十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントをおわけします。興味のある方はこちらをご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

 国語関係の記事は、「十種神宝 中学国語 学習の手引き」の下書きになっています。興味のある方はこちらをご覧下さい。https://y-oono.jimdofree.com/

生徒指導

スクールカーストの回で、教師はカーストの中にいてはいけないと言いました。
しかし生徒にとって、スクールカーストの基準は、生徒たち同士だけのものではありません。私たちにも向けられているということを肝に銘じましょう。

もしも、あなたが「自己主張力」と「共感力」しかもたず、「同調力」をもっていないとすれば、あなたは「残虐なリーダー」であり第2位の順位と見なされます。生徒の立場を考えて自分の意見をしっかり言いますが場の空気が読めません。ですから生徒に溶け込めない「けむたい先生」です。

「共感力」「同調力」はあるが「自己主張力」が弱い先生は「残虐なリーダー」以下の順位、第3位の「人望あるサブリーダー的な教師」です。生徒の気持ちもわかり場の空気も読めますが、先生としては頼りない存在です。

「自己主張力」だけなら「自己チュー教師」
「共感力」だけなら「いい奴だけど、いじめのターゲットになり得る教師」とさえなるわけです。

そして「いじめ」はスクールカースト上位の者が周囲をまきこんで下位の者に行う原則があります。

学級崩壊というのはいってみれば教師に対する「いじめ」に似ていると思います。
学級崩壊といえば学級全体のことを指しますが、中学校の場合、生徒は教師によって授業態度を変えることはよくあることです。

「あの先生の授業は真面目にやるけれど、あの先生の授業は聞かない」……これは授業崩壊です。
そしてこのような現象は、その教師のカーストが低いためではないかと森口氏は言っています。

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 みなさんがリーダーの不在を嘆くのは、学級の自己中で場の空気を支配したがる「残虐なリーダー」や場の空気を読んでノリで発言する「お調子者」と対立しながら授業や学級指導を展開していこうとする時ではないでしょうか。
「残虐なリーダー」も「お調子者」も共感力(他人に対して思いやりをもち、他人の立場や状況に応じて考える能力)がありません。

このようなノリ中心の授業(教室)の破壊者に対抗できるのは教師の「同調力」だと思います。

しかし、「他人を思いやりましょう、規律を守ることが大事だ」といった真面目一辺倒の路線では第3位「栄光ある孤立」となり、生徒は言うことを聞いてくれません。一歩間違うと「残虐なリーダー」に反旗を翻されます。

教師が彼らに対抗しうる力は、「同調力」の「毒舌タイプの級友にツッコミを入れて逆にオトしたり、大人しい子やボケ役の子をイジじって盛り上げたりしながら、『場の空気』によって人間関係を調整していく」能力です。
教師の仕事に置き換えると「授業を脇道にそれさせようとする生徒にツッコミを入れて逆にオトしたり、大人しい子やボケ役の子を授業の主役にして盛り上げたりしながら、『場の空気=授業の雰囲気』を調整していく」ことに他なりません。

これは以前お話ししたコント55号の萩本欽一の技です。この技を身につけるのは簡単なことではありません。

しかし「こう発問した場合、生徒はどのように考え、どのように反応するだろうか。このような発言が出てきた場合はどのように切り返したら良いのだろうか。」をあらかじめ予測し、準備された授業を行っていれば、どのような不規則発言に対しても柔軟に対応できるのではないでしょうか。
経験の少ないみなさんは、きっちりと指導案を書くことで学級崩壊に対応していくことが可能なのだと思います。
ですから私はドリフターズを目指しましょうと申し上げたのです。

日々の実践こそが、無言の圧力となり、あなたのカーストの順位を押し上げるのです。
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今回の学習指導要領の改訂でも強調されていますが、これからの人間に必要なのは「コミュニケーション能力」であるというのが今世紀に入ってからの潮流です。

コミュニケーション能力とは「対人的なやり取りにおいて、お互いの意思疎通をスムーズにするための能力」のことですが、
生徒にとってのコミュニケーション能力とは、具体的にどのような能力なのでしょう。

森口朗は、子どもはコミュニケーション能力を〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉の総合力と捉えていると分析しました。
〈自己主張力〉とは自分の意見を強く主張する力、〈共感力〉とは他人を思いやる力、〈同調力〉とは周りのノリに合わせる力です。もう少し詳しく説明すると、以下のようになります。

