十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

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教科指導

職場体験学習で、生徒に人気のある職場の一つにケーキ屋さんというのがあります。
将来パティシエになりたい、という夢を持っている子もいるのではないでしょうか。
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パティシエになるために必要な資格はありません。
一般的には専門学校(製菓学校や料理学校の製菓コース)や短期大学など、
学校で基本的な知識や技術を身につけてから求人を探す人も多いようです。

学校を卒業したあとに、
洋菓子の本場と考えられているフランスなどの料理学校への留学をめざしたり、
有名ホテルのパティシエ部門で修業を積んでキャリア形成をし、
将来が自分のお店を持つ
……というのが理想的な進路ですね。

ところで,まともなケーキ屋さんは売れ残ったケーキがあっても決して安売りをしません。

なぜでしょう。

それは、もし夕方に割引したら客は夕方にしか来なくなってしまいます。
それでは経営が成り立たないからです。

それに,そのお店のブランドイメージを傷つけます。
「売れ残りを割引」はやはりいいイメージはないですよね。

まあ中には次の日に前日の売れ残りを「本日のサービス品」として売ってるお店もありますが…。
25日のクリスマスケーキの比喩を考えればイメージがわきますね。

授業も同じです。

テスト直前に「ここ、テストに出るぞ」とテスト範囲の復習をやってあげたらどうでしょう。

確かに“復習の授業”でやった問題が出て点数が上がれば生徒は喜ぶかも知れません。
しかし「毎日の授業って、何だったの?」「テスト直前の“復習の授業”を受けていればいいの?」ということになってしまいます。

しかも復習で点数を上げることができるのは、所詮暗記が効く知識レベルの問題です。
知識以外は、類似の問題を教えて練習させるしか方法がありません。

“復習の授業”は夕方に売れ残りのケーキを売るケーキ屋さんと同じです。
毎日の授業でしっかり定着させることができなかった、積み残しの内容を安売りしているだけなのです。

その教科の先生方全員が申し合わせて知識のブラッシュアップのための“値引きセール”をやっているのなら問題はないと思います。
しかし、もし“値引きセール”を潔しとしない先生がその教科に一人でもいたとしたら…。

生徒はその先生をどう思うでしょう。
毎日の授業をどう思うでしょう。

私たちの使命は、生徒の点数を上げることだけではないと思います。
(まあ、そういう面もあることは否定はしませんが…それが第一義でないことだけは確かです。)

基本“復習の授業”を主に行っているのは塾です。
そして塾に先んじて学習を進め、学習指導要領に示される学力をつけるのが“学校”です。

テスト前の“復習の授業”というのは、
“学校”というブランドイメージを大きく損なう行為なのではないでしょうか。

現在“アクティブラーニング”という考え方が大きく取り上げられています。
指導要領から文言がはずされましたが…私は良い判断だと思いますよ。

アクティブラーニングというのは、
知識などを受動的に身につけることに対する痛烈な批判が根底にあります。
「考える力」とか「解決する力」とか、難しい事はよくわかりませんが、
一方的に教えるのが授業ではないよ、という考え方です。

“復習の授業”はこれに逆行しているような気がしてなりません。

みなさん、時間が余ったら
「テスト勉強の自習だよ」と言い、復習は生徒に任せましょう。
そしてテスト前に時間が余らないように、きちんと教材研究をして毎日の授業を充実させましょう。
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若いみなさんには、年に一回はフル指導案を書くことをお勧めしています。

なぜでしょう。
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授業はアーティストのライブステージと同じです。
ライブステージは、行き当たりばったりにやっているわけではありません。
二流以上のアーティストならば、お客の反応を細かに予想してステージが盛り上がるように台本をつくり、その台本通りに進めながら、更にお客の反応を見てアドリブで台本を変更しています。

お客はこの台本を意識することはありません。
アーティストに上手にノせられ、アーティストもお客のノリを利用して
ライブの盛り上がりを演出しているのです。

授業もまったく同じです。

そして指導案はステージの台本にあたります。
アドリブで何もない状態で、50分間授業をもたせるというのは、
プロのアーティスト(教師)ではありません。

みなさんは教育実習の時に指導案を書いたことがあると思うかも知れません。
私はかつて某国立大学教育学部の附属に勤務していました。
その時の経験から、教育実習生の指導案というもののレベルは十分に知っているつもりです。

