十種神宝 中学国語の基礎・基本

稗田先生は、永く公立小中学校にお勤めでした。 その先生からお聞きした、 主に中学校の国語の教材のことなどを 書き留めました。

カテゴリ:中学国語 授業のヒント > 1年

生徒用の資料・解説はこちらのHPに載せてあります。
興味のある方はどうぞご覧下さい。

「シカの『落ち穂拾い』」の学習プリントを作成しました。
興味のある方はこちらへどうぞ。

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 説明的文章には、
 製品の取り扱い方を正しく読み手に伝えるための電化製品のマニュアルのような説明文から、
 筆者の頭の中にある考え(筆者の主張)を正確に読み手に伝える論説文まで、様々な種類があります。

 この「シカの『落ち穂拾い』―フィールドノートの記録から」は、
 研究論文といって、学術研究の成果を筋道立てて述べた文章です。

 実際、横書き二段組みに直すと、研究紀要に掲載される書式とそっくりになります。
 私は、そのように直したA4のプリントを作成し、それを教材としています。
 (欲しい方は、ご連絡ください。PDFでプレゼントします。)

 研究が研究であるためには、どのような条件が必要なのでしょう。
 私は、次の三つを備えていなくてはいけないと考えます。
  • 客観性・妥当性
  • 独創性・新規性
  • 一般性・普遍性
 更に、インパクトファクターが高いもの(評価の高い雑誌等に取り上げられたり、他の研究にたくさん引用されていたりするもの)ほど「良い研究」と評価されます。

 これは、「授業研究」や「研究授業」など、
 私たちの身の回りにある「研究」と名前のついたものはみんな同じだと信じています。

 さて、「研究」の条件をこのテキストは備えているのか
 生徒に考えさる授業が、単元最後の授業となります。

 まず、生徒に「『研究』であるための条件」を自由に意見を出させ、
 教師がそれをまとめて、上の3つの条件を説明するまでが導入となります。

〈学習問題〉
  • この文章は、研究と言えるだろうか。
客観性・妥当性の検証

 客観性・妥当性とは、
 研究の筋道が論理だっており、誰が読んでも正しい(間違いとは言えない)ことです。

 これまでの授業では、
 「考察」の結論部をスタートに、
 それを導き出した「仮説の検証」、
 その元となる「仮説」や、「仮説」を導き出した「観察からわかったこと」を検証してきました。

 その結果、「観察からわかったこと」から「考察」までの客観性・妥当性はあると考えられます。

〈学習課題1〉客観性・妥当性を主張するために、あと何があれば良いのか。

 答えは「もととなった観察があるという事実は、何によって証明されるか。」です。

 そのために「観察のきっかけ」の項があり、
 その中でフィールドノートの存在が示され、
 確実にそれがあることを証明するために、写真まで載せています。
image002

 「え、そんなこと必要なの?」と思うかもしれませんが、
 特に自然科学の研究の場合、これはとても大事なことなのです。

 小○方さんの「STAP細胞はあります」の騒動の例を思い出してもわかるように、
 フィールドノートのあるなしが、その研究の真正性を担保するものだからです。

 だから、このテキストの副題
  • フィールドノートの記録から
なのです。

 「フィールドノート」という言葉を発見させ、
 フィールドノートに研究の起点があることや、
 フィールドノートをデジタルでなく紙に書いて残す意味等を考えさせます。

独創性・新規性の検証

 独創性・新規性とは、
 その研究がオリジナルのものであり、今まで誰も主張したことがない新しい内容であるということです。

〈学習課題2〉この研究は独創的で、誰も主張したことがないものなのだろうか。

 この答えは「観察のきっかけ」に次のように書かれています。
  • その(「落ち穂拾い」の)詳細が検討されることは、これまであまりなかったようだ。
 この一文は、
 「『落ち穂拾い』についての細かな研究は、私が調べた限りでは、ありませんでした。」ということです。
 従って、「『落ち穂拾い』について研究したのは、私が初めてです。」という宣言です。

 「これまであまりなかったようだ」とは優しい言い回しですが、
 謙遜した言い方では「管見すると存在は確認できなかった」
 つまり、先行研究について詳細に調べましたが、発見できませんでした、という
 相当断定的な言い方になります。

 更に「考察」で
  • これまで、樹上で暮らすニホンザルと地上で暮らすニホンジカは、互いに無関係に暮らしていると考えられてきた。しかし、一連の調査によって、この二種の動物がつながりをもって暮らしていることがわかってきた。
と、ニホンジカを専門とする研究者がこう言い切っているのですから、
 シカの「落ち穂拾い」についてはほとんど知られておらず、
 この研究が最初である、と(すこしドヤ顔で)宣言しているわけです。

一般性・普遍性の検証

 一般性・普遍性とは、
 研究が特殊な条件でしかあてはまらない限定的なものではなく、いつでもどこでもそれがあてはまるものである、ということです。

 このテキストの結果だけでは、
 「シカにとってサルは、食物が乏しく栄養状態の悪い時期に、自力では獲得が難しい、しかも栄養価の高い食物をたくさん落としてくれる、ありがたい存在である」という結論に、一般性・普遍性をもたせることはできません。

 一般性や普遍性は、その方向や範囲をどこまで広げていくかがポイントです。

 では、何を研究すれば一般性・普遍性のある研究と言えるようになるのか
 生徒に考えさせてもよいでしょう。

〈学習課題3〉どういうことを研究していけば、一般性・普遍性をもたせることができるか。

 テキストには、
  • サルの行動がシカの生活に及ぼす影響の大きさがどの程度なのか
  • シカのほうがサルにあたえる影響について
を、今後「調べてみたい」としています。

 これは、テキストにある通り、シカの「落ち穂拾い」の実態の詳しい調査です。

 では、一般性・普遍性をもたせるためには、どんな研究をしたらよいのでしょう
  • シカがサルの「落ち穂拾い」をするのは、金華山だけか。岩手県ではどうか。日本中はどうか。世界ではどうか。
  • シカはニホンジカだけか。サルはニホンザルだけか。サルやシカの種類が違ってもいえるのか。
  • サル以外に、シカが「落ち穂拾い」をする動物はいないのか。
 これらを生徒に考えさせるのです。

 他に「シカが『落ち穂拾い』をする理由は、他にはないのか」という意見が出ると思います。
 これは「反証」といいます。
 仮説(結論)に適合しない事例は、その仮説の限界を示すことであり、その限界を超えない限り仮説は正しい、という証明となるものです。
 「よく気がついたね」と絶賛してあげましょう。

 この三つの学習課題は、一斉授業ではやりきれません。
 やはりここは、個人→グループ→全体発表というような、アクティブラーニングの形式で授業を進めるのがよいかと思います。