  • 自己主張力…自分の意見をしっかりと主張することができ、他人のネガティヴな言動、ネガティヴな態度に対してしっかりと戒めることのできる力。80年代以降、世論によって大切だと喧伝されてきた能力であり、臨教審以来の教育政策の根幹として位置づけられてきた能力でもある。「ゆとり教育」ではこれが強調された。
  •  共感力…他人に対して思いやりをもち、他人の立場や状況に応じて考えることのできる力。従来から学校教育で大切と考えられ、リーダー性にとっても絶対的に必要とされ重要視されてきた能力。多くの教師が「いい子」「力のある子」と評価する要素にもなっている。
  • 同調力…バラエティ番組に代表されるような「場の空気」に応じてボケたりツッコミを入れて盛り上げたりしながら、常に明るい雰囲気を形成する能力。子どもたちによって現代的なリーダーシップには不可欠と考えられている、現実的には最も人間関係を調整し得る能力。毒舌タイプの級友にツッコミを入れて逆にオトしたり、大人しい子やボケ役の子をイジじって盛り上げたりしながら、「場の空気」によって人間関係を調整していく、そうした高度な能力である。
生徒たちはこの三つの総合力を子どもたちは「スクール・カースト」(=学級内ステイタス)を測る基準としている、というのです。
そして森口は、現代の学級が次の八つのキャラクターによって構成されている、と分析しました。
  1.  スーパーリーダー(自己主張力・共感力・同調力のすべてをもっている)
  2.  残虐なリーダー(自己主張力・同調力をもつが、共感力に欠ける)
  3.  栄光ある孤立(自己主張力・共感力をもつが、同調力に欠ける)
  4.  人望あるサブリーダー(共感力・同調力をもつが、自己主張力に欠ける)
  5.  お調子者・いじられキャラ(同調力をもつが、自己主張力・共感力に欠ける)
  6.  いいヤツ(共感力をもつが、自己主張力・同調力に欠ける)
  7.  自己中心(自己主張力をもつが、共感力・同調力に欠ける)
  8.  何を考えているかわからない(自己主張力・共感力・同調力のどれももたない)
第2位の「残虐なリーダー」とは、自己主張の強い、ノリのいい生徒です。ノリが良い場合、場の空気によっては相手をからかったりバカにしたりと、「残虐な」行動を平気でとることがあります。
第3位の「栄光ある孤立」の場合は、空気が読めず思ったことをすぐ口にする生徒です。空気が読めませんから周囲から浮いてしまいます。
第4位の「人望あるサブリーダー」は相手の気持ちを思いやったり場の空気を読んだりすることができますが、自己主張をしません。ですからいじめに対しては第三者のふりをします。
第5位の「お調子者」は、ノリだけで生活している生徒です。自己主張もしませんから、尻馬に乗るタイプですね。

さて、カースト最上位の「スーパーリーダー」は、
スーパー戦隊シリーズで言うなら「赤の魂を受け継ぐ者」伝説の戦士アカレッドのような存在です。
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アカレッドは、「○○周年」という特別なシリーズの更に特別な回や、映画版でもごく特殊な状況でない限り現れません。
同じように「スーパーリーダー」は現在の学級にはほとんどいないレアな存在だと思います。

それに対して、「お調子者」「いい奴」「自己中心」はかなりの数がいるようですね。
ひょっとしたら「残虐なリーダー」もいるかも知れません。

みなさんの指導している学級ではどうですか?
この集団構成が現在の学級集団の統率を著しく難しくしているというのです。

では、どうしたらよいのでしょう。(次回へ続く)

参考文献 森口朗(『いじめの構造』新潮新書2007)


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日曜の朝と言えば「スーパー戦隊シリーズ」!!
ダウンロード©東映
現在43作目の『騎士竜戦隊リュウソウジャー』が放映され、映画で歴代戦隊総出演の回などは、敵役はほとんど集団リンチの状態になってしまいます。

さて、スーパー戦隊の特徴と言えば戦士達がカラーで色分けされている点です。

ブルーはサブリーダー、イエローはポジティブ(イエロー=カレー好きというのは間違いです)、ピンクは女の子、グリーンは地味、とカラーによるキャラ設定が明確なものが多いですが、
なんといってもレッドといえばリーダーでしょう。

初代スーパー戦隊の「秘密戦隊ゴレンジャー」のアカレンジャーは、頼れる年長者として遺憾なくリーダーシップを発揮しました。(あの仮面ライダーV3や怪傑ズバットすらアカレンジャーには逆らえなかったのですから……笑)
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その後時代が下るにつれ、レッドの年齢は下がり、仲間とともに悩みながら行動していくリーダーが描かれるようになりました。
時にはレッド以外の誰か(ブラックとかホワイト等の追加戦士の場合が多かったようです)がチームの指揮をとることもありましたが、やはりリーダーはレッドだったと思います。

