十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントをおわけします。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

教科指導

教師の最も重要な仕事は授業をすることです。
なぜなら、生徒と最も多く接する時間は授業だからです。

この大切な授業を充実したものにするために、最近「授業力」という言葉が使われています。
授業力の定義はまだ定まったものがないようですが、とりあえず「子どもたちの確かな学力を保障する力」として捉えたいと思います。

生徒一人一人が安心して学校生活を送り、学習意欲や自信を持つためには、教師と生徒、生徒同士の好ましい人間関係を築くとともに、生徒がわかる・できる授業づくりを積み上げていくことが不可欠です。
そして授業中の発言がたとえ間違えたものだったとしても、しっかり位置づけ「君の考えによって私たちの学習が一歩前進した」「そんなことまで考えついたなんてすごい」というように、発言した生徒自身が教師や生徒から認められ評価されるというような「自己有用感」を高めていくことが大切だと言われています。

そこで教師は、児童生徒が「自己有用感」を高められるような学級・学習集団づくりを行うことが「授業力」の基礎となります。

この「授業力」を構成するものとして、東京都では
  1. 使命感 熱意、感性
  2. 児童・生徒理解
  3. 統率力
  4. 指導技術(授業展開)
  5. 教材解釈、教材開発
  6. 「指導と評価の計画」の作成・改善
の6つの要素を挙げています。

「授業力」には、その人が持って生まれた資質もあると思います。
例えば容姿端麗であれば生徒からの好感度は高いでしょうし、声が大きく滑舌がよければ指示も通りやすいでしょう。明朗快活な性格ならばポジティブな人間関係を構築しやすいと思います。

ならばそういう人にしか高い「授業力」を求めることはできないのでしょうか。
逆に、資質があるからといって、授業がうまくいくとは限りません。

昔々『キン肉マン』というマンガがありました。(今も続いていますけど……)
キン肉マン1210© ゆでたまご/集英社
その中の「夢の超人タッグ編」に登場したのが、モンゴルマン(ラーメンマン)とバッファローマンのタッグ「2000万パワーズ」です。
ここでいう「パワー」とは超人強度のと言って持って生まれた力を示す単位です。『ドラゴンボール』に登場するスカウターで表示される戦闘力のようなものですね。

「2000万パワーズ」と言っても1000万パワーのバッファローマンと100万パワーしかないモンゴルマンでは、合わせても2000万には遠く及びません。
しかしモンゴルマンは「パワー不足を補ってあまりある1000万の技がある」と言い、1000万のパワーと1000万の技を合わせて2000万パワーになるのだ、と大見得を切っています。

ed410436-caac-4ac7-adb2-f309446e3918©ゆでたまご/集英社
「授業力」もこれと同じです。

若いみなさんにはバッファローマンの1000万パワーくらいはあると思います。
しかしその多くは「若さ」という力です。

この力は生徒との距離を縮めることができる力です。
生徒に気軽に話しかけ、生徒も先生の話をよく聞いてくれるます。
また既成概念にとらわれず新しいことにチャレンジするということも可能にします。
ドラマやノベルに登場する若い先生の立ち位置ですね。

しかし「若さ」は失われていく力です。
失ってしまうまでに「若さ」に代わる力は何かを考え、見つけて欲しいと思います。

そしてそれ以上に「若さ」を補って余りある、授業での1000万の「技」を身につけて欲しいと思います。

そのために「授業力トレーニングテキスト」などのセルフチェックが大切だと思います。

自分の日常の授業をしっかり振り返り、みなさんにとってのカメハメ殺法の基礎としてください。


教師教育ランキング
このエントリーをはてなブックマークに追加

OECD(経済協力開発機構)によるPISA(学習到達度調査)の結果が発表されました。
日本では「読解力」の低下が著しいという結果がでました。

PISAの結果が悪かったために、若い先生たちが当時学んでいた「ゆとり教育」の見直しが行われたのはご存じの通りです。
そして今、教育委員会をはじめ各学校で、全国学調の成績を上げるためにどうしたらいいか、を考えています。まるで「全国学調の成績を上げることが正義である」かのような勢いです。

これは一面では正しいですからね。そして「学力」という言葉そもものを使わないようにした文科省は慧眼だと思いますよ。

全国学調に対する教育委員会の対応と同じように、PISAの成績を上げることに敏感になり、そのために万策を尽くし方向転換をすることすら辞さないのが文科省です。

だって産業界=社会の要請なのですからね。

PISAの成績はなぜ伸びないのでしょう。

それは学習塾で取り扱わないからです。

塾の目的は、一人一人の生徒が高校・大学入試に対応できる力を身につけさせることです。
PISAも全国学調も、その成績は一人一人に還元されません。

文科省は「そうならないように……」と言っていますが、どうなんでしょう。
文科省は全国学調の成績を入試に加味しようとした某地方自治体を必死で止めましたけどね。

ですから学習塾は、PISAや全国学調に特化した内容は教えません。

ところが現在、大学入試制度が改革されようとしています。
今回は英語の民間試験導入や論述問題等の問題は解決されませんでしたが、いずれ大学入試はPISA問題に似てくると思います。

