十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントを作成しています。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

2年

test100
動詞で教えることは多くはありません。
しかし、何回やっても、なかなか点数のとれない生徒がいるのも事実です。

学習には、
知らないことを知る段階と、
知っていることができるようになる段階とがあります。

動詞の学習でおさえたいことは、
  • 動詞は終止形がウ音となり、語幹と活用語尾に別れ、活用形により後に続く言葉が決まっている。
  • 活用形は未然・連用・終止・連体・仮定・命令の五種類である。
  • 未然形の「~ない」直前がア音なら五段、イ音なら上一段、エ音なら下一段、「来る」ならカ変、「する」ならサ変である。
  • 五段活用連用形には撥音便、促音便、イ音便及び可能動詞がある。
  • 自動詞と他動詞、可能動詞は似た意味を持っているが、活用の種類が違うので異なる単語である。
  • 述語を問われた場合、補助動詞を答える。
くらいのものだと思います。

しかし「なぜそうなるのか」という問いに答えることはできません。
もし真面目に答えようとするならば、大学以上で年間あるいは半期で講座を組む覚悟がいるでしょう。
「なるものはなる」としか教えようがありません。

しかも文法論はいくつかあって、学校で教えているものは「学校文法」と言われるものです。
大学に行ったら、他の文法論の勉強もしなきゃいけません。(文学部等へ進学したらですけどね。)

高校では古典文法をやりますが、学校文法がどのくらい役に立つかは疑問符がつきます。

なら、やらなきゃいいじゃないか、ということになりますが、
しっかり毎年高校入試に出題される以上、私たちも気合いを入れて教えなくてはいけないわけです。
ですから、2年生の定期テストでは一回につき10点以上の配点で文法問題を出すのですね。

話が少し横にそれました。

大切なことは、
「知っている」状態にしたら、「忘れてしまう」状態になる前に、
「できる」状態にまで高めること。
訓練あるのみなのです。

小学校で九九の学習をするとき、
最初は確かに仕組み等を教えますが、
仕組みがわかった段階で、小学校の先生達はひたすら暗記をさせます。
そうでないと、九九の知識は使い物にはならないからです。
それと同じです。

8割の生徒が、8割以上正解を出せるまで
毎日小テストを繰り返しましょう。

はっきり言って、各校で使っているであろう「文法ノート」等では問題数が少なすぎます。
「文法ノート」のおまけの小プリントではたかが知れています。
しかも、編集方針や難易度が本によってまちまちなのはご存じの通りです。

そこで私はこのような問題を作って、毎時間できるようになるまでやらせました。
また、ネットの中には、フリーの問題もたくさん転がっています。

文法はこのようなものがたくさんあります。
しかも、2年生に集中しています。
計画的に進めていく必要があると思います。

このような問題は、順次UPしていく予定です。
どうぞご利用ください。

入試直前にどうこうしようと思っても、
費用対効果が悪すぎる学習ですからね。

今のうちにしっかり身につけさせてやる必要があると思います。


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祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

ここで言う「祇園精舎の鐘の声」とは、
祇園精舎の西北の角にあったという無常院の鐘のことを指します。
お釈迦様が、病者に安らかな臨終を迎えさせるための施設です。
ここに居る人が亡くなるとき、自動的に鐘が鳴ったといいます。

この「諸行無常」の考え方は無常観と言います。

平安時代の花鳥風月に代表される自然の美を追究する時代は終わり、
血で血を洗う戦乱の世になりました。

道ばたに死骸がごろごろ転がっていて、
西行法師が小野小町のドクロに会った頃の話です。

そういう時代の中で、人々は死後の世界に救いを求める末法思想が流行りました。
宇治平等院が有名ですね。
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そういう時代の中で育ってきたのが無常観です。

「諸行無常、盛者必衰」という仏教的無常観は
『平家物語』を端緒として、西行の歌や吉田兼好の『徒然草』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まる鴨長明の『方丈記』など、
その後の日本の中世文学に大きな影響を与えました。

一年生で学習した「いろは歌」もこの流れの中にあります。

「永遠なるもの」を追求し、そこに美を求めたヨーロッパ人とはまったく異なる美意識ですね。

無常観を少しこじらせると世捨て人となり「隠者文学」となります。

更にこれを「幽玄」の世界として表現しようとしたのが「能」でしょう。
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これが禅の教えと融合し千利休の「茶道」に結実します。
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茶の湯の道で求めた「侘び」「寂び」は、連歌の宗祇を経て松尾芭蕉につながります。
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これらの人々は三年生の「おくのほそ道」冒頭に出てきます。
「おくのほそ道」冒頭では、文学史のおさらいをするわけですね。

平家物語冒頭「祇園精舎の鐘の声~」は、おそらく一時間かけて行うのが常だと思います。
一時間ずっと音読・暗誦練習というのも何であうので、この知識を与えるというのもアリだと思います。

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「扇の的」の成功確率

那須与一は、高さ30㎝以上幅50㎝以上の扇の的に、70~80mくらいの距離で命中させていますが、どのくらいの成功確率だったのでしょう。
全日本遠的競技会優勝経験者数名で実験したところ、五分の一の確率で成功したそうです。
また、テレビ番組でも実験したところ、成功しています。
(テレビですから編集したでしょうけどね。)
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気象条件や弓矢の性能等を考えると、与一は名人には違いありません。
しかしMissyon Impossibleなものではないようです。5回に1回は成功が期待できるのですから。

戦に明け暮れた当時の武士たちの中では、
「弓の名人ならば、運が良ければ命中させることができるかもしれない」
くらいの意識だったのではないでしょうか。

なぜ平家は「扇の的」を挑んだか

『源平盛衰記』によると、

この赤字に金の日の丸の扇は、安徳天皇の父親である高倉院が厳島神社に奉納したものです。
平家が都を追われたとき、厳島神社に立ち寄り、神主から
  • この扇には高倉院の気持ちがこもっていて、これを持っていれば敵が矢を射かけてもUターンして射た人にあたる
と言って渡されました。
そこで、この扇を的にして、平家が勝つか源氏が勝つかの占いをしよう、ということになったのです。
平家は「高倉院のご加護があるので、源氏の矢はあたらない。占いは平家の勝ちとでる」と思ったのでしょう。

そしてもう一つ、この扇は射ることがはばかられる要素がありました。

それは、真ん中に描かれている金の丸です。
これは日輪を表します。
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『源平盛衰記』でも、与一は「日輪が描いてあるので、射るのは畏れおおい」と、日の丸を狙わずに扇の要を狙います。

中国の故事に太陽を射る話がありますが、これは一度に10個も太陽が出たため人々が干ばつに苦しんでのことです。
太陽に対して、単純に「射ることは畏れおおい」と考えただけでしょうか。

赤地に金の日の丸というのは、赤は朝廷の色、金は太陽の象徴とされています。そして太陽神アマテラスの直径の子孫である天皇も、太陽の象徴と考えることができます。
そのため、赤地に金の日の丸のデザインは、後に「錦の御旗」と呼ばれる天皇旗となります。
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この時、平家は安徳天皇を奉じていました。
一方、後白河法皇は安徳天皇の弟、後鳥羽天皇を立てましたが、彼は天皇の継承に必要な三種の神器は持っていませんでした。

平家には三種の神器を持つ安徳天皇こそが正統な天皇であるという思いが強かったのではないでしょうか。

そして、天皇の象徴とも見える赤字に金の日の丸の扇を出し、
「三種の神器を所持する正当な正統な天皇に『弓を引く(反逆する)』つもりか」
と、源氏を挑発しようとしたのかもしれません。

