十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

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3年

光村の指導書を見ると、
「古今和歌集仮名序」と「君待つと」を合わせて3時間で扱うことになっています。
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おいおい、ちょっと待ってくれ、
そんな短い時間で、教科書の載っている和歌を教えられるわけないじゃん、
と言いたいですね。

そこで、よくある指導は、
生徒に好きな短歌を調べさせ、発表させる、というものです。

しかしこの方法はなかなかうまくいきません。

自分の発表はそれなりにやりますが、人の発表はそんなに真剣に聞かないからです。
もしグループでやらせるとなると、
グループの誰かに任せてしまって、まったくやらない生徒も出てきます。
ダウンロード
一人一人にレポートを出させて、それをまとめようとしても、
この受験に向けて総合テストの対策に忙しいこの時期に、
やってられない、というのが3年生の気持ちでしょう。

私たちだって和歌の学習に何時間もかけてはいられない、というのが本音です。
3年生の気持ちであると思います。

そこで、私はこの単元を次のように指導しています。

1時間目

まず、教科書に載っている和歌を一枚の紙にまとめ、全部すらすら読めるまで音読させます。

次に「歌はもともとシャウト(感情のほとばしり)である」といい、
♡の気持ちがこもっている歌はどれだろう」と問い、一人一人に紙に印をつけさせてから、
グループ毎に話し合わせ、グループとしての見解をまとめさせます。

間違いなく上がるのは額田王「君待つと」、東歌「多摩川に」でしょう。

意見の分かれるのは防人歌「父母が」、大伴家持「春の園」、小野小町「思ひつつ」だと思います。

ここで「♡の歌」と言ったのは、
男女の恋愛を歌った歌と、親子の情愛を詠った歌とをわざとあいまいにするためです。

「♡の歌」に入れても良いものはどれか。なぜそう考えるのか、
これを言わせることを通し、
歌の理解を深めると共に、
生徒なりの「部立て」(和歌の分類)を行わせようというのです。

話し合いを進める中で
「♡は、恋愛の歌と親子の情愛の歌に分かれるんじゃないの?」と生徒は考えます。
出てこなかったら、こちらから言ってしまってもかまいません。

そして

「♡マークは、男女の恋愛の歌と、親子の情愛の歌に分かれたね。
では他の歌は、どのように分類できるか、次の時間までに考えてきてください」

と言って、一時間を終わります。

2時間目

2時間目は、生徒が考えてきた分類に従って分けていきます。

これは、原典に基づいた正式な「部立て」である必要はありません。
大切なことは、和歌で読まれた内容のおおよそを生徒が自力で理解していくことなのです。

和歌が単独で高校入試に出題されることは、あまりないと思います。
出題されるとすれば、歌物語として出題されるでしょう。

そこで、その対策として私は、かつて教科書に載っていた「伊勢物語」で指導をしています。
興味のある方はこちらからどうぞ。

生徒たちは、
  • 景色を詠んだ歌
  • 季節を詠んだ歌
  • ♡マーク以外の人情を詠んだ歌
などを考えてくると思います。
あくまでも生徒が考えたもので良いのです。

その中で、生徒の考える分類に従いながら、

「その通りですね。そこでプチ知識として~」と、正確な知識を与えていきます。

例えば
柿本人麻呂「東の」は実はヨイショの歌だったとか、
山上憶良「憶良らは」は宴会で場を盛り上げるための歌だったとか、
紀貫之「人はいさ」は冗談の言い合いの歌だったとか……。

これをやっていると、1時間などすぐに過ぎてしまいます。

そして最後の一時間は、和歌から連歌、俳諧、俳句に連なる日本文学史の復習と、韻文の技法の復習をやっておしまいにします。

時期的に言うと、
統一模試も佳境に入り、最後の総合テストも間近な時期でしょう。
生徒がなるべく受験に集中できるように、
そして一点でもたくさん点がとれるように指導していくのが功徳だと思います。

「シカの『落ち穂拾い』」の学習プリントを作成しました。
興味のある方はこちらへどうぞ。
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中学3年の国語に森鴎外の「高瀬舟」という作品が載っています。
images (6)© 日本文学シネマ制作委員会
  • 弟殺しで遠島の刑を受けた罪人・喜助を船で護送する役目を担った同心・羽田庄兵衛は、喜助の様子の常の罪人らしからぬ明るい様子を不思議に思いました。興味を持って話しかけた庄兵衛に喜助が物語ったその話の内容に、庄兵衛は納得すると共に感心の念さえ覚えてしまいます。さらにその犯した罪について話した喜助の身の上は、庄兵衛の心に捉えどころのない、そしてやり場のない思いと疑問を生じさせるものだった、
という話です。