既に難関大学の問題はそうなっているところが多いですね。

そして大学入試を変え、それによって高校の授業を改革し、高校入試を変え、義務教育も変えていこうということは「大学入試改革で雪崩を起こす」でお話した通りです。
今回PISAの結果が出て、教育改革は更に加速するでしょう。

今回のPISAの問題は、読解力問題を見ればわかるように、パソコン画面に提示されるブログや書評、ニュース記事を次々と読み、設問に答えていく形式のテストです。そして最後の問題は、これらのテキストを読解した上で、根拠をあげて自分の考えを書く問題になっています。
2018 読解力
確かにパソコンの操作に慣れていなければ不利なのですが、問題の本質はそこではありません。

この問題の特徴は、次々と提出されるテキストの情報を高速に処理していく力(情報処理能力)とその結果を組み合わせ、与えられた課題に対して最適の解を時間内に導き出す力(情報生産能力)の二つの能力を測ろうとするところにあります。

PISAが求める「読解力」とは、「憎きもの」でお話しした「読解リテラシー」のことです。
そして高度な増俸処理能力と情報生産能力については「二つの学力観」で少し説明させていただきました。

もしPISAが求めるものを測定するような問題が大学入試で一般化された場合、学習塾ではこぞって高得点がとれる指導に切り替えていくでしょう。そしてこれは必ず高校入試に波及します。塾はそのノウハウを中学生にぶつけてくることは想像に難くありません。

今は学習塾が「自分には関係ない」と横を向いているからPISAや全国学調の成績が上がらないのです。

しかし入試となると塾は時目の色を変えて指導ノウハウを確立し実践していくでしょう。
そしてその指導は、徹底的に過去問を解かせ、解くポイントを指導していくものになるのだと思います。

過去問をたくさん解かせれば全国学調の成績が上がることは各都道府県レベルで実証済みでしょう。そしてその解法テクニックをうまく解説してやれば鬼に金棒です。……これは私が実際やっていました。
edf29a2ee3ed85696bd3241194f9549c

その時学校は……

これは国語科の問題だけではありません。社会科も同じです。
そして国際化の時代、テキストはすべて日本語で書かれているはずがありません。英語で書かれたテキストに対してこそこの能力が求められている……だから英語教育に力を入れているのでしょう。

数学的リテラシー、科学的リテラシーの問題も同じです。
公開されている2015年の科学的リテラシー問題は、数値や図表・グラフ、あるいはデータの正当性等を問うもので、内容的に今回の読解リテラシーの問題と変わりがないのです。

今、受験戦争が最も厳しいとされる某隣国は低下傾向にあります。今までの入試問題に対応している知識重視の授業ではダメなのです。

そしてそう遠くない将来……おそらく3~5年後、わたしたちが旧態依然の、教科書の内容をただ教えようとする授業を展開していたら、生徒や保護者は学校への信頼をなくしてしまうかもしれません。

……授業改革を行うのは、今しかないのです。


教師教育ランキング
このエントリーをはてなブックマークに追加

提出ノートで予習をするか復習をするかは、それこそ自分自身が何を目的にするかで違ってきます。
slump_bad_man_study

「授業がよくわからない」という生徒は(授業の受け方を考え直すとともに)家庭学習で予習をしてから授業を受けるという方法が考えられます。
逆に「授業中は理解していたつもりなのに、何日か経つとできなくなっている。」という生徒には、復習をすることで記憶を定着させればいいのです。

ただ、どちらにも言えることは「継続は力なり!」毎日、続けて家庭学習に取り組むことです。一言でいえば「努力すること」です。

家庭学習の注意点

注意点1 宿題から予習・復習の時間へと、学習の幅を広げる

まず各教科から出された課題からとりかからせます。
ワークブックなどは、定期テストや学期末に提出させられることがわかっています。そしてその内容は定期テストと直結しています。ですから授業と共に進めていくのが正解です。単元プリントのやり直しも良いと思います。

ただ形式的に早くすませようとするのではなく、授業で習った内容を思い出したり、教科書やノートを見直して学習のポイントを確認することで、自分が何を身に付けなければならないのかがわかります。
そこから自分で伸ばそうと思うことや克服しようと思うことを見つけていくように指導します。
これをやっている時「ここ、もう忘れている」と思ったら、教科書やノートを見返して復習するように指導します。