これを察した弓の名人の上級武士達は「扇を射よ」という義経の命令を断り、
一番下っ端の那須与一にお鉢がまわってきたのかもしれません。

ちなみに、歴史上最初に「錦の御旗」を使ったのは、くだんの後鳥羽上皇です。
時の執権北条氏に反旗を翻した承久の乱で用いました。

何か因縁めいていますね。

平家は何に感動したのか

 『源平盛衰記』では、与一が扇を射た後、扇をセットした女房、玉虫の前が次の歌を詠んでいます。

  • 時ならぬ花や紅葉をみつるかな芳野初瀬の麓ならねど(その季節でもないのに、桜の花や紅葉の舞い落ちる様子をみたことだ。ここは桜や紅葉の名所の芳野や初瀬の山の麓でもないのに。)

  与一は、扇の要の少し上を射切りました。童謡『紅葉』ではありませんが、
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  •  溪(たに)の流に散り浮くもみじ/波にゆられて はなれて寄って/赤や黄色の色さまざまに/水の上にも織る錦(にしき)

 と、錦地に金の扇が要の部分を射切られて海に舞い落ちる姿を紅葉に見立てたのでしょう。


見立て遊びは、平安貴族の基礎的素養です。どっぷりと貴族化してしまった平家の特徴がよくあらわれています。

なぜ平家の男は射殺されたのか


 『源平盛衰記』には、次のように書かれています。

  • 平家の男が舞を舞ったとき、源氏の中で「射殺すべし」と「射てはならない」という二つの意見がありました。「あんなに感動している者を射るのはいかがか。だいたい与一は的にあてるほどの技量であるので、殺してしまうことになる。」というのが「射てはならない」という理由です。一方「与一は扇に当てはしたが敵を倒したわけではない。まぐれ当たりと言われても面白くない。」というのが「射殺すべし」の理由です。そしてすったもんだの末、「情けは一時の感情だ。今は一人でも敵を倒すことが大切だ。」ということに決まり、射ることになりました。

そういうことで、やりきった感満載のドヤ顔をして帰ってきた与一は、また海の中へ行かされることになったのです。

ですから最後の部分の「あ射たり」も「情けなし」も、『源平盛衰記』では源氏の言葉として書かれています。


「敵を一人でも多く殺すことが戦である」
と考えた源氏は、貴族化した平家と違い、徹底したリアリストですね。

まあ、だいたい那須与一自身、実在したかどうか疑わしい文学的文章ですから、本当はどうだったかは、それこそいろいろな解釈ができると思います。
迂闊に定期テストに出題しないことをおすすめします。

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第4時 言い換えに注意して筆者の主張を理解しよう

 第1段落の問題提示文の次には、こう書かれています。
  • 実は、この絶海の孤島で起きた出来事は、私たちお住む地球の未来を考えるうえで、とても大きな問題を投げかけているのである
 そして第16段落には次のように書かれています。
  • イースター島のこのような運命は、私たちにも無縁なことではない
 「イースター島のこのような運命」とは「絶海の孤島で起きた出来事」です。
 これについては第2~15段落で問題提示の解答として説明されました。
 この説明は一応科学的な内容ですから、疑いの余地は少ないと思います。

 そして「私たちにも無縁なことではない」は「大きな問題を投げかけている」に対応しています。
 第16段落は、2~15段落までをまとめた上で筆者の主張をスタートさせるための段落です。

 四時間目の授業は、第16段落以降で述べられる筆者の主張を、言い換えに注目して理解する1時間となります。
  • 第17段落 森林は、文明を守る生命線
  • 第18段落 異常な人口爆発
  • 第19段落 食糧不足や資源の不足が恒常化
等の叙述をおさえつつ、第20段落の言い換えを理解していきます。
  • イースター島=地球の対比
  • 絶海の孤島=広大な宇宙という漆黒の海にぽっかりと浮かぶ青い生命の島
  • 森林が枯渇し、島の住民が飢餓に直面=その森林を破壊し尽くしたとき、その先に待っているのはイースター島と同じ飢餓地獄
 これは市販のワークブック等にもある内容ですから、特に問題なく授業が進むと思います。

 そして筆者は、以上の考察の結果として以下のことを主張しています。
  • とするならば、私たちは、今あるこの有限の資源をできるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策を考えなければならない
と主張し、「それが、人類の生き延びる道なのである」とダメ押ししています。

 この論展開をおさえるために、授業の半分以上は費やすと思います。

 残りの時間は、次に行う
  • 「モアイは語る」をふまえ、自分の考えを書こう
の準備にあてます。

 この文章は、読者を説得することを目的とした文章と言えます。
 筆者の説得を100%受け入れ、納得してしまうというのはどうでしょうか。
 文章を批評的に読んで、筆者の主張について自分なりの判断を下す力を伸ばさなくては、読解力がついたとは言えないと思います。

 「モアイは語る―地球の未来」という説明的文章に論理的な穴はあるのでしょうか。

 第17段落の、日本列島で文明が繁栄したことと森林との関係、地球そのものが森に支えられているといった表現は、「~深く関わっている」「~という面もある」と、あいまいに表現していますから、明確に誤りであるとは言えません。

 第18~19段落の数値も、一般的に言われているものです。
800px-World-Population-1800-2100
世界人口 1800-2100年(国連 (2004) 及びアメリカ国勢調査局の評価・推計に基づく)

 しかし、筆者の主張には、以下の疑問が指摘できます。

飢餓地獄は起こらない

 第20段落には、次のように書かれています。
  • イースター島では~どこからも食料を運んでくることができなかった。地球も同じである。
 確かに、筆者の言う通り「二〇三〇年には(地球の人口は)八十億を軽く突破」することは、
 国連の推計等からいってもほぼ確実となっています。
 もし「二十一億ヘクタールの農耕地で生活できる地球の人口は、八十億がぎりぎり」であるならば、
 現在地球の人口75.3億(2017年)ですから、あと10年で食糧危機が現実となるわけです。

 しかし筆者が主張する通り「森林資源が枯渇」すれば、地球に「飢餓地獄」が訪れるというのは本当でしょうか。

 筆者は、この部分で「イースター島=地球」と言おうとしています。
 しかし、イースター島の「どこからも食料を運んでくることができなかった」の部分と対応する地球の状況は書かれていません。
  • 絶海の孤島のイースター島では、森林資源が枯渇し、島の住民が飢餓に直面したとき、どこからも食糧を運んでくることができなかった
  • 地球も同じである。広大な宇宙という漆黒の海にぽっかり浮かぶ青い生命の島、地球その森を破壊し尽くしたとき、その先に待っているのはイースター島と同じ飢餓地獄である。
 筆者は「広大な宇宙という漆黒の海にぽっかり浮かぶ青い生命の島、地球」と詩的な表現で「どこからも食糧を運んでくること」ができない状態を暗示しようとしています。
 確かに地球以外の惑星から食物を持ってくるというのは、不可能でしょう。

 しかし、地球外から食糧を持ち込む以外に飢餓地獄から逃れるの方法があることを、条件付きで明かしています。
  • 食料生産に関しての革命的な技術革新がないかぎり(19段落)
 言い換えると「技術革新が人類の生き延びるもう一つの道である」ことに、筆者は既に気づいているわけです。

 筆者が主張したい
  • イースター島で森林を破壊した結果、文明が滅んでしまった
という説は「エコサイド(ecocide)=環境虐殺」と呼ばれる説です。
 そしてこの説は、無謀な開発と環境破壊に警鐘をならすエピソードとして知られています。