ではなぜレッドがリーダーなのでしょう。……それはレッドだからです。

最初からリーダーにふさわしい人材がいるのではなく、人は役職によって、それにふさわしい人間に成長するのではないでしょうか。

学級における究極のリーダーである担任の先生も同じことが言えます。
生まれながらにして教師の資質や能力を身につけている人はいないでしょう。
教職に就くために、あるいは、教職に就いてから教師としての振る舞いを身につけ、一人前の教師(リーダー)になるのだと思います。

さて、小中連絡会などで「ウチのクラスにはリーダーになる人材がいなくて……」という話をよく聞きます。学年が変わるときの学級編成でもそんな言葉が出てくるかもしれません。
確かに「リーダー生徒がいなくなった」「リーダー生徒が弱くなった」という実感はあります。
また昨今、「リーダー生徒」が不登校に陥る事例が増えているそうです。

学校行事でリーダーとなり、中心的に学級をまとめようとした末に学級の生徒たちの軋轢が生じ、俗に言う「浮く」という状態になってしまい、そうした人間関係トラブルに耐え切れずに不登校傾向を示すようになる、ということです。私もいくつかの事例を耳にしたことがあります。

スーパー戦隊シリーズは時代と共にリーダーであるレッドの姿が変容してきました。
同じように学級集団を構成する生徒たちも、時代とともに変容してきているのは確かなことです。

……というか、その時代ごとの子どもの姿がスーパー戦隊シリーズに投影されているというのが正解のようです。

現代の子どもたちは、〈自己主張力〉〈共感力〉〈同調力〉の総合力としての「コミュニケーション能力」の高低を互いに評価し合いながら、自らの「スクール・カースト」の調整に腐心しているということは、スクールカーストの回で説明した通りです。

いじめとリーダー性の欠如は表裏一体のものだと思います。
スクールカーストは、学級への影響力・いじめ被害者リスクを決定し、生徒たちを無意識の階級闘争へと追い込んでいる、と森口朗は述べています。(『いじめの構造』新潮新書2007)

この構造を逆に利用できないでしょうか。(次回へ続く。)

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提出ノートで予習をするか復習をするかは、それこそ自分自身が何を目的にするかで違ってきます。
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「授業がよくわからない」という生徒は(授業の受け方を考え直すとともに)家庭学習で予習をしてから授業を受けるという方法が考えられます。
逆に「授業中は理解していたつもりなのに、何日か経つとできなくなっている。」という生徒には、復習をすることで記憶を定着させればいいのです。

ただ、どちらにも言えることは「継続は力なり!」毎日、続けて家庭学習に取り組むことです。一言でいえば「努力すること」です。

家庭学習の注意点

注意点1 宿題から予習・復習の時間へと、学習の幅を広げる

まず各教科から出された課題からとりかからせます。
ワークブックなどは、定期テストや学期末に提出させられることがわかっています。そしてその内容は定期テストと直結しています。ですから授業と共に進めていくのが正解です。単元プリントのやり直しも良いと思います。

ただ形式的に早くすませようとするのではなく、授業で習った内容を思い出したり、教科書やノートを見直して学習のポイントを確認することで、自分が何を身に付けなければならないのかがわかります。
そこから自分で伸ばそうと思うことや克服しようと思うことを見つけていくように指導します。
これをやっている時「ここ、もう忘れている」と思ったら、教科書やノートを見返して復習するように指導します。

 まあ、これができるんだったら、苦労はしないんですけどね。
これを学活等で取り扱い、クラスの中で数人がやり始めれば大成功だと思いますよ。

注意点2 机に向かったら、すぐに勉強を始める

『ドラえもん』ののび太君の姿です。
机に向かっていても、マンガを読んでいたり、うとうとしていたりすると効果は上がりません。

まあ、これを言ってもなかなかできない生徒が多いですね。

時間を決めて計画通りに勉強することを習慣づけるため、どの学校でも定期テストの前に「学習計画表」を書かせていますが、これをきちんと実行させるだけでも効果が大きいと思います。

注意点3 今、長時間費やしていることを勉強時間にあてさせる

ゲームやTV、PCやスマホ・携帯の時間が長ければ、時間のルールを決めたり、一定時間それをやめて、勉強時間にあてるように指導します。

しかしこれが一番難しい指導です。
なぜなら家庭の協力なしには生活パターンを変えることはできないからです。

「何かを得るには何かを我慢しなくてはいけない」ことをしっかり生徒と家庭に伝えます。

何を我慢し何を手に入れるかは個人の自由です。
しかし「あの時ああすりゃよかった」と手遅れにならないよう、有名な塾の先生が「今でしょ」と言いましたが、今がその時であるということを、生徒や保護者に教えてあげなくてはいけません。