 まあ、これができるんだったら、苦労はしないんですけどね。
これを学活等で取り扱い、クラスの中で数人がやり始めれば大成功だと思いますよ。

注意点2 机に向かったら、すぐに勉強を始める

『ドラえもん』ののび太君の姿です。
机に向かっていても、マンガを読んでいたり、うとうとしていたりすると効果は上がりません。

まあ、これを言ってもなかなかできない生徒が多いですね。

時間を決めて計画通りに勉強することを習慣づけるため、どの学校でも定期テストの前に「学習計画表」を書かせていますが、これをきちんと実行させるだけでも効果が大きいと思います。

注意点3 今、長時間費やしていることを勉強時間にあてさせる

ゲームやTV、PCやスマホ・携帯の時間が長ければ、時間のルールを決めたり、一定時間それをやめて、勉強時間にあてるように指導します。

しかしこれが一番難しい指導です。
なぜなら家庭の協力なしには生活パターンを変えることはできないからです。

「何かを得るには何かを我慢しなくてはいけない」ことをしっかり生徒と家庭に伝えます。

何を我慢し何を手に入れるかは個人の自由です。
しかし「あの時ああすりゃよかった」と手遅れにならないよう、有名な塾の先生が「今でしょ」と言いましたが、今がその時であるということを、生徒や保護者に教えてあげなくてはいけません。

ただし、これすらできない家庭が多くなっていることも事実です。

しかし一度はきちんと保護者にお話しし、それができない場合は学年主任や教務主任・教頭先生に相談し、それでもダメなら……家庭や本人の自己責任だと思います。

教育基本法第十条には次のように書かれています。

  •  第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
  •  2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
学校としては第2項を尽くした、と言えるだけのことをしていれば良いのだ、と割り切りましょう。

担任は生徒の指導はしますが、保護者は指導の対象ではありません。
第1項に問題がある場合は、学校あるいは学校外の組織の出番だと思います。


教師教育ランキング
このエントリーをはてなブックマークに追加

提出ノートが評価の対象である以上、当然それに応じた指導が必要です。

年度当初ガイダンスを行い、学校によってはパンフレット等を配布してやり方を説明していますが、なかなかその通りにやらず、生徒によっては形式的なものになってしまうこともあるようです。
これが批判の対象になるのですね。

提出ノートをやることによってどんな効果があるか、これを生徒に理解させ、実感させなくては、なかなかきちんとやってこないでしょう。

例えば国語科の白文帳のように内容が指定されていれば話は別ですが、やる内容を生徒の自由に任せた場合は、多くの生徒や家庭にとって「何をやったらいいのか」ということになります。

自主学習はなぜやるのでしょう。

エビングハウスの忘却曲線というものがあります。
1963616ae4d78edeb5505720d905a5aa

一度習ったことでも一定期間経つと忘れてしまう、ということをグラフに表現したものです。

エビングハウスはこの研究の中で、次のようなことを突き止めました。
  • 何かを学ぶ時、その知識が学習者にとって意味のものであったり重要なものであったりした場合、暗記は楽である。逆にその内容が学習者にとって意味のないものであれば、すぐ忘れる。
  • 学習に時間をかけると、吸収できる情報量も増える
  • 一度目の学習より二度目以降の学習の方が簡単になる。復習を重ねるごとに忘れにくくなる。
  • 一度にたくさん学ぶよりも、時間をかけて何度かに分けて学んだ方が、学習効率は上がる。
  • 学んだ直後から物忘れは始まる。最初は一気に忘れ、次第にゆっくりと忘れるようになる。
その後の研究により、
  • 学習した後24時間以内に10分間の復習をすると、記憶率は100%に戻る。
  • 次回の復習は1週間以内に、たった5分すれば記憶がよみがえる。
ということがわかってきました。
そしてその次の学習は1か月以内に2~4分復習すれば、また記憶は復活すると言われています。

中学校での家庭学習は、予習と復習が大切だと言われます。
予習は「授業を理解しやすくする」のに役立ちますし、前日の予習があれば当日の授業は第1回目の復習と考えることもできます。

「予習はしない」というような指導をしている小学校の担任の先生もいるようですが、中学校ではそれは通用しないことをきちんと教えてあげましょう。

また復習は、「授業で理解したことを自分の学力にする(考察力や知識を確かなものにする)」のに役立ちます。
今まで何度も言いましたが、「わかる」段階を「できる」段階にまで引き上げるのが提出ノートの役割だと思います。