 しかし、このイースター島の文明が滅んだ原因については、現在いくつかの反論が出ています。
 例えば「モアイは歩かせて移動させたので、ころを使ったのではない」というハワイ大学の研究もあり、動画も公開されています。「モアイを運ぶために木材を切り倒したのではない」というのです。

 また、森林資源が枯渇したのは、モアイを造るためではなく、無計画で行われた焼き畑農法のせいだと考える人もいます。

森林破壊だけでは文明は滅びない

 第20段落では「森林資源が枯渇し、島の住民が飢餓に直面した」とありますが、森林破壊によりイースター文明が滅んだとは書いてありません。

 イースター島文明が滅んだ理由については第15段落に次のように書いてあります。
  • こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。その過程で、イースター島の部族間の抗争も頻発した。そのときに倒され破壊されたモアイ像も多くあったと考えられている。このような経過をたどり、イースター島の文明は崩壊してしまった。
 「このような経過」とはどのような経過なのでしょう。

 第15段落に限れば「(イースター島が次第に食糧危機に直面していく)過程」を指すと思われます。具体的には第15段落以前の論の展開を指していると思われます。

 イースター島の文明が崩壊した直接の原因は「部族間の抗争」です。
 人口爆発と森林破壊による食糧危機が、肥沃な土地と漁場をめぐっての部族抗争を生んだと言われています。
 モアイは部族のシンボルなので、部族間の抗争として「モアイ倒し」が盛んに行われていたようです。

 このことを筆者は知らなかったのでしょうか。
 ですから、現在の研究では次のように書くのが正しいと考えられます。
  • こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。その過程で、イースター島の部族間の抗争頻発した。そのときに倒され破壊されたモアイ像多くあったと考えられている。その結果、イースター島の文明は崩壊してしまった。
 ほんの少し助詞などを変えるだけで、ずいぶん内容が変わってきますね。

 確かに、森林「破壊(焼き畑農法が原因だとすると「伐採」とは言えません)」により土地が痩せ、船なども造ることができなくなったことが、食糧危機が訪れたもともとの原因かもしれません。
 しかし直接の原因は部族間の抗争だと考えられています。

 イースター島では、モアイが作られなくなってから数百年後にヨーロッパ人が到達したときは生活水準は石器時代並となっていたそうです。
 しかしまだ「文明」としては死んでしまったとはいませんでした。

 最終的にイースター島文明を崩壊させたのは、
 ヨーロッパ人による奴隷狩りと、彼らにもたらされたインフルエンザや天然痘、ペストなど疫病ためだとされています。

 イースター島の人々や彼らが築いた文明は、実際はどうだったのか、どうなったのかは、言い伝えでしか残っておらず、実はよくわかっていないというのが現状です。

 文章を細かく分析してみると、
 筆者は単純に「森林破壊→食糧危機→文明の崩壊」と主張してはいないことがわかります。
 しかし巧妙に読者がそのように理解(誤解)するような論の展開をしているのです。

 更に20段落では、次のようにまとめています。
  • 今あるこの有限な資源をできるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策を考えなければならない。それが、人類の生き延びる道なのである。
 ここで言う「この有効な資源」とは何でしょう。
 筆者はどちらを言いたいのでしょう。
  • 今ある森林資源を、できるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策を考えよう
  • 今あるすべての資源を、できるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策を考えよう
 読み手は、森林資源ではなく、「有効な資源」すべてを言っているように受け取ってしまう可能性が高いと思います。
 

 確かに石油やレアアースなどは、直接的に自然由来の資源をめぐる部族間の抗争(現代では国家間の抗争、と言い換えてもよいでしょう)のもとになっています。
 これらの資源を「できるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策」は、
 筆者の主張通り、現在世界中で努力しているような気がします。
 しかしそれ以上に文明の崩壊につながる可能性が高いのは、石油やレアアースを原因にした部族(国家)間の抗争の方ですね。

 自然由来の資源ばかりでなく、人的資源というのもあります。
 人間を「効率よく長期にわたって利用」という感覚はどうなんでしょう。

 第16段落以降の読解を進めてから、これらの反論を生徒に考えさせるというのは1時間では不可能です。

 単元の指導事項
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
  • エ 文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。
を5時間という時間枠のなかで全うするには、どうしても
  • 「説得する文章」に対して「自分の考えをまとめる」「自分の考えを持つ」
という内容をやりたくなります。
 具体的には、やはり作文を書かせたいと思います。

 そこで、筆者の論に対する反論を知識として生徒に与え、
 それらもふまえて自分の考えを次の1時間で書くという展開が自然かと思います。

 第4時は、前半で筆者の主張を理解し、
 後半で、筆者の主張の弱点とその反論を説明し、
 次の時間で、自分なりの意見を文章に書くことを予告して終わります。

第5時 この文章をふまえ、あなたの考えを書きなさい。

 高校入試等でよく出題されるものに、「この文章をふまえ、あなたの考えを書きなさい」というものがあります。
 そこで読ませるのは、論説文等の説明的文章がほとんどです。

 初見の説明的文章を読んで、その内容を理解した上で、自分の考えを書かせることによって、

 読解力と同時に表現力も見ようとするものです。
 当然、論旨を的確に把握していなくてはいけません。
 また、誤字・脱字、文のねじれ等も減点の対象となります。

 生徒は「え~」というかもしれませんが、その時は次のように指導します。
  • 来年の受験に向けての練習である 従って入試同様に採点する
  • 内容の理解は既に終わっている 従って入試より難易度は下がる
  • この課題を提出することは既に予告してある 予習をするかしないかは自由である
 次の条件を板書します
  • 800字以内(八割=640字以上書いてなければ評価対象外となる)
  • 原稿用紙の使い方に準ずる 1行目に組・氏名を書く 題名は書かない
  • 終了の合図(チャイム)と同時に提出する(時間外の提出は認めない)
  • 解答は A・B・Cの三段階評価とし、それ以外にD評価(採点対象外)がある
 あとは、原稿用紙を配り、書かせ、回収します。

採点基準例 

 夏休みの前後に意見文等を書かせたことと思います。
 その時の指導内容を採点基準とするのが良いと思います。

 私の場合は、「高校入試を想定した採点を行う」ことを生徒に伝え、次の評価基準を板書します。
  • 条件を満たしていないものは評価対象外としD評価
  • 誤字脱字等を含め原稿用紙の使い方の誤りが著しいもの、テキストの要旨を正しく捉えていないもの、テキストの読み取りに誤りがあるもの、論の展開に誤りがあるもの等はC評価
  • 結論が最初に書いてあるもの、自分の考えに対する反例をあげる(逆接の接続詞を効果的に使う)ことで説得力を持たせているもの等はA評価
  • それ以外はB評価
  • 評価は以上の基準に基づき総合的に判断される 意見の内容は、テキストの主張をふまえている限り賛否その他は問わない
 この授業は、国語科の授業をするのであって、道徳や総合的な学習の時間、特別活動の授業をしているのではありません。
 私たちが「モアイは語る―地球の未来」で教えたいことは、
 「説得する文章」に対し、
 その内容を「正確に」読み取り、批判的に分析し、自分なりの考えをまとめることです。

 がんばりましょう。
  
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第2~3時 問題提起文と、対応する解決文を探そう

学習問題1
 問題提起1と対応する解決文はどれか

 これは、解決文探しのウォーミングアップです。

 問題提起1に対応する解決文は「しかし、最近になって、それは西方から島づたいにやって来たポリネシア人であることが判明した」です。

 ここで「なぜこれが解決文だとわかりますか」と問います。
  • 「誰か」と聞いているので「ポリネシア人」だ
と考える生徒が多いと思います。
 しかし国語科として教えたい内容は「しかし」(接続語)と「判明した」(文末の断定表現)に注意して解決文を探すことです。

