十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントをおわけします。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

2年

6時間目 なぜ作者は「走れメロス」を書いたのだろう

いよいよ、単元の最後の授業です。
ここまで「走れメロス」を書いた作者の意図を追究してきたのですから、やはりネタばらしが必要でしょう。

作者太宰治の「走れメロス」創作の発端としては、以下の話があります。
  • 懇意にしていた熱海の村上旅館に太宰が入り浸って、いつまでも戻らないので、妻が「きっと良くない生活をしているのでは……」と心配し、太宰の友人である檀一雄に「様子を見て来て欲しい」と依頼した。
  • 往復の交通費と宿代などを持たされ、熱海を訪れた檀を、太宰は大歓迎する。檀を引き止めて連日飲み歩き、とうとう預かってきた金を全て使い切ってしまった。飲み代や宿代も溜まってきたところで太宰は、檀に「宿賃のかたに身代わりになって宿にとどまり自分を待っていてくれと説得し、東京にいる井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。
  • 数日待ってもいっこうに音沙汰もない太宰にしびれを切らした檀が、宿屋と飲み屋に支払いを待ってもらい、井伏のもとに駆けつけると、2人はのん気に将棋を指していた。太宰は今まで散々面倒をかけてきた井伏に、借金の申し出のタイミングがつかめずにいたのであるが、激怒しかけた檀に太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」 と言ったという。
  • 後日、発表された『走れメロス』を読んだ檀は「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」と『小説 太宰治』に書き残している。
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左が太宰治、右が檀一雄

これを簡単に説明し、「メロスは太宰、セリヌンティウスは壇だったのかも知れないね。太宰を待っていた檀と同じように、壇を待たせていた自分もつらかった、壇の信頼に応えるために間に合わなくてもずっと走り続けたのだ、とでも言いたかったのかも知れませんね。」と括ります。
ここで生徒から「ひでえ」「最低」等のブーイングが起こることがあります。

以上は早めに切り上げて、「さて、今回の学習を踏まえて、平成29年度の全国学調の問題にチャレンジしてみましょう」と、用意した問3を15分くらいでやらせます。
そして採点基準を示し、正解を導くためのポイントを説明します。

これは、三年生になったらすぐ実施される全国学調の練習になります。


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5時間目 「もっと恐ろしく大きいもの」とは何か

Ep.1~6で生徒のわかりにくいものはEp.5の「もっと恐ろしく大きいもの」とは何かだと思います。
この疑問をうまく生徒から引き出せれば良いですが、ダメだったらこちらから提示します。

この部分は次のようになっています。
  • それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わないは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ。
一方「人質」では次のようになっています。
  • たとえ遅くなり過ぎても、そして俺が奴に/歓迎される救い手として現れることができなくても、/俺は死んで奴と一緒になるつもりだ。/残忍な暴君に/友が友に対して義務を果たさなかったことを/自慢させてなるものか。/暴君には二人を犠牲として殺させ、/そして愛と誠を信じさせてやるのだ。
「人質」では、走る目的は王に「愛と誠を信じさせてやる」ためです。
そのためにメロスは、間に合おうと間に合うまいと死を前提にして走ります。

一方「走れメロス」は「信じられているから走るのだ」と説明しています。
直前の「それだから」は、メフィストラトスの語った「メロスは来ますとだけ答え、強い信念を持ち続けている様子」を指します。

友に「メロスは(間に合っても間に合わなくても必ず)来ます」と信じられているから自分はその信頼を裏切らないために走るのだ、ということです。

この友から信頼されているということが「もっと恐ろしく大きいもの」でしょう。

約束を守り刻限までに刑場に戻るという結果ではなく、約束を守ろうとした気持ちこそが大切である、という主張です。
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この内容は、一人一人に考えをまとめさせ、グループ→全体と検討を進めていけば、授業前半で到達する内容かと思います。

そこで

「なぜフィロストラトスをメロスの家の執事からセリヌンティウスの弟子にしたんだろうね。」

と問いかけます。これはノーヒントです。

しかしクラスの中の数人は

「執事だったらメロスに『結果はわかっているから走るのをやめろ』というのは当たり前。セリヌンティウスの側の人間にそれを言わせたかったのではないか。」

と気づきます。
この気づきがクラスに自然と広がり納得していく場面が授業の見所となるでしょう。

時間をかければ気づくと思いますが、時間が足りないようでしたら「もし直前の直前の台詞が、メロスの執事が行ったとしたらどうかな?」とヒントを出しても良いでしょう。

時間が余れば「信じられているから行動する」という視点から、それぞれのエピソードを関連付けるとよいでしょう。

そして最後に、「最初メロスは身代わりの友を助けるという結果を出すために走ったけれど、最後には信頼されているから走るという気持ちにかわった、ということを作者は書きたかったんだね」とまとめます。


