十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントをおわけします。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

説明的文章

もうすぐクリスマスです。クリスマスといえばキリストの降誕祭(誕生した日を祝う祭……誕生日とは違います)です。
一方、キリストが十字架にかけられたことをお祭りするのは、春分の日の後の満月直後の金曜日で、グッドフライデーと呼ばれます。そして、その三日後はイースターと呼ばれ、キリストが復活した日で、キリスト教において最も重要な祝日の一つです。イースターエッグは、ひよこが卵の殻を破って出てくる姿が、キリストの蘇りを象徴しているそうです。

最後の晩餐は、キリストが処刑される前夜に行われたので、グッドフライデーの前日の木曜日、ということになります。
誕生した日も十字架にかけられた日も、長い冬が終わり温かな春の訪れを告げる春分の日と関わりがあります。
まあ、「君は『最後の晩餐』を知っているか」は、別にクリスマスともイースターとも関係ありませんが、時期的な話題としては面白いと思います。

しかしそれ以上に、現場で国語の授業は書き初めや文法等のやり残しの指導に追われたり、通知表の作成や進路指導に追われたりしているというのが正解ではないでしょうか。個人的には、そろそろ年賀状も作らないといけませんしね。

いずれにせよ、この教材を4時間で終わりにするのは、とても難しいと思います。

ダヴィンチの『最後の晩餐』に対し、筆者は何を、どのように評論しているのかを読解することを通し、説明的文章の読解能力を高めるのが目的です。

つけたい力は、前にも述べたとおり、

  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
  • エ 文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。
です。
4時間という縛りにとらわれると、「構図」「解剖学」「遠近法」「明暗法」などの用語に目を奪われ、筆者が主張したい「かっこいい」「本当の魅力」「ドラマティック」などの「抽象的な概念」を軽く扱うことになりがちです。

私はまず、導入部第4段落「なぜか『かっこいい。』と思った」に注目させ、「かっこいい」と思った理由を説明する評論文であることをおさえます。そして全文を通読させ、「なぜ『かっこいい』と思ったのか」わかる部分を探させます。(1時間目)

次の時間は、生徒が探してきた部分を発表させます。「かっこいい」という語が出てくるのは、第16段落「これが『最後の晩餐』を『かっこいい』と思わせる一つの要因だろう。」と第19段落「だから、いきなり『かっこいい。』と思えるのだ。」の二箇所ですから、生徒の意識はこの二文に集中します。このどちらが「かっこいい」と思った理由として適切であるかを考えさせます。
とうぜんこの過程で、文章中の位置や、「一つの要因だろう」と「思えるのだ」という文末表現などが問題になると思います。この中で、結論は文章の最後の方にあり、断定した言い方をすることが多いことを抑え、更にそれを確かめるために文頭の「だから」や「これが」の内容を考えさせます。(2時間目)

そして、それぞれ指示語の指し示す内容や、同義の表現などを逐っていく中で、筆者の主張が理解していきます。
構造図

ここで大切なのは筆者の意図を理解することではありません。
何を説明しようとしているのかを理解し、指示語や同義の表現などを逐っていくという評論文の「読み方」を身につけさせていくのが本単元のねらいなのです。(3時間目)

たった3時間で、単元のねらいを達成できる生徒は少ないと思います。
そこで最後に、実際の問題を解かせて、ねらいの達成を図ります。単元プリントでは不十分ですので、自作のプリントをやらせます。(4時間目)
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実際に授業で使用したプリントをBOOTHにておわけいたします。
よろしければご利用ください。

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第19段落に「だから、いきなり『かっこいい。』と思えるのだ。」とあります。

第4段落の「なぜか『かっこいい。』と思った。」に対応する部分です。
「かっこいい」と思った理由が第5段落以降の本論であり、この第19段落が結論部分といえるでしょう。

単純に考えると「だから」の直前「つまり、レオナルドが絵画の科学を駆使して表現したものが、とてもよく見えてくる」から「かっこいい」と思えると筆者は言っています。

ここでいう「絵画の科学」とは第3段落で言う「解剖学」「遠近法」「明暗法」「など」ですが、これを駆使して描いたから「かっこいい」と思ったのではありません。
「絵画の科学を駆使して表現したものが、とてもよく見えてくる」から「かっこいい」と思ったのです。

では「絵画の科学を駆使して表現したもの」とは何でしょう。

この文に「つまり」とありますから、この文は直前部分「絵の構図がもっている画家の意図」を言い換えたものです。
ですから、第19段落の最後の部分をまとめると、次のようになります。
  • 絵画の科学を駆使して表現しようとした、絵の構図が持っている画家の意図がとてもよく見えてくるので「かっこいい。」と思える。
つまり筆者は「絵画の科学を駆使したことがかっこいい」と言っているのではなく、「画家の意図を、絵画の科学を駆使して表現していることがかっこいい」と言っているのです。