 そこで「なぜ宇宙人ではいけませんか」「『ポリネシア人が最初にこの島にやってきたのは』はだめですか」等の切り返しの発問をし、「しかし」と「判明した」に注意を向けます。

 接続後や指示語、文末表現などに生徒の注意を向けた上で、学習問題2に移ります。

学習問題2
 問題提起2と対応する解決文はどれか
学習課題2
 接続語や文末表現に注意して探そう

 問題提起2に対応するのは第7段落冒頭文です。
  • それにしても、ラノ・ララクの石切場から、数十トンもあるモアイをどのようにして海岸のアフまで運んだのだろうか
 これはすぐわかると思います。

 ポイントは「それにしても」(話題の転換)「運んだのだろうか」(同義の言葉の使用による問題提起文2の繰り返し)です。
 この二つについても「なぜこの問題提起文が問題提起2と同じだと言えますか」と切り返し、学習問題1の内容を想起させます。

 すると、「『それにしても』は話題の転換を示すから」と答える生徒がいます。
 出たらすかさず「そうですね。この直前の話題はここからの話題と違うことがわかります。ですから第七段落の前までは問題提起文1を解説するまとまりと言えます」と補足し、接続語によって段落のまとまりがわかることをおさえます。

 対応する解決文探しの場面では、
 「木のころが不可欠である」「支柱は必要だ」の部分と考える生徒もいると思います。

 これでよいか意見を発表させる中で、
 「次の段落最初に『「しかし』とある」ことに気づいた意見を取り上げ、
 「しかし」の前と後とでは、後の方が重要であることをおさえるとともに、
 この段落には更に問題提起2の下位カテゴリにあたる問題提起文があることに気づかせます。
  • モアイが作られた時代、モアイの運搬に必要な木材は存在したのだろうか
 そして「この問題を解決してから問題提起文2の解決するというわけですね。」と破籠(わりご)型の構造を解説します。
破籠構造破籠構造
 次の問題提起3を考えさせることで、一気に説明的文章の論の構成のポイントをおさえます。
  • 問題提起3 いったい何があったのか(モアイが作られなくなったのはなぜか)
には、対応する問題提起文がありません。

 第11段落冒頭の「もう一つの事実」のまとめ
  • おそらく森が消滅した結果、海岸までモアイを運ぶことができなくなったのであろう
が、問題提起3の解答文であることは、生徒はなんとなくわかると思いますが、
 その理由をしっかりと説明させることが国語科としての力を伸ばすことなのだと思います。

学習問題3
 問題提起3の解決文はどれか

 問題提起2の解答文は第10段落にあり、
 問題提起4に対応する問題提起文は第13段落「では~」という話題転換に続く文言なのですから、
 問題提起2と4に挟まれた第11~12段落が問題提起3と対応することをおさえることをおさえます。

 これを生徒が思いつくように、うまく誘導するのがポイントです。
 ヒントとして発表させる時に「問題提起3の説明はどこからどこまでか」も言わせると気づく生徒もいると思います。

 学習問題1~3をまとめると、次のようになります。
  • 提起された問題の順番通りに論は展開する
  • 問題提起文は段落まとまりの最初の方に、解決文は最後の方にある
  • 問題が解決すると話題は次の問題提起の内容に移る
  • ただし、問題提起が二つ重なった場合は、破籠式に論が展開する
 これを押さえて、問題提起4の解答文
  • 千体以上のモアイの~崩壊したと推定される
挙手の少ない生徒に答えさせ自信をもたせます。
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ダウンロード
 「モアイは語る―地球の未来」は指導書によると5時間扱いの単元です。
 指導事項は次のようになっています。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  •  ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
  •  エ 文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。
 指導事項イの「文章全体と部分関係」とは、段落相互の関係のことです。
 また「例示や描写の効果」とは、説明的文章特有の表現技法(例えば文学的文章で比喩が用いられた場合、何をどのように例えているかは明らかにされないが、説明的文章では明らかにされる等)のことです。

 指導事項ウの「文章の構成や展開」とは、接続語や指示語によって的確に段落や文相互の関係が示されることです。

 指導事項イやウを通し、要旨を的確に把握した上で、自分の考えを持ち、それを文章化するのが指導事項のエでしょう。

 いってみれば、膨大な資料にすばやく目を通し、目的に応じてそれらの資料を再構成し、目指す結論が得られるように資料を再構成する、という霞ヶ関のお役人に必須の能力が「目指す力」ということになるような気がします。
 この力は、「他人の説明を正確に理解する力」であると共に、「都合の良い結論に隠されたウソを見抜く力」となりますから、是非生徒に身につけさせたいものだと思います。

 この観点から考えると、この文章は、説明的文章の特徴がよく現れています。

 それは一読して気づくことは、問題提起文が目立つことです。
ダウンロード
 問題提起文とは、筆者が話題にしている問題や課題を、疑問形などで解決すべき事項として読者に投げかけた文です。

 問題提起文は、文章全体や段落の最初の方にあることが多く、その問題を解決する文が必ず書かれることに特徴があります。

 そこでまず、段落番号を振らせ、問題提起文とその解決文を探していくことで、段落のまとまりをおさえつつ、説明的文章の特色に気づかせていく、という単元展開を構想してみました。

第1時 筆者はなぜ読者に質問するのか

 まず過去の学習から説明的文章の「なぜ~だろうか」という文を思い出させます。ひょっとしたら理科などの教科書にもあるかもしれません。
 「この文の答えを、筆者は本当に知らないのだろうか」と問いかけ「問題提起文」の役割を教えます。

 次に、「この文章で筆者の言いたいこと(要旨)は何だろうか」と問いたいところですが、
 筆者が出した結論には若干問題があります。
 これについては後述しますが、これを指導事項エとして最後に取り扱いたいので、
 ここはぐっと我慢です。

学習問題 
 文章全体を通読し、文章構成のおおよそを知ろう。
学習課題
 問題提起文とその解決文に線をひきながら読もう。

 まず第1段落を範読し、生徒に線をひかせます。
  • 君たちはモアイを知っているだろうか。
 これは問いかけであり、モアイを話題とした文章であることを示しています。
 「~だろうか」と結ばれていますが、厳密には問題提起文とは言えないかもしれません。
 しかし「この文は問題提起文といえるかどうか」は重要な問題ではありません。
 次の文がポイントです。
  • それは、人間の顔を彫った~八十トンにも達する
 「それは」はモアイを指しており、この文が解答文であり、指示語にも注意して読まなくてはいけないことに気づかせます。

 次に第2段落を範読します。
 範読しながら机間巡視し、生徒は線をひきながら聞いているか確かめます。
 これは、線をひきながら読むという、大切な技能だからです。

 そして「どこに線をひいたか」問うと、生徒は次の部分を指摘するはずです。
  • いったいこの膨大な数の巨像を誰が作り、あれほど大きな像をどうやって運んだのか。また、あるときを境として、この巨像モアイは突然作られなくなる。いったい何があったのか。モアイを作った文明はどうなってしまったのだろうか。
 この部分が四つの内容に分かれていることを十分理解していない生徒もいると思います。
 そのため、次のように板書し、おさえます。
  • 問題提起1 いったいこの膨大な数の巨像を誰が作り(誰が作ったか)
  • 問題提起2 あれほど大きな像をどうやって運んだのか
  • 問題提起3 いったい何があったのか(モアイが作られなくなったのはなぜか)
  • 問題提起4 モアイを作った文明はどうなってしまったのだろうか
 そして、第2段落内に解決文がないことを確認し、第3段落を範読します。