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3時間目 シラーの「人質」読み、学習問題をもつ

「前の時間に、たくさんの謎を発見しましたが、この謎を解き明かしていきましょう。実はこの文章には元ネタがあります。この元ネタと『走れメロス』を比べて、なぜ作者は元ネタをこのように書き換えたのか考えていきましょう」と提案し、やはり行番号をつけた「人質」を配ります。
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まず「人質」の最初の連「暴君ディオニソス王にダモンは~『お前はその短剣で何をしようとしたのだ、話せ!』」を読み、「走れメロス」のどこがそれにあたるか、傍線を引かせます。

全員がそれができたのを確かめ、ゆっくりと「人質」を読みながら「走れメロス」に傍線を引かせていきます。

全文を読み通したら、感想を発表させます。
当然「そっくりだ」という感想の他に「なぜ書き加えたり変えたりしたのだろう」という疑問が出されるでしょう。

そこでグループで、作者が書き加えた内容と書き改めた内容を確認させ、発表させます。

書き加えられたり書き改められたりした内容は以下の通りです。
  1. メロスが暗殺を企てる動機=王は「人を信ずることができぬ」ろいう理由で粛清を行う。
  2. メロスと王のやりとり1=「人の心」を疑うVS疑わない
  3. メロスと王のやりとり2=メロスの約束に対する王の気持ち
  4. 妹の結婚式=メロスの葛藤
  5. メロスの出発=「人の信実の存するところを見せてやろう」
  6. 濁流と山賊=「愛と誠の偉大な力」
  7. 眠るメロス=約束不履行に対する言い訳
  8. 清水=義務遂行の希望から行動へ
  9. フィロストラトスとの会話=「もっと恐ろしく大きいもののために走っている」
  10. 刑場=互いの頬を殴り合う
  11. 終末=メロスの赤面
これらを時系列に沿って板書していきますが、全部出てこなくてもかまいません。
「作者はなぜこのように書き足したり書き加えたりしたのか」という問いは、感想発表の段階で出てくればよいのですが、もし出てこなければ「なぜこう書いたんだろうね」と問いかけ、意識づけていきます。

この段階では1~11まで、どのような内容なのかの共通認識は持っていません。
次の時間に「『走れメロス』を『人質』と比べることで、『走れメロス』の謎を解き明かしていこう」と予告して授業を終わります。

4時間目 「走れメロス」と「人質」を比較し、作者の意図を考える

 1~11の場面は、いくつかのエピソードとして以下のように統合することができます。
  • Ep.1 1~3 メロスと王=対比
  • Ep.2 4~5 妹の結婚式=メロスの決意に至る逡巡
  • Ep.3 6    濁流と山賊=外的阻害要因
  • Ep.4 7~8 悪い夢=内的阻害要因
  • Ep.5 9    フィロストラトスとの会話=走る目的
  • Ep.6 10    互いの頬を殴り合う=信実
これ班の数によってまとめたものです。

意図的に11は入れてありません。班の数の都合もありましたが、物語の展開から唐突な感じがするからです。
だいたい少女は、王の宣伝のために集められた民衆の一人です。それまでの細かなメロスの心情の経緯などわかりっこありません。
作者は何らかの意図があってこのエピソードを書き加えたのだと思いますが、それを論証することは難しいでしょう。
中世でマントは権威の象徴で、緋色のマントを羽織った皇帝の肖像が残されています。
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緋のマントを着たディオニシス2世とダモクレス

赤はもともと神聖な意味を持った色とされていました。(今では共産主義の色ですね。)ですからメロス=英雄というイメージを持たせたかったのかも知れません。
もっとも「緋色」と訳されるスカーレットは枢機卿の色であると同時に、淫婦や姦通の象徴でもあるそうです。
「英雄メロスが無位無冠であるのが恥ずかしいので権威を持たせたかった」という解釈ならまだいいのですが、「少女は尻軽女だった」というトンデモ解釈に陥らないためにも生徒には追究させたくありません。

それぞれの班にエピソードを割り振り、まず一人一人で次にグループで、「どんな違いがあるのか、言葉に注意して傍線をひきながら細かくチェックし、なぜ書き加えたり書き直したりしたのだろう。考えてみよう」と仮説をたてさせます。

そして「『走れメロス』はこう書いてあるが、『人質』はこうなっている(書かれていない)。これは、作者にこのような意図があったためだと思う」というようにまとめさせ、発表させます。