ただし、これすらできない家庭が多くなっていることも事実です。

しかし一度はきちんと保護者にお話しし、それができない場合は学年主任や教務主任・教頭先生に相談し、それでもダメなら……家庭や本人の自己責任だと思います。

教育基本法第十条には次のように書かれています。

  •  第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
  •  2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
学校としては第2項を尽くした、と言えるだけのことをしていれば良いのだ、と割り切りましょう。

担任は生徒の指導はしますが、保護者は指導の対象ではありません。
第1項に問題がある場合は、学校あるいは学校外の組織の出番だと思います。


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提出ノートが評価の対象である以上、当然それに応じた指導が必要です。

年度当初ガイダンスを行い、学校によってはパンフレット等を配布してやり方を説明していますが、なかなかその通りにやらず、生徒によっては形式的なものになってしまうこともあるようです。
これが批判の対象になるのですね。

提出ノートをやることによってどんな効果があるか、これを生徒に理解させ、実感させなくては、なかなかきちんとやってこないでしょう。

例えば国語科の白文帳のように内容が指定されていれば話は別ですが、やる内容を生徒の自由に任せた場合は、多くの生徒や家庭にとって「何をやったらいいのか」ということになります。

自主学習はなぜやるのでしょう。

エビングハウスの忘却曲線というものがあります。
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一度習ったことでも一定期間経つと忘れてしまう、ということをグラフに表現したものです。

エビングハウスはこの研究の中で、次のようなことを突き止めました。
  • 何かを学ぶ時、その知識が学習者にとって意味のものであったり重要なものであったりした場合、暗記は楽である。逆にその内容が学習者にとって意味のないものであれば、すぐ忘れる。
  • 学習に時間をかけると、吸収できる情報量も増える
  • 一度目の学習より二度目以降の学習の方が簡単になる。復習を重ねるごとに忘れにくくなる。
  • 一度にたくさん学ぶよりも、時間をかけて何度かに分けて学んだ方が、学習効率は上がる。
  • 学んだ直後から物忘れは始まる。最初は一気に忘れ、次第にゆっくりと忘れるようになる。
その後の研究により、
  • 学習した後24時間以内に10分間の復習をすると、記憶率は100%に戻る。
  • 次回の復習は1週間以内に、たった5分すれば記憶がよみがえる。
ということがわかってきました。
そしてその次の学習は1か月以内に2~4分復習すれば、また記憶は復活すると言われています。

中学校での家庭学習は、予習と復習が大切だと言われます。
予習は「授業を理解しやすくする」のに役立ちますし、前日の予習があれば当日の授業は第1回目の復習と考えることもできます。

「予習はしない」というような指導をしている小学校の担任の先生もいるようですが、中学校ではそれは通用しないことをきちんと教えてあげましょう。

また復習は、「授業で理解したことを自分の学力にする(考察力や知識を確かなものにする)」のに役立ちます。
今まで何度も言いましたが、「わかる」段階を「できる」段階にまで引き上げるのが提出ノートの役割だと思います。

「考える力」とは、複数の知識を結びつけ、一つの知識を創り出す力に他なりません。
新しい知識の創造は「ひらめき」も必要かも知れませんが、もともとの知識がなければとても難しいことだと思います。
もともとの知識があった上で新たな大量の情報を与えられ、それを分析・評価し、新しい知識を創出することが求められている時代なのです。

「生きる力」で求められる力の基盤には知識があり、知識を定着させるためには学校の授業だけでは不可能です。

これはかけ算九九の学習で、学校ではその考え方を学び、家庭を中心として暗誦させるのと同じことです。

今後の学校の授業では、かけ算九九のように情報処理能力や情報生産能力をつけるのに特化されていくのではないでしょうか。

社会の変化と共に限りなく増え続ける知識を身につけ、その上で情報処理・生産能力を身につけることはとても難しいことです。本当にできるのでしょうか。

今から20年ほど前、ゆとり教育に舵を切った頃のことです。
当時の教育課程審議会の会長であった三浦朱門氏は「出来ん者は出来んままで結構。100人中2~3人はいるはずのエリートを伸ばす。それ以外は実直な精神だけ持っていてくれればいい」とゆとり教育導入の目的を語っています。
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それから20年、今回の教育改革によってもたらされるものは「AIを使役するか、AIに使役されるか」の選別であるように感じます。
これまでのセンター入試のように大量の情報を的確に情報処理するだけであればAIに劣りますから、AIを使役することなどできません。
今文科省が目指しているのは、PISA型学力に代表されるような、大量の情報を処理した上で新たな情報を創り出す情報生産能力であると言えます。
この情報生産能力があってはじめてAIを使役することができるのだと思います。