 第一文は「絶海の孤島の巨像を作ったのは誰か。」です。
 この文と問題提起文1とが「誰が作ったか」という部分で内容的に一致していることをおさえます。

 そして、それぞれの問題提起文と対応している文や、それぞれの対する解決文があったら線をひくように指示し、1時間を終わります。
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「字のない葉書」の指導事項は、次の三つです。
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
 これを3時間で取り扱うようになっています。
 内容的にじっくり取り扱いたいという気持ちもありますが、文化祭に提出する書写作品を仕上げたり文法学習の進度を考えたりすると、なかなかそうもいきません。

 「字のない葉書」の指導のポイントは、父親の言動の意味を考え、主題=「私」の父親に対する気持ちを考えるところにあります。

 3時間という展開を考えると、次のようになります。
  • 第1時=通読し、単元の課題を持ち、前半部に描かれた父親像を読解する。
  • 第2時=後半部に描かれた父親の心情を読解する。
  • 第3時=父親に対する「私」の気持ちを読解する。
 第1時はとてもつめこんだ内容となりますから、ひょっとしたら4時間扱いになってしまうかもしれません。

 最終的に読解したい問題は、
  • 「私」は現在、父親に対してどんな気持ちを持っているのだろうか
です。
 しかしこれが第1時に学習問題として生徒から出てくることはまずありません。

 生徒が直接興味をもつのは、
  • どんな父親なのだろうか
という思いです。

 そこで、「いつ」「どこ」「だれ」の「だれ」を考えていこう、という流れで単元を通し、
 第3時に「こういう父親を『私』は今どう思っているのだろうか」という問題を据えるのが自然だと思います。

 この問題に対する答えは、二つのエピソードの最後の段落にそれぞれ書かれています。
 特にこの作品の主題が説明されているのは前半のエピソードです。

  •  この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをといわれれば、父が宛名を書き、妹が「文面」を書いた、あの葉書ということになろう。

 「この手紙」とは、直前の「優しい父の姿を見せたのは、この手紙の中だけである」を指しています。
 つまり、普段は優しくない(暴君であった)が、その奥には優しさがあったことをなつかしむ文章であることがわかります。

 その姿が、最も端的に表れたのが後半のエピソードです。

  •  あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった。だが、あの字のない葉書は、誰がどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。

 前半のエピソードでは、父親は、十三歳の「私」に手紙を出してから三十年後の六十四歳で亡くなっていると書かれています。ですから前半のエピソードの父親は三十四歳くらいです。
 後半のエピソードでは、父親は小学校一年(七歳前後)であった妹を疎開させ、それから「三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった」とあります。ですから妹の現在の年齢は三十八歳くらいでしょう。

 ですから後半のエピソードは、前半のエピソードの四年以内に起こった出来事です。
 後半のエピソードの「私」は、十三歳以上十七歳以下で、「私」と妹の年齢差は十歳以下であることがわかります。

 父親が下の妹を抱いて声を上げて泣く姿を見た高校生くらいの「私」にとって、暴君のイメージとのギャップに衝撃を受けたことは想像に難くありません。

 「暴君」であったはずの「父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た」わけですから、
 「最も心に残るもの」ランキング最上位として「字のない葉書」のエピソードが挙げられるのは当然のことです。

 この父のギャップのある姿を「なつかしく思い出している」のがこの作品の主題なのです。

 これを授業の最後に気づかせるためには、

 まず前半のエピソードでは「暴君」「照れ性」「他人行儀」「非の打ち所のない父親」「日頃気恥ずかしくて演じられない父親」等のキーワードを構造化しておさえ、

 後半のエピソードでは妹の状況変化とともに、父親が「声を立てて泣く」に至る父親の気持ちを「この日は何も言わなかった」「はだしで表へ飛び出した」「やせた妹の方を抱き、声を上げて泣いた」等の叙述から父親の心情に触れさせます。

 そして、前半の父親の二面性と後半の「初めて見た」のキーワードを振り返り、
  • 「この作品の主題はどこに書いてあるだろう」
と問いかけて主題に迫らせる、という展開が考えられます。

 この主題は、テキスト最後の
  • だが、あの字のない葉書は、誰がどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。
の解釈にもつながると思います。特に「だが」の解釈がポイントとなると思います。

 これに触れた生徒の意見が出てくるといいですね。


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 指導の最後で取り扱うのは「主題を考える」授業です。

「主題」とは
 私たちは、文学的文章読解を行う際に、辞書的に「芸術作品などの中心となる思想内容」という意味で「主題」という言葉を使っています。説明的文章の場合は「要旨」です。

 語(語彙)が集まり文となり、文が集まって段落となり、段落が集まって文章が作られてることを、一年生の文法の授業で教えます。

 語(語彙)にはその一つ一つに単語としての意味があります。その語(語彙)が集まって文となったとき、一つのまとまった文としての意味が生まれます。そして文が集まると、一つの意味のつながりが生まれ、それが改行で区切られたとき更に大きな意味のまとまりとなります。

 意味のまとまりは、一つの方向性をもっています。ベクトルのようなものと考えてよいと思います。
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語彙という小さなベクトルの集合が文となり、文のベクトルが集まって大きな段落のベクトルとなるわけです。

 そして段落のベクトルを集めたものが「主題」になるのだと思います。

 説明的文章では、それぞれの語彙は互いに関連をもちながら意味的につながって段落の要旨に集まり、段落の要旨は相互に関連しあって文章全体の要旨として明らかになります。そして説明的文章の要旨はテキストにはっきりと書かれている点に特徴があります。
 ですから説明的文章の読解というのは、語彙や文、段落レベルのベクトルの方向を見定め、文章全体がテキストのどの部分に集約されているかを見極めることが一つの目的となります。

 ところが文学的文章の場合、「主題」はテキストには書かれていません。テキストの外にあるのです。
 大雑把に言うと、
 「主題」は、テキストの外の作者の中にあるというのが作家論です。ですから正解は作者しかわかりません。(作者だってわからないかもしれません。)
 逆にそのベクトルは読者の心の中にしかないと考えるのが読者論です。

 読者論の場合、文学作品を読んだ読者がどんな主題を設定しても読者の自由となります。しかしこれでは、単なる趣味の読書となってしまい、授業で取り扱う意味が薄れてしまいます。

 私たちが授業で取り扱うべきは、あくまでも指導要領に示される「論理的に考える力や共感したり想像したりする力」や「伝え合う力」です。感覚的・主観的な独りよがりの読解力を増長させるためではありません。
 きちんとテキストに書かれている内容を論理的に判断し、その判断に対して多くの他者が共感できるように説明相手の説明を理解する「伝え合う力」を育てるのが授業の目的です。

 そこで、文学的文章読解の授業では、それぞれの語彙、文、段落が指し示すベクトルの方向を論理的に吟味し、それが収束している「主題」を的確な文で表現する(認識する)ことに価値があると思います。

 文学作品は、因果関係に支配されています。一定のキャラクターをもった「登場人物」が「事件(イベント)」に出会い、その結果「心理」に変化がうまれ、それに従って「行動」します。そして新たに獲得した「心理」や「行動」が「登場人物」のキャラクターに加わり、更に新たな「事件」に出会い物語が展開します。(事件の前後で主人公の心理の変化がほとんどないのがラノベですね。だから学校で読むことが問題視されるのかな?)

 主題は、この「登場人物」の心理変化の中にあるのだと思います。
 そして主題を体現する心理変化をもった「登場人物」こそが主人公なのです。(ただしホウムズ物のような探偵小説はどうなんでしょうね……。ワトソン博士が主人公……じゃないよね。これが「探偵小説は文学としては微妙」と言われる理由なのかな?)