「考える力」とは、複数の知識を結びつけ、一つの知識を創り出す力に他なりません。
新しい知識の創造は「ひらめき」も必要かも知れませんが、もともとの知識がなければとても難しいことだと思います。
もともとの知識があった上で新たな大量の情報を与えられ、それを分析・評価し、新しい知識を創出することが求められている時代なのです。

「生きる力」で求められる力の基盤には知識があり、知識を定着させるためには学校の授業だけでは不可能です。

これはかけ算九九の学習で、学校ではその考え方を学び、家庭を中心として暗誦させるのと同じことです。

今後の学校の授業では、かけ算九九のように情報処理能力や情報生産能力をつけるのに特化されていくのではないでしょうか。

社会の変化と共に限りなく増え続ける知識を身につけ、その上で情報処理・生産能力を身につけることはとても難しいことです。本当にできるのでしょうか。

今から20年ほど前、ゆとり教育に舵を切った頃のことです。
当時の教育課程審議会の会長であった三浦朱門氏は「出来ん者は出来んままで結構。100人中2~3人はいるはずのエリートを伸ばす。それ以外は実直な精神だけ持っていてくれればいい」とゆとり教育導入の目的を語っています。
ダウンロード

それから20年、今回の教育改革によってもたらされるものは「AIを使役するか、AIに使役されるか」の選別であるように感じます。
これまでのセンター入試のように大量の情報を的確に情報処理するだけであればAIに劣りますから、AIを使役することなどできません。
今文科省が目指しているのは、PISA型学力に代表されるような、大量の情報を処理した上で新たな情報を創り出す情報生産能力であると言えます。
この情報生産能力があってはじめてAIを使役することができるのだと思います。

エリートになれない「100人中97~98人」に対しては「みんな違って、みんないい」と言ってきたのだとすると、それはとても哀しいことです。(そしてその文脈で「身の丈」発言が出てきたとすると怒りすら覚えます。)

以上の私の感想は誤りであることを祈っています。

しかし、たとえ「100人中2~3人」にはなれなくても、生徒たちにはできるだけ多くの知識を身につけて欲しいと願っています。

例えば国語科で「漢字が読めない」「言葉の意味がわからなくてもスルーしてしまう」のでは読解力はつきません。
英語科でも単語力(単語・イディオム)がなければ「読む・聞く・話す・書く」は満足にできないはずです。
数学科では、例えばピタゴラスの定理が身についていない生徒は、テストの度にその場で定理を証明しなくては問題を解けません。
理科や社会科だって、小学校で習った直列つなぎと並列つなぎの知識がなければオームの法則やフレミングの法則は理解できないでしょう。

普通の中学校の生徒たちは、みんな某有名進学校のような家庭に育っているわけではありません。
そんな生徒たちが、AIに使役されない、人間らしく生きていくための手助けとして、私は「提出ノート」は必要だと思います。

生徒の将来を見据え、今何が必要かを、生徒や家庭と一緒に考える機会があるとよいですね。


教師教育ランキング
このエントリーをはてなブックマークに追加

syukudai_natsuyasumi_girl_aseru

パターン1 もともと提出する気がない
 
このタイプの生徒は、普段から勉強に関心を持たないことが多く、「提出物なんて、出しても出さなくても関係ない」「テストの点さえ良ければ成績は上がる」などの明らかな思い込みや勘違いから、提出物に真面目に取り組むことができません。
ひょっとしたらご家庭も似たような考えを持っている可能性があります。

このような生徒に必要なことは、「提出物の重要性」をよく理解させてあげることです。

中学の成績は「テストの良し悪し」で決まるのではありません。もちろん、学力の達成度としてテストの点が基準になることは事実ですが、ご存じの通り、通知表(あるいは調査書の評定点)は 「定期テスト+授業態度+提出物」で決まると言っても過言ではありません。
提出物は評定における「関心・意欲・態度」に関わっています。

この定期テスト、授業態度、提出物等を総合したものによって通知表の「1」から「5」までの数字が決まります。
これは各学校で教科の評定評価基準として決められています。(内容はマル秘ですけどね。)

そして「提出物」について言うなら教科内の申し合わせによって「未提出が多い場合は最高評価Aはつかないことがある」ということがあるのではないでしょうか。

これらは、きちんと教科内ですりあわせをしてありますから、教科担任によって差があるということはありません。

評価は「評価」のA、B、Cと「評定」の1~5が連動しています。
ですから、まったく提出できない生徒はテストで最高点をとったとしても評定5をゲットするのは難しいと思います。

