

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「漢詩の風景」を自習で進めていけるプリントをBOOTHにアップしました。
このプリントには、返り点の練習プリントが解答も含め7枚ついています。

是非利用ください。


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2時間目 

残りあと3時間。「絶句」と「孟浩然~」と「春望」です。
「春望」をやらない学校もあるようですが、ここでは是非やらせたいと思います。
なぜなら、その他は絶句ばかりだからです。それに「春望」は三年生の「おくのほそ道」に登場します。返り点や対句もしっかりあります。この単元のまとめとして触れたい教材です。

「絶句」で指導したい内容は、
  • 対句
  • 「碧」「白」「青」「然」、1~2句と3~4句の対比
  • 「江」「碧」「逾」「然」「看」「又」の意味
です。

ただ講義をすることだけで済ますならすぐ終わりますが、生徒との応答の中から気づきを引き出そうとすると1時間かかってしまいます。
ここは、生徒が漢文嫌いになるのを避けるために、「絶句」は一時間かけてやります。

そこでこの時間も教科書に一役買ってもらいます。

おおまかな展開は次の通りです。
  1. 「江」の字を掲示し、どういう意味か答えさせ、ここでは長江(揚子江)を指すことを教える。
  2. 「碧」の字を掲示し、どういう意味か答えさせ、青緑の色であることを教える。
  3. 「江は碧にして」は、長江の色であることをおさえる。
  4. 「逾」の字を掲示し、「イヨイよ」と読み、「ますます」という意味であることを教える。
  5. なぜ「鳥はますます白い」のか考えさせ、碧との対比であることに気づかせる。
  6. 「欲」の字を掲示し、「ホッす」と読み、「~しようとする」という意味であることを教える。
  7. 「然」の字を掲示し、この字は神への捧げ物として犬の肉を焼く古代中国の儀式を表したものであり、もともと「燃える」意味があることを教える。更に「花が燃えようとしている」とはどういう意味か考えさせ、「花は燃え上がるように赤い」ということから「然=赤」であることをおさえる。
  8. 起句と承句は対句になっていることを教え、律詩には対句の決まりがあることを教える。
  9. 「看」の字を掲示し、手を目の上にかざす姿勢をさせ、どのような意味があるかを考えさせ、「手を出さずに眺めている」状態であることをおさえる。
  10. 「今春看又過」の意味を考えさせる。「今年の春もまた何もできないままで過ぎてしまう」ことをおさえる中で、「又」から、一回だけでなく何年間もそう過ごしてきたことに気づかせる。
  11. 「何日是帰年」の意味を考えさせる。
  12. 教科書を読み、「碧・白・青・然=赤」は「南国の春景色」であり、「故郷の明るい春景色の中で、悲しみに沈む作者の姿」が対比的に描かれていることをおさえる。
  13. 「然」と「然」が押韻であることをおさえる。
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板書したり、指名したりしながら生徒に気づかせていく授業を展開すると、これで一時間かかると思います。

この詩には返り点がありません。時間が余ったら返り点の練習プリントをやらせてもよいでしょう。

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「漢詩の風景」を自習で進めていけるプリントをBOOTHにアップしました。
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Missyon Impossible

昔々「スパイ大作戦」というアメリカのテレビ番組がありました。
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アメリカ政府が手を下せない極秘任務を遂行するスパイ組織IMF(Impossible Missyon Forse)の活躍を描くアクションドラマです。毎回「当局」からオープンリールのテープレコーダーでメンバーに指示が届き「君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、このテープは自動的に消滅する。」という台詞と同時に、そのテーブレコーダーが爆発する、というシチュエーションは、その後の様々な番組に影響を与え、パロディーを生みました。

この「Missyon Impossible」とは「実行不可能な指令」という意味です。「当局」の無茶振りの指令を奇想天外な方法で解決していく、というのがこの番組の醍醐味でした。