 文学作品の「主題」は、愛や憎しみ、友情や優しさなど様々あると思いますが、いずれも主人公が体現するものです、社会的にみると人間としての「価値」や「徳目」です。(主人公が「価値」「徳目」のアンチテーゼとして描かれる、反社会的・反道徳的な主題が描かれる文学はあります。しかし小・中学校の教材となることはまずありません。ですから「文学的文章」と呼ばれるのだと思います。)

  • 主題とは主人公の言葉や行動によって論理的に説明できる「価値」あるいは「徳目」である。
 これが、主人公の心情の変化を執拗に授業で読み取らせようとする理由なのではないでしょうか。

 ですから、主人公の心情の変化の読み取りの終着点として「主題を考える」場面は、文学的文章読解の授業には必要だと思います。

「盆土産」の主題

 ストーリーの展開に沿って、あらすじをまとめてみます。

 1日目。主人公は突然お盆に帰省する父親のために「父っちゃのだし」を送り盆のまでに間に合わせようと雑魚を釣りながら、盆土産であるえびフライとはどんなものだろうと考える場面で物語は始まります。

 この日の前日、突然父親がえびフライを持って帰省する速達ありました。えびフライにとはどんなものか、主人公にも姉にも見当がつきません。しかし祖母はわからないながらも「うめもんせ」と父親を信頼しています。主人公は祖母の言葉に納得し「父親の土産のうまさをよく味わう」ことを楽しみにします。

 父親の帰省の場面では、父親は八時間もの間ドライアイスを交換しながら帰省したことが述べられ、ドライアイスやえびフライに驚く子どもたちの姿を「満足そうに」眺める父親の姿が描かれます。

 その日の夕方では、隣の喜作も盆土産を喜んでいる姿が、夕飯の場面では、揚げたてのえびフライを食べる一家団欒の様子が描かれます。その中で、「父っちゃのだし」を心配する主人公と、次の日に帰省することを息子に告げられない父親の心理が語られます。

 2日目。墓参りの場面では、死んだ母親への家族の思いが、特に祖母と主人公を通して語られます。

 そして夕暮れ時、主人公が父親を見送る場面では、父親と主人公との交流とすれ違いが描かれています。

 この物語全体から俯瞰されるの主題は、父と息子との交流だけではありません。父が子へ、子が父や死んだ母へ、祖母が子(父)や孫(主人公と姉)あるいは夫(祖父)や嫁(母)へと、家族全体の双方向性のつながりが描かれていることがわかります。
 そしてその交流は、父親が東京へ働きに出ていて稀にしか帰省できない状態であることにより鮮明に浮かび上がってきています。
  • 父親が東京へ働きに出ている東北地方の家族の絆
 これが「盆土産」主題だと思います。

 この主題は、最後の場面で主人公が「えんびフライ」と言い間違えるところに象徴的に表現されていると思います。
 「えんび(フライ)」という言葉が登場するのは、冒頭部の主人公と姉との会話、墓参りでの祖母の言葉、そして最後の場面の主人公の言い間違いとしてです。

 主人公は、「いつもより少し」強めの父親の愛情表現で動転し「うっかり」「えんびフライ」と言ってしまいます。なぜ「えんびフライ」でなければならないのでしょう

 「えんびフライ」が単語として登場するのは、墓参りの場面です。
  • 昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか
 祖母が報告した「昨夜の食卓の様子」を「祖父と母親に報告」するとしたら、どのような内容になるのでしょう

  • 帰らないと思っていた「父っちゃ」がわざわざ墓参りのために帰ってきたよ。盆土産に珍しいえびフライを持ってきたよ。孫たちはとても喜んだよ。みんなで楽しく海老フライを食べたよ。…安心しておくれ。
 祖母が報告したのは、「昨夜の家族揃っての楽しい団らんのある食卓の様子」だったはずです。
 この象徴としての単語が、親しみのある方言を使った「えんびフライ」だったのではないでしょうか。

 そして「家族揃っての楽しい団らん」こそが主人公が希求する絆であったはずです。
 だからこそ主人公の「家族揃って楽しい団らんを囲みたい」という願いが、その象徴たる「えんびフライ」という言葉となってほとばしったのだと思います。 

 これは、文として生徒に教える必要はありません。なぜなら、この主題が正解であるかどうかはわからないからです。
 それよりも、この物語の主題を「文」としてまとめようと考えさせ書かせることこそが学習であると思います。

 これには、やはり1時間はかかるでしょう。

この項目については、生徒用に解説したものがあります。
興味のある方は、こちらへどうぞ。

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 「盆土産」の指導事項は
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
です。
 指導事項アとイを中心に、登場人物に関する「内容の理解」を深め、授業では「根拠を明確にして自分の考えをまとめ」させ、発表させることでそれを確かめる授業となります。

 これをやるのにだいたい2時間はかかります。
 すべてきちんと取り扱おうとすると、確実に3時間以上になってしまって、指導時数を確実にオーバーします。
 この後、主題についての授業は是非やりたいところですので、生徒の様子を見ながら扱う場面を取捨選択して進めます。

 生徒は『盆土産』の作品研究の演習をするわけではありません。あくまで指導事項さえきちんと押さえてさえいれば、授業としてはそれで十分なのです。
 効率的・効果的に授業を進めることをかんがえましょう。


主人公
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 小学校3年生。8~9歳。分校に通っています。
 おそらく、物心ついた頃、母親をなくしました。

 川えびしか見たことがなく、伊勢エビやブラックタイガー等の知識がないため、父親が「海ではもっと大きなやつ(えび)も捕れる。長えひげのあるやつも捕れる」と言っても、冗談だと思っています。
 この時代の東北地方の寒村の小学3年生です。から、『ちびまる子ちゃん』のまるちゃんより知識量が少なくても仕方がありませんね。

 現在父親は東京に働きに出ていってしまって、さみしい思いをしています。

 ですから突然父親が帰省すると知ると、父親に振る舞うそばのダシをとるために雑魚をとり、夕食で父親がそれを焼いてどんどん食べてしまうと「はらはらして」「だしがなくならえ」と心配するくらい父親のことを思っています。

 父親のもたらした「盆土産」である「えびフライ」を中心に、久しぶりの家族揃って楽しい団らんを囲みます。
 小学3年生の主人公に、「えびフライ」と「父親」と「家族の団らん」という三つの語彙が強烈な関連をもってすり込まれるのです。

 迎え盆の朝、突然父親が東京へ戻ることを告げられ、昨晩の父親の雑魚の食べ方が「尋常ではない」理由を悟ります。

 夕方、「終バス」に乗る父親を「独りで停留所まで送って」いきます。帰りは当然暗くなりますから、父親は見送りはしなくてよいと言ったでしょう。しかし主人公はどうしても送っていきたかったのかもしれません。(他の研究によると、主人公が住んでいる集落と停留所までは相当の距離があるようです。)

 「村外れのつり橋」を渡った時、突然父親が「とって付けたように」「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」と語りかけます。
 父親が息子の悲しみを理解し申し訳なく思っていることを言外に悟った主人公は、「不意にしゃくりあげそう」になります。
 主人公の中で
  • 父親の愛情=えびフライ
という図式が成立していたため、
  • 父親が帰ってくる=楽しい家族の団らん=えびフライ
  • えびフライ=暑いのでドライアイスが必要=冬ならばドライアイスは不必要
という連想が浮かんだのでしょうか、「とっさに」「冬だら、ドライアイスもいらねえべな。」と言ってしまいます。