エリートになれない「100人中97~98人」に対しては「みんな違って、みんないい」と言ってきたのだとすると、それはとても哀しいことです。(そしてその文脈で「身の丈」発言が出てきたとすると怒りすら覚えます。)

以上の私の感想は誤りであることを祈っています。

しかし、たとえ「100人中2~3人」にはなれなくても、生徒たちにはできるだけ多くの知識を身につけて欲しいと願っています。

例えば国語科で「漢字が読めない」「言葉の意味がわからなくてもスルーしてしまう」のでは読解力はつきません。
英語科でも単語力(単語・イディオム)がなければ「読む・聞く・話す・書く」は満足にできないはずです。
数学科では、例えばピタゴラスの定理が身についていない生徒は、テストの度にその場で定理を証明しなくては問題を解けません。
理科や社会科だって、小学校で習った直列つなぎと並列つなぎの知識がなければオームの法則やフレミングの法則は理解できないでしょう。

普通の中学校の生徒たちは、みんな某有名進学校のような家庭に育っているわけではありません。
そんな生徒たちが、AIに使役されない、人間らしく生きていくための手助けとして、私は「提出ノート」は必要だと思います。

生徒の将来を見据え、今何が必要かを、生徒や家庭と一緒に考える機会があるとよいですね。


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パターン1 もともと提出する気がない
 
このタイプの生徒は、普段から勉強に関心を持たないことが多く、「提出物なんて、出しても出さなくても関係ない」「テストの点さえ良ければ成績は上がる」などの明らかな思い込みや勘違いから、提出物に真面目に取り組むことができません。
ひょっとしたらご家庭も似たような考えを持っている可能性があります。

このような生徒に必要なことは、「提出物の重要性」をよく理解させてあげることです。

中学の成績は「テストの良し悪し」で決まるのではありません。もちろん、学力の達成度としてテストの点が基準になることは事実ですが、ご存じの通り、通知表(あるいは調査書の評定点)は 「定期テスト+授業態度+提出物」で決まると言っても過言ではありません。
提出物は評定における「関心・意欲・態度」に関わっています。

この定期テスト、授業態度、提出物等を総合したものによって通知表の「1」から「5」までの数字が決まります。
これは各学校で教科の評定評価基準として決められています。(内容はマル秘ですけどね。)

そして「提出物」について言うなら教科内の申し合わせによって「未提出が多い場合は最高評価Aはつかないことがある」ということがあるのではないでしょうか。

これらは、きちんと教科内ですりあわせをしてありますから、教科担任によって差があるということはありません。

評価は「評価」のA、B、Cと「評定」の1~5が連動しています。
ですから、まったく提出できない生徒はテストで最高点をとったとしても評定5をゲットするのは難しいと思います。

ただし特別な事情がある場合は考慮されることもあります。

小学校からのポートフォリオの導入が言われている現在、高校入試・大学入試を視野に入れると、一気に挽回することは不可能となりますから注意してください。

いずれにせよ、まだまだ生徒自身が「提出物の重要性」を認識していない場合、生徒と共にご家庭にもその重要性を認識させ、「提出物=小テスト」だと考えるように伝えしましょう。
テストではよほどのことがない限り、白紙の解答用紙を出す生徒はいないと思いますが、提出物でも全く同じことで、提出物を出さないと、テストの白紙と同じように採点対象とならない(0点と見なされる)ことを伝えるのです。

実際のテストでは答案用紙を埋めようと必死になるのに対し、提出物では毎回白紙を出している……こう考えると提出物を出さないことがどんなに損なのかをわかってもらえると思います。

パターン2 出すことをすっかり忘れてしまう

誰しも経験があることかもしれませんが、パターン1が確信犯であるのとは異なり、「提出物を出すつもりでいるにも関わらず、ついつい忘れて出せない」というタイプです。

毎日提出が義務づけられているものを「忘れた」というのは単なる口実ですが、イレギュラーな提出物を特に忘れてしまう生徒がいます。
これは、本当に提出することを忘れる場合もありますが、提出の準備をすることを忘れ、その結局提出できずに「忘れた」と言う場合も含まれます。
特に、部活などで普段忙しくしている生徒ほど当てはまりやすいようです。

このような生徒に必要なのは「期限」を忘れないように計画的に進めることです。

私の場合、連絡黒板の横に大きな月別のカレンダーを置いて提出期限を書き入れ、連絡黒板には「提出物はいつまで」「提出まであと○日」等、係の生徒に書かせました。
これは各教科いろいろあり担任として全体を把握できないからです。