いよいよ本格的な漢文の学習となります。しかし光村図書では、この「漢詩の風景」に3時間、三年生の「学びて時にこれを習ふ(論語)」で2時間という指導時数となっています。漢文・漢詩の読解に必要な返り点等の知識は一年生「今に生きる言葉(故事成語)」で2時間で扱ってある、ということになっています。
三年生の復習テストや、塾などの模擬テストのことを考えると、この「漢詩の風景」である程度の力をつけておかなくてはいけません。

しかし、はっきり言って、無理……Missyon Impossibleです。

入試問題を見ると、返り点についてもレ点と上中下点が複合している問題はもちろん、一レ点や否定文字、再読文字等が出題されています。
文法事項もそうですが、入試を考えた場合、教科書の扱いや指導時数には?がつくことがたくさんあります。
だからこその入試改革なのかも知れませんが、これでは古文離れや文学離れが進んでもしかたがありません。
そもそも、こういう基礎知識なしで、どうやって新しい知識を創り出そうというのでしょう。

と愚痴を言ってもしかたがありませんから、どうやってやっているか説明します。

1時間目前半 テンポ良く進めよう

入試や定期テストを考えた場合、生徒に教えなくてはならない基礎的事項には、以下のものがあります。
  • 「白文」「訓読文」「書き下し文」と、返り点等の漢文読解に関わる知識
  • 「五言絶句」等の形式や「起承転結」といった構成法、またそれらと関連する対句・押韻
そこでまず、「春暁」で「白文」「訓読文」「書き下し文」の説明と、返り点等の関係を説明します。

  1. 「春」の字を掲示し、どういう意味か答えさせる。
  2. 「眠」の字を掲示し、どういう意味か答えさせる。更に「春眠」でどういう意味になるか考えさせる。
  3. 「不」の字を掲示し、どういう意味か答えさせ、何かを否定する字であることをおさえる。
  4. 「覚」の字を掲示し、これは「はっきりわかる」「目がさめる」という意味があることをおさえる。更に「不覚」で「わからない」「目がさめない」という意味になることをおさえる。
  5. 「暁」の字を掲示し、どういう意味かを答えさせ、「夜明け」という意味であることをおさえる。
  6. 「不覚暁」でどういう意味になるか考えさせ、「夜が明けたのがわからない」という意味になることをおさえる。
  7. 「春眠-不覚暁」とつなげると、どういう意味になるかを答えさせる。
  8. 「春の眠りは、夜が明けたのもわからない」のはなぜかを考えさせ、答えさせる。
  9. 「春眠不覚暁」の順番でなく、送り仮名をつけて順序を入れ替えれば漢字仮名交じり文として「春眠、暁を覚えず」と読めることを教える。
  10. 返り点をつけ、「白文」「書き下し文」「訓読文」の関係を教える。
生徒の考える力を育てるためには、この流れをゆっくりやりたいところですが、これに時間をかけていると『春望』までたどりつきません。15分程度でテンポ良く片付けたいところです。どんどん指名し、ノリで授業を進めます。