 「シカの『落ち穂拾い』―フィールドノートの記録から」というのは、
 取り扱いが難しく、軽くスルーしてしまいがちな教材だと思います。
 しかし、しっかり教材研究をして授業にのぞめば、それなりにやりがいのある授業ができると思います。

 がんばりましょう。

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第4時 仮説をたてるまでに問題はないか

 仮説は、事実をもとにしてたてられていなくてはいけません。
 適当な思いつきでは、仮説とは言えないからです。

 「仮説」の項の第一文に、次のように書かれています。
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  • 記録をつけながら、私はシカが「落ち穂拾い」をする理由について考えた
 ここで「シカが『落ち穂拾い』をする理由」とは、二つの仮説を指します。
  • 仮説一 春は、シカの本来の食物が不足している。
  • 仮説二 サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い。
 この仮説は、以下の疑問を解決するための予想でもあります。
  • わざわざサルがいる木の下まで集まってくるのだから、サルの落とす食物には、シカにとって何か魅力があるはずだ。(=サルの落とす食物には、どんな魅力があるのだろう。→仮説二につながる。)
  • また、その行動が春に集中するというのも不思議である。(=なぜ「落ち穂拾い」は春に集中するのだろう→仮説一につながる。)
 「~はずだ」「~不思議である」の部分をきちんと疑問文に直せない生徒もいるかもしれませんから、一人一人に書かせても良いかもしれません。
 順番が入れ替わっていることを、しっかりおさえます。
 (これは、論展開を円滑にする等の筆者に都合の良い理由があったと思いますが、華麗にスルーしましょう。)

 この流れを、授業でおさえてから、本時の学習問題を据えます。

〈学習問題〉
  • 筆者の持った疑問は、正しいのだろうか

 筆者の持った疑問は、前の項の集めた記録からわかったことから生まれています。

  • 「落ち穂拾い」は、三月から五月にかけての春に集中していた(図1)
  • 「落ち穂拾い」で、シカは十六種二十二品目の植物を採食した(表1)
  • 「落ち穂拾い」をするシカの数は、一回当たり一頭から二十一頭とばらつきがあった。
  • サルが樹上で採食するときには、途中で食べ飽きて枝を捨てることなどが多く、木の下には意外に多くの植物が落下していた。

 最初の項目は図1をもととし、「春は、シカ本来の食物が不足している」という仮説一たてて図2と対応させています。
 また二番目の項目は表1をもととし、「サルの落とす食物の方が栄養価が高い」という仮説二をたてて、表2と対応させています。
 三番目と四番目は「確かにシカはサルの『落ち穂拾い』をしている」という証明になります。

図1→仮説一→図2の展開の検証

 最初の「『落ち穂拾い』は、三月から五月にかけての春に集中していた」は、図1を論拠にしています。
 ポイントは、グラフから読み取れる内容と表から読み取れる内容が一致していなように見えることです。
  • グラフで4月が極端に多いが、実際は6回しか観察されていません。
  • 逆に5月は13回も観察されていますが、グラフではそんなに高くありません。
 この理由を、「割合」という言葉を用いずにきちんと文章で説明させます。

 この、一見一致していないことに気づかない生徒も多いようです。
 しかしこれに気づくことは、将来統計のウソにだまされないためには必要なことです。
 「なぜだろう」と疑問を持たなかった生徒に疑問を持たせることは、大切な学習だと思います。

 同時に「割合」の意味を具体的に文で説明させることが指導の狙いです。

 細かく見ると、毎月100時間以上観察しているにもかかわらず、
 4月だけはたった18時間しか観察していません。

 ひょっとしたら、たまたま観察したときだけ落ち穂拾いをしていただけなのかもしれない
 ……とういことも考えられますが、そこまで疑っても仕方ないので、スルーします。
 これに疑問を持った生徒がいたなら、「4月も100時間以上観察すればよかったのにね」と言っておきましょう。

 大切なのは、
  • 例えば『アンケートでは』とか『調査によると』とよくテレビや雑誌であるけど、どんなふうに調査をするかによって、調査の結果はいくらでもコントロールできます。世の中には自分の都合のいいように調査をコントロールすることがいくらでもあります。絶対にだまされないように、統計を見るときは気をつけましょう。
と教えることです。
 国語科だけでなく、社会科や理科、数学科でも、しっかりと教えていきたいですね。

表1→仮説二→表2の検証

 二番目の「『落ち穂拾い』で、シカは十六種二十二品目の植物を採食した」というのは、表1を論拠にしています。

 しかし、このことを読み取る以上に、生徒は表1から違う情報を読み取るのではないでしょうか。
 春と秋はたくさんの種類を採食していますが、夏と冬は一種類しか採食していないということに気づく生徒も多いと思います。

 表1に書かれたことと文章に書かれたことを照合して、それで納得してしまうだけでなく、
 「なぜ触れていないのか」と疑問を持つことも大切なことだと思います。

 図1によると、100時間以上観察して、冬は数回しか落ち穂拾いに遭遇していませんから、種類が少なくて当然のことです。夏も0.01%程度の遭遇率ですから、似たようなものでしょう。

 問題は秋です。
 秋の観察回数及び総観察時間は書かれていませんからはっきりとはわかりませんが、
 冬や夏に比べると、秋はけっこう落ち穂拾いに遭遇しているはずです。
 だからいろいろな種類があるのでしょう。

 図2によれば、夏ほどで多くはありませんが、それでも秋はイネ科の草の供給量が結構多いので、
 そんなに「落ち穂拾い」をする必要がないはずです。
 確かに春よりは少ないですが、いろいろな種類のものを「落ち穂拾い」しています。

 ということは、やはり
 サルの落とす食べ物の方が栄養価が高いので、冬に備えて落ち穂拾いをする
 という側面もあるのでしょう。

 しかし、本当に「サルの落とす食べ物の方が栄養価が高い」と言ってしまってもよいか、疑問が残ります。
 なぜなら、表2の「栄養価の比較」で、「『落ち穂拾い』で採食した食物」とは、いつの季節の何の栄養価なのか、それとも、全部ひっくるめた平均なのか、そのための計算式はどうなのかが説明されていないからです。

 そこで、秋も「落ち穂拾い」をする品目が多く、回数も冬や夏よりも多いことまで考え合わせると、
 仮説は次のように書き改めることができます。
  • シカが『落ち穂拾い』をする理由は、サルの落とす食物の方が栄養価が高いためであり、特に春は、シカ本来の食物が不足しているため、頻繁に行われる
 しかし、これが正しいかどうかは、肝心の秋の観察回数及び総観察時間の資料がないため、単なる予想であって、仮説とは言えません。
 筆者ならこれらのデータを持っていると思います。
ダウンロード (3)
 テキストに全てのデータを書かなかったのは、「夏はなぜ『落ち穂拾い』をしないのか」まで検証しなくては説得力のある論文にはならないことを、筆者はわかっていたからなのではないでしょうか。