この発表を聞きながら、ストーリーに沿って板書していきます。
だいたい次のような内容になると思います。
  • Ep.1 「人の心」に対し、メロスは疑わない、王は疑う、という性格の違いをはっきりさせている。
  • Ep.2 刑場に戻ることを迷う心の葛藤と、それを振り切って「信実」を示そうとする自分は「偉い男」で周囲は「誇り」に思うべきだという、メロスの自己陶酔的な性格をはっきりさせている。
  • Ep.3 濁流や山賊などの外的要因に対して、「愛と誠」「正義」は負けなかったことを示している。
  • Ep.4 疲労によって生じた心の弱さから、「自分は醜い裏切り者だ」と考えたことを強調している。
  • Ep.5 フィロストラトスがメロスの家令からセリヌンティウスの弟子になっている。また、メロスが走る理由を、「人質」では遅れても自分も死ぬことで王に「愛と誠を信じさせてやる」というのが目的であるのに対し「走れメロス」では「もっと恐ろしく大きいもののために走っている」となっている。
  • Ep.6 一度は「信実」を裏切った二人は、互いを罰することにより赦しあったことを示している。
この通り出てくることは少ないと思います。しかしそれはそれでかまいません。
生徒の考えのままエピソード順に板書していきます。

大切なことは複数のテキストを読み、抽出した要素から一つの結論を出す「考える力」を育てることなのです。


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「走れメロス」は指導時間6時間の単元です。指導事項は、次のようになっています。

  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
言語活動例として、次のものがあがっています。
  • ア 詩歌や物語などを読み、内容や表現の仕方について感想を交流すること。
これだけトンデモ設定てんこ盛りの小説ですから、テキストをもとに主題や人物の心情等を読解・追究させることはためらわれます。
特に、きっちり読めば読むほど主人公の性格・行動は異常ですから、道徳的な文言を単元のゴールに入れるのは絶対に避けたいと考えます。

「走れメロス」は、原本の末尾に「古伝説とレシレルの詩から」とあるように元ネタがあります。「レシレルの詩」とはシラーの詩「人質」のことです。これは指導書にも載っています。そこで、この「人質」と比較しながら読むことを通し、作者が書き加えた内容・書き改めた内容から作者の意図を考える単元展開を考えました。

1 全文を通読し、感想をもつ

「走れメロス」全文に行番号をつけたものを印刷し、範読します。
行番号をつけるのは、その後の授業で、どこのことを行っているのか共通に理解するためです。
範読するのは、この作品の、テンポが良くたたみかけるような表現や、演劇的な台詞回しを生徒に感じさせるためです。
私は講談師のイメージで、部分的にはラジオドラマ風に読み聞かせています。
解説しながらゆっくり演ずると、授業の半分以上はそれで終わってしまいます。
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この読み聞かせを終わると、初発の感想を書かせます。
場面の緊張感やメロスの心情が伝わるように演劇的な読み聞かせを行うのですから、メロスに否定的な感想を持つ生徒はほとんどいません。
これを書かせて発表させ、一時間が終わります。

2 「走れメロス」を批判的に読み、疑問点を出し合う

授業の最初に「『走れメロス』を読んで、疑問に思ったこと、もっと知りたいことはないか」と問います。

最初から疑問等が出てこなくてもかまいません。
出てきたら「そうだね、よく気がついたね」と板書しておきます。

「他にも、同じ2年生でこの話に疑問をもった人がいるんだよね」と行って、「算数・数学の自由研究」作品コンクール(理数教育研究所 2013)の「メロスの全力を検証」を配布します。

ここに書かれているのは、メロスは全力で走ってなどいない、という内容です。
黙って読ませ、内容をおさえながら論旨をまとめます。

そして「『走れメロス』は、今まで学習してきた文学的文章よりもずいぶんとツッコミどころがある作品だと言われています。自分たちも、そのおかしなことを探してみましょう」と考えさせます。
前時に配布したプリントに傍線を引かせ、その箇所を疑問や矛盾とともに発表させます。

するとさまざまな疑問や矛盾点が出てきますから、これらは「謎」としてしっかり取り上げます。
この中に「メロスはなぜ走り通したか」や「なぜ王様は改心したか」など、主題に関わる疑問も出てきます。
これらはきちんと取り上げ「これは大切な疑問だから、単元の最後までしっかりとっておいてね」と全員に伝えます。