更に学級通信に、定期テスト以外の「テストの日」や「提出物はいつまで」などを書き、「学校はきちんと家庭に連絡しようとしている」ことをアピールしました。
学級通信を家庭に出さない生徒もいます。そんな時は「このようにご家庭にお知らせしているのですが……」と懇談会等で保護者に見せ、家族のコミュニケーションをとることの大切さとからめて家庭で協力するようお願いしました。

パターン3 期限内に終わらない、期日を守れない

これは提出期限に間に合わない生徒です。
ちゃんと取り組んでいるのにも関わらず、提出物を出せない生徒は、普段の勉強でも要領が悪かったり、計画的に進めるのが苦手だったりするのが特徴です。
中には、「キッチリしたい」という完璧主義がアダとなってしまってなかなか出せない子も考えられますが、めったにいません。

このような生徒に必要なのは、家庭学習の習慣づけを軸に、計画的に少しずつ取り組むことの練習です。
テスト前に一夜漬けでできる生徒も中にはいますが、少なくとも三年の復習テストや総合テストでうまくいくとは思えません。
それにパターン3の生徒はたいてい一夜漬けが苦手なので、普段の学習の中に盛り込んでいく必要があります。

これには、ご家庭の協力が必須です。
しかし協力が期待できない場合は個別指導の対象となります。

どのような内容をどこまで学校で面倒をみるか、どこから家庭で面倒をみるか、
教育基本法に、教育の責任の第一義は家庭にあると明記されていることを念頭に、懇談会等でしっかりと決めることが第一歩だと思います。

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そろそろ、保護者懇談会のシーズンです。
保護者懇談会の話題の一つに、毎日の提出ノートがあると思います。
毎日きちんきちんと提出できる生徒は特に話題にもならないと思いますが、なかなか提出できない生徒には是非話題にしたい……そんな気持ちも強いかと思います。
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家庭学習の提出ノートに限らず、提出物がなかなか出せない生徒への指導はどうしたらよいでしょう。

「提出物はきちんと出さなくてはいけない」ことは、どの家庭も知っていることだと思います。
しかしこれをタテマエとしてでなく本音では認識していない生徒がいることも確かです。

提出物を出さなかったり提出期日が守れなかったりすると、受け取る側が困るのは当然のことです。
しかし他人の痛みはいくらでも我慢できるため、提出物の大切さをそれほど重要視していないという実態もあるかも知れません。

学校に限らず、提出物を提出しないで本当に困るのは出す側なのです。
これをまず生徒と家庭に知らせなくてはいけません。

一般的な中学の「態度・意欲・感心」の評価に大きく影響するというのを知らないご家庭もあります。
そのようなご家庭には、提出物の出し方の差で、通知表の評定が上下する可能性もあることをまず伝えなくてはいけません。

「ウチの子はテストで○○点をとったのに、なぜ通知表の評定が○なの?」と言われないようにするためでもあります。

特に定期テストや学期末の提出物の課題は、テストと並んで重要です。

評定値1pはテストにして20点分くらいの破壊力があると言われています。
特に技能教科では致命傷となります。(ここまでは保護者に言う必要はありませんけどね。)

当然生徒には事前にしっかりと知らせます。
ついでに「だから係は、不正を許さずきちんと提出を調べるんだよ」と念押しをしておきます。
提出しない生徒はいろいろ理由をつけて係に印をつけるように迫っているようです。
「おや、これは変だな」と思ったら、係のチェックが正しいかきちんと調べる必要もあると思います。

それでも「中学の提出物なんて大した問題ではない、なぜそんなに大げさに言うのか」と考える家庭もあるかも知れません。

なぜそんなに提出物にこだわらなくてはいけないのでしょう。

「提出物」が評価に響くのは中学だけではないからです。
高校や大学などの教育機関ではもっと重要視されます。レポート提出の機会も多く、これにより単位の有無が決まるといっても過言ではありません。
また社会人になれば期限通りに提出できない場合は給与の査定に響くことはもちろん最悪クビになります。

だから、今から「提出物をきちんと出す」習慣を身につけさせることは、これからのその子の人生に対して必要なことなのです。
このことを生徒だけでなく、保護者も理解し協力していただかなくてはいけないことをしっかりと伝える必要があると思います。

生徒にだけ、保護者にだけ伝えるというのはよくありません。
これらのことは、生徒全体に対して指導するのと同時に、きちんと提出できない生徒には個別指導すること。そして懇談会などの機会をとらえ保護者にもお伝えしなくてはいけません。

保護者に伝える時は、提出状況などを示した数値的データがあると説得力が増すでしょう。

3年生の調査書を作成する時期になって態度を豹変させても手遅れとなります。
一日も早く克服しないといけないことを真摯にお伝えしましょう。
(くれぐれも言い方に気をつけてね。誤解されて学校との関係がおかしくなるようなことのないようにしましょう。)