 だから、中学生向けに確実に言える部分だけを書いたのではないかと思います。(確証はありません。)

 以上のことを1時間でおさめるのは無理でしょう。
 おそらく図1→仮説一→図2で1時間がほぼ終わりますから、

 表1→仮説二→表2は軽くおさえて、最後のまとめの授業に移るのが賢明だと思います。


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第3時 ただしく結論を導いているか


 仮説は次の二つです。
  • 一 春は、シカの本来の食物が不足している。
  • 二 サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い。
 この二つの仮説を検証するために、「仮説の検証」の項をもうけています。
 前時に、この検証の部分から、考察の結論部は導かれていることはわかりました。
 そこで、学習問題として、次のものを据えます。
〈学習問題〉
  • A 仮説を確かめるための方法として、二つの検証は適切なものか
  • B それぞれの検証の内容は正しいのか
ダウンロード

具体的には、次のような学習になります。

〈一について〉
  • 「春は、シカ本来の食物が不足している」という仮説を証明するために「イネ科の草の供給量の測定」を行うことは適切か。
  • 図2から「春は、シカ本来の食物が不足している時期なのである」と言えるのか
〈二について〉
  • 「サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い」という仮説を証明するために「食物の栄養価の分析」を行うことは適切か。
  • 表2から「サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高い」と言えるのか
 生徒は「教科書に載っているので正しいに決まっている」という漠然とした考えを持っています。
 これは「印刷物になっていれば……」「ネットに載っていれば……」と、際限なく広がり、
 自分の頭で考えることを放棄してしまう危険性を帯びています。

 特に、「図表や数値で表現されていればなんとなく正しいような気がする」という意識は払拭してあげたほうが、生徒の将来のためだと思います。

 検証の一と二を、いちいち一斉授業の中で取り扱っていると、1時間では収まりません。
 そこで、ワークシート等で一人一人にまとめさせ
 それをグループや学級で発表・検証していくアクティブラーニングを行います。

 検証するポイントは以下の通りです。

〈一について〉
ダウンロード (1)
○「シカ本来の食物であるイネ科の草」とあるので、
 仮説一の「シカ本来の食物」は「イネ科の草」と考えて良い。(ここまで疑うだけの知識はありませんからね。)

○図2から「春は、イネ科の草の供給量が不足している時期」と言っても良いのか。
  1. 縦軸の数字は何か。→1㎡あたりのイネ科の草の重さ。
  2. 調査した場所だけたまたま多い、少ないということはないのか。 →「刈り取りは毎月複数の場所で行った。グラフは、月ごとの草の平均値を示したもの」とある。統計的に誤差が出ないように工夫されている。(作為までを疑ったら、あとは自分で確かめるしかできませんからね。)
  3. イネ科の草の供給量が明らかに不足するのは、12月~4月(あるいは11月~5月)である。これを「春は、イネ科の草の供給量が不足している時期」と言って良いのか。 →イネ科の草の供給量が不足するのは冬から春にかけてである。従って「春は、イネ科の草の供給量が不足する」と言っても間違いとは言えない
 ポイントは、
  1. について……同じ意味の言葉による言い換え
  2. について……偶然性の排除=客観性の保障
  3. について……間違いでないものは正しいというレトリック
をきちんとおさえることです。
 特に3は、
 図2をしっかり見た生徒は
  • 「イネ科の草が少なくなるのは春と冬なのに、なぜ春と言っているのだろう」
という疑問を持ちます。
  • こういう言い方をして自分が導きたい結論にもっていくことがあるんだよ。この文章に悪意はないと思うけど、世の中にはわざとこういうテクニックを使ってみんなをひっかけようとする人がいるから、気をつけてね。間違ってはいないのだから、ひっかかったら負けだよ。」
と教えてあげます。
ダウンロード

〈二について〉

○仮説二とその検証方法は一致しているので、間違いではない。

○「サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高い」という結論は、正しいのか。
  • この結論は前文で「『落ち穂拾い』で採食した食物のほうが、一年を通して脂質やたんぱく質、炭水化物などが豊富で、食物にふくまれるエネルギーの量が多い」という表2の解釈をまとめたものである。このまとめは正しいか。
  • 「栄養価」とは何か。 →「脂質やたんぱく質、炭水化物など」と「食物にふくまれるエネルギーの量」の二つである。 →どこが違うか。 片方は「豊富で」とあり、もう片方は「多い」とある。「脂質やたんぱく質、炭水化物」は家庭科で学習する栄養素であり、他にビタミンやミネラルを加えて五大栄養素と呼ぶ。だから「など」と書かれている。一方五大栄養素の中で糖質・脂質・たんぱく質はエネルギー源になる栄養素であり、この三つが多ければ、当然「エネルギーの量」は多くなる。脂質・たんぱく質・炭水化物(糖質の一部)が多ければ、エネルギーの量が多くなって当然である。 →なぜ「栄養素」ではなく「栄養価」としたのか。 →「栄養素」は栄養の種類の豊富さを表現している。種類が豊富であっても微量であれば意味をなさないこともある。(ビタミンやミネラルなどは微量でも大丈夫ですからね。)そこでエネルギーとしての総量を明らかにした。だから「栄養としての価値」という意味で「栄養価」を使ったのだろう。
 ポイントは「栄養素」と「エネルギーの量」の言葉の使い分けです。
 「栄養価」にはこの二つの意味が含まれていることに気づかせます。
 そしてテストでは、記述問題としてこの二つがきちんと区別されているかどうかを見る問題が出題できます。


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第1時 何の話で、結論は何か
  • 「何の話か、なるべく簡単に答えましょう」
 すると、ほぼ間違いなく「シカの『落ち穂拾い』の話」と返ってきます。
 題名がそうなっているからです。
  • 「シカの『落ち穂拾い』とは何ですか」
ダウンロード
 これは、定義文を考えさせる発問です。
  • 樹上の動物が落とした食物を地上の動物が採食するという行動
 多くの生徒は、この「落ち穂拾い」の定義文を答えてしまいます。
 しかし、発問に即してこの定義文を書き換えたものが正解です。
  • サルが落とした食物をシカが採食するという行動
 一年生ですから、こういう基本的なことからしっかり教えていきたいと思います。

 そして最後に中心の発問を出します。
  • 筆者が一番言いたいことは何ですか。一文で抜き出しましょう。
 説明的文章には、要旨が必ず書かれています
 それを発見させる発問です。

 「それはどこに書いてあるか」と言われると、文章の最初から探そうとする生徒がいます。
 そのような生徒がいた場合、「文章全体の中でどこらへんに書いてあると思う?言いたいことは最初か最後にあるよね。」と机間指導していきます。