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更に「走れメロス」の登場人物も、つっこみ所満載です。

1 アブナイあんちゃん メロス

もし今の日本で、世情に疎く世論の動向などにまったく関心がない若者が、一人の老人の「国の指導者は人殺しだ」「自分の周囲の人間を次々と粛清している」という言葉を聞いただけで、暗殺を思いつき、その足でホームセンターで刃物を買い求め、のこのこ官邸に乗り込んだ人間がいたとしたらどう思いますか。
メロスがやったことは、これと同じです。メロスは一般の常識をわきまえない危険人物です。
更に、妹の結婚式を「間近だ」と勝手に決めてしまったり、承諾も得ずにセリヌンティウスを人質として差し出したり、極めて自己中心的な性格な行動を平気でとっています。
ところが困ったことに、自分を「偉い男」「弟になったことを誇ってくれ」と言い、自分に「正義」があると言ってはばかりません。自意識過剰で自尊心が高く、ほとんど自己陶酔の世界に陥っています。

ほとんど疾病レベルの超アブナイあんちゃんだと言えます。
緋のマントを捧げた少女には「考え直せ」と言ってあげたいと思います。

2 一番得をしたのはディオニス王
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王は、妹婿によるクーデター計画により人間不信に陥り周囲の者を次々と粛清し、そのために世論は離れ支持率最低の状況です。
自身もストレス過多で不健康ですから、愚かではない王は、早晩自分の王朝が滅亡するかもしれないことを悟っていたかもしれません。悪循環に陥っています。

そんな王がメロスにしたことは、人質をとることで自分を暗殺しようとしたメロスを放免し、もし帰ってきたら人質を解放し処刑する、という裁定を下しただけです。
今の刑法では殺人未遂及び内乱罪ですから死刑にまではならないと思いますが、当時の常識として、王は即座にメロスを処刑しても当然だったと思います。(ついでに連座制が適応されるなら、妹や妹婿も死刑だったでしょう。メロスは結婚式をあげさせたら即妹を離縁すべきでした。)

そうしなかったのは、自分の主張が正当であることの宣伝材料とし、世論に訴えるためです。
そのために、事件の経緯を公表し自分の主張が正しいと宣伝するために刑場に民衆を集めたのでしょう。
ですからこの目論見に失敗した王は、帰ってきたメロスを
「なるほどお前が約束どおり帰ってきた。ならば私も約束を守ろう。お前を縛り首にする。」
と言って、さらっと始末してしまうことができました。

ところが王はメロスを許してしまいます。
しかし、これにより結果的に民衆から「王様万歳」と叫ばれます。
世論は一気に好意的なものとなり、支持率も急上昇したわけです。
王が支払ったリスクは「わしの心に勝ったのだ」と敗北宣言をし罪を赦したくらいで、他には何も失っていません。ローリスク・ハイリターンの極みです。

ディオニス王にとって、世論の圧倒的支持を得たということは、これ以上ないくらいの幸運な結末です。どこかの国の首相もきっとうらやましく思っていることでしょう。

3 セリヌンティウスは聖人君子

メロスの友人セリヌンティウスは、最後の場面で三日間で一度だけメロスを疑ったので自分を殴れ、と言います。
それはメロスが直前に「途中で一度、悪い夢を見た」から殴れ、と言ったからです。

そもそもメロスが「悪い夢」を見たのは一度だけでしょうか。

メロスは結婚式で「あの約束をさえ忘れ」、「このままここにいたい」と願います。
出発してからも「幾度か、立ち止まりそう」になります。
「未練の情」てんこ盛りのメロスです。
ところがメロスは、しれっと川を泳ぎ切って倒れた時のことしか言っていません。
この時は疲れ切って昏睡状態であったために思わず本音が顔を出したようにも読めます。

セリヌンティウスがメロスのことを本当に理解していた「親友」なら、メロスは迷わずに戻って来るなどとは考えないはずです。
きっとメロスは迷うだろう、迷っても結局は来ようとする気持ちはあったに違いない、でも何か理屈をつけて戻らなかったとしても、それはそれでメロスらしいな、と考えたはずです。
だいたい相談もなく自分を人質に差し出してしまうご都合主義のメロスです。おそらく「メロスが戻ってこなくて自分が死刑になってもしょうがないや」と諦めていたのかも知れませんね。

ところがメロスは処刑場に戻り、しゃぁしゃぁと「一度」と言ってのけます。
「ウソだろ」と思いながらも、自分も調子を合わせて「一度だけ」と言い、黙って殴られるセリヌンティウスです。

寡黙で、友のために死を覚悟してためらわないセリヌンティウスは、聖人君子か仏様のような人間だと思います。
こんなすばらしい友人を、どうやってあのメロスがキープできたのか、物語最大の謎だと思います。