喜助が犯した罪とは、病気を苦にカミソリ自殺を図った弟からカミソリを抜くことで結果的に弟を殺してしまったというものでした。

生徒は、遠島となった喜助に
  •  弟が苦しんでいるのを楽にしようとしてやったのに……
  •  弟に『殺してくれ』と言われて見るに見かねてやったのに……
と、主人公庄兵衛と同じような感想を持ちます。

現在の法律によれば喜助は、
「同意殺人罪により有罪。情状酌量により懲役2年執行猶予1年」の判決になるそうです。

同意殺人罪(刑法202条)は殺人罪の仲間ですが、殺人罪より少し罪が軽く、6ヶ月以上7年以下の懲役又は禁錮となっています。

なぜ殺人罪になるかというと、法律では
弟が死亡したという事実から遡って、その直接原因になったのは何かを考えるからです。

つまり、病気で苦しんでいる人を楽にさせようと首を締めたことにより窒息死したとすれば、
その病気が不治の病であろうと、放っておいても数時間後に死ぬことがわかっていようと、
死因が窒息死である限り、死の結果は首を締めた人がすべてを負わなくてはなりません。

ではそれをそそのかした者はどうなるのでしょう。

殺人の依頼者の場合、
「他人に犯罪を決意させて実行させる」教唆犯(刑法61条)となります。
ダウンロード (6)© さいとうプロ
例えばゴルゴ13に殺人を依頼し、ゴルゴ13が依頼を成功させれば、
依頼者は『殺人罪の教唆犯』になります。

更にヤクザの親分が部下の若い衆に殺人を命令するような場合は
「教唆犯の範囲を超えて、実行犯と同一視できる」とされ、
親分は『共謀共同正犯』(刑法60条)とすることもあります。

これは殺人者と同じ扱いです。

生徒間のいじめも同じことだとおもいます。
まず「いじめ」の事実から順番に遡って、事実を明らかにしていきましょう。

直接手を下した者は
  • 保護者を呼んで状況を説明する
  • 反省文を書かせる
  • ペナルティを科す
等、それぞれの学校の決まりに従い処分すべきです。

そして、いじめをそそのかした者、はやしたてた者も、
すべて共謀共同正犯として直接手を下した者と同様の罪に問われなければならないと思います。

「自分は手を下してはいない」「見ていただけだ」と言っても、
現在の法律では同じように裁かれる、ということを生徒に知らしめなくてはいけません。

そしてこれは、スクールカーストの上位者を裁く手段となります。

未成年の犯罪の場合、
10歳以下では責任能力がないと判断されますが、14歳以上ではあるとされるのが一般的です。
判例では、小学校卒業前後の12歳に境界線がひかれているようです。
中学生ですから、
  • 世の中は君たちに責任能力があると判断している
ことを知らせる必要があるでしょう。

そして未成年者ですから、第一義的には親に監督義務があります。
ですから
  • 学校としては、親に子のしたことを報告しなくてはならない
このことも生徒にしっかり理解させておくと良いと思います。

「いじめ」の事案が起こったら、しっかり状況をつかみ、
法の名の下に正義を示しましょう。

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photo0jpg魯迅の故郷 紹興の風景
前回の続きです。

第4時 ルントウに会う


 前時までに学習した内容をまとめると、以下のようになります。

 「私」が「望」んでいるのは「美しい故郷」であり、
 現実の風景や状況は「美しい故郷」を見失っている状態(失望)であること。

 「美しい故郷」の象徴は「小英雄」ルントウであり、
 「私」は「美しい故郷」を見失いはしたが、まだ探し求めていること。

 あと2時間で、単元を終わらせるにはどうしたらよいでしょうか。

学習問題
  • ルントウに会い、「美しい故郷」を求めた「私」はどうなったのだろう。
 答えは「絶望」です。

 しかし、これをストレートに考えさせたのでは、国語の力がついたとは言えません。

 生徒は、ルントウと会って絶望に変わったのだろうということはわかりますが、
 具体的に叙述から考えているのではなく、展開から予想している場合が多いからです。

 そこで、しっかりと叙述に返すために、
  • 「私」の気持ちに大きな変化が起きたのはいつか。その理由はなぜか。
  • その結果「失望」はどう変わったか。
という学習課題を提示します。
  • 私は身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた。私は口がきけなかった。
 「身震いした」瞬間が「いつ」の答えです。
 理由は「悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた」からです。
 その結果「私」は「絶望」しました。