 説明的文章には「頭括型」「尾括型」「双括型」の3種類があるという指導です。
 多くの生徒は、既にそのことに気づいていると思います。

 「筆者の一番言いたいこと」という発問によって、下のようないくつかの答えが出てくると思います。
 選んでくるのは、たいてい「考察」の中の一文です。
  • 第一段落「シカにとってサルは~ありがたい存在であると考えられる。」
  • 第二段落「しかし、一連の調査によって~わかってきた。」
  • 第二段落「私は今回の調査を通じて~感じている。」
  • 第三段落「動物たちにとってバランスのとれた生息環境を維持するために~喜びである。」
 どれが筆者がこの文章を通して最も主張したいことなのか、生徒に考えさせます。

 いろいろな意見が出てまとまらない場合は、文末表現を比較させます。
  • 「考えられる。」
  • 「わかってきた。」
  • 「感じている。」
  • 「喜びである。」
 すると、結果から導かれた結論は第一段落にあることに気づくと思います。
 「説明的文章では、文の結び方までしっかりおさえましょう」と念押しをし、
 最後に「では、この結論は本当に正しいと言えるのか、次の時間に確かめてみましょう」と言って、終わります。

第2時 結論はなぜ正しいと言えるのか

 この文章の結論は、「考察」の第一段落に書かれています。
  1. シカにとってサルは、
  2. 食物が乏しく栄養状態の悪い時期に、
  3. 自力では獲得が難しい、
  4. しかも栄養価の高い食物をたくさん落としてくれる、
  5. ありがたい存在である
 「考察」のまとまりの最初の段落に書かれていますから、「考察」の部分は頭括型の文章であることがわかります。
  • 文章全体では尾括型だが、意味段落に区切ると頭括型となることがある。
 教科書や入試問題などでは、字数の関係から、このような書き方をする説明的文章が多いことを、生徒に教えておいてもよいでしょう。

 この結論部をスタートとして、授業はこの文章を逆に読解していきます。

 この結論部分は、1~5のパーツに分かれています。
 そこで、各パーツを検証していきます。
  1. パーツ2 落ち穂拾いをするのは「食物が乏しく栄養状態の悪い時期」と言えるのか。
  2. パーツ3 落ち穂拾いで食べる食物は「自力では獲得が難しい」と言えるのか。
  3. パーツ4 サルは『栄養価が高い食物をたくさん落としてくれる』と言えるのか。
 パーツ2「食物が乏しく栄養状態の悪い時期」は、「仮説の検証 一について」の最後から言えます。
  • 「落ち穂拾い」が多く生じる春は、シカ本来の食物が不足している時期なのである
 これはすぐに出てくると思います。

 しかしこれだけでは「食物が乏し」い時期の部分しか対応していません。
  • 栄養状態が悪い時期」というのはどこからわかるのか。
と更に質問します。

 すると「さらに、興味深いデータがある。」出始まる部分の最後
  • 春先は、一年の中で、シカの栄養状態が特に悪い時期なのである。
という記述に気づきます。

 図3や岩手県の調査は、どちらの仮説の補足説明であるかを考えると、迷ってしまうことが多いと思います。
 それよりむしろ、この調査は、結論のどこと結びついているか、に視点をあてるべきだと思います。

 ここで指導したいことは、次のものです。
  • 結論部と検証部分は、必ず対応していなくてはいけない。「食物が乏しく」だけのデータしか示せなかったら「栄養状態が悪い」という結論まで導くことはできない。科学的文章ではなくなる。一字一句に注意し、勢いで納得してはいけない。
  • 結論部分に対応する検証部分は一箇所だけではないことがある。
  • 結論部分に対応する検証部分には、同じ意味の言葉(「乏しく=不足している」、「栄養状態が悪い=栄養状態が特に悪い」)が必ず含まれる言い換えに注意し、集中的にそれを探せば良い。
 パーツ4「サルは『栄養価が高い食物をたくさん落としてくれる』のか」については、すぐに「仮説の検証 二について」が出てくると思います。
  • サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高いのである
 問題はパーツ3「自力では獲得が難しい」です。これはどこから言えるのか、生徒は迷うと思います。
 「結論部と検証部分は、必ず対応していなくてはいけない」という鉄則に従い、「なぜそれが言えるのか」を考え、結論を導くのが生徒の学習です。
 生徒は、次のように考えるでしょう。
  • 「仮説の検証 一について」から「春は、シカ本来の食物が不足している」とあるから、当然「自力では獲得が難しい」といえる
  • 「仮説の検証 二について」から「サルの落とす食物は、シカの本来の食物よりも栄養価が高い」とあるから、落ち穂拾いで得る食物は「自力では獲得が難しい」ものだといえる
  • 「観察のきっかけ」のフィールドノートの絵からは、サルがいないと食物が得られないことがわかる。だから「自力では獲得が難しい」と言えるのではないか。
 これをまず考えさせ、その考えをノートに書かせ、それを発表させていきます。

 ここが、生徒が自分の考えを練り、それを出し合い、検証していく大切な場面となると思います。


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PISA型の「読解記述力」に惑わされてはいけない


 「シカの『落ち穂拾い』」を教えにくい教材だと思う方は多いのではないでしょうか。

 説明的文章なのですが、
 文章だけではなく、写真や図表が多く用いられ、なんだかPISAや全国学調の問題に似ています。
 ……だから、そいういう力をつけなくてはいけないのかな?

 これが教えにくいと感ずる原因の一つなのではないでしょうか。

 確かに、PISAや全国学調に見られるの問題は、文章と写真・図表等の複合テキストです。
 しかし、PISA等で測ろうとしているのは「読解記述力(複数のテキストから必要な情報を取り出し、解釈し、結論を表現する力)」です。

 そのため、PISAは文章・写真・図表等の複数のテキストが並立して提示されています。

 これに対し、「シカの『落ち穂拾い』」は、写真や図表はあくまで文章の補助としてしか用いられているに過ぎません。
 この教材は、あくまで「文章を読んで内容を理解する」ための教材であり、写真や図表は文章理解を助けるという役割しか果たしていません。

 PISAや全国学調を意識した授業はする必要がないと思います。

 このことは、上にあげた光村図書の「指導事項」や「言語活動例」から見てもわかります。
  • イ 文章の中心的な部分と付加的な部分事実と意見などとを読み分け、目的や必要に応じて要約したり要旨をとらえたりすること。(指導事項)
  • エ 文章の構成や展開、表現の特徴について、自分の考えをもつこと。(指導事項)
  • イ 文章と図表などとの関連を考えながら、説明や記録の文章を読むこと。(言語活動例)
 この教材では純粋に「読解表現力」ではなく国語科の考える「読解力」を身につける指導を行えばよいのです。