4 謎の人フィロストラトス

セリヌンティウスの弟子を名乗るフィロストラトスは、王城間近に迫るメロスに近づき「走るのはやめてください」と言います。これはとても不思議な行動です。

フィロストラトスはセリヌンティウスが刑場に引き出されて以降の一部始終を見ていたはずです。
もし本当にセリヌンティウスの弟子ならば、なぜ師匠が処刑される瞬間までそこに留まらなかったのでしょう。
彼は途中で刑場から抜け出し、どこへ行こうとしたのでしょう。
そしてメロスに出会い、師匠が処刑から免れる唯一の手段=メロスが刑場に行くことをやめるように言ったのでしょう。
更に「ついてこい」とメロスに言われた後、彼はどこへ行ってしまったのでしょう。もしついてきたのなら、人混みをかき分ける手助けくらいはしたはずです。

シラーの詩では、セリヌンティウスはメロス家の執事もしくは家令に設定されています。
それならば彼の言葉は納得できますが……もし『走れメロス』の後日譚を書くのだったら、彼をメインに据えたいところです。

次回から、実際にどのように授業を展開するか説明します。
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「走れメロス」は、教材研究をすればすぐにわかるように、設定の矛盾がいたるところにある作品です。
この点からすると入試問題にはまず出題されない部類の小説ではないかと思います。

またこれは、道徳の教材ではありません。
国語の授業としてどのように成立させるかが学習のポイントとなります。

国語の学習では、テキストをどのように料理するかがポイントです。
そこでまず、素材としての「走れメロス」を分析してみましょう。
ダウンロード

「走れメロス」の矛盾点

1 メロスは走っていない

「算数・数学の自由研究」作品コンクール(理数教育研究所 2013)に入賞した「メロスの全力を検証」という中学2年生の研究では、作品内の記述をもとにメロスの平均移動速度を算出し、その結果「メロスはまったく走っていない」という結論を得ました。(PDFはこちらからダウンロードできます。)
私の計算でも、川を泳いだり眠ったりしなかった往路の移動速度は小学校低学年並みで、復路後半も小学校高学年の遠足以上、中学生の競歩大会未満の速度でした。

2 妹の結婚式の予定が食い違っている

メロスは妹の結婚式の食材調達のためにシラクスの町にやってきます。初夏(立夏から芒種の前日まですから6月頃)の話です。
一方「妹の婿」は「明日結婚式を挙げてくれ」というメロスに、準備が出来ていないという理由で「ぶどうの季節まで」待って欲しいと言っています。ぶどうの季節はどんなに早くても9月以降でしょう。
ギリシア時代の結婚は夫と花嫁の後見人との契約により成立しました。このような事件がなかったとしたら、いつ結婚式をあげるはずだったのでしょう。
夫である牧人と、花嫁の後見人であるメロスとは、結婚をあげる時期に共通の認識がなかったようです。どちらかが勝手な思い込みで行動していたとしか思えません。

「走れメロス」から見える事情

1 ディオニス王朝はいずれ近いうちに滅亡する

王は王妹の婿、王太子、王妹、王妹の子、皇后、臣下の順に粛清しました。
この順番から、王妹の婿が王太子をそそのかし王を殺害、実権を握ろうとクーデターを計画したと王は考えていたのではないかと思われます。
もし王妹の婿が本当にクーデターを企てていたのなら、王が極度の人間不信に陥ったとしても不思議ではありません。クーデター計画が本当にあったかどうかはわかりませんが、いずれにせよ王は疑心暗鬼になり粛清を繰り返しているのではないでしょうか。
この行き過ぎた行動に対して世論の反発が強まっています。その中で、王は現在ストレス過多となり、顔色がわるくなっています。健康が思わしくないのです。
早晩、王が健康を損なった時、求心力は一気に弱まります。
するとクーデターが起こる可能性が極めて高くなるでしょう。その結果、早晩王は暗殺されるか、良くても国外追放となり、王位継承者のいないディオニス王朝は滅亡するはずです。(モデルとなった王は息子に暗殺され、王位を継いだ息子も義弟により国外追放となっています。)
弟や従兄弟を殺し三代目に源氏の血が途絶える原因を作った源頼朝と同じですね。
メロスは、別に王を暗殺しなくても、数年後には「生かしておけぬ」という彼の願いは実現したはずです。

2 この年は異常気象である

地中海性気候の土地が物語の舞台です。
地中海性気候では、冬には一定の降雨がありますが、初夏には雨が降らず乾燥しています。だからオリーブやブドウなどの栽培が盛んなのです。
ところが物語では初夏に大雨が降り、川は氾濫し、橋が流されています。災害レベルの豪雨と言えます。
婿となる牧人は「ぶどうの季節」を待つ以前に、今年はブドウが収穫できるか心配した方がよいと思います。