更に指導案には、その地方、その組織独特の書き方があります。
それは、授業に対する主義・主張……いってみれば思想が異なるからです。

また各地方自治体にはそれぞれが主導して作成した形式があり、
その奥にはそれぞれの地方独特の思想があると私は考えています。

特に「生徒の意識を大切にする」という考え方は、
ライブステージでお客の気持ちの盛り上がりを大切にし、予測し、
ステージ(授業)の山場を演出していくのと同じだと思います。

そして、フル指導案というのは単元全体を見渡しての計画を記したものです。
一時間の授業は、それだけで完結するものではありません。

一時間の授業は、前の授業までの流れの上に成り立っています。
そしてその授業は次の授業からの授業に影響を与えます。
更に大きく、小学校の時に何を教わってきたはずなのか、高校に行って何をを教わるはずなのかを見通しての一時間の授業なのです。

これを縦の系統と言います。

そればかりではありません。

例えば、国語の場合、
1年生に「ダイコンは大きな根?」という単元がありますが、同じ時期に理科で学習する「葉・茎・根のつくりとはたらき」がどこまで進んでいるか、
2年生の「君は『最後の晩餐』を見たか」という単元で、遠近法や構図のとり方の指導はどこまで美術で習ったか、
3年生の「故郷」で、生徒は明治以降の歴史をどの程度知っているか、
これらを頭に入れて授業をしなくてはいけません。

これを横の系統と言います。

以上の教科指導の要素に、クラスの雰囲気等、生徒指導的な側面を加味して、
単元の計画や本時の計画をたて、それを言語化し可視的なものにしたのがフル指導案なのです。

こういうことがすべて頭の中に入っているというのは、
プロ中のプロ、大ベテランの先生でしょう。

そうでもない限り、
フル指導案が書けない、書いたことがない、というのは、
しっかり考えたことがない、というのと同義なのだと思います。

若いみなさんは、少なくとも数年以内には研究授業をやることになるのではないかと思います。
その時に「自分は教育実習でしか指導案を書いたことがない」とか「本時案の略案しか立てたことはない」と言って欲しくはありません。

完璧な指導案を創ることを考えるのではなく、
完璧な指導案を求め続ける気持ちを持っていただきたいと思います。

この気持ちが、より完成度の高い授業につながると考えるからです。

そのためには、まず指導案を書いてみることです。

そして指導案を元に、自分の授業を振り返り、
どれだけ自分が生徒の意識を見切ることができたかを確かめ、
更に教師としての技量を高めていっていただければと思います。

がんばりましょう。

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  • 蓬(よもぎ)、麻中に生ずれば、扶(たす)けずして直し
これは「荀子」の言葉です。
「そのままではふにゃふにゃしてしまう蓬でも、ピンと立つ麻畑の中に生えれば、おのずとまっすぐに伸びる」という意味です。

ある先生の体験談から…

  • 中学2年生の担任をしていた頃、ある学級を受け持ちました。その中学校は2つの小学校の児童が入学してくるところです。小学校ではゴタゴタがあったのでしょうか。一年間、生徒の「仲間関係」を修復するために、私自身も生徒もとても苦しい思いをしました。学級の中にまとまりが出てきて明るい学校生活が送れるようになったのは3年生の後半になってからでした。卒業時にはみんな晴れ晴れとして自分の進路に旅立つことができましたが、担任としては密かに悩んでいたことがありました。それは勉強のことです。私が受け持ったその学級は,1年生から卒業するまでの間、いつのテストでも学年の中で常に最下位の平均点でした。
仲間関係がうまくいかなかった学級の成績が上がりにくいかったのはなぜでしょう。
(学級の平均点が低いクラスは仲間関係がうまくいっていない、ということではありません。念のため…)
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  • 勉強は『自ら学ぼうとする意欲』、言い換えると『やる気』によってその結果が左右されることがあります。この『やる気』は周囲の人(親,友人など)から【受容】されているという気持ち(私は受け入れられているんだという気持ち)によって形成されます。この【受容感】は,出生児の親に受容されていると言うことに始まり、幼児期・小学校・中学校での仲間関係の善し悪しで、高くもなり低くもなると思います。つまり、勉強の『やる気』は、自分の周囲の仲間関係で大きな影響を受けることが考えられます。(筑波大学 教育心理学博士 桜井茂男)
成績は、その子の仲間関係だけで決まるものではありませんが、無視できない要素なのです。
生徒同士が互いにすばらしい発想や意見を認め合う場面を毎日の授業でいかに仕組んでいくか、が
私たちに課せられた課題です。