1時間目後半 「春暁」で漢詩の基礎知識をおさえよう

一時間目の後半では「春暁」を使って、漢詩の形式と構成法・押韻と、返り点の打ち方(読み方)の指導をします。

ここでフル活用するのは教科書の解説部分です。
  1. 「処々聞啼鳥」を掲示し、「泣」「鳴」とは違う「啼」の意味を教え、どんな意味になるか、前の行とのつながりで考えさせる。
  2. 一行目のレ点と、二行目の一二点の使い方を教える。返り点の知識は、一年生で教えたと言っても、生徒はほぼ忘れてしまっていますから、その復習です。
  3. 「いつ」「どこ」を考えさせる。一行目から春の朝と言うには少し遅い時間であること、「聞」とあるので実際の風景は見ていないため、寝床の中であることをおさえる。
  4. 「夜来風雨声」を掲示し、急に暗く不安なイメージの字が登場したことに気づかせる。「来」には「~以来ずっと」の意味があることを教え、どんな意味になるかを考えさせる。
  5. 「花落知多少」を掲示する。
  6. 「花落」を前の行とのつながりで「ああ、昨晩の風雨で花が散ってしまったのかな」と考える生徒が多いので、「花」は桃の花であることを教えるのと同時に「散った桃の花が地面に敷き詰められて、地上も樹上もピンクに染まっている」ことをおさえる。「知多少」は様々な訓読法があるので軽く流し、教科書の解説文に移る。
  7. 教科書の解説文を範読し、大切なところに傍線をひかせる。傍線をひかせるは「明るくのどかな気分」「四句から成る漢詩を、絶句」「『起承転結』という構成法」「起句」「承句」「転句で、場面が転換」「全体を締めくくる結句」「春の朝の気分」です。
  8. 漢詩の形式と漢詩の構成法を板書し、まとめる。ここでは「五言絶句」「五言律詩」「七言絶句」「七言律詩」をおさえる。
  9. 漢詩には押韻があることを教え、各形式には決まった句に韻がふんであることを教える。「春暁」の場合は、原則以外に一行目にも押韻があることを教える。
ちなみに「啼」ですが、妖怪の子泣きじじいは児啼爺とも書きます。
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妖怪のなき声を鳥獣のそれに例えているのですね。赤ん坊だって悲しくて泣くのではありませんから、この字を使うのかもしれません。

ここまでを一時間で終わらせることができたら、たいしたものだと思います。

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「漢詩の風景」を自習で進めていけるプリントをBOOTHにアップしました。
是非参考にしてください。

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懇談会が始まり、いよいよ受検校を決める時期に来ました。

私のいる県の公立高校は、前期入試と後期入試があり、特に前期入試には「志願理由書」を願書と一緒に提出させる高校が半数以上あります。

提出期限は迫っているけど「志願理由書」って、どう書いたら良いのだろう……

そういう疑問に答えるために作った解説書です。
これは、某県の某地方の公立高校前期入試に対応したものをもとに書かれています。
平成30年度の受検生に向けて書いたものですから、少し内容が変わっているところもあります。
しかし、基本的な書き方はまったく変わっていませんから、参考になると思います。

高校入試は、高校が生徒を選び、受験生は選ばれる立場にある制度です。
ですから、入試で勝利をつかむには、自分が選ばれる人材であることを最大限アピールしないといけないのです。

その高校が求ているのはどういう人材かを知り、それを「志願理由書」に反映させる書き方を知ることはみなさんの大きな力となります。
また「志願理由書」は「面接・作文」とセットで考えていく必要があります。
このやり方を具体的に解説してあります。

なお、この書き方は合格・不合格を保証するものではありません。書いて提出するのはあなたです。あくまでこの文章は参考として考え、合否の結果は自己責任でお願いします。

興味のある方はこちらへどうぞ。
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生徒用の資料・解説は、こちらのHPに載せてあります。
興味のある方はどうぞご覧下さい。

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第4~5時 「幻の魚は生きていた」で何を書かせるか

14段落以降は、結論にあたる筆者の意見です。

筆者はまず「この西湖でクニマスがこれからも生き続けるためには、どうすればよいのだろう」(14段落)と問いかけ、
  • 一つには、産卵場所も含めた湖全体の環境を守ることが必要だ。~かつての田沢湖でのように、人と生き物とがつながり合った関係を維持すること、それがクニマスの保全にもつながるのだ。
とし、15段落でクニマスの「里帰り」に触れ、
  • クニマスの里帰りは容易ではない~現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない(16段落)
と結んでいます。