次回は「走れメロス」の舞台設定の謎です。

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もうすぐクリスマスです。クリスマスといえばキリストの降誕祭(誕生した日を祝う祭……誕生日とは違います)です。
一方、キリストが十字架にかけられたことをお祭りするのは、春分の日の後の満月直後の金曜日で、グッドフライデーと呼ばれます。そして、その三日後はイースターと呼ばれ、キリストが復活した日で、キリスト教において最も重要な祝日の一つです。イースターエッグは、ひよこが卵の殻を破って出てくる姿が、キリストの蘇りを象徴しているそうです。

最後の晩餐は、キリストが処刑される前夜に行われたので、グッドフライデーの前日の木曜日、ということになります。
誕生した日も十字架にかけられた日も、長い冬が終わり温かな春の訪れを告げる春分の日と関わりがあります。
まあ、「君は『最後の晩餐』を知っているか」は、別にクリスマスともイースターとも関係ありませんが、時期的な話題としては面白いと思います。

しかしそれ以上に、現場で国語の授業は書き初めや文法等のやり残しの指導に追われたり、通知表の作成や進路指導に追われたりしているというのが正解ではないでしょうか。個人的には、そろそろ年賀状も作らないといけませんしね。

いずれにせよ、この教材を4時間で終わりにするのは、とても難しいと思います。

ダヴィンチの『最後の晩餐』に対し、筆者は何を、どのように評論しているのかを読解することを通し、説明的文章の読解能力を高めるのが目的です。

つけたい力は、前にも述べたとおり、

  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
  • エ 文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。
です。
4時間という縛りにとらわれると、「構図」「解剖学」「遠近法」「明暗法」などの用語に目を奪われ、筆者が主張したい「かっこいい」「本当の魅力」「ドラマティック」などの「抽象的な概念」を軽く扱うことになりがちです。

私はまず、導入部第4段落「なぜか『かっこいい。』と思った」に注目させ、「かっこいい」と思った理由を説明する評論文であることをおさえます。そして全文を通読させ、「なぜ『かっこいい』と思ったのか」わかる部分を探させます。(1時間目)

次の時間は、生徒が探してきた部分を発表させます。「かっこいい」という語が出てくるのは、第16段落「これが『最後の晩餐』を『かっこいい』と思わせる一つの要因だろう。」と第19段落「だから、いきなり『かっこいい。』と思えるのだ。」の二箇所ですから、生徒の意識はこの二文に集中します。このどちらが「かっこいい」と思った理由として適切であるかを考えさせます。
とうぜんこの過程で、文章中の位置や、「一つの要因だろう」と「思えるのだ」という文末表現などが問題になると思います。この中で、結論は文章の最後の方にあり、断定した言い方をすることが多いことを抑え、更にそれを確かめるために文頭の「だから」や「これが」の内容を考えさせます。(2時間目)

そして、それぞれ指示語の指し示す内容や、同義の表現などを逐っていく中で、筆者の主張が理解していきます。
構造図

ここで大切なのは筆者の意図を理解することではありません。
何を説明しようとしているのかを理解し、指示語や同義の表現などを逐っていくという評論文の「読み方」を身につけさせていくのが本単元のねらいなのです。(3時間目)

たった3時間で、単元のねらいを達成できる生徒は少ないと思います。
そこで最後に、実際の問題を解かせて、ねらいの達成を図ります。単元プリントでは不十分ですので、自作のプリントをやらせます。(4時間目)
・・・・・・・・・・・・・・・
実際に授業で使用したプリントをBOOTHにておわけいたします。
よろしければご利用ください。

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第19段落に「だから、いきなり『かっこいい。』と思えるのだ。」とあります。

第4段落の「なぜか『かっこいい。』と思った。」に対応する部分です。
「かっこいい」と思った理由が第5段落以降の本論であり、この第19段落が結論部分といえるでしょう。

単純に考えると「だから」の直前「つまり、レオナルドが絵画の科学を駆使して表現したものが、とてもよく見えてくる」から「かっこいい」と思えると筆者は言っています。

ここでいう「絵画の科学」とは第3段落で言う「解剖学」「遠近法」「明暗法」「など」ですが、これを駆使して描いたから「かっこいい」と思ったのではありません。
「絵画の科学を駆使して表現したものが、とてもよく見えてくる」から「かっこいい」と思ったのです。