「あの子はどうだ」とかいう偏見を打ち破り、
互いに認め合い高め合う授業を創造することは、
いじめのない教室を作ることにもつながると思います。

学級という“麻畑”を耕し育てるのは、
生徒が学校にいる時間のほとんどである授業です。

教科の授業を通じて、いじめのない学級を創ることは、
私たち教師の一人ひとりの使命だと思います。
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関西電力の役員が、原発のある福井県高浜町の元助役から多額の金品を受け取っていた問題はご存じのことと思います。
この問題について関西電力は調査委員会を立ち上げ調査をしましたが、
「内部の調査ではダメだ」と言われて、会社から独立した社外委員(弁護士)のみから構成される第三者委員会を設置し、調査をし直すことになったことは
ニュースなどでもご存じのことと思います。

内部の調査では誰も信用してはくれないのです。

これは、私たちの授業についても言えることです。

授業は「教師」と「生徒」と「教材」とで成り立っています。
教師は生徒を評価し、生徒は教師を評価しています。
(教材は生徒と教師の両方から評価されますが、教材を選んだのは教師ですから、教師に評価は返ってきますね。)

では授業そのものは誰が評価するのでしょう。

「観世座」という劇団の役者兼オーナー兼プロデューサーであった世阿弥は、劇団存続のためにはどうしたらいいかを考え抜きました。
役者の修行方法から、いかにライバル劇団に勝ち、観客の興味をひくにはどうすべきかなど、
後継者に託す具体的なアドバイスを記したものが、彼の伝書(『花伝書』など)です。

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 その中に「離見(離見の見)」という言葉があります。
自分の姿を距離をおいて観察すること、演者が観客の立場で自分の姿を思い描くこと
と言われています。

自分の姿を常に客観的に眺め評価し続けることの大切さをいっているのですね。

「自分の姿」を「授業の姿」と考え、
「人気」を「評価」と考えてみましょう。

「観客」は誰でしょう。

私たちは「授業」をいかに成立させるかに心を砕いています。
いってみれば「授業(教室)」という劇団の役者兼プロデューサーです。

授業は「生徒」と「教師」と「教材」とで成り立っていると言いました。

教師も生徒も「授業」を構成する要素であって「観客」ではありません。
教師は生徒の、生徒は教師の評価しかできないのです。
教師も生徒もその場では「授業の姿」を評価できないのです。
(それ以上に観客として振る舞う生徒いたら、それだけでその授業はアウトですね。)

「授業」全体を観客の立場で評価できるのは、
「授業」というフィールドから離れたところにいる人だけです。

だからこそ「離見」と呼び、その気持ちを持ち続けることが大切なのですね。

「よい授業」であるかどうかは、自己満足は論外、生徒の評判などで決めてはいけません。

1時間で生徒がどのように変容したかを測定するのが適当だと思います。

「20年後、30年後にその成果が現れるのが教育だ」と言う人もいますが、その時誰も責任をとることができません。無責任な発言だと思います。

そして、その評価を下すのは、「教師」と「生徒」以外の第三者……
参観者」以外にいないと思います。

参観者の目」を常に意識し続けることが離見であり、授業を向上させる条件だと思います。

授業を公開し自分の授業を参観者の目にさらすことは大切なことなのです。

そして、常に参観者の目を意識した授業を行うことは、
常在戦場の心にもつながるものであり、
私たちの授業の技量を伸ばすと思います。
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個人作業の共同化

ワークシートができる生徒はすぐにできてしまい、できない生徒はいつまでたってもできないものです。
できない生徒が「教えて」と言えるようにするのが目的です。

自立とは依存することから始まります。
何でも尋ねることができるようになれば、そこから意欲が生まれてきます。

しかし、できない生徒は、それができません。
ですから教師が援助するのです。

つまづきを聞き出し、見とり、それを他の3人につなげることが私たちの仕事です。

つまづきのある生徒は、授業前からわかっています。
グループ学習にはいったら、ただちに「教えて」と言えない生徒のところに生きましょう。
ただし「お節介」は逆効果で「誘い水」になるように……。
物言わぬ生徒の困り感をみとるのは教師としての修行であり、先輩の先生から学ぶべきところでしょう。