論文を読む力をつけよう

 この文章には、次のように、文章のまとまり毎にタイトルがつけられています。
  • 観察のきっかけ
  • 観察からわかったこと
  • 仮説
  • 仮説の検証
  • 考察
 これは、理科の自由研究の項立てとほとんど同じです。
 いってみれば論文と非常によく似た構成をもっています。

 この文章は、自然科学系の論文を視野に入れた書き方なのです。

 論文の価値は、次の観点から評価されます。
  • 客観性・妥当性(仮説を導く論理に飛躍や思いこみがなく、論理的に正しいこと)
  • 独創性・新規性(他の文献等に既に出ているものや似たものがなく、オリジナリティを主張できるものであること)
  • 一般性・普遍性(特殊な事象にしか通用しないものだと、高く評価されない)
 また、インパクトファクターが高いもの(評価の高い雑誌等に取り上げられたり、他の研究にどのくらい引用されるか)ほど「良い研究」と評価されます。

 この文章は、以上の評価の観点をとても上手にクリアしています。さすが京大の先生だと思います。
d54e72acb51459cd5422661fee58da0c辻大和先生のHPから
 論文は、次のポイントを押さえながら読むべきだと思います。
  • 何についての研究か
  • 結論は何か
  • 結論を導く論理に誤りはないか
 そこで、授業でもこの点に留意し、
 「より速く、より正確に」論文型の説明的文章を読解する力が身につくよう、
 全5時間の単元を進めていきます。


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7e6d568f良寛
「いろは歌」は「音読に親しもう」とある通り、

○ア 伝統的な言語文化に関する事項
  • 文語のきまりや訓読の仕方を知り、古文や漢文を音読して、古典特有のリズムを味わいながら、古典の世界に触れること。(ア)
をねらいとする教材です。

ポイントは「文語のきまり」「音読」「リズムを味わい」です。
だからと言って、一時間「いろはにほへと」と音読をさせていたのでは、江戸時代の寺子屋以下の指導です。

この教材は、
これから三年間学習する古文のスタートとしての意味を持っています。

三年間の古文学習のゴールに待っているのは高校入試でしょう。
高校入試では、以下の問題が出題されます。
  • 現代仮名遣いに直す
  • 古語の意味を答える
  • 主語を補う
  • 助詞等を補う
  • 会話文を問う
  • 主題や大意を問う
  • 説明的文章との関連問題
この高校入試につながる古文のスタートして
「いろは歌」で特におさえたい内容は
音読することを通して、
  1. 古文は歴史的仮名遣いで書かれているが、読むときは現代仮名遣いに直して読まなくてはいけないこと……この力をみるために「現代仮名遣いに直し、すべてひらがなで書け」という問題があります。
  2. 古語は、現代語にはもうなくなってしまった語や、現代語で使っていても意味が違う語があること
を強く意識させることだと思います。

導入 「いろは歌」言えるかな

まず、いろはかるたについて生徒の注意を向けます。
「犬も歩けば……?」「論より……?」と問いかけ、
「これ、何かるた?」と問いかけます。

「いろはかるた」は江戸、大坂、京都と微妙に異なりますから、その地方のものになるように注意すると良いですね。(このことは過去の全国学調でも出題されました。)

「この『いろは』って、全部言えるかな?」と問い、
生徒の答えに従って全文を板書します。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこへて
あさきゆめみし ゑひもせす

展開1 現代仮名遣いで「いろは歌」を読もう

「いろは歌」を古文として、内容が理解できるようにアクセントやイントネーションをはっきりさせて範読します。

いろ にオエド、ちりぬるを。
よ たれ、つねなら
の おくやま、キョウ
あさき ゆめみエイもせ

ここで意味を問うても生徒は答えられませんから
「なんとなくわかるような気がしますね」程度に抑え、
「どこが違った?」と問います。
  • 「は」はワと読む……これは現代語と同じです。(古語の名残り)
  • 違う読み方をするものがある。
  • 「ゐ」「ゑ」はイ、エと読む。(ワ行音のイ音とエ音です 戦前まで使われていました)
  • 「けふ」は「今日(キョウ)」と読む。
答えられなければ、黒板を示しながらもう一度範読します。
すると、読み方が違うことに気づきます。

そして古文の「歴史的仮名遣い」と「現代仮名遣い」について説明します。
そして
  • すらすら読めるかどうかを見るために、テストでは「きちんと読めるかどうか見るために、ひらがなで現代仮名遣いを書かせる」から、何回も音読して体で覚えよう
と言い、教科書を開かせて現代仮名遣いに直す箇所をチェックさせます。

展開2 「いろは歌」の意味を知ろう

更に「教科書の下にあるように、漢字仮名交じり文で書くと、更になんとなくわかりますね。」と言って範読します。

しかし教科書の現代語訳だけでは、生徒は何を言っているのかわかりません

書かれている内容の細かな解釈は諸説があるので、
教科書には載せられなかったのでしょう。

そこで教師の側から説明します。

色はにほへど
 色は匂うように美しく照り映えていても
散りぬるを
 いつかは(花は)散ってしまう
我が世たれぞ
 私たち この世の誰が
常ならむ
 永久に変化しないでいることができようか(いつかは死んでしまう)
有為の奥山
 いろいろなことがある(人生の)深い山を
今日越えて
 今日も越えて(いくのだが)
浅き夢見じ
 浅い夢など見ることはしない
酔ひもせず
 心を惑わされもしない

「色」は「色即是空」の「色」で、
形あるもの、認識の対象となる物質的存在の総称です。

仏教では、万物の本質は実態のない空しいものであり(色即是空)、
空であることがこの世のすべての事象を成立させる道理である(空即是色)と教えています。

これは生徒には少し難しいので
  • 今匂うように咲き誇っている桜の花も、必ず散ってしまう定めにある
くらいに訳しておいてよいでしょう。
ただし「色は」ではなく「色葉」であり、桜と紅葉のことを指しているという説もあります。

「常」は恒常不変の「常」です。世の中誰でも永久に生き続けることはできません。

「有為」は因縁によって起きる一切の事物のことです。
世の中の全ての現象は因果関係によって成り立っています。
複雑に絡み合って発生している無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものです。

最後の二行を
  • 有為の奥山今日越えて   (迷い多く悲しい奥山を越えて行こう)
  • 浅き夢見じ酔いもせず   (人生の儚い栄華に酔わないように)
と訳すこともできます。
「いろは歌」には「こう訳す」という定説がないのです。

この意味を押さえてから、もう一度「いろは歌」を音読させます。

当然歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直した読み方です。
これを暗誦させるのです。

旧仮名遣いの「いろは歌」を暗誦させても、今後の古文学習にはつながりません

意味がわかれば正しく音読できる……音読することで意味がよりはっきりわかる
これが中学校における古文の学習の基本だと思います。

「読書百遍意自ら通ず」ですね。

終末 古文を読んで気づいたこと
  • 書いてある旧仮名遣いではなく現代仮名遣いに直すことが大切だとわかった。
  • 何回も音読すると、古文の意味がわかってくる。音読を一生懸命やりたい。
等に気づいていれば十分だと思います。