では「絵画の科学を駆使して表現したもの」とは何でしょう。

この文に「つまり」とありますから、この文は直前部分「絵の構図がもっている画家の意図」を言い換えたものです。
ですから、第19段落の最後の部分をまとめると、次のようになります。
  • 絵画の科学を駆使して表現しようとした、絵の構図が持っている画家の意図がとてもよく見えてくるので「かっこいい。」と思える。
つまり筆者は「絵画の科学を駆使したことがかっこいい」と言っているのではなく、「画家の意図を、絵画の科学を駆使して表現していることがかっこいい」と言っているのです。

ですから、第19段落を要約すると、次のようになります。
  • 細部が落ちて消えてなくなっているため、絵の構図(絵の全体)がよく見えるようになり、絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図がはっきりわかるようになったので「かっこいい」と思える。
このあたりは、単元プリントなどの解答には若干疑問符がつくものがありますから、注意してください。

では「画家の意図」とは何でしょう。

「絵の構図がもっている」ものとは「そこ(『最後の晩餐』)に描かれた人物たちの物語を、ドラマティックに演出」(第13段落)することです。
キリストと12使徒の最後の晩餐の場面を生き生きと表現することだけでなく、それがまるで観客(修道士たち)の目の前で演じられる舞台のように感じさせようとする、ダヴィンチの舞台監督のような意図だと筆者は言っているようです。

つまり「解剖学」手のポーズはもとより「顔の表情や容貌」(第11段落)、動作等「一人一人の心の内面までもえぐるように描く」ため手段であり、「遠近法」や「光の明暗」も「あたかも本物の食堂の延長にあるようにすら見える」(第14段落)ための手段に過ぎないのです。

この反証が第20段落です。完成当初は細部の描き込みに圧倒されたために「本当の魅力=絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図」が見えなかっただろう、と言っています。
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第20段落末の「レオナルドが描きたかったのは『それ』なのだ」の「それ」とは、「そのような『全体』」であり、「ぼんやりした形の連なり」です。そこに「この絵が持っている本当の魅力」があると言っています。
そして「本当の魅力」とは、聖書における最後の晩餐の一瞬を登場人物のドラマとして生き生きと描き、修道士たちを「まるでキリストたちといっしょに晩餐をしているかのような気持ち」(第16段落)にさせることです。

この評論文は、「絵画の科学」が「画家の意図」を実現させる手段として成功しており、そこが「かっこいい」のだ、と言っているのではないでしょうか。
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第12段落以降は「最後の晩餐」の「遠近法」と「明暗法」の説明です。

遠近法
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遠近法は、イラストなどではバースとも言われる描法です、
第12段落で述べられている通り「遠くにいくにつれて小さく描く」書き方は「線遠近法」と言われます。

他にも遠くに行くほど色が薄くなる「空気遠近法」や、ものの重なりにより遠い近いを示す「畳重遠近法」などがあります。

遠近法を用いて描くと、その絵は「奥行きが感じられるように」なります。

そして『最後の晩餐』では小さく描いていく比率を、実際に見える比率と同じにしてあるため、第14段落「壁に描かれた部屋は、あたかも本物の食堂の延長にあるように」見えるのです。
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線遠近法には消失点があります。「最後の晩餐」で用いられているのは一点透視図法です。
最近では消失点が二つある二視点透視画法というのがあって、目の錯覚を利用して空間を広く見せる技法がイラストやアニメで用いられています。
ダヴィンチの時代にはこの技法はありませんでした。

マンガなどに集中線というものがあります。
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消失点というのは、集中線の集中するところでもあります。
『最後の晩餐』の消失点に集中線をあわせてみると、イエスに注目が集まることがよくわかります。

マンガではありませんから、集中線を書き込むわけではありません。
ダヴィンチは遠近法の消失点を利用して中心人物を際立たせようとしているのです。
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明暗法と「光の効果」

明暗法は、キアロスクーロとも言われる技法で、明暗のコントラスト(対比)により、明暗を少しずつ変化させて立体感や量感を出したり、明るい人物の周囲を暗い背景にすることにより人物を際立たせたりする技法です。

『最後の晩餐』の場合は、イエスの背景をあえて明るくすることで、イエスの姿をくっきりと浮かび上がらせ、イエスの主人公感が高まっています。

しかし「明暗法」は第3段落に登場する言葉で、第14段落には「光の効果」、第15段落には「光の明暗の効果」と微妙に違う表現をしています。なぜでしょう。

第14段落以降で筆者が説明しようとしている内容は、対比的に明暗を描き分けるという意味での「明暗法」とは微妙に違うからです。

『最後の晩餐』に「描かれた部屋の明暗」は、実際の「食堂の窓から差し込む現実の光の方向と合致」させてあり、それによって、見る人は「壁に描かれた部屋は、あたかも本物の食堂の延長にあるように」錯覚してしまう。それをダヴィンチは計算して描いたのだ、と筆者は言っているのです。