 範囲が広いので、「身震いした」を見つけるのには少し時間がかかるでしょう。

 生徒はいくつかの叙述を挙げてきます。
 発表させて「心理の変化は行動によって記述される」ことを思い出させ、
 心理の変化した瞬間の叙述を考えさせます。

 「悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまった」という思いはルントウも同じです。

 ルントウも「喜びと寂しさの色が顔に現れた」とあります。
 「唇が動いたが、声にはならなかった」とありますが、何と言おうと迷ったのでしょうか。
 「最後に」とありますから、「旦那様!」と言う前に、間があったと思います。

 (その時「私」が先に「ルンちゃん」と言っていれば話が変わったかもね。惜しかったね。)

 故郷の寂しい風景や苦しい経済状況、
 社会情勢の悪化とともに変わってしまったヤンおばさん
 ……これらに失望していた「私」です。

 「私」にとっての小英雄たるルントウは「美しい故郷」との唯一のつながりで、
 「兄弟の仲」でいて欲しかったのだと思います。
 そのルントウから「身分の差」という因習によって拒絶されてしまったのです。

 既に清は滅亡していましたが、意識の上ではまだ「身分の差」というものが残っていました。
 明治時代に入っても、士族が歩けば道を譲る、ということがあったようです。それと同じですね。
 これは「経済力の差」「教養の差」等に言い換え、それらを全部ひっくるめたものが世襲的に受け継がれているのだと思えば良いでしょうか。

 ルントウは、「兄弟の仲」よりも、身分の差による「他人行儀」を選んだのですね。

 「私」は、小英雄から拒否され、絶縁状を突きつけられたように感じたのでしょう。

 今まで見失っていただけの「美しい故郷」が、
 ここではっきり、現実には存在しないことを悟り「絶望」するのです。

ヤンおばさんの取り扱い

 ヤンおばさんは、当時の時代背景を象徴する存在です。
359b033b5bb5c9ea2ef92405df39b6003bf3b3c9杨二嫂(ヤンおばさん)
 昔は豆腐屋小町と呼ばれていましたが、今はその美貌はすっかり変わってしまった。
 「私」は美人だった頃のヤンおばさんがどういう性格だったか覚えていません。
 しかし現在ヤンおばさんは、私のことを金持ちと決めつけて酷いことを言う、嫌な性格として描かれています。
 しかも、引っ越し作業の中で、人の家のものを勝手に盗んでいきます。

 最後の場面で、
  • 他の人のように、やけを起こして野放図に走る生活を共にすることも願わない(也不愿意都如别人的辛苦恣睢而生活)
と書いてあります。
 他の箇所は「私のように」「ルントウのように」と限定していますが、
 ここだけは「他の人のように」とヤンおばさんには限定していません。

 貧しさによって道徳や倫理等を失ってしまったたくさんの人々を表していると読めます。
 当時の中国の経済格差や身分慣習を象徴する存在がヤンおばさんなのでしょう。

 これを扱っていると、字数オーバーになることが考えられます。
 クラスの実態によって、取り扱うかどうかは悩むところですが、
 物語の本筋とは離れた枝葉の部分ですから、軽く触れる程度で十分だと思います。
ダウンロード (8)現代の豆腐屋小町「西施ちゃん」

第5時 故郷に別れを告げる場面


学習問題
  • 「故郷」で作者が伝えたかったものは何か考え、書こう。
 これを解く手がかりは、次の叙述です。
  • 思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ
 この叙述から、以下のことがわかります。
  • 「地上の道」=「希望」=「あるものともいえぬし、ないものともいえない」
 「希望」は、現在は存在しないが「歩く人が多くなれば」存在する、というわけです。

 この直前の部分は、以下のものです。
  • まどろみかけた私の目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月が懸かっている。
 これは小英雄のいない「美しい故郷」の風景です。
 「金色の丸い月」が浮かんでいるだけです。
ダウンロード (6)
  • 「金色の丸い月」を目指してみんなで道を進んでいこう
というのでしょう。

 「金色の丸い月」は、
 「美しい故郷」の代わりに「私」が見ようとしたもので、
 人々が「互いに隔絶することのない」「新しい生活」の象徴です。

 「新しい生活」は、神話時代でもない限り、現在に至るまで地上に実現することがなかった理想郷でしょう。
 ですから「金色の月」と同じく、手の届かないところにあるものです。
 いくら「金色の月」を目指して「地上の道」を歩いていっても、そこにたどり着くことはありえません。