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  • 蓬(よもぎ)、麻中に生ずれば、扶(たす)けずして直し
これは「荀子」の言葉です。
「そのままではふにゃふにゃしてしまう蓬でも、ピンと立つ麻畑の中に生えれば、おのずとまっすぐに伸びる」という意味です。

ある先生の体験談から…

  • 中学2年生の担任をしていた頃、ある学級を受け持ちました。その中学校は2つの小学校の児童が入学してくるところです。小学校ではゴタゴタがあったのでしょうか。一年間、生徒の「仲間関係」を修復するために、私自身も生徒もとても苦しい思いをしました。学級の中にまとまりが出てきて明るい学校生活が送れるようになったのは3年生の後半になってからでした。卒業時にはみんな晴れ晴れとして自分の進路に旅立つことができましたが、担任としては密かに悩んでいたことがありました。それは勉強のことです。私が受け持ったその学級は,1年生から卒業するまでの間、いつのテストでも学年の中で常に最下位の平均点でした。
仲間関係がうまくいかなかった学級の成績が上がりにくいかったのはなぜでしょう。
(学級の平均点が低いクラスは仲間関係がうまくいっていない、ということではありません。念のため…)
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  • 勉強は『自ら学ぼうとする意欲』、言い換えると『やる気』によってその結果が左右されることがあります。この『やる気』は周囲の人(親,友人など)から【受容】されているという気持ち(私は受け入れられているんだという気持ち)によって形成されます。この【受容感】は,出生児の親に受容されていると言うことに始まり、幼児期・小学校・中学校での仲間関係の善し悪しで、高くもなり低くもなると思います。つまり、勉強の『やる気』は、自分の周囲の仲間関係で大きな影響を受けることが考えられます。(筑波大学 教育心理学博士 桜井茂男)
成績は、その子の仲間関係だけで決まるものではありませんが、無視できない要素なのです。
生徒同士が互いにすばらしい発想や意見を認め合う場面を毎日の授業でいかに仕組んでいくか、が
私たちに課せられた課題です。

「あの子はどうだ」とかいう偏見を打ち破り、
互いに認め合い高め合う授業を創造することは、
いじめのない教室を作ることにもつながると思います。

学級という“麻畑”を耕し育てるのは、
生徒が学校にいる時間のほとんどである授業です。

教科の授業を通じて、いじめのない学級を創ることは、
私たち教師の一人ひとりの使命だと思います。
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 仮面ライダーは、ショッカーに改造され強い力を得ました。

 そして、仮面ライダーが戦う相手は、
 自分と同じようにショッカーに改造された怪人です。

 仮面ライダーは、いってみれば元同僚を倒すための存在……「同族殺し」なのです。

 もう二度と元に戻れない改造人間としての悲しみ
 自分と同じ境遇の者を殺さなければいけない悲しみ

 この悲しみ故に、ライダーたちの仮面には涙のあと(涙のライン)がある、と言われています。

880ff7f4©石森プロ/東映
 私たちも、いじめをする生徒と同じです。
 自分の居場所を求める者の「業」を背負っているのです。

 しかし他人の自由を奪おうとする者に対しては、
 涙を流しながらもライダーキックをお見舞いしなくてはいけません。

 それが「人間の自由のために戦う」仮面ライダーとしての教師の役割です。

 私たちがすべきことは、
 まず、クラスのモラルを回復することです。

 「いじめは恥ずべき行為である」ことをクラス全体に知らしめることが必要です。

 その結果「いじめをした者はクラス内での地位が下がる」という結果を私たちは知っています。
 スクールカーストを上げるためにいじめをした者にとって、死ぬほどつらい結末が待っているのです。
 しかし許すことはできません

 具体的には以下の内容を告げます。
 これは、生徒指導マニュアル等で年度当初申し合わせのある事項だと思います。
  • いじめは許される行為ではない。いじめた側の生徒は、具体的事実を保護者に通告し、生徒指導の対象となる。これは学校体制としての決定事項である。クラスの他の人たちがそれをまったく気づかないとは思えない。クラスの他の人たちはそんなあなたを見てどう思うか。
 この通告は、
  • あなたのカーストは決定的に下降し、場合によってはあなたがいじめの対象となる場合もある
ということの宣言です。