できない生徒は、最初は他の生徒の言うことを聞くだけで、あるいは丸写しにするだけで精一杯でしょう。
でもいいじゃないですか。「なんにもしないで生きるより、何かを求めて生きようよ(『ああ、人生に涙あり』TV水戸黄門主題歌  詞 山上路夫)ですよ。

チェックすること
  •   机をくっつけない生徒がいた場合、グループ開始後すぐにくっつけること。これは人権教育や道徳的な意味もあります。
  •   顔を机に伏せてしまう生徒がいた場合、1分以内に起こすこと。また起こすように他の生徒に頼むこと。
  •  教師の立ち位置は、わからない生徒に寄り添うのではなく、その生徒の声を他の生徒に聞かせる位置につくこと。これによって生徒同士をつなぐことができる。机間指導でもよくやる手ですね。
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授業の展開を工夫する

教師が喋りすぎることにより、生徒がひいてしまって授業が失速してしまうことがあります。
ワークシートを用いる授業の場合も同じです。
生徒に向ける言葉は必要最低限のものに厳選し、さっさとワークシートに取り組ませましょう。

グループ学習については、ワークシートを用いた授業をモデルとして考えてきました。
ワークシートには、「学習問題」や「学習課題」を成立させる過程、「追究」の過程、「振り返り」の過程が含まれています。

どの場面で自分の考えをしっかりと持たせるか、どの場面で自分の考えを深めさせるか、どの場面で「認識の変容」を求めるかをしっかり考えましょう。

「一斉授業は効率的だ」とする考え方も確かにあります。
しかしその中で、授業についていけない生徒たちを切り捨て、更に上を求める生徒の関心をそぎ落としてはいないでしょうか。
そうでなくても、「テストまでにここまで進まなくては……」と教科書の進度に気をとられ、駆け足の一斉授業に逃げてしまうことはないでしょうか。

とは言っても、テストまでに進度が間に合わないというのは絶対に許されることではありませんし、
一斉授業には一斉授業にしかない良さもあります。
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より効果的・効率的な学習のために、
単元の進行にメリハリをつけること、素早く押さえるところ、じっくり学ぶところを
効果的に組織することが必要です。

そしてそれは、一時間の授業の中でも言えることです。

更に、その教科・単元で身につける力を踏まえ、文科省も推奨している「発展的な内容」
……一昨年までの全国学調でいえばB問題にあたるような問題……
これに「グループ学習」でじっくり取り組ませるというのはどうでしょうか。
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ワークシートを使って授業を進めることがあると思います。
このワークシートをグループ学習でやらせてみましょう。
いわゆる「個人学習の協同化」です。

「わからない人は『ねえ、ここどうするの?』と聞きなさい」と指示します。
特に、数人の生徒しか挙手せず、多くの生徒が聞き手に回っている時は、すぐグループ学習に切り替えた方がよいでしょう。

「『わからない』と言い合える教室」を目指すのなら、
聞かれもしないのに積極的に教えることはやめさせましょう。

「わからない生徒が主体的に聞く」ことへの冒涜であり、お節介です。

4人が席を向かい合わせにして、それぞれが自分のワークシートに取り組むようにします。
そして「わからない」ところだけを、近くの人に小声で聞いたり、場合によっては隣の人のシートをのぞいたりして、問題を解決していくようにします。

夏休みの市立図書館の受験生のような学習の姿をイメージすると良いかも知れません。

それが、佐藤氏の考える「グループ学習」だと思います。
そしてこれが「意欲的に学習に取り組む」姿なんじゃないかと思います。

そんなことをしたら、教室が騒がしくなるのではないか……
そんなことをすれば、簡単に人に聞くようになるのではないか……
という疑問もあるかと思います。

しかし私の経験からすると、すぐに聞いてしまう生徒はほとんどいませんでした。
人に聞く前にまず自分で考えようとしました。
ですから、とても静かな雰囲気でグループ学習は始まります。

まあ、少数いる「すぐ聞く」生徒は、放っておいても授業から敵前逃亡したはずですから、
授業に関わっているだけ進歩だと思います。

それ以上に私たちがしなくてはいけないことは、
「聞くに聞けない生徒とグループの生徒をつなぐ」ことと
「学習が成立しにくいグループのケア」です。

「聞くに聞けない生徒」とは、何をどう聞いていいのかわからない生徒です。
必ず教室に数人いますね。
そういう「お客さん」のつまづきを見とり、
それを「○○さんは、ここのところがよくわからないようだから、教えてあげて」と他の生徒につないであげることです。