 だから「地上の道」は
 人工的に作られた「偶像」であり、
 実現する可能性が「希」なものであり、
 それでも求めて止まないから「希望」なのです。

 たとえそれが実現する可能性がほとんどないとしても、
 私たちは理想を目指すことを忘れてしまってはいけない

 ……それが故郷との別れの場面の主題だったのではないかと思います。

 これを教師が説明するのは簡単で、10分程度で終わります。

 しかし、
  • これにどう気づかせるか、
  • 考えた結果をどう文にまとめさせるか、
国語としての授業です。
  • 学習問題を据えるのに5分、
  • 手がかりとなる叙述を挙げさせるのに10~15分、
  • これらの中から「地上の道」「希望」「金色の丸い月」「偶像」「新しい生活」というキーワードを抽出するのに5~10分、
  • キーワードを使って文または文章にまとめる作業で10分、
  • 残りは発表と振り返りの時間で1時間が終わります。
 こんな流れでしょうか。

 単元を通しての山場となりますので、
 先生の「講義」ではなく、生徒が主体的に活動する「授業」を成立させましょう。

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指導事項
 「故郷」は、すべての教科書に載っているスーパー教材です。
 光村図書によれば、この教材の指導事項は次の内容です。
  • ア 文脈の中における語句の効果的な使い方など、表現上の工夫に注意して読むこと。
  • イ 文章の論理の展開の仕方、場面や登場人物の設定の仕方をとらえ、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章を読み比べるなどして、構成や展開、表現の仕方について評価すること。
  • エ 文章を読んで人間、社会、自然などについて考え、自分の意見をもつこと。
 短編とはいえ、この作品を丁寧に取り扱うには、5時間という時間はそうとうキツいものです。
 しかし3年生にとってダラダラした授業は、文化祭や総合テスト・進路のことを考えるとつらいものがあります。
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 そこで、「故郷」を通じて何を追究するのかを生徒に明示し、毎時間のねらいを明確にしてメリハリのある授業を進めなくてはいけません。

単元展開のめやす
「故郷」は、6つの大きな段落から成り立っています。
  1. 帰郷の船の中(1日目)
  2. 帰宅して(2日目)
  3. ルントウに関する子供の頃の思い出
  4. ヤンおばさん
  5. ルントウの来訪(前項の4~5日後)
  6. 旅立ちの日(前項の9日後)
 これを「失望」「絶望」「希望」の三つに分けると、次のようになります。
  • 1は「美しい故郷」に対する現実の風景や状況に「失望」を感じる部分。
  • 2と3はルントウに象徴される「美しい故郷」のイメージを語る部分。
  • 4と5は、現実の人の姿を見て「絶望」する部分。
  • 6はホンルの言葉をきっかけに「希望」を語る部分。
 これらの読み取りは、主に指導事項のア・イ・ウにあたります。(ウは少し苦しいかな?)

 これでおそらく3~4時間はかかってしまいます。
 最後の「エ 文章を読んで人間、社会、自然などについて考え、自分の意見をもつこと。」で1時間。合計5時間の単元展開を目指します。

第1時 全文通読と学習問題を考える
主にやること
  • 疑問に思うところに線を引きながら聞こう」と全文を範読する。
  • 「疑問に思うところ」をノート・ワークシートに書かせ、発表させる。

 「故郷」は8,300字以上。範読するだけで30分はかかります。
 全文通読してから初発の感想をまとめさせると、それだけで1時間が終わります。すると学習問題を設定するのに更に時間をとられます。
 そこで疑問点のみ挙げさせて次時につなげます。
ダウンロード (7)アナグマ=チャーのモデル?
 生徒が考える疑問は、
 「チャーとはどのような動物か」等の素朴な疑問の他に、
 多くの生徒は最後の「希望」や「地上の道」に関わるところに疑問を持ちます。

 「希望」という単語が出た時点で「希望ってどういうことかわかりますか」と問い、「望」の字義を説明します。
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  • 「私」は、つま先立ちしてまで、何を見ようとしているのだろう。
という問いかけが、単元展開のポイントとなります。

 ただ無作為に指名していたのでは1時間にはおさまりません。
 机間巡視をしながら指名計画をたて、
 テキストのそれぞれの箇所からある程度満遍なく出させて、
  • 次の時間は、最初の部分の疑問を解決していこう
と締めくくります。

第2時 最初~母との会話にルントウが出てくるまで
学習問題
  • 「私」は故郷に帰ってきて、どんな思いを持ったのだろう。「望」の字を使って端的に説明しよう。
 この問題の答えは「失望」です。

 「失望」以外に、絶望、願望などが出てくると思います。「寂寥」や「やるせない」等の言葉をしっかりおさえると、これらは必ずしもあてはまらないことがわかると思います。
 「寂寥」や「やるせない」の意味がしっかりわかっていない生徒が多いと思いますから、しっかり説明させましょう。
 