ただし特別な事情がある場合は考慮されることもあります。

小学校からのポートフォリオの導入が言われている現在、高校入試・大学入試を視野に入れると、一気に挽回することは不可能となりますから注意してください。

いずれにせよ、まだまだ生徒自身が「提出物の重要性」を認識していない場合、生徒と共にご家庭にもその重要性を認識させ、「提出物=小テスト」だと考えるように伝えしましょう。
テストではよほどのことがない限り、白紙の解答用紙を出す生徒はいないと思いますが、提出物でも全く同じことで、提出物を出さないと、テストの白紙と同じように採点対象とならない(0点と見なされる)ことを伝えるのです。

実際のテストでは答案用紙を埋めようと必死になるのに対し、提出物では毎回白紙を出している……こう考えると提出物を出さないことがどんなに損なのかをわかってもらえると思います。

パターン2 出すことをすっかり忘れてしまう

誰しも経験があることかもしれませんが、パターン1が確信犯であるのとは異なり、「提出物を出すつもりでいるにも関わらず、ついつい忘れて出せない」というタイプです。

毎日提出が義務づけられているものを「忘れた」というのは単なる口実ですが、イレギュラーな提出物を特に忘れてしまう生徒がいます。
これは、本当に提出することを忘れる場合もありますが、提出の準備をすることを忘れ、その結局提出できずに「忘れた」と言う場合も含まれます。
特に、部活などで普段忙しくしている生徒ほど当てはまりやすいようです。

このような生徒に必要なのは「期限」を忘れないように計画的に進めることです。

私の場合、連絡黒板の横に大きな月別のカレンダーを置いて提出期限を書き入れ、連絡黒板には「提出物はいつまで」「提出まであと○日」等、係の生徒に書かせました。
これは各教科いろいろあり担任として全体を把握できないからです。

更に学級通信に、定期テスト以外の「テストの日」や「提出物はいつまで」などを書き、「学校はきちんと家庭に連絡しようとしている」ことをアピールしました。
学級通信を家庭に出さない生徒もいます。そんな時は「このようにご家庭にお知らせしているのですが……」と懇談会等で保護者に見せ、家族のコミュニケーションをとることの大切さとからめて家庭で協力するようお願いしました。

パターン3 期限内に終わらない、期日を守れない

これは提出期限に間に合わない生徒です。
ちゃんと取り組んでいるのにも関わらず、提出物を出せない生徒は、普段の勉強でも要領が悪かったり、計画的に進めるのが苦手だったりするのが特徴です。
中には、「キッチリしたい」という完璧主義がアダとなってしまってなかなか出せない子も考えられますが、めったにいません。

このような生徒に必要なのは、家庭学習の習慣づけを軸に、計画的に少しずつ取り組むことの練習です。
テスト前に一夜漬けでできる生徒も中にはいますが、少なくとも三年の復習テストや総合テストでうまくいくとは思えません。
それにパターン3の生徒はたいてい一夜漬けが苦手なので、普段の学習の中に盛り込んでいく必要があります。

これには、ご家庭の協力が必須です。
しかし協力が期待できない場合は個別指導の対象となります。

どのような内容をどこまで学校で面倒をみるか、どこから家庭で面倒をみるか、
教育基本法に、教育の責任の第一義は家庭にあると明記されていることを念頭に、懇談会等でしっかりと決めることが第一歩だと思います。

教師教育ランキング
このエントリーをはてなブックマークに追加

そろそろ、保護者懇談会のシーズンです。
保護者懇談会の話題の一つに、毎日の提出ノートがあると思います。
毎日きちんきちんと提出できる生徒は特に話題にもならないと思いますが、なかなか提出できない生徒には是非話題にしたい……そんな気持ちも強いかと思います。
ill_note
家庭学習の提出ノートに限らず、提出物がなかなか出せない生徒への指導はどうしたらよいでしょう。

「提出物はきちんと出さなくてはいけない」ことは、どの家庭も知っていることだと思います。
しかしこれをタテマエとしてでなく本音では認識していない生徒がいることも確かです。

提出物を出さなかったり提出期日が守れなかったりすると、受け取る側が困るのは当然のことです。
しかし他人の痛みはいくらでも我慢できるため、提出物の大切さをそれほど重要視していないという実態もあるかも知れません。

学校に限らず、提出物を提出しないで本当に困るのは出す側なのです。
これをまず生徒と家庭に知らせなくてはいけません。

一般的な中学の「態度・意欲・感心」の評価に大きく影響するというのを知らないご家庭もあります。
そのようなご家庭には、提出物の出し方の差で、通知表の評定が上下する可能性もあることをまず伝えなくてはいけません。

「ウチの子はテストで○○点をとったのに、なぜ通知表の評定が○なの?」と言われないようにするためでもあります。

特に定期テストや学期末の提出物の課題は、テストと並んで重要です。

評定値1pはテストにして20点分くらいの破壊力があると言われています。
特に技能教科では致命傷となります。(ここまでは保護者に言う必要はありませんけどね。)