これは教師でなくてはできない、プロの仕事です。
その時、私たちが教えてしまわないように……。全員見てあげることはできませんからね。

「学習が成立しにくいグループ」とは、いわゆる「お茶目な生徒」がいるグループです。
支援の仕方はお任せします。
特に「要配慮」生徒がいる場合は、学級担任と相談しましょう。

いつグループ学習をやめるか
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昆布だしをとる時は「沸騰直前で」昆布を取り出すべきです。
それ以上やると味が濁ってえぐみが出て、料理全体を台無しにします。

グループ学習も同じだと思います。
課題が解決してしまった時点(ワークシートが終了した時点)で、その生徒の学習は終了してしまいます。
自分から進んで更に新たな課題を見つけ取り組み始めるならいいのですが、
それができる生徒は少ないでしょう。

終わった生徒から、敵前逃亡を始めるのです。
 
全員が終わるまで待っているのは、敵前逃亡の温床を育てることにつながります。
私の場合、7~8割程度の生徒ができれば、グループ学習は終了させます。

この時、席を必ず元に戻させます。
さもないと、いつまでもやっている生徒がいますから。

全体の8割の生徒がやり終わるまでにどのくらいの時間がかかるか……それを計算して「○分」と宣言するのもよいでしょう。
最初から誰もできないことを織り込み済みで「○分」と宣言するのもアリだと思います。
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「全滅」という言葉があります。
軍隊では「3割死傷で全滅」といわれているようです。
第二次大戦の米軍資料では、人員損耗率が攻撃において、師団20%、歩兵連隊30%、歩兵中隊40%に達したときが戦闘力の限界であったといわれました。
5割だったら「壊滅」です。

ゲームとは違いますね。

授業中思考を停止している生徒は何人くらいいましたか?
もし30人学級で3人いたのなら学級の1割です。
10人……2列分くらいの生徒の意識が授業から戦線離脱していたとしたら、
その授業は「全滅」判定が出ても文句は言えません。

授業が全滅かどうか、判定を出すのは生徒なのです。

授業が「全滅」や「殲滅」の判定をくらう前に、なんとかしましょう。

そんな時、お役に立つのが「グループ学習」です。

グループ学習は、「アクティブラーニング」との関係で話題にのぼることの多いようです。
「ゆとり教育」の中でも盛んに行われていました。

では、「グループ学習」って、何なのでしょうか。

佐藤学氏は、日本で普及しているグループ学習には3種類あるとしています。
  1. 班学習と呼ばれる「集団学習」
  2. 協力学習による「話し合い」学習
  3.  協同的学びにおける「グループ学習」
1は、班のまとまりを重視する学習です。
修学旅行や登山等の形を思い浮かべればわかりやすいでしょう。
班員一人一人がそれぞれの役割を果たすことによって班の目的を、ひいては全体の目的を達成していくタイプのものです。
これは集団主義(集産主義)の伝統に基づくもので、1930年代から1960年代に流行しました。

2は、最も普及しているタイプです。
班で決めた目標に向かって、一人ひとりが支え合いながら行う学習方法です。
班の中では、「話し合い」が行われ、班員一人一人が目標を立てながらも相談しあって問題を解決していきます。
“One for all, all for one.”というやつですね。

3は、佐藤氏の提唱する「学び合い」学習における考え方です。
男女混合の4人グループで、必要なら互いに聞き合うという関係で学習しましょう、というものです。

私は、学習の成果は個人が享受するものだと思います。
従って、学習は個人で行わなくてはいけないと思っています。

授業に対して後ろ向きの生徒に、どのように前を向かせるか……。
授業が「全滅」判定が出そうになって最も即効性があったのは、
3の「グループ学習」でした。

4人グループで

佐藤氏によると、グループは男女混合の4人を基本とするのが望ましいそうです。

男女混合にするのは協同の思考を活性化するためです。
みんな勉強しているから自分もやらなきゃマズいと思わせる、ということです。
お年頃ですから、異性の目ってきになりますよね。
男子だけ・女子だけというグループは、授業と関係のないおしゃべりを始める場合があります。
それをやりがちな生徒……クラスに必ずいますよね。

4人というグループの単位は、すべての生徒が対等に聴き合い学び合うのに、最適だからだそうです。

5人以上になると、「お客さん」が発生します。
誰かが仕切ってくれれば「自分は関係ない」と思ってしまう生徒がでてきてしまいます。
2対3になることもあります。
特に男女混合の場合、男子対女子に分かれてしまいます。