 「なぜ引っ越しをしなければならなくなったのだろう」という疑問には、歴史的な知識が必要です。こちらから説明してあげます。 

 この流れの中で、特におさえておきたいのは、次の叙述です。
  • その美しさを思い浮かべ、その長所を言葉に表そうとすると、しかし、その影はかき消され、言葉は失われてしまう。
 これが出てくるように、生徒の発言をつかまえて、うまく問い返しをしてあげます。
  •  私の覚えている故郷は、まるでこんなふうではなかった。私の故郷は、もっとずっとよかった。
とあるように、現実の情景描写に描かれる故郷の風景や、「この家が持ち主を変えるほかなかった」現在の境遇に「失望」するのです。そして、
  • もともと故郷はこんなふうなのだ──進歩もないかわりに、私が感じるような寂寥もありはしない。そう感じるのは、自分の心境が変わっただけだ。
と納得しようとします。そして最後に
  • 「私」が思い描いていた「もっとずっとよかった」故郷とは、どんな故郷なのでしょう。
と締めくくり、次時につなげます。

第3時 ルントウの思い出
学習問題
  • 「私」にとってルントウとはどのような人物だったのだろう
 ルントウの属性は、次のようなものです。
  • 「同じ年頃なこと」
  • 「私たちは仲良くなった」こと
  • 「ルントウの心は神秘の宝庫」であること
  • ルントウとの思い出がよみがえることで「私はやっと美しい故郷を見た思いがした」こと。
 「私」は、ルントウの名前を聞いた瞬間、次の情景を思い浮かべます。
  • 紺碧の空に、金色の丸い月が懸かっている。その下は海辺の砂地で、見渡すかぎり緑のすいかが植わっている。その真ん中に、十一、二歳の少年が、銀の首輪をつるし、鉄の刺叉を手にして立っている。
 この情景描写は、「希望」部分にも登場する情景描写と重なる部分が多く、「私」が求めたもの=作品の主題を解く伏線ですから、図示する等してしっかりおさえておく必要があります。

 以上のことから、学習問題に対する答えは「ルントウ=小英雄は「美しい故郷」の象徴的な存在」ということになります。

 「『チャー』とはどんな動物だろう」等を初めとする様々な素朴な疑問が出てくるところです。
 この素朴な疑問は「私」の気持ちと同じものです。しかし、いちいちこれを考えたり説明したりすると、いくら時間があっても足りません。図鑑的な知識は、プリントのして配布してしまってもかまわないと思います。
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  • 「高い塀に囲まれた中庭から四角な空を眺めている」
 これは四合院と呼ばれる中国の建築様式です。魯迅はこの四合院が好きだったのでしょうか、北京に引っ越した先でも四合院に住んでいます。
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「希望」とは

 辞書的には「こうなればよい、なってほしいと願うこと。また、その事柄の内容。」「望みどおりになるだろうというよい見通し。」とあります。
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 文化祭でよく歌われる合唱曲でも「希望」というフレーズはとても明るい前向きな意味として使われることが多いようです。
 生徒も「希望」という語には、明るい前向きなイメージを抱いています。
 この作品の場合、本当にそのような前向きのイメージでとらえてよいのでしょうか。

 「」は、もとは「朢」と書いたそうです。
 「月」はそのまま月を、「壬」は人がつま先立ちをしている様子を表現しています。
 後に「臣」は「ボウ」の読み方を表す「亡」に置き換えられて現在の形になりました。

 ですから、望の原字は「臣(目の形)+人が伸びあがって立つさま」の会意文字です。
 それに月と音符の亡(ボウモウ)を加えたものが「望」という字になり、遠くの月を待ちのぞむさまを示しています。
 そこで「望」という字には、ない物を求め、見えない所を見ようとする意も含まれるようになりました。

 ルントウのことを回想するシーンと最後の故郷を離れるシーンに、次のような叙述があります。
  • 紺碧の空に、金色の丸い月が懸かっている。
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 主人公は、「望」の字の中にある、遠くに浮かんだ「金色の丸い月」を、伸び上がって待ち望んでいるのでしょうか。

 「」は、目を細かく織った布を表す会意文字です。
 目を細かく織った布は隙間がほとんどないことから「まれ」であることを意味します。
 「希み」は、めったにないことをこいねがうことから派生した意味です。

 ですから、「希」+「望」は、「ほとんどないことを求める気持ち」となります。

 この「希望」という言葉は、故郷から旅立つ場面に出ていきます。
  • 希望という考えが浮かんだので、私はどきっとした。
 この部分は、初発の感想で多くの生徒の印象に残っているフレーズです。
 原文でも「我想到希望」となっていますから、訳した際に使われた言葉ではありません。
 作者自身が積極的に「希望」という単語を使っていることがわかります。