当然生徒には事前にしっかりと知らせます。
ついでに「だから係は、不正を許さずきちんと提出を調べるんだよ」と念押しをしておきます。
提出しない生徒はいろいろ理由をつけて係に印をつけるように迫っているようです。
「おや、これは変だな」と思ったら、係のチェックが正しいかきちんと調べる必要もあると思います。

それでも「中学の提出物なんて大した問題ではない、なぜそんなに大げさに言うのか」と考える家庭もあるかも知れません。

なぜそんなに提出物にこだわらなくてはいけないのでしょう。

「提出物」が評価に響くのは中学だけではないからです。
高校や大学などの教育機関ではもっと重要視されます。レポート提出の機会も多く、これにより単位の有無が決まるといっても過言ではありません。
また社会人になれば期限通りに提出できない場合は給与の査定に響くことはもちろん最悪クビになります。

だから、今から「提出物をきちんと出す」習慣を身につけさせることは、これからのその子の人生に対して必要なことなのです。
このことを生徒だけでなく、保護者も理解し協力していただかなくてはいけないことをしっかりと伝える必要があると思います。

生徒にだけ、保護者にだけ伝えるというのはよくありません。
これらのことは、生徒全体に対して指導するのと同時に、きちんと提出できない生徒には個別指導すること。そして懇談会などの機会をとらえ保護者にもお伝えしなくてはいけません。

保護者に伝える時は、提出状況などを示した数値的データがあると説得力が増すでしょう。

3年生の調査書を作成する時期になって態度を豹変させても手遅れとなります。
一日も早く克服しないといけないことを真摯にお伝えしましょう。
(くれぐれも言い方に気をつけてね。誤解されて学校との関係がおかしくなるようなことのないようにしましょう。)

教師教育ランキング
このエントリーをはてなブックマークに追加

昔々、ザ・ドリフターズとコント55号いうコメディアンがいました。
ドリフターズのリーダーいかりや長介は亡くなりましたが、加藤茶や志村けんが、コント55号では萩本欽一がまだメディアに出ていますから、名前くらいはご存じかもしれません。

ドリフターズとコント55号は1960年代末~70年代にかけて、子供たちの間で面白いコメディアンとしての人気を二分していましたが、その芸風は大きく違っていました。
ドリフターズは計算されつくされたシナリオを、コント55号は台本にない当意即妙のアドリブを、その身上としていました。
images (1)ザ・ドリフターズ
これは、ドリフターズはかのビートルズ日本公演の前座を務めたことからもわかる通り音楽バンドが出自であり、コント55号は演芸場出身のたたき上げの芸人であったのためであるとも言われています。

imagesコント55号
この二つのコメディアンの特徴は「生徒との対応が絶妙である」「指導案がきちんと書ける」と置き換えて考えることができると思います。
いずれも盛り上がりがあり力のつく授業に対して必須の条件です。

二つのコメディアンが成功した理由は、萩本欽一という舞台の天才がおり、いかりや長介という緻密で厳格なリーダー兼シナリオライターのいかりや長介がいたためです。

みなさんが萩本欽一やいかりや長介でない限り、その片方のみでよりよい授業を目指すことは難しいと思います。

生徒との絶妙のやりとりの中で本時のねらいを達成するためには、演芸場出身のコント55号がそうであったように、長く意図的な、毎時間の授業での修練が必要です。

しかし緻密で計算され尽くされた指導案は、きちんと書く訓練さえすれば、みなさんにもある程度作れるようになると思います。
指導案作成にかかる時間は、訓練をすればする程、確実に短くなるのです。

天才や秀才でない、普通の私たちは、ドリフターズとコント55号の両方の属性を身につけて、はじめて一人前になるのではないでしょうか。

「指導案などなくても授業はできる」ということを聞いたことがあります。
しかし、それで生徒が自ら考え、自ら動いていくような授業が成立することは稀なのではないでしょうか。生徒の鼻面を引きずり回したり、一方的にご高説を賜る講義型の授業になってしまってはいけないと思います。

逆に「指導案は立派だけど授業はイマイチ」という話は聞いたことがありません。

若いみなさんには、今きちんとした指導案の書き方を身につけていただき、これから何年もかけて授業のライブ感を培って欲しいと願っています。

これが『論語』にある「学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」にならない方法なのではないかと思います。

若いみなさんには「若さ」というかけがえのない宝石があります。
しかしこれは、時と共に失われてゆく儚い宝石です。
この宝石が失われたとき、授業という場で「若さ」以上の輝きを放つ宝石を身につけているように、今から自分の技量を磨き上げて欲しいと願ってやみません。
このエントリーをはてなブックマークに追加