これらは戦線離脱の温床となります。
5人になるのなら3人グループを作るべきだそうです。

この4人グループは生活班と同じである必要はありません。
理科や技術家庭科の班は、最初から生活班ではないはずです。

授業中「はい、この4人がグループ。席を向かい合わせて!」と指示を出せば、1分で終わりです。
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そうは言っても、なかなかやる気にならないのが「宿題」です。
人間の意思決定や目的思考・行動のメカニズムは、神経科学的に証明されており、
目的意識が起きないことには理由があります。
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人間は環境の生き物です。
私たちの脳は、取り巻く環境や過去の経験などの影響を常に受けています。
個人の性格も無関係ではありませんが、育った環境や今置かれている生活環境、過去の経験などにより、人間の考え方や意識の持ち方は変わってきます。

人間が行動するための動機として、その根底には報酬の存在があります。
報酬とは、給与・金品に限らず、喉が渇いているのであれば「飲み物」、お腹が空いているのであれば「食べ物」、退屈しているのであれば「脳への何らかの刺激」など多種多様です。

このような、目的を達成するための刺激、誘因のことをインセンティブ(incentive)と言います。

(会社などではもう少し生々しい意味で使いますけどね。)

インセンティブがある代表的な職業は営業職です。
固定給+インセンティブ、いわゆる成果型報酬が支払われ、自分の給料を上げるためにやる気になり、その結果会社の売り上げも上がり、個人も会社も目的を達成することができてめでたしめでたし、となるわけです。

(現実にはそううまくはいきませんけどね。)
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インセンティブとは「働いた分に応じた成果報酬」という意味がありますが、その成果報酬はお金だけではありません。
「宿題」に対しては、どのようなインセンティブを与えることができるのでしょうか。

インセンティブには5つの種類があると言われています。

① 物質的インセンティブ

いわゆる成果報酬型金です。
学校ではお金を払うわけにはいきませんが、
やればやっただけ成績があがる」が物質的インセンティブにあたると思います。

しかし、やらなくても高い点数をとる生徒もいれば、いくらやっても成績が上がらない生徒もいます。

成績は客観的な評価でなくてはいけませんから、
「一生懸命やった分だけ良い成績をつける」というようなことをすると、信頼を失います

②評価的インセンティブ

その名の通り、生徒を評価することでやる気を駆り立てたり持続させたりしようとするインセンティブです。
これには心理的評価と地位的評価がありますが、宿題に関して言えば、ほめたり期待するといった心理的なものが有効です。

教師が「今日もがんばったね」とか、良い点数がとれなくても「しっかりやってることは知っているよ、がんばれよ」というように
先生が一言声をかけてあげるだけで効果が期待できます。

学習ノートに一言励ましの言葉を書き加えるだけでOKです。

③人的インセンティブ

先生の人間性によって生徒のやる気を持続させるものです。
部活などでよく見かけます。

宿題に関して考えると、
全く宿題をやらない(やる気のない)生徒に
「自分を認めてくれる先生のために、しっかりこの宿題をやってこよう」と思わせるものが
このインセンティブにあたります。

これは先生と生徒との関係が大切であることは言うまでもありません。

④理念的インセンティブ

理念的インセンティブとは、理念によって生徒のモチベーションを持続させようとするものです。
NPO法人とかボランティアなどが良い例ですね。
AppleやGoogleなど独自の理念がある企業も、これが無意識的に発揮されていると言われます。
共感させることによってモチベーションに働きかけるインセンティブです。

学校では無言清掃とか自問学習がこれにあたりますが、
宿題にこれをあてはめるのは難しいと思います。

⑤自己実現的インセンティブ

宿題を通して生徒が望んでいることが実現していくことで、やる気を持続させることです。

宿題にやりがいを持たせたり、これをやり通すとどうなるかという夢や希望を与えることでやる気が持続します。

私は「学習ノートはなるべく気に入った薄いノートを準備する」ように言って、
何冊やったかを目に見えるようにし
一冊終わる毎に賞状を渡す等の工夫をしていました。



これらのインセンティブは、
学校や教科全体で公的な評価基準をつくることが大切です。
そうすれば成績に反映させることができるようになります。

その場合「出した・出さない」という基準はいけません
なぜなら、それが明らかになると「宿題を出すこと」を目的化してしまう生徒が出てくるからです。

私たちは常に
出した・出さないでは評価しない。やってきた内容を見て評価する。出さなかった場合は評価できないので、美術や技術で作品を出さなかった評価と同じにする。」
と生徒に伝えていかなくてはいけません。