 「希望」という言葉には、実現する可能性がほとんどない、激レアな理想の世界を、それでも待ち望まずにはいられないという気持ちが込められている、と考えられます。

 生徒が抱く明るい前向きな「希望」のイメージとは少し違いますね。

三つの「望」

 最後の「希望」に至る以前に、主人公は三つの「望」を味わいます。
 「失望」と「絶望」です。

 まず最初の場面で、「美しい故郷」を思い描いて帰省した主人公は、現実の故郷の姿に触れ「失望」します。
 そしてかつてのルントウの姿を回想する場面で、「金色の丸い月」の下に広がるスイカ畑に立つルントウ=小英雄の姿に「私はやっと美しい故郷を見た思いがした」と感じます。

 しかし現実のルントウの姿を見、「旦那様……」という言葉を聞いた瞬間、
  • 私は身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた。私は口がきけなかった。
と「美しい故郷」の象徴だったルントウに「絶望」するのです。

 そして最後の場面で甥の言葉を聞き、冒頭のスイカ畑を連想します。
 しかしそこに小英雄の姿はなく「金色の丸い月が懸かっている」だけです。

 主人公が作品を通して思い描いていた「美しい故郷」とは「望」の字に含まれている月だったのかもしれません。

 理想の世界である「美しい故郷」「新しい生活」などというものが本当にあるのかないのか、それは誰にもわかりません。たとえて言えば「金色の丸い月」のようなものだと言えます。

 「金色の丸い月」は当然、「手に入りにくい」もので「偶像」のようなものです。

 ですから「地上の道」を、どんなに歩いて行っても月にたどり着くことはできません。

 しかし、月に向かって歩こうとしなければ、理想を見失い、理想を待ち焦がれることもなくなってしまいます
 だから「歩く人が多くなれば、それが道にな」り、更に「美しい故郷」や「新しい世界」に向かって歩いて行くことができるようになるのだ、と言いたかったのではないでしょうか。
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国語科教育ランキング
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 文学的文章読解のポイントとして「いつ」「どこ」「だれ」をまず明らかにする、というのがあります。
ダウンロード
 「故郷」が発表されたのは1921年。その前年に作者魯迅は紹興に帰省していますから、その時のことがモデルになっているのかもしれません。

 1920年代といえば、第一次世界大戦後の世界恐慌から戦争の足音が聞こえ始めた時代。
 中国では植民地化が進み軍閥が跋扈していた時代です。

 生徒たちは、社会で一応この頃の日本や世界の情勢を学習します。
 しかし、当時の中国についての知識はほとんどない状態です。 

 一方「故郷」は、当時の中国民衆を読者として想定しています。
 ですから、時代背景はほとんど説明されていません。

 ですから中学生には、この時代がどんなものだったのか想像すらできません。

 国語科で扱うのですから、社会科の授業の補足をする必要はありませんが、教える側として、ある程度の知識を持っている必要があると思います。
 
「眠れる獅子」から「死せる豚」へ…混乱の幕開け

 日本が「太平の夢」をむさぼっていた江戸時代、清は「三世の春」と呼ばれる黄金時代を迎えていました。
ダウンロード (1)
 一方、18世紀のヨーロッパは革命の世紀ででした。
 イギリスの清教徒革命(1640)や名誉革命(1688)、フランスのフランス革命(1789-1799)、アメリカの独立(1776)といった市民革命の世紀であり、
 綿工業に代表される工場制機械工業による大量生産と、蒸気機関の発明による動力革命交通革命を軸とした産業革命の時代だったのです。
ダウンロード (2)

 これは同時に、民主主義と資本主義の時代の訪れでした。

 産業革命による大量生産は、大量に原料を必要とします。
 そして大量に生産された製品は売りさばかなくてはいけません。

 そこでヨーロッパの列強は、それを植民地に求め、世界に侵出していきました。

 19世紀になると、イギリスは中国から茶を輸入する代わりに、既に植民地化したインドへ綿織物を、インドから中国へ麻薬のアヘンを輸出するという三角貿易を始めます。
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 これがもとで、アヘン戦争(1840-42)が起こりますが、この過程で清も列強の侵出の脅威にさらされます。
 更に国内では太平天国の乱(1851-64)などの乱が勃発して「内憂外患」の状態となりました。

 この流れの中で、日本にも海外列強が訪れ、不平等条約を結び、明治維新を迎えます。
 明治維新により誕生した明治政府は、富国強兵政策により急速に近代化(資本主義化)を進め、列強に並ぼうと日清戦争(1894-1895)を起こすのです。
ダウンロード (3)
 清にとって日清戦争による敗北は、「眠れる獅子」とそれまで言われてきた清の弱さを世界に露見した形になり、以後欧米列強によっていいように食い荒らされるようになりました。