時間が余ったら 1

「いろは歌」の全く異なる解釈について教えてあげましょう。

「金光明最勝王経音義』(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)(承曆3、1079)という仏教の解説書の冒頭に「いろは歌」が載っています。この「いろは歌」は7音で区切られています。

 いろはにほへ
 ちりぬるをわ
 よたれそつね
 らむうゐのお
 やまけふこえ
 あさきゆめみ
 ゑひもせ

それぞれの行の下の文字だけを読むと
  • とかなくてしす(咎なくて死す)
つまり「罪がないまま死ぬ」となります。

このことは昔から知られていて、江戸時代の国語辞書にも記されていたそうです。

そのため、当時の学者には
「忌まわしい言葉が含まれているのはよくない」
「子どもの手習いには『あいうえお』を教えるべきで『いろは歌』を教えても良いことはない」
と考える人もいました。

『いろは歌』は作者不明ですが、この説に立つ場合は、
藤原氏に左遷され憤死した菅原道真や
刑死したとされる柿本人麻呂が作者ではないかと考える人もいるようです。

時間が余ったら 2

平成25年度の全国学調国語B問題をやらせるのも一興かも知れません。

ここれは「いろはかるた」に関する説明的文章の読解問題になっています。



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 「大人になれなかった弟たちに……」は、光村図書の指導事項によれば以下のことを指導するようになっています。

C 読むこと
  • ウ 場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てること。
  • オ 文章に表れているものの見方や考え方をとらえ、自分のものの見方や考え方を広くすること。
伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項
 イ 言葉の特徴やきまりに関する事項 
  • (イ)語句の辞書的な意味と文脈上の意味との関係に注意し、語感を磨くこと。

 4時間扱いの単元ですが、個人的にはもう1~2時間使いたいところです。

 しかし多くの学校では文化祭が9月末に控えています。またその前後に定期テストを行いますから、あまり時間をとることができません。

 そこで、より効率的・効果的な授業の展開を工夫しなくてはいけません。

 文学作品読解の基本は「いつ」「どこ」「だれ」です。

 「一つの花」や「ちいちゃんのかげおくり」等、既に生徒は学んでいますから、「いつ」はすぐ生徒にわかります。終戦の年とその前年です。

 「どこ」は、テキストに「福岡から南へ二十キロくらい行った、石釜」とあります。
 実在の土地です。ネットを調べればテキストにあるような自然に囲まれた風景が観光地として出てきます。

 この作品で指導計画に基づいておさえたい内容は、それぞれの場面にしっかりとあります。
 1時間目に範読・感想をもつ等で0.5時間使うとして、展開はおおよそ次のようになります。
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0005
第1時 後半 ヒロユキのミルクに関わる場面
  •  飲みたい「僕」とそれに対する「母」の気持ち
 これは、反復法省略法によって語られます。
 「繰り返すことによってどんな気持ちが読み取れるか」「どんな気持ちが省略されているか」考えさせます。
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0007
第2時 親戚で疎開先を断られる場面
  •  「そのとき(指示語)の顔」
  •  「強い顔」「悲しい悲しい顔(反復法)」「美しい顔」「母の顔」の関係
  •  「いつも」
 「『そのときの顔』はどういう顔だろう」が中心発問となります。
 「そのとき」というのを曖昧にとらえる生徒がいます。「その」が指し示すのは直前の「僕に帰ろう」と言ったその瞬間の顔です。
 このときの顔は、「顔」という言葉を反復することによって読者に意識づけようとしています。

 「強い顔」「悲しい悲しい(これも反復法)顔」「美しい顔」「母の顔」

 この四つの関係を考えさせ、母の、誰にも頼らず自分だけで子どもたちを守ろうとする孤独な覚悟を読み取らせます。
 
 そして「いつも」という語に気づかせ、作者は、この時の母の気持ちを、その後何度も思い出していることをおさえます。
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0013
第3時 母が泣くまでの場面
  •  「栄養失調です……。(省略法)」
  •  「白い乾いた道から」(情景描写=心理描写)
  •  「ヒロユキは幸せだった」と母は本当に思っていたのか
  •  「小さな小さな」(反復・漸層法)←「大きくなっていたんだね」
  •  「母は初めて泣きました」の理由
 「栄養失調です……。」の省略法では、どんな言葉が省略されているか考えさせることで「僕」の無念さに気づかせます。
 この時間の中心発問は「なぜそのとき、母は初めて泣いたのだろう」です。
 これについて気づかずスルーしている生徒もいますから、その場合は教師が注目させる必要があります。

 直接の理由は「大きくなっていたんだね」という母の気づきにあります。
 この母の気づきを明確に理解するためには、ヒロユキが亡くなってからの母の気持ちを逐っていく必要があります。

 「白い乾いた道~」の情景描写は母(及び「僕」)の虚無的な心情の表現であり、
 「ヒロユキは幸せだった」という母の台詞は、小さな子どもを守ることができなかったことへの、自己正当化の言葉です。
 そして「小さな」という言葉の繰り返しは、「大きくなっていたんだね」という母の気づきにつながる盛り上がりを演出していることに気づかせます。

 このあたりの展開は、生徒の気づきや発言をうまくとりあげ、誘導するよいでしょう。
 授業はライブであり、教師の出が重要なのです。 
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0000
第4時 まとめ
  •  「忘れません」の意味(「忘れられません」との違いから意味を考えさせる)
  •  なぜ「ヒロユキ」とカタカナで表記されているのか
  •  なぜ「弟たちに……」という題名なのか
 これらを全てやることは、時間的にできません

 三つ提示し、好きなものをやらせ、最後の発表させても良いし、
 全体で一つのものを学習問題として与え、発表させても良いでしょう。

 ポイントは、自分が考えた内容を人に知らせる(発表する・聞いてもらう)前にきちんと書かせることが大切です。
 「○字以内で、○分間で」と条件を与え、原稿用紙に八割以上の生徒に書かせてから、発表させたり意見交換をさせます。
 そして最後にもう一度まとめさせ、感想を添えて提出させると良いでしょう。

 今後の高校入試や大学入試で求められる「書く力」の基礎となります。

 このように、この教材を4時間で扱うことを考えると、非常に駆け足で単元を進めなければいけないことがわかります。私の場合、どうしても1時間くらいオーバーしてしまいます。

 夏休みが明けてまだ残暑が厳しく、1年生は気持ちがゆるみがちの時期です。
 予習・復習をしっかりしておらず、前時の授業はもとよりテキストの内容すら頭に入れていない生徒が多くなります。