これらはすぐに読み取ることができると思います。

しかしだからといって、B 書くことのウ「伝えたい事実や事柄について、自分の考えや気持ちを根拠を明確にして書くこと。」をやらせようとするのは早計です。

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」は解決済み

筆者は
  • 産卵場所も含めた湖全体の環境を守ること
  • クニマスだけを過度に保護するのではなく、ヒメマスなどの他の生き物と、それらの生き物から生活のかてを得ている私たち人間とが、バランスを保って共存していくこと
が大切であると述べています。

これはその通りです。
しかもこれは西湖に限って言えば実現されていることです。

西湖は富士五湖の一つで、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の「富士山域」の一部として世界文化遺産の構成要素に含まれています。
ですから「人と生き物とがつながり合った関係を維持すること」は、日本が世界文化遺産を辞退しない限り可能でしょう。
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筆者が「西湖で」とわざわざ条件をつけたのには、そういう意味があるのです。

しかし、西湖以外の場所ではうまく行かないのが現実なのです。
例えば、有明海に面した諫早湾の干拓とか、沖縄辺野古埋め立てなど、大人の私たちでも簡単に解決できない問題が含まれています。

軽々しく「筆者の考えをもとに、自分の意見をまとめなさい」というような課題作文を出すと、
生徒は、筆者の細かい記述を読み飛ばして安易に「自然保護は大切」という一般化された主題にはまってしまいます。

『論語』にあるように、「学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」(為政第二の十五)です。深い考えもなく一度テキストを読んだだけでわかったつもりになり、それを自分の考えであるかのように錯覚してしまうことは危険だと思います。
別に私は自然保護に反対するわけではありませんが、生徒には自分の頭でしっかり考えるための、様々な知識を身につけて欲しいと願っています。

もう一つの問題点は、西湖にとってクニマスは、もともと西湖にいなかったのに人為的に田沢湖に持ち込まれた外来種に過ぎないということです。

外来種のすべてがいけないというわけではありません。地域の自然環境などに大きな影響を与える場合が問題なのです。

たとえばブラックバスやブルーギルの場合、
  • 口に入る大きさの在来の小魚、昆虫、エビなどを食べてしまう。
  • 稚魚は、在来魚が食べるミジンコなどのプランクトンを食べるため、餌の奪い合いになってしまう。
  • 漁師の漁獲対象の魚(ワカサギなど)を食べてしまう。
  • ブラックバスのひれには、鋭いとげがあり、刺さると危ない。
などの問題点があります。だからブラックバスとブルーギルがいる場所では、小型の魚は食べられてしまい、コイやフナの成魚のみが生き残り、小さな池などでは大きなコイとブラックバスとブルーギルしかいない状況がしばしば見られるそうです。

クニマスは本当に西湖の在来種に影響を与えたのでしょうか、与えなかったのでしょうか。
決して在来種には影響を与えないという確証を得てから持ち込んだのでしょうか。

「クニマスは絶滅したと思われていたから外来種であっても良い」というのは人間の勝手な理屈です。
「クニマスは外来種であっても外国産のものではないので良い」と言えるでしょうか。

突き詰めると、人為的に他の地域に生物を持ち込むことの善し悪しが問われてしまいます。

「クニマスの里帰りは容易ではない」はあたりまえ

テキストには「田沢湖の水はまだ酸性であり、クニマスのすめる環境ではない」とあります。
そして「元にもどすには、気の遠くなるような時間と労力が必要」であり「現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない」と、まるで『故郷』の最後の場面のようなことが書かれています。

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」と同じように、「クニマスの里帰りは容易ではない」のは疑問の余地がないことです。