 清国内では日本のような近代化を進める改革が行われましたが、かえって人々の反感を買うようになりました。
 そして、1911年に武昌で起こった蜂起をきっかけに辛亥革命がおこり、宣統帝溥儀は退位して清は滅亡、秦の始皇帝以来の皇帝による統治も終止符が打たれました。

「故郷」の時代
ダウンロード (4)孫文
 辛亥革命により、孫文国民党を結成して中国の国会の第一党となり、明治維新や自由民権運動のような新しい国「中華民国(「中華人民共和国」ではありません。今の台湾政府ですね。)によって民主政治を推し進めようとしました。
 しかし清で内閣総理大臣を務めていた袁世凱が水面下で工作を行って独裁色を強め、それに反対する孫文らの革命勢力を退け、孫文を日本への亡命に追い込んだのです。

 このような腐敗した政治状況は、革新的知識人層を失望させ、彼らに文学的な啓蒙運動を行わせるきっかけとなりました。
 これは「文学革命」と呼ばれ、腐りきった中国の状況を一般庶民に自覚させるべく、誰でも読めるように従来の文語ではなく口語で訴えました。

 この文学革命のの中心人物としては、『新青年』を発行した陳独秀や白話(話し言葉)文学を提唱した胡適などといった人たちがいたましたが、その中の1人が魯迅です。

「故郷」と魯迅

 当時魯迅は、現在の東北大学医学部で藤野巌九郎教授のもとで留学生として学んでいました。
 清の風俗である「纏足(ヤンおばさんの足です)」を医学の力で直そうと考えていた、と言われています。
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 ところが日本で、銃殺される同胞を笑ってみている中国人の映像を見、本国の惨状を聞いて、「医者として中国人を治そうにも、治せるのは体だけであり、中国が列強から自立するためには中国人の精神を治さなくてはならない」と思い、文学の道に転じたとされています。(単位がとれず卒業の見込みがなかった、という説もあります。意見には個人差があります。)

 『故郷』を書いた1921年は、独裁者として君臨していた袁世凱は既に亡く、各地に軍閥と呼ばれる軍人勢力がごった返す混乱状態にありました。
 その影響は庶民の暮らしにも影響を与え、人の心さえも変えてしまっていたのです。

 『故郷』の叙述では、「豆腐屋小町」と呼ばれたヤンおばさんは外面・内面ともにかつての面影はなく、実の兄弟のように親しかったルントウも変わり果てて、地主階級と小作人という身分の壁によって接し方も異なるものになってしまったと書かれています。

 魯迅は『故郷』の中で、変わり果てた故郷や人々を見て悲哀かみしめつつも、
  • 思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
と文末で述べ、一条ばかりの希望を失わない決意をしたのではないでしょうか。

その後の中国

 では、「故郷」のホンルやシュイションはどういう時代を過ごすことになるのでしょう。

 その二度にわたるロシア革命で台頭したボリシェヴィキ(ロシア共産党)の指導によって、魯迅とともに文学革命をリードした陳独秀が中国共産党を結成します。
 この結果、蒋介石率いる「国民党」と毛沢東率いる「中華ソビエト共和国」の二つの勢力が、中国に並び立つこととなりました。

 最初、この二大勢力は互いに争い、中国は内乱状態となりました。
 しかし1937年7月7日に盧溝橋事件が起こり、1カ月後には日本により上海まで占領されたため、国民党と中国共産党は手を結んで日本との全面戦争へと突入したのです(日中戦争)。

 しかし、1945年に日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏をすると、再び国共内戦(国民党vs共産党の内戦)に突入します。
 この中で農民が「内戦は地主への戦い」とみなして共産党軍(のちの人民解放軍=中国軍)に参加するようになり、共産党軍が優勢になります。
 そして1949年10月1日に毛沢東が「中華人民共和国」の建国を宣言し、分裂状態に一応のピリオドが打たれました。そして敗れた国民党は台湾に逃れ、未だ共産党政府とは対立状態にあることはご存じの通りです。