 しかし、私たちも生徒のことは言えません。

 これから一ヶ月以内に国語科としてやらなくてはならないことは何か、中間テストの範囲はどこまでか、
 しっかりと教科主任と相談しながら、あとで泣き言を言わないようにしなくてはいけません。

 気持ちをひきしめて授業に向かわなくてはならないのは、生徒も教師も同じなのです。

この項目については、生徒用に解説したものがあります。
興味のある方は、こちらへどうぞ。

「大人になれなかった弟たちに……」の学習プリントを作りました。
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この物語は主人公の目線で書かれている一人称小説です。

主人公から見た物語ですから、
主人公に都合がよいように書かれています。

まず最初の教室の場面で、主人公は教室窓側(廊下と反対側)後方の座席に座っています。
詳しくはこちらこちらを参照。

ここに戸部君がやってきて、
いろいろあった後、A子さんは夏実と仲直りしようと、廊下で夏実を待ち受けます。

夏実の姿を見つけたA子さんの緊張は最高潮に達します。
  • 私が声をかけたのと、隣のクラスの子が夏実に話しかけたのが同時だった。
とあります。
夏実は、一人で歩いてきたのでしょうか。
  • 夏実は一瞬とまどったような顔でこちらを見た後、隣の子に何か答えながら私からすっと顔を背けた。
とありますから、夏実は「隣の子」と何か話しながら、二人で並んで歩いてきたのではないでしょうか。
ところがA子さんはテンパっていたので、夏実に話しかけるまで「隣の子」には気づかなかったのだと思います。

一方「隣の子」と話ながら歩いてきた夏実は、会話の途中で突然A子さんに話しかけられます。
そのため「え?」と「一瞬とまどったような顔」をして、同級生との会話を続けながら歩いていってしまいます。

A子さんは「顔を背けた」といっていますが、夏実にとってはA子さんの方を一瞬向いて、会話の続きをしただけだったのではないでしょうか。

A子さんは、夏実にとって街角のアンケートやティッシュ配りレベルの対象になってしまっていたのかも知れませんが、A子さんは期待が大きかった分、茫然自失の状態になります。

この廊下での出来事を、戸部君は見ていたのでしょうか。

教室の出入り口の幅から考えると、A子さんの座席の位置にいたはずの戸部君からは、廊下で何が起こったのかほとんどわかりません。
ましてや、廊下の掲示物を見るフリををした主人公のA子さんを戸部君は見失っているはずです。

次に戸部君がA子さんを目にするのは、A子さんと夏実がすれ違った後です。

この時、A子さんは
  • ひどい顔をしている。唇が震えているし、目のふちが熱い。
といっていますが、これは「泣きそうな顔」か「泣き顔」でしょう。

戸部君の立場からいうと、
  • ちょっと机にぶつかって、塾の宿題の質問をしただけなのに、プンプン怒って廊下に行ったかと思うと、次に泣いていた。A子、どうしたんだろう。
という感覚だったと思います。

放課後A子さんは、
  • 繊細さのかけらもない戸部君だから、みんなの前で何を言いだすか知れたものじゃない。どこまでわかっているのか探っておきたかった。
と理由付けして、戸部君に会いにいきます。
  • だいたいなんであんな場面をのんびりと眺めていたのだろう。
の「あんな場面」とは、自分が泣いていた(泣きそうな顔をしていた)場面のことか、夏実に無視された場面のことかがはっきりしません。

しかしいずれにせよ、戸部君に会いに来た理由は「魂がぬるぬると溶け出し」た状態の考えで、本心ではないのです。

一方戸部君は、部活中にふと水飲み場の方を見ると、A子さんがいることに気がつきます。

そこで声をかけようと急いで水飲み場にやってきて、顔を洗っていたA子さんに「あたかも」のだじゃれを言います。

A子さんを笑わせて元気づけようとしたのでしょう。
「どうしたの?給食前に泣いていたけど、何があったの?」とは聞かない、紳士的な戸部君です。

これが「一人称小説」ではない、夏実さんや戸部君の物語だと思います。

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この物語は「星の花が降るころに」です。
「星の花」とは何でしょう。

作品の冒頭に
  • 銀木犀の花は甘い香りで、白く小さな星の形をしている。そして雪が降るように音もなく落ちてくる。
とあります。
images
銀木犀の花
この、主人公(仮称:A子さん)が作品冒頭で夏実との思い出を回想する場面は「去年の秋」とあり、銀木犀の開花時期である9~10月と一致します。
六年生の二学期の半ば過ぎのことでしょう。
この時、
  • これじゃ踏めない、これじゃもう動けない、と夏実は幹に体を寄せ、二人で木に閉じ込められた、そう言って笑った。
といい、作品終末部にも
  • 夏実と私はここが大好きで、二人だけの秘密基地と決めていた。ここにいれば大丈夫、どんなことからも木が守ってくれる。そう信じていられた。
と述べています。

銀木犀の花は、A子さんを夏実との関係の中に閉じ込めてしまうものであり、
同時に二人を守ってくれるものなのでしょう。

まるで核シェルターに閉じ込められたような描写ですね。
または、固定された人間関係の中に自分の居場所を求める「仲良しグループ」の比喩ともとれます。

A子さんは、夏実の関係の中に自分の居場所を見いだし、その関係を守ってくれる「お守りみたい」なものが「星の花=銀木犀の花」なのでしょう。

そしてA子さんは銀木犀の花をビニール袋に入れ、中学入学後もずっと持っています。

それから「もう九月というのに、昨日も真夏日だった。」とあるように、
一年後の9月上旬が本作品の舞台です。

まだ銀木犀の花は咲いていませんから、まだ季節的に「星の花が降るころ」ではありません。

ところが最後の場面で
  • 袋の口を開けて、星形の花を土の上にぱらぱらと落とした
と、A子さんは、「お守りみたい」に持っていた、干からびた「星形の花=銀木犀の花」を土の上に落とします。

ですから「星の花が降るころ」とは、最後の場面を指していると考えても良さそうです。

「星の花」とは銀木犀の花のことであり、夏実との関係によって自分が安心できる場所の象徴です。

ところが中学入学以降、夏実との関係には変化が起こり、
「星の花」も「小さく縮んで、もう色がすっかりあせて」しまいます。

そして公園のおばさんの言葉をきっかけに、A子さんは「星の花」を土に返します。
夏実との関係の中に自分の居場所という気持ちを捨ててしまったのです。

これは、核シェルターのような「銀木犀の木の下をくぐって出た」というA子さんの言葉に象徴されます。

「星の花が降るころに」とは、作品終末部の「(自分の安心できる居場所=夏実との関係)を捨てたころ」のことを指しているのです。

ではA子さんは「お守りみない」な「星の花=銀木犀の花」を捨ててしまっても良かったのでしょうか。
  • かたむいた陽が葉っぱの間からちらちらと差し、半円球の宙にまたたく星みたいに光っていた。
と、「丸屋根の部屋のよう」な銀木犀の木漏れ日を「星」としています。
A子さんは、自分を守ってくれる核シェルターの外に新しい「星」を見つけたのかも知れません。