そして「内容で評価している」ことをアピールする意味でも、
提出されたノートに一言コメントを書くことは大切なことです。

しかしコメントを書くことによって自分たちの首を絞めてはいけません。
私たちの労力が軽減されるような書き込みの仕方を工夫すると良いと思います。



また、一生懸命やってもなかなか成果があがらない生徒とか、
なかなか成果が現れない領域があると思います。

やればやった分だけ成果があがればよいのですが、
逆に成果が出ない場合は他人の活躍を目の当たりにすることによって、モチベーションが下がることもあります。

成果が出ずにモチベーションが下がる生徒に対する配慮を決して忘れてはいけません。
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実は、インセンティブが明確になくてもやる気のある生徒がいます。

この「やる気」の正体は「成長」ではないかと言われています。

やる気の動機付けが外部からではなく、
内部、つまり自分でやる気を出すことができるのが「成長」なのです。

「成長」は、目には見えません。
また本人が自覚することは難しいと思います。

私たちは生徒の「成長」をしっかりと見つめ
それを認める目を養わなくてはいけないと思います。

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日本で宿題が誕生したのは、明治5年(1872)に学制が発布された9年後、
文部省(現文部科学省)が夏期休業日を定めたことに由来しているそうです。

欧米では9月に新学期が始まりますから、長い夏休みがあっても特に問題視されず、宿題もありませんでした。
ところが日本は、国の会計年度が4月始まりだったせいで、学校も4月から新学年が始まるようになりました。

勉強に慣れてきた4か月後に夏休みに入ってしまうと勉強が中断してしまいます。

そこで夏休みに子どもたちが授業の内容を忘れてしまうことのないようにとの考えから、いわゆる「宿題」が誕生したようです。

宿題は、もともと「学んだことを忘れないようにする」という目的があるのです。

学習指導要領等で強調される「考える力」とは、
複数の知識や経験を結びつけて新しい知識をつくりだす力
です。

私たちは既有の知識や経験がなければ「考える」ことができません。
しかし、今日「わかった」ことでも、忘却曲線に従って74%は忘れてしまうと言われています。
更に「わかった」状態であったとしても「できた」状態にするためには反復練習が必要です。
そして毎日の授業の中で「できる」状態にまで持って行くことは時間的に難しいことです。

宿題をやるのは、
新しい知識を生み出す(「考える力」を発揮する)ため、
学校で学んだ内容を定着させたり習熟させたりすることが目的
なのだと思います。

新指導要領で言う「育成すべき資質・能力」(「学力」のことです。「学力」と言うと面倒くさい議論が始まってしまうからなんでしょうね。)を伸ばすために必要な(基礎的・基本的な)知識や技能を身につけさせるのが宿題なのです。

ですから、
やっつけ仕事であろうが、いやいややらされるものであろうが、
目的を達成しさえすれば、手段は正当化される、というのは言い過ぎでしょうか。

いくら漢字練習帳を無理矢理やらせても効果はない、という意見もあります。
しかし、漢字練習をまったくやらない状態と、いやいやながらやらされた状態とを比べれば、やった(やらされた)方が良い成績をとることは当然です。

大切なのは、目的意識を持たせることで、効果的・効率的な学習にすることです。
何のためにそれをやるのか」をしっかりと理解させることです。

そのために、大きく分けると「教える」と「考えさせる」という二つの方法があります。

まず「何のためにそれをするのか」をそのつど教える方法があります。

例えば漢字練習について考えてみましょう。
「一日1ページやってきましょう」と言うと、生徒は1ページ埋めることしか考えません。
なぜなら「何のために漢字練習をするのか」が漠然としかわからないからです。

そこで、「次の漢字テストで○点以上とれるように漢字を練習してきましょう」と指示し、
次の授業の最初に小テストを行い結果を評価できるようにします。

すると
「だったら、こう練習すればもっと効果的なんじゃないか」と
自発性が芽生えやすくなるのではないでしょうか。

次に「質問する」ことで考えさせる方法があります。

質問されると、人はその答えを探そうとします。
「それができたらどうなるのか?」「それをすることの意味は何か?」など、
「その上位にある目的」を考えてもらう質問をすれば、
目的意識を高めることができます。