 言い方はいろいろあると思います。ケースバイケースですね。
 露骨に「脅し」にならないように注意しましょう。

 しかし、これを脅しで終わらせてはいけません

 実際に、年度当初の申し合わせのとおりに処理(処分)します。

 ……必ず実行しましょう。そうしないと生徒になめられ、逆効果になります。

 これは、教師がスクールカーストの外にいるからこそできることです。

 前回のAさんの例では、
 Aさんと、その取り巻き連中を切り離すという方法も考えられます。
  • (Aさんには)そんなこと触れ回っていたら、それを見ていた他の人はどう思うかな。
  • (取り巻きには)そんなことを聞いて否定しなかったら、それを見ていた他の人はどう思うかな。
 結局、彼らが恐れるのは、カースト内の地位が低下することです。
 地位の低下はいじめの対象となる可能性が高くなることを彼らは知っています。
 そして、一度低下した地位は、よほどのことがない限り回復はしないことも知っています。

 これを利用するという方法もあると思います。

 他にもいろいろな方法があると思います。
 生徒指導主任や学年主任と相談しながら、対応していきましょう。

 「人間の自由を守る者」「カーストの超越者」として、「いじめ」を断罪しましょう。

 同時に
  • いじめる側の生徒たちも、自分と同じで、居場所を求めてあがいている哀しい存在なのだ
という、仮面ライダーの「涙のライン」を決して忘れてはいけません。
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 前回は、教師がスクールカーストに取り込まれることの危険についてお話ししました。

 しかし、それ以上に気をつけなくてはならないことは、スクールカーストはいじめの温床となるかもしれないことです。

 生徒たちは、互いのコミュニケーションの中で自分のポジションを探り合っています
 探しているのではありません。

 生徒にとって「コミュニケーション能力≒人気獲得力」であり、
 お笑い芸人のように、自分の実際の性格だけではなく、場の空気による暗黙の圧力で配分される「キャラ」を演じあっている(キャラ戦争 荻上チキ 2008)という説もあります。

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 それほどひどくなくても、
 学級内の自分の位置の確保は、生徒にとってとても大切なことに違いありません。

 そしてカースト内では、
  • いじめの加害者(被害者)になることによってカーストが上昇(下降)する
という忌まわしい側面があるのです。

 ウィキベディアには、次のように説明されています。

「特にもともと多くの生徒が内心では嫌っていた相手に対して先陣を切っていじめを始めた場合などは人気の獲得によってカーストが上昇する。
 他方、加害者側と同等以上にカーストの高い別の生徒あるいは教師などの介入によってクラスのモラルが回復した場合(いじめが恥ずべき行為であるとの意識が共有された場合)、
いじめ加害者のカーストが下降
することもある。
 中立者(いじめの直接的な加害者でも被害者でもない人)が被害者の救済を試みた場合、
成功すればヒーローとしてカーストの上昇が期待できるが、
失敗した場合はカーストの下降の危険性(さらにそれと付随して次は自分がいじめの新たな対象となる可能性)がある。」

 実際、教室では、次のようなことが言えます。
  • いじめは、上位者が下位者に対して行う。
  • 上位グループが複数存在した場合、自分のグループの優位性を保つためにいじめが発生することがある。
  • 上位グループの取り巻きの中での序列争いのためにいじめが発生することがある。
  • グループを形成する過程で、グループの構成員を増やすためにいじめを行うことがある。
 例えば、AさんがBさんを指して「あの子うざいよね」とCさんに話しかけたとします。
 話しかけることができる=コミュニケーション能力の高さの証明です。

 Cさんも「人間関係に波風をたてない」というコミュニケーション能力(?)が高いため、Aさんに同調することが多いようです。
 むしろ「そんなことないよ」「そういうこと言っちゃだめだよ」ということは稀でしょう。
 (Aさんだって、自分が否定される可能性が低い相手に話しているのですから……。)

 Bさんが優等生キャラでみんなから煙たがられていれば、Aさんが話しかけた効果は抜群でしょう。

 その結果「Bさんはうざい」という共通認識を持つグループが形成され、
 Bさんより上位のAさんグループが形成されます。

 そしてAさんグループの中の序列を高めるために、
 Bさんに対するいじめがエスカレートしてしまいます。

 この場合、ターゲットはたまたまBさんが選ばれただけで、
 Aさんが優越性を保てる相手なら誰でもよかったのです。

 従ってBさんに対するいじめが解消した場合、
 今度はグループ内のCさんあるいはAさん自身が
 Aさんグループの、次なるいじめのターゲットとして選ばれるかもしれません。

 今の中学生は、多かれ少なかれ、そういう環境の中で生活することを余儀なくされています。 
 まさに「教室は地雷原」ですね。

 グループを形成し、グループの内外の序列によって安定を得たいという気持ちは悪いことではありません。
 だいたい、今の世界の情勢だってそうなのですから。
 大人の世界って基本的にそういうものでしょう?
 
 問題は「他者を攻撃することにより、自分が優位に立とうとする」という認識です。
 (こんな国、最近聞いたことあるような気がしますね。)

 本当にこれでいいのでしょうか。
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