このため14段落以降では、あえて立体感や量感を出したり中心となるものを際立たせたりするために用いる「明暗法」という言葉を使わなかったのだと思います。

筆者は芸術学者ですから、ひょっとしたら「明暗法」にはこういう使い方があるのかも知れません。

いずれにせよ、ダヴィンチは修道院の食堂で食事をする修道士達が「まるでキリストたちといっしょに食事をしているような気持ち」(第15段落)になるように計算して、食堂の壁に「最後の晩餐」を描いたのだ、と筆者は主張しているのです。
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筆者は、解剖学に基づいて描かれたダヴィンチの『最後の晩餐』の手の描写を「手のポーズの見本帳」「心の動きの見本帳」と言い「弟子達の動揺」を表現していると言っています。

さらっと言っていますが、生徒には具体的にはわからないでしょう。

キリストを中心にして、右側に顔の出ている人物から見ていきましょう。

トマス(イエスの右隣)
聖書では、情熱はあるがイエスの真意を理解せず少しずれている人物として描かれています。イエスが復活した時も、他の弟子たちの言葉を信じないで、実際にイエスに会ったとき、ロンギヌスの槍でつかれたイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んでその身体を確かめたとも言われていることから「疑い深いトマス」とも言われています。
右手の指を一本立てていますが、これは「裏切り者は一人だけですか」とイエスに聞いていると解釈されていますが、イエスの復活の際にわき腹の傷に指を差し込んだことを暗示しているとも言われています。

大ヤコブ(イエスの右二人目)
「雷の子」と呼ばれるくらい激しい性格とされる彼は、両手を広げ大げさな身振りで驚きを表現しています。隣のトマスの表情と比べてみると、その性格の違いがはっきり出ています。

トマス・大ヤコブトマスと大ヤコブ

フィリポ(イエスの右三人目)
胸に手をあてて「まさか私ではないでしょうね」とでも言うように、イエスに何か訴えかけています。

フィリポフィリポ

マタイ・ユダ・シモン(イエスの右四~六人目)
三人とも手のひらを上に向けています。この三人は互いに顔を見合わせ、何か話しています。イエスから一番離れた場所ですから、キリストの言葉がはっきり聞こえず「今、主は何とおっしゃったのか?」と問い合っている姿に見えます。

ヨハネ(イエスの左一人目)
聖書に「イエスの最も愛した弟子」とされている人で、「黙示録」を残しました。聖書で彼はイエスに寄りかかっており、彼が「この中に裏切り者がいる」と言ったとき「それは誰ですか」と尋ねたとされています。ダヴィンチの絵はこの直後の状態を描いたものなのかも知れません。隣のペドロが何か話しかけ、彼は両手を組み合わせています。ペドロの話を静かに聞いているようです。

ペトロ(イエスの左二人目)
ペトロは12使徒のリーダーです。彼は立ち上がり、左手でイエスを指さし、右手はナイフを持って腰にあてています。「裏切り者は殺してやりましょう」と言っているのでしょうか。彼はイエスが捕らえられるときに、追っ手の耳をナイフで切り落としています。

ユダ(イエスの左三人目)
裏切りがバレていることがわかったユダの右手には、裏切りの代償として受け取った銀貨三十枚を入れた袋が握りしめられています。
ペトロ・ユダ・ヨハネヨハネ・ペテロ・ユダ

アンデレ(イエスの左四人目)
両手を胸のあたりにあげた、驚きの手です。
ヤコブ・アンデレアンデレと小ヤコブ

小ヤコブ(イエスの左五人目)
左手を伸ばしています。ペトロに「ちょっと待て」と言っているようにも、ユダを指さして「こいつです」と言っているようにも見えます。

パルトロマイ(イエスの左六人目)
テーブルに両手をつき、立ち上がった姿です。イエスから遠い位置にいるのでよく聞き取れず思わず立ち上がったのでしょうか、それとも「なんだと!」と立ち上がったのでしょうか。

ざっと見てみましたが、これを教科書の挿絵をみながら解説させるより、生徒を13人並ばせてポーズをとらせ、どんな気持ちか説明させるのが手っ取り早いでしょう。

それまでの『最後の晩餐』は宗教画として聖書の説明のために描かれたものでした。
ですからここに描かれた十二使徒たちは皆キリスト教の「聖人」です。ダヴィンチは驚きや怒り、悲しみを持つ生身の人間として描こうとしたのです。
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