星=自分の居場所を示してくれるもの」と考えてもよさそうです。

ですからこの題名から、「夏実との閉ざされた関係を捨て、新しく自分の居場所を見つけようと歩み出したA子さんの物語」と読み取ることができます。

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 手の不自由な方が足で琴の演奏をするのを見たことがあります。その演奏は素晴らしかったのですが、その方は足の爪にマニキュアを塗りお化粧をなさっていました。
 「自分の足を見て欲しい」というお気持ちの表れだったのだろうかと思いました。

 自分の見て欲しいところに化粧をするというのは、人の自然な気持ちだと思います。

 文章も同じです。作家は読者に気をつけて読んで欲しいところに化粧を施すのではないでしょうか。それがレトリックです。

 学習指導要領に示される
 「文脈の中における語句の意味を的確にとらえ、理解する」
 「場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てる」
 「表現の特徴
 「語句の辞書的な意味と文脈上の意味との関係に注意し、語感を磨く」
とは、文学的文章の読解では、レトリックに負うところが大きいと思います。

 そこで、「星の花の降るころに」では、設定の理解が終わった教室の場面の後半からは
 レトリックの授業を展開することになります。

 レトリックは、『日本語のレトリック―文章表現の技法』(瀬戸 賢一 岩波ジュニア新書)では、詳しく分類整理されていますが、
 ここまでの知識はなくても、生徒にとって基本的な知識がないと、それをレトリックと認識することが難しいようです。

 そこで、私は二つの指導法を用い、レトリックとその効果の指導を行ってきました。

 一つは、簡単な例文によって主なレトリックの種類をしっかり教えてから、実際にテキストの「この部分では、どういうレトリックが使われているか。また、それはどのような効果や意味があるのか」を考えさるやり方です。

 もう一つは、テキストからどういう感想を持つか、その感想はどの叙述から受けるか考えさせて、レトリックを押さえていくというやり方です。

 後者の指導は、どうしても生徒個人の主観が入ってしまって、なかなかこちらが意図した叙述にたどり着くことは難しい場合が多いようです。

 そこで私はいつも、「花曇りの向こうに」や「詩の世界」の単元でレトリックの種類をまずおさえます。(文学的文章の読解にはレトリックの理解は必須だと考えているからです。)
 本単元に入り、設定の理解が終わると、もう一度レトリックの復習をしてから具体的な叙述を示してレトリックの種類とその効果をおさえ、レトリックに注意して読むことに慣らしました。
 そして、校庭の場面で、「私」の気持ちを考えさせ、それがどのレトリックから受けた感想か述べさせる授業を行いました。

 レトリックとその効果をつなげていくと、主人公の心理の変化が浮き彫りとなります。
 ですから、授業の最後に主人公の心理の変化が、用いられているレトリックと共に一目瞭然となるような板書計画が必要となります。

 実際の授業では「そのとたん、私は自分の心臓がどこにあるのかがはっきりわかった。」以降の展開となります。(第3時)

  • T 「どきどき鳴る胸をなだめるように」とありますが、この部分ではどのようなレトリックが使われていますか。
  • S 「どきどき」は擬態法、「なだめるように」は「~ように」とあるので直喩です。
  • T なぜ「私」は「どきどき」したのですか。
  • S 夏実に話しかけようとして、緊張したからです。
  • T 「どきどき」したことは、他のどの部分からわかりますか。
  • S 「自分の心臓がどこにあるのかがはっきりわかった。」とあります。心臓がドキドキしているから、いつもは気がつかなくても気がついたのです。
  • T そうですね。
  •  では、その「どきどき」を「なだめるように」なにをしたのですか。
  • S 「一つ息を吸ってはきました。」
  • T そうですね。
  •  「私は夏実に話しかけようとして緊張した。その緊張を解くために一回深呼吸をした。」
  • と比べてどうですか。
  • S ……
  • T では、実際にやってみましょう。全員立って下さい。みなさんは「私」です。今、向こうから歩いてくる夏実に「一緒に帰ろう。またたくさんお話をしよう。」と言おうとしています。Yesの答えが返ってくると思いたいのですが自信がありません。無視されたらどうしよう……はい、今どきどきしています。心臓が激しく動いて、頭に血が上ってきました。ぼーっとし始めました。これはいけない。はい、一つ息を吸ってはいてください。どうですか。みなさん、落ち着きましたか。
  • S 微妙。
  • T そうですね。でも何か夏実に言わなきゃいけない。だから「ぎこちなく」夏実に向かって歩き出したんですね。
  •  このようにレトリックを使うと、登場人物の気持ちを生き生きと理解することができます。では、この場面で使われているレトリックと、それによってどういう「私」の気持ちが表現されているか、ノートにまとめましょう。

 この部分で注目させたい叙述は「音のないこま送りの映像(隠喩)」「騒々しさがやっと耳にもどった(隠喩)」「きまりが悪くてはじかれたように(直喩)」「色が飛んでしまったみたい(直喩)」「本当は友達なんていないのに。夏実の他には友達とよびたい人なんて誰もいないのに(反復法省略法)」です。
 ここで、夏実の「とまどったような」「すっと顔を背けた」を指摘する生徒がいます。
 「すっと顔を背けた」の「すっと」は擬態法ですが「顔を背けた」は慣用表現なので微妙なところです。
 しかしレトリックを発見することは手段であって目的ではありませんから、「よく見つけたね」と褒めます。そしてこれは「『私』から見た感想」なので夏実の気持ちはわからないことを教えておきます。

 ここで注意したいのは「きまりが悪くてはじかれたように」です。
 なぜきまりが悪かったのかと問うと
 生徒は直前の「唇が震えているし、目のふちが熱い」と答えます。
 重ねて「その顔に名前をつけるとしたら、何という顔になりますか」と問います。

 生徒がふざけて「変顔」と答えたらしめたものです。
 私はそんな時、実際に変顔をしてみせて生徒の笑いを誘い「本当に笑える顔をしていたと思いますか。」と問い返します。

 そして「みなさんも実際にやってみましょう」と言います。
 すると「泣き顔」という答えが返ってきます。

 この場面で「私」は泣いていたか、泣く寸前だったのだと思います。
 (本当はまだ泣いていなくて、次の校庭の場面の最後で初めて涙をこぼしたと考えるとロマンティックですね。)

 教室の場面後半と、校庭の場面で、だいたい2時間かかります。
 5時間扱いの授業だとすると、あと残り1時間となります。

前へ次へ

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