筆者の「現実をふまえ」とは、どういうことを言っているのでしょうか。

田沢湖の現実とは、テキストに以下のように書いてあります。
  • 一九三四年、東北地方を大凶作が襲うと、食糧の増産が人々にとって切実な課題となった。そこで、玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使うこと、また、電力の供給を増やすため、湖の水を水力発電に利用することが計画された。
玉川は上流に強酸性の玉川温泉があり、そのため、昔から魚が住めない「玉川毒水」と呼ばれていました。そのため農業用水はもちろん生活用水にも適さず、橋などにも被害を与え、水量は豊富でしたが流域の開発が遅れていました。昔から様々な除毒対策が繰り返されてきましたが、平成元年10月に完成した玉川中和処理施設の完成によって約150年間に及ぶ毒水排除の夢が実現しました。(玉川温泉参照)

1943年といえば昭和9年。戦争の足音が聞こえてきた時代です。
玉川の酸性水を湖に入れれば、魚は死ぬと漁師たちは分かっていました。しかし「食糧増産と経済発展が最優先された時代です。反対の声はかき消されたのでしょう。(「クニマスの地元・田沢湖、深い喜び 70年ぶり再発見」朝日新聞 2010.12.15)

結局、1940年(昭和15)に玉川の水は田沢湖に引き入れられましたが、田沢湖がどんなに大きな湖であったとしても、無限に流れ込む玉川の酸性の水を薄めることなどできるはずがありません。農業用水としては数年で使いものにならなくなりました。

水力発電用水としては現在田沢湖の周りに二つの発電所があります。一つは田沢湖発電所、もう一つは生保内発電所です。
田沢湖発電所は昭和33年に玉川にダムを造りその水をせき止めて田沢湖に流れこむようにしたものです。こちらはクニマスとはあまり関係がないようです。
一方生保内発電所は田沢湖をダム湖とし、1940年に運用が開始されました。現在、最大出力31,500kWの秋田県内で最大の出力を誇る発電所です。
obonai生保内発電所

「玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使う」のは、常識から考えて到底無理なことは少し考えればわかると思います。結局「電力の供給を増やす」ことが目的だったのではないでしょうか。
そして玉川の水を入れれば田沢湖の生物は死滅することを当時の田沢湖周辺の人々も十分わかっていましたが、国策に反対することはできなかったというのが実情だったのではないかと思います。

では当時の人たちはどうすればよかったのでしょうか。

昭和9年という時代に、漁業権を主張して田沢湖をダム湖とするのに反対する運動を、果たしてできたでしょうか。
もし私たちが当時そこに暮らしていたとして、反対の声をあげることができたと自信を持って言えるのでしょうか。

では現在、田沢湖に対してどうすればよいのでしょうか。

水力発電が見直され、電力不足が話題となる現在、田沢湖に流入する水を止め、田沢湖発電所と生保内発電所の運用を停止させることができるでしょうか。

現在玉川中和処理施設が稼働していますが、クニマスが棲める状態にまでphを回復させることはできないようです。これ以上の効果を出すためには更に強力な施設が必要です。これには膨大な資金が必要であり、それに見合うだけの効果がなくては予算はつかないでしょう。使われるのは私たちの税金です。費用対効果を考えるとどうでしょう。

更に、田沢湖が昭和9年以前の状態に戻ったとして、現在の田沢湖の環境に適合し生息している生態系は滅びてしまってもよいのでしょうか。

以上のことをふまえると
「在来の生物が生き続ける環境を守る」や「クニマスの里帰り」をテーマにして自分の考えを書けと言っても、生徒には難しすぎる問題だと思います。それに国語科としての指導を逸脱してしまう可能性もあります。

この教材で何を書かせるのか

そこで私は、まず序論を50字、本論を60字、結論を140字程度、合計250字程度で要約する課題を出します。高校入試でよくある要約文を書かせる課題です。

それが終わった生徒から、「根拠を明確にして」自分の意見を簡単にまとめるように指示します。「根拠を明確にして」は、具体的な事実をもとにして、自分なりの意見と整合性があるものならばよしとします。

これをやらせるだけでも2時間はかかります。

これで全5時間の単元は終わりです。

このブログの内容を学習プリント(ワークシート)にしました。
興味のある方は、こちらへどうぞ。


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