職場体験学習で、生徒に人気のある職場の一つにケーキ屋さんというのがあります。
将来パティシエになりたい、という夢を持っている子もいるのではないでしょうか。
ダウンロード
パティシエになるために必要な資格はありません。
一般的には専門学校(製菓学校や料理学校の製菓コース)や短期大学など、
学校で基本的な知識や技術を身につけてから求人を探す人も多いようです。

学校を卒業したあとに、
洋菓子の本場と考えられているフランスなどの料理学校への留学をめざしたり、
有名ホテルのパティシエ部門で修業を積んでキャリア形成をし、
将来が自分のお店を持つ
……というのが理想的な進路ですね。

ところで,まともなケーキ屋さんは売れ残ったケーキがあっても決して安売りをしません。

なぜでしょう。

それは、もし夕方に割引したら客は夕方にしか来なくなってしまいます。
それでは経営が成り立たないからです。

それに,そのお店のブランドイメージを傷つけます。
「売れ残りを割引」はやはりいいイメージはないですよね。

まあ中には次の日に前日の売れ残りを「本日のサービス品」として売ってるお店もありますが…。
25日のクリスマスケーキの比喩を考えればイメージがわきますね。

授業も同じです。

テスト直前に「ここ、テストに出るぞ」とテスト範囲の復習をやってあげたらどうでしょう。

確かに“復習の授業”でやった問題が出て点数が上がれば生徒は喜ぶかも知れません。
しかし「毎日の授業って、何だったの?」「テスト直前の“復習の授業”を受けていればいいの?」ということになってしまいます。

しかも復習で点数を上げることができるのは、所詮暗記が効く知識レベルの問題です。
知識以外は、類似の問題を教えて練習させるしか方法がありません。

“復習の授業”は夕方に売れ残りのケーキを売るケーキ屋さんと同じです。
毎日の授業でしっかり定着させることができなかった、積み残しの内容を安売りしているだけなのです。

その教科の先生方全員が申し合わせて知識のブラッシュアップのための“値引きセール”をやっているのなら問題はないと思います。
しかし、もし“値引きセール”を潔しとしない先生がその教科に一人でもいたとしたら…。

生徒はその先生をどう思うでしょう。
毎日の授業をどう思うでしょう。

私たちの使命は、生徒の点数を上げることだけではないと思います。
(まあ、そういう面もあることは否定はしませんが…それが第一義でないことだけは確かです。)

基本“復習の授業”を主に行っているのは塾です。
そして塾に先んじて学習を進め、学習指導要領に示される学力をつけるのが“学校”です。

テスト前の“復習の授業”というのは、
“学校”というブランドイメージを大きく損なう行為なのではないでしょうか。

現在“アクティブラーニング”という考え方が大きく取り上げられています。
指導要領から文言がはずされましたが…私は良い判断だと思いますよ。

アクティブラーニングというのは、
知識などを受動的に身につけることに対する痛烈な批判が根底にあります。
「考える力」とか「解決する力」とか、難しい事はよくわかりませんが、
一方的に教えるのが授業ではないよ、という考え方です。

“復習の授業”はこれに逆行しているような気がしてなりません。

みなさん、時間が余ったら
「テスト勉強の自習だよ」と言い、復習は生徒に任せましょう。
そしてテスト前に時間が余らないように、きちんと教材研究をして毎日の授業を充実させましょう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

若いみなさんには、年に一回はフル指導案を書くことをお勧めしています。

なぜでしょう。
images
授業はアーティストのライブステージと同じです。
ライブステージは、行き当たりばったりにやっているわけではありません。
二流以上のアーティストならば、お客の反応を細かに予想してステージが盛り上がるように台本をつくり、その台本通りに進めながら、更にお客の反応を見てアドリブで台本を変更しています。

お客はこの台本を意識することはありません。
アーティストに上手にノせられ、アーティストもお客のノリを利用して
ライブの盛り上がりを演出しているのです。

授業もまったく同じです。

そして指導案はステージの台本にあたります。
アドリブで何もない状態で、50分間授業をもたせるというのは、
プロのアーティスト(教師)ではありません。

みなさんは教育実習の時に指導案を書いたことがあると思うかも知れません。
私はかつて某国立大学教育学部の附属に勤務していました。
その時の経験から、教育実習生の指導案というもののレベルは十分に知っているつもりです。

更に指導案には、その地方、その組織独特の書き方があります。
それは、授業に対する主義・主張……いってみれば思想が異なるからです。

また各地方自治体にはそれぞれが主導して作成した形式があり、
その奥にはそれぞれの地方独特の思想があると私は考えています。

特に「生徒の意識を大切にする」という考え方は、
ライブステージでお客の気持ちの盛り上がりを大切にし、予測し、
ステージ(授業)の山場を演出していくのと同じだと思います。