 つり橋を渡って、更に2人には沈黙が続きます。
 父親に似て口下手のようですが、小学3年という年齢を考えるとこの程度なのかもしれません。

 特に父親に頭をわしづかみにして揺さぶられるような、父親とのふれあいを楽しみにしています。
 別れ際、父親に「んだら、ちゃんと留守番してれな」と言われ、とっさに「えんびフライ」と言ってしまいます。

 本人は「んだら、さいなら、と言うつもり」だったと述懐していますが、本当でしょうか。

 ひょっとしたら、父親との別れに際し「早く帰ってきてまた楽しい家族の団らんを囲みたい」「東京には行かないで欲しい」と言いたかったのだと思います。
 この気持ちが集約された語彙が「えびフライ」ではなく「えんびフライ」だったと思います。

 この日の夕方、墓参りの中で祖母の言葉に「そのときは確かに、えびフライではなくえんびフライという言葉を漏らしたのだ」と言っています。
 主人公にとって、父親の愛情や家族の団らんを象徴する語彙は、よそ行きのハイカラな「えびフライ」ではなく「えんびフライ」なのでしょう。

 まさに方言の力ですね。



 中学生。本校の中学校に通っています。
 弟に対して「お姉さん」らしく振る舞おうとしています。
 えびフライというのは「どんなものか」と答えられない質問を弟にされると、答えをはぐらかし「自分の鼻の頭でも眺めるような目つき」をして視線をそらすという、年相応のごまかし方を身につけています。
 また「えびは、しっぽを残すのせ」と言われても、食べてしまったことを正当化するために「歯があれば、しっぽもうめえや」と言うような、少し負けず嫌いなところもあります。
 これらは、弟の手前ということもあるかもしれません。いずれにせよ、姉らしく振る舞おうとしていることがわかります。

父親
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 「まだ田畑を作っている頃」とありますから、現在田畑は作っていません
 
 田畑を手放した理由はわかりませんが、妻(母親)をなくしたことによる労働力不足が理由だったのでしょうか。
 戦後の農地改革*1)の影響がなかったとは言い切れませんが、農地を取り上げられた地主階級ではありませんでした。この一家のお墓は共同墓地にあり「持ち土の上に、ただ丸い石を載せただけの」ものだからです。
 おそらく昭和30代後半のことです。

 その後、仕事を求めて単身上京します。
 当時東京オリンピック開催に向けての、高速道路や新幹線の建設等、インフラ工事が盛んでした。
 東京が大きく変化する時代で、工事現場の仕事が山ほどあった時代でした。

 父親は「今年の盆には帰れぬだろう」と言っていたにもかかわらず、なぜ今年の盆に帰ってきたのでしょう。

 えびフライを子どもに食べさせるため、と考えるのは無理があります。
 仏教では「一周忌」「三回忌」「七回忌」「十三回忌」「十七回忌」と、三と七の年度のお盆に法要を営みます。

 主人公の年齢から考えて、この年は妻の「七回忌」(6年目)にあたる年だったのではないでしょうか。

 「法要を営むことはできなくても、せめて墓参りがしたい」という気持ちで、急遽帰省を決めたのではないかと思います。

 とても家族想いのよい父親です。(ご存命ならば、おそらく90歳以上100歳に手が届く歳になるでしょうか。)

 そして、子どもたちがさみしい思いをしていることを十分理解しています。

 ですから、せっかく帰るのだからと、子どもたちの喜ぶ顔が見たくて、当時珍しかった冷凍のえびフライを上野アメ横で購入しました。その時、持ち帰るにはドライアイスが、そして「油とソース」が食べるまでに必要だと教わったのでしょうか。ドライアイスと共に寝台特急に乗り込みます。
 (アメ横で「淡い空色のハンチング」も買ったのかもしれません。けっこうおしゃれさんです。)

 8時間の道中、ドライアイスを補充した苦労も「こんなに大きなえびがいるとは知らなかった」と子どもたちは大喜びです。「満足そうに毛ずねをぴしゃぴしゃたたき」ます。

 そして、自分が帰ってしまうと、特に息子が悲しむだろうと、当日朝まで帰ることを告げません。
 しかし、息子が雑魚にこめた想いは十分にわかっていますから、帰京前日の夕食に「尋常ではない」スピードでビールのつまみにして食べてしまいます。

 とても口下手で、息子に対する言葉がけがうまくできません。
 このため、帰りの停車場まで、息子と2人で歩く道すがら、四言しか言葉を交わしていません。
  • 「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」
  • 「いや、そうでもなかべおん。冬は汽車のスチームがききすぎて、汗こ出るくらい暑いすけ。ドライアイスたら、夏どこでなくいるべおん。」
  • 「んだら、ちゃんと留守してれな。」
  • 「わかってらぁに。また買ってくるすけ……。」
 「村外れのつり橋を渡り終え」た時に「とってつけたように」語った「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」に父親の気持ちがこもっています。
 普通の文にすると、省略法が用いられていることがはっきりわかります。
  • 「今度の正月には、もっとゆっくり帰るから……。」
 この「……」の部分には、「そんなに悲しまないで欲しい」「それまで楽しみに待っていて欲しい」という言葉が入るのでしょう。これは生徒に考えさせたい部分です。

 この父親の省略された部分を感じ取った主人公は、父と別れる悲しみをこらえきれなくなって「しゃくり上げそうに」なります。

 停車場に着いて、「んだら、ちゃんと留守番してれな」と語りかけ、主人公の頭をわしづかみにして揺さぶります

 「いい子、いい子」となでなでするより少し乱暴ななで方です。「いつもより」と言っていますから、日常的にそのような接し方をして、息子に対する愛情を表現しているのでしょう。それが「いつもより少し手荒くて」とありますから、日常以上の愛情がこもっているのだと思います。

 これに対する息子の「えんびフライ」という返答に、「ちょっと驚いたように立ち止まって、『わかってらぁに、また買ってくるすけ……。』」と言います。
 残念ながら、父親は「えんびフライ」に込められた息子の気持ちを理解しきれなかったようです。

 ポイントは省略された「……。」の部分です。「ちゃんと留守番してれな。」だったら省略する必要はないと思います。それ以上の気持ちが込められているからこその省略法でしょう。
 ここは是非生徒に考えさせたい部分です。

祖母

 夫(祖父)を早くになくしています。

 主人公に、えびフライトはどのようなものか尋ねられると「……うめもんせ。」と答えています。
 このことから、息子(父親)は孫(主人公)にウケ狙いのような変なものは買ってこない、と確信しています。
 歯がありません。明瞭な発音が難しいことから、入れ歯があっても不完全なものです。(ない可能性が高いと思います。)固いものを咀嚼し嚥下する力が衰えています。
 念仏を唱えることから、この家は浄土系の宗派です。

 迎え火を焚くとき「昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか」とあります。
 「えびのしっぽが喉につかえたこと」を抜かした「昨夜の食卓の様子」とは、楽しい一家の団らんの様子に他なりません。

 どのような様子だったか、生徒に説明させてもよいと思います。

母親

 なくなったのは「まだ田畑を作っている頃」とあります。主人公の年齢から考えて9年以内のことです。主人公におぼろげな記憶があるらしいことや、父親がこの年わざわざ帰ってきたことを考えて、主人公が3歳頃のことではないでしょうか。

喜作

 小学校4年生。主人公の隣に住んでいる。
 お盆を故郷で過ごすために父親が帰京している。
 「盆土産」は「派手な色の横縞のTシャツ」「連発花火」であろう。喜作はそれを見せびらかしたくて「独りで畦道をふらついていた。」