 そして現在、「統一」された中国は高度経済成長を迎え、世界第二位の大国となりました。しかし、この中で貧富の差が一層広がっています。 

 中国の若者は1989年、民主政治の実現を起こそうと魯迅たちと同じように、「天安門事件」という形でアクションを起こしました。
 しかし、結果はご存じの通りです。

 時代や状況は違いますが、どこかそれは『故郷』の舞台と似ているような気がしてなりません。

 魯迅の「互いに隔絶することのないように」と願った「新しい生活」は訪れたのでしょうか。それともまだ「偶像」のままなのでしょうか。


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 「なんで題名が『挨拶』なの?」

 夏休み明けすぐに取り扱う「挨拶」の授業で、必ず生徒から出てくる質問です。

 作者の石垣りん(1920年(大正9年)-2004年(平成16年))は、東京都生まれの詩人。
 小学校を卒業した14歳の時に日本興業銀行に事務員として就職。以来定年まで勤務し、戦前、戦中、戦後と家族の生活を支えました。
 そのかたわら詩を次々と発表。職場の機関誌にも作品を発表したため、銀行員詩人と呼ばれました。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 『ユーモアの鎖国』(石垣りん 1973)で、作者は次のようにこの詩について説明しています。

 第二次世界大戦後、・・・。食糧も娯楽も乏しかった時期、文芸といった情緒面でも、菜園で芋やかぼちゃをつくるのと同じように自給自足が行われ、仲間うちに配る新聞の紙面を埋める詩は、自分たちで書かなければならなかった。実際、私も勤め先の職員組合書記局に呼ばれ、明日は原爆投下された8月6日である。朝、皆が出勤してきて一列に並んだ出勤簿に銘々判を捺す、その台の真上にはる壁新聞に原爆投下の写真を出すから、写真に添える詩を今すぐここで書いてもらいたい。と言われ、営業時間中、一時間位で書かされたことがありました。

  挨拶 原爆の写真によせて

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ

向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

 題名は、友だちに「オハヨウ」と呼びかけるかわりの詩、という意味で「挨拶」としました。
 あれはアメリカ側から、原爆被災者の写真を発表してもよろしい、と言われた年のことだったと思います。はじめて目にする写真を手に、すぐに詩を書けという執行部の人も、頼まれた者も、非常な衝撃を受けていて、叩かれてネをあげるような思いで、私は求めに応えた。どういう方法でつくったという手順は何もなく、言えるとすれば、そうした音をあげるものを、ひとつの機会がたたいた、木琴だかドラムだか、とにかく両方がぶつかりあって発生した言葉、であった。それがその時の空気にどのように調和し得たか。
 翌朝、縦の幅一米以上、横は壁面いっぱいの白紙に筆で大きく書いてはり出されました。皆と一緒に勤め先の入口をはいった私は、高い所から自作の詩がアイサツしているのにたまげてしまいました。何よりも、詩がこういう発表形式で隣人に読まれる、という驚きでした。

 今で言えば、職員が出勤した時にひっくり返す札の上に、
 初めて原爆被害者の写真がデカデカと張り出され、その隣にこの詩が書かれていたのですね。
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 「友」というのは、同じ職場に出勤してきた人たちのことを指します。
 しかし、こんなことを説明する必要なないと思います。作者が生徒に「友」と呼びかけているという認識で十分でしょう。
 朝、学校へ出てきて「オハヨウ」と言葉をかけあう「向き合った互いの顔」と、
 目の前に張り出された初めて見る原爆被害者の顔……
 この対比は、この作品を解釈する鍵となります。

 ですから、この詩が書かれた状況は、いつもきちんと説明しています。

 ただし、それを学習の前にするか、後にするかは、そのクラスに実態によります。
 その時、原爆被害者の方の写真を生徒に見せるかどうかは、それこそ、そのクラスの実態によります。
 見せた授業の方が、見せない授業より数は少ないのですが、より深い読解ができたような気がします。どうするかは今でも微妙です。

 この詩の指導事項は、以下の通りです。
  • ア 文脈の中における語句の効果的な使い方など、表現上の工夫に注意して読むこと。
  • ウ 文章を読み比べるなどして、構成や展開、表現の仕方について評価すること。
  • エ 文章を読んで人間、社会、自然などについて考え、自分の意見をもつこと。
 主題の
  • 原爆の危険は、常にある。油断してはいけない。
は、「顔」の分析ができると、生徒は容易に把握し文章化し、自分の意見をもつこともできます。

 詩は文学の一種ですから、私は「いつ」「どこ」「だれ」をまず押さえさせます。
 すると生徒は、この詩には「現在」と「過去」の二つの「いつ」が流れていることに気づきます。

 これをきっかけにして「顔」の分析に入ります。

 指導事項から、この詩における表現技法とその効果をきちんと押さえることは当然のことですが、
 「りつぜん」という単語の意味がわからない子がいます。
 きちんと理解させなくてはいけません。

 詩の成立背景を学習し、詩の分析を行い、主題をまとめていくので2時間で十分です。

 ただし生徒が休みぼけをしていた場合は3時間かかります。
 高校入試に向けてその状態ではいけませんから、気合いをいれてあげます。

 この項目については、生徒用に解説したものがあります。
 興味のある方は、こちらへどうぞ。



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