そして、フル指導案というのは単元全体を見渡しての計画を記したものです。
一時間の授業は、それだけで完結するものではありません。

一時間の授業は、前の授業までの流れの上に成り立っています。
そしてその授業は次の授業からの授業に影響を与えます。
更に大きく、小学校の時に何を教わってきたはずなのか、高校に行って何をを教わるはずなのかを見通しての一時間の授業なのです。

これを縦の系統と言います。

そればかりではありません。

例えば、国語の場合、
1年生に「ダイコンは大きな根?」という単元がありますが、同じ時期に理科で学習する「葉・茎・根のつくりとはたらき」がどこまで進んでいるか、
2年生の「君は『最後の晩餐』を見たか」という単元で、遠近法や構図のとり方の指導はどこまで美術で習ったか、
3年生の「故郷」で、生徒は明治以降の歴史をどの程度知っているか、
これらを頭に入れて授業をしなくてはいけません。

これを横の系統と言います。

以上の教科指導の要素に、クラスの雰囲気等、生徒指導的な側面を加味して、
単元の計画や本時の計画をたて、それを言語化し可視的なものにしたのがフル指導案なのです。

こういうことがすべて頭の中に入っているというのは、
プロ中のプロ、大ベテランの先生でしょう。

そうでもない限り、
フル指導案が書けない、書いたことがない、というのは、
しっかり考えたことがない、というのと同義なのだと思います。

若いみなさんは、少なくとも数年以内には研究授業をやることになるのではないかと思います。
その時に「自分は教育実習でしか指導案を書いたことがない」とか「本時案の略案しか立てたことはない」と言って欲しくはありません。

完璧な指導案を創ることを考えるのではなく、
完璧な指導案を求め続ける気持ちを持っていただきたいと思います。

この気持ちが、より完成度の高い授業につながると考えるからです。

そのためには、まず指導案を書いてみることです。

そして指導案を元に、自分の授業を振り返り、
どれだけ自分が生徒の意識を見切ることができたかを確かめ、
更に教師としての技量を高めていっていただければと思います。

がんばりましょう。

このエントリーをはてなブックマークに追加

images
  • 蓬(よもぎ)、麻中に生ずれば、扶(たす)けずして直し
これは「荀子」の言葉です。
「そのままではふにゃふにゃしてしまう蓬でも、ピンと立つ麻畑の中に生えれば、おのずとまっすぐに伸びる」という意味です。

ある先生の体験談から…

  • 中学2年生の担任をしていた頃、ある学級を受け持ちました。その中学校は2つの小学校の児童が入学してくるところです。小学校ではゴタゴタがあったのでしょうか。一年間、生徒の「仲間関係」を修復するために、私自身も生徒もとても苦しい思いをしました。学級の中にまとまりが出てきて明るい学校生活が送れるようになったのは3年生の後半になってからでした。卒業時にはみんな晴れ晴れとして自分の進路に旅立つことができましたが、担任としては密かに悩んでいたことがありました。それは勉強のことです。私が受け持ったその学級は,1年生から卒業するまでの間、いつのテストでも学年の中で常に最下位の平均点でした。
仲間関係がうまくいかなかった学級の成績が上がりにくいかったのはなぜでしょう。
(学級の平均点が低いクラスは仲間関係がうまくいっていない、ということではありません。念のため…)
images (1)
  • 勉強は『自ら学ぼうとする意欲』、言い換えると『やる気』によってその結果が左右されることがあります。この『やる気』は周囲の人(親,友人など)から【受容】されているという気持ち(私は受け入れられているんだという気持ち)によって形成されます。この【受容感】は,出生児の親に受容されていると言うことに始まり、幼児期・小学校・中学校での仲間関係の善し悪しで、高くもなり低くもなると思います。つまり、勉強の『やる気』は、自分の周囲の仲間関係で大きな影響を受けることが考えられます。(筑波大学 教育心理学博士 桜井茂男)
成績は、その子の仲間関係だけで決まるものではありませんが、無視できない要素なのです。
生徒同士が互いにすばらしい発想や意見を認め合う場面を毎日の授業でいかに仕組んでいくか、が
私たちに課せられた課題です。

「あの子はどうだ」とかいう偏見を打ち破り、
互いに認め合い高め合う授業を創造することは、
いじめのない教室を作ることにもつながると思います。

学級という“麻畑”を耕し育てるのは、
生徒が学校にいる時間のほとんどである授業です。

教科の授業を通じて、いじめのない学級を創ることは、
私たち教師の一人ひとりの使命だと思います。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