*1) 戦後の農地改革

 特に第二次大戦後、1947(昭和22)~50年にかけて GHQ の指令によって行われた日本農業の改革をさす。 不在地主の全貸付地と、在村地主の貸付地の保有限度(都府県で平均一町歩、北海道で四町歩)を超える部分を国家が買収し、小作農に売り渡し自作農化した。当時のインフレ等もあって、ただ同然の値段で買収・売り渡されたのである。

ご存じの方教えて下さい

 主人公の父親を「東京へ出稼ぎに行っている」と授業中に説明することがよくありますが、「出稼ぎ」は一般的に農閑期に寒冷地の農山村から都市圏の建設現場等に働きに出ることを指します。(「出稼ぎに出なくてもよい世の中」を作ろうとしたのが田中角栄ですね。)

 このブログでは、確かに
戦後
高度成長期に父親は東北地方から働き口を求めて都市圏の建設現場に出ていることを紹介しましたが、喜作のところも含めて、通年働きに出ているようです。もし正社員だったら「単身赴任」と言ってもよいと思いますが、少し違うような気がします。

 もし「出稼労働者手帳」を交付されているのだったら「出稼ぎに出ている」と言ってもよいと思うのですが、どうなんでしょう。
東北地方では、盆と正月にしか帰京しない場合も「出稼ぎ」と言うのでしょうか
 ご存じの方教えてください。

この項目については、生徒用に解説したものがあります。
興味のある方は、こちらへどうぞ。


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 『盆土産』の指導事項は、光村図書の指導計画によると、いずれも「C 読む」領域で、次の内容となっています。
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
 これらの力を生徒たちが身につける前に読解の障害となるのは、
 読解の基本となる「いつ(時間設定)」「どこ(空間設定)」「だれ(登場人物設定)」が生徒にとってつかみづらいものになっている点にあります。
 そしてそれ以上に、生徒自身が、自分の経験をもとに解釈してしまうため、よくわかっていないことを生徒自身が意識しにくい点にあります。

 ですから、生徒の素朴な疑問や教師の問いかけによって、
 実はよくわかっていないことを意識化し、正しい知識を与えた上で
 読解に役立ててあげなくてはいけません。

 それは教師の役割です。
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いつ (時間設定 何月何日の話か

 「盆土産」のお盆は「月遅れ盆」だと思います。
 これは、生徒も夏休み中にニュース等で「お盆の帰省ラッシュ」のお盆ですから、わかると思います。
 しかし、8月の何日かをしっかり把握していない生徒も多いのが現状です。この作品の場合は8月13日が迎え盆です。しかし毎年違いますから「今年の場合は」と断りを入れて指導しておきます。

 ちなみに一年生の「大人になれなかった弟たちに……」や、三年生の「挨拶」の授業を行う際に、終戦や原爆投下の年月日を言えない生徒が多いことがあります。夏休み中の話題から、終戦や原爆投下の年月日を押さえておくとよいでしょう。

 このお盆の日付をおさえた上で、この物語は8月の何日から何日の幾日間の物語かを考えさせます。
 実は、この日程を把握していない生徒が相当数います。
 たぶん、登場人物に注意が向いて、時間に関わる叙述にまで意識が向かないのではないかと思います。

 一覧表にまとめさせる等して、しっかり共通理解をもった上で読解を進めたいものです。

 次に、時系列にそった物語の概略を記します。

8月11日(迎え盆前々日)
 日暮れ 父親から速達が届く
 夜   父親、上野駅周辺で冷凍えびフライを買い、夜行列車に乗る。
8月12日(迎え盆 前日)
 朝   主人公、川で雑魚を釣る。
 昼   父親、帰省。
   午後  主人公、あぜ道で喜作に会う。
   夕食  えびフライを食べる。
8月13日(迎え盆)
 朝   父親、今日東京に戻ることを主人公に告げる。
   午後  家族で墓参りに行く。
   夕方  主人公、バス停で父親と別れる。

いつ (時代設定 いつの時代の話か

 この物語を一読すると、生徒は「現代の話ではない」ことに気づきます。
 しかし「いつ頃の話でしょう」と問いかけても、生徒にはわかりません。

 そこで、「どの部分が現代と違うと思いますか」と問いかけます。

 生徒からは「囲炉裏を使っている」「連絡に速達を使っている」(囲炉裏や速達を知らない生徒もいます)等、いろいろ出てくると思います。中には「夜行列車が走っている」(2015年のダイヤ改正により、上野発の夜行列車はなくなりました。)等も出ました。
 たくさん出てくる場合はページを区切って言わせると良いかもしれません。

 ここで大切なのは、生徒の「現代」の感覚です。本人が「現代と違う」と思えばそれで正解なのです。
 ですから、特に発言の少ない生徒を優先的に答えさせ「そうですね」と肯定的に受け止めてあげると良いと思います。

 この中で、当然「登場人物はえびフライを知らない」「えびフライが珍しい」という発言が出てきます。

 えびフライは明治時代から高級洋食としてありましたが、庶民は名前すら知りませんでした。
 えびフライが知られるようになったのは冷凍えびフライが普及して以降となります。
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 冷凍えびフライを販売したのは昭和37年(1962)、加ト吉水産(現テーブルマーク)が最初です。
 現在ではどこのスーパーでも売っている冷凍えびフライですが、発売当時は冷凍庫が普及しておらず、輸送技術も未発達だったので、とても珍しいものでした。

 このことから、この物語の舞台は、

 東京オリンピック開催に向けて高度経済成長のまっただ中、昭和40年前後の話

であることがわかります。

どこ (空間設定

 東北地方です。おそらく青森市周辺だと思われます。

 まず、台詞を教師が範読すれば生徒もわかると思います。是非読んであげてください。

 方言を使う地方に転校した主人公の疎外感が書かれている「花曇りの向こう」(1年)を想起させ、方言について触れることも授業の伏線として大切です。
 方言を使うということが、それまで「えびフライ」と言っていた主人公が父親にうっかり「えんびフライ」と言ってしまう理由を考えるヒントとなります。

 次に、ドライアイスの場面で
  • 東京の上野汚液から近くの町の易までは、夜行でおよそ八時間かかる。それからバスに乗り換えて、村にいちばん近い停留所めで一時間かかる。
という叙述からわかります。

 昭和40年前後、上野駅といえば東北地方の玄関口でした。(当然東北新幹線はまだ通っていません。)
 東北線は「握手」(3年)でルロイ修道士も仙台-上野間を往復していますから、きちんと押さえておくと来年役立ちます。

 上野駅から東北線で夜行列車に乗って八時間かかる場所は青森駅付近です。
 ですから舞台は青森県青森市周辺となります。(作者の故郷である八戸と考えるのが自然でしょう。)

 ちなみに当時東京-青森間を八時間で走った夜行列車は寝台特急で、父親が利用した可能性が高いものは上野21:00発-青森7:50着の「はくつる」か23:00発-9:30着の「ゆうづる」の2本です。
 ですから父親が降りた駅は、青森の手前に違いありません。
hakutsuru-kaya寝台特急はくつる
 おそらく、その日の仕事を終えた父親は、昭和30年頃の8月11日の夜に、まだ閉店前の上野のアメ横でえびフライとドライアイスを買って上野郵便局で速達を出し、寝台特急に乗ったのでしょう。主人公が受け取った「伝票のような紙切れ」とはえびフライの領収書だったのかもしれませんね。


 ここまでで、だいたい2~3時間はかかります。

この項目については、生徒用に解説したものがあります。
興味のある方は、こちらへどうぞ。

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