漢字練習帳の目的意識をもってもらうためには
「漢字練習は何のためにすると思う?」
「もし、漢字の点数が○点上がったら、あなたはどうなるだろう?」のように、
目的を考えるように問いかけると、
自然と「何のためにそれをするのか」を考えるようになります。

それができたら、あなたはどうなれる?/何が得られる?
それはあなたにとって、どんな意味があるの?
等が有効な問いかけでしょう。

「教える」も「考えさせる」も、その内容は共有させると一層効果的でしょう。

共有させるのは生徒たちばかりではありません。
「なぜ機械的な宿題を毎日やらせるのか」という疑問は保護者も持っていると思います。
機会をとらえて「学校ではこういう目的でやらせている」ということを家庭にアピールし続けなくてはいけません。
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イソップ物語に『牛をうらやむカエル』という話があります。

ある日、一匹の蛙が野原を歩いていると、一頭の牛に出会いました。
蛙は牛の大きな体を見て驚き、うらやましくなりました。
そして自分も牛のように大きな体になりたいと思いました。

蛙は家に帰り、妻と子どもの前で「お父さんは、牛のように体を大きくすることができる」と自慢し、体を膨らませました。
「ぜんぜん牛みたいじゃない」と妻と子どもはからかいました。
そこでまた蛙は大きく息を吸いこんで、体を膨らませました。
「まだぜんぜん牛みたいじゃない」

……これを何度も繰り返すうちに、蛙のおなかはパンパンに膨れ、
とうとう破裂してしまいました。

宿題もなく、クラス担任もなく、中間・期末試験もない……
学校の「当たり前」を見直し、
メディアや教育関係者、保護者などから注目されている東京都の麹町中学校があります。

この麹町中学校の実践に倣って、
いくつかの中学校の学級担任制や宿題を廃止したりしている学校もあるようです。
また、来年度に向けて、何かできることはないかと検討を始めた学校もあるかと思います。

宿題について考えてみましょう

実際に提出されたノートを見ると、単なる作業になってしまっている生徒が多いのは事実です。
漢字学習帳も提出ノートも、「やっつけ仕事」になっていると感じることがあります。

これを何とかしよう、というのは、良いことだと思います。

麹町中学校では、宿題を廃止したと言っても、ゼロにしたというわけではありません。
「宿題」という言葉を使うか「自主学習」等の他の呼び方をするかの違いです。

学校から提出を義務づけられた家庭でおこなう課題を「宿題」と呼ぶのなら、
「宿題」に対する学校の対応は次の二つです。
  • A 提出義務のある課題(宿題)出さない
  • B 提出義務のある課題(宿題)は出す
Aを行うと、みんな一生懸命家庭学習に取り組むようになるのでしょうか。
一生懸命に家庭学習をやるようになる生徒と、まったくやらなくなる生徒が二極化することは目に見えています。
そして、家庭学習に力を入れる場合は、塾や家庭教師に流れるご家庭もあることでしょう。
これは私たちが望んでいることではありません。

Bの場合は、「やっつけ仕事」にならないための工夫が必要です。
そのために、やる内容を「自主的」なものとして生徒に任せてしまう方法がよく選ばれています。

このやり方には二つの問題があります。

一つは、その生徒の学力を向上させるのに必要な内容と、その生徒がやりたがる内容とが一致しているとは限らない点です。

一致していない場合はいくらやっても成績は上がりません

そしてもう一つは、どのように評価するのか、です。

提出したかしないかだけで評価しては「やっつけ仕事」でも良いと言うことになってしまいます。

しかし、一人一人の自主学習の内容を丁寧に評価しようとすればするほど、
その評価を生徒にフィードバックしようとすればするほど、

私たちが提出ノートを見ることにかける時間や労力が膨大に膨れ上がります。

麹町中学校は「番町小→麹町中→日比谷高→東大」と言われる有名進学校です。
ここに通うために越境入学する生徒もたくさんいるそうです。
公立とはいえ、スタッフや予算、学校設備もそれなりであることは想像に難くありません。

麹町中学校は「大きな牛」のような学校なのです。

私たちがそれを真似しようと思っても、
おなかを膨らませて破裂してしまうのが関の山
……ということにならないといいですね。

では、どうしたら良いのでしょう。
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