ですから、第19段落を要約すると、次のようになります。
  • 細部が落ちて消えてなくなっているため、絵の構図(絵の全体)がよく見えるようになり、絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図がはっきりわかるようになったので「かっこいい」と思える。
このあたりは、単元プリントなどの解答には若干疑問符がつくものがありますから、注意してください。

では「画家の意図」とは何でしょう。

「絵の構図がもっている」ものとは「そこ(『最後の晩餐』)に描かれた人物たちの物語を、ドラマティックに演出」(第13段落)することです。
キリストと12使徒の最後の晩餐の場面を生き生きと表現することだけでなく、それがまるで観客(修道士たち)の目の前で演じられる舞台のように感じさせようとする、ダヴィンチの舞台監督のような意図だと筆者は言っているようです。

つまり「解剖学」手のポーズはもとより「顔の表情や容貌」(第11段落)、動作等「一人一人の心の内面までもえぐるように描く」ため手段であり、「遠近法」や「光の明暗」も「あたかも本物の食堂の延長にあるようにすら見える」(第14段落)ための手段に過ぎないのです。

この反証が第20段落です。完成当初は細部の描き込みに圧倒されたために「本当の魅力=絵画の科学を駆使して表現しようとした画家の意図」が見えなかっただろう、と言っています。
images (4)

第20段落末の「レオナルドが描きたかったのは『それ』なのだ」の「それ」とは、「そのような『全体』」であり、「ぼんやりした形の連なり」です。そこに「この絵が持っている本当の魅力」があると言っています。
そして「本当の魅力」とは、聖書における最後の晩餐の一瞬を登場人物のドラマとして生き生きと描き、修道士たちを「まるでキリストたちといっしょに晩餐をしているかのような気持ち」(第16段落)にさせることです。

この評論文は、「絵画の科学」が「画家の意図」を実現させる手段として成功しており、そこが「かっこいい」のだ、と言っているのではないでしょうか。
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第12段落以降は「最後の晩餐」の「遠近法」と「明暗法」の説明です。

遠近法
ダウンロード
遠近法は、イラストなどではバースとも言われる描法です、
第12段落で述べられている通り「遠くにいくにつれて小さく描く」書き方は「線遠近法」と言われます。

他にも遠くに行くほど色が薄くなる「空気遠近法」や、ものの重なりにより遠い近いを示す「畳重遠近法」などがあります。

遠近法を用いて描くと、その絵は「奥行きが感じられるように」なります。

そして『最後の晩餐』では小さく描いていく比率を、実際に見える比率と同じにしてあるため、第14段落「壁に描かれた部屋は、あたかも本物の食堂の延長にあるように」見えるのです。
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線遠近法には消失点があります。「最後の晩餐」で用いられているのは一点透視図法です。
最近では消失点が二つある二視点透視画法というのがあって、目の錯覚を利用して空間を広く見せる技法がイラストやアニメで用いられています。
ダヴィンチの時代にはこの技法はありませんでした。

マンガなどに集中線というものがあります。
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消失点というのは、集中線の集中するところでもあります。
『最後の晩餐』の消失点に集中線をあわせてみると、イエスに注目が集まることがよくわかります。

マンガではありませんから、集中線を書き込むわけではありません。
ダヴィンチは遠近法の消失点を利用して中心人物を際立たせようとしているのです。
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明暗法と「光の効果」

明暗法は、キアロスクーロとも言われる技法で、明暗のコントラスト(対比)により、明暗を少しずつ変化させて立体感や量感を出したり、明るい人物の周囲を暗い背景にすることにより人物を際立たせたりする技法です。

『最後の晩餐』の場合は、イエスの背景をあえて明るくすることで、イエスの姿をくっきりと浮かび上がらせ、イエスの主人公感が高まっています。

しかし「明暗法」は第3段落に登場する言葉で、第14段落には「光の効果」、第15段落には「光の明暗の効果」と微妙に違う表現をしています。なぜでしょう。

第14段落以降で筆者が説明しようとしている内容は、対比的に明暗を描き分けるという意味での「明暗法」とは微妙に違うからです。

『最後の晩餐』に「描かれた部屋の明暗」は、実際の「食堂の窓から差し込む現実の光の方向と合致」させてあり、それによって、見る人は「壁に描かれた部屋は、あたかも本物の食堂の延長にあるように」錯覚してしまう。それをダヴィンチは計算して描いたのだ、と筆者は言っているのです。

このため14段落以降では、あえて立体感や量感を出したり中心となるものを際立たせたりするために用いる「明暗法」という言葉を使わなかったのだと思います。

筆者は芸術学者ですから、ひょっとしたら「明暗法」にはこういう使い方があるのかも知れません。

いずれにせよ、ダヴィンチは修道院の食堂で食事をする修道士達が「まるでキリストたちといっしょに食事をしているような気持ち」(第15段落)になるように計算して、食堂の壁に「最後の晩餐」を描いたのだ、と筆者は主張しているのです。
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筆者は、解剖学に基づいて描かれたダヴィンチの『最後の晩餐』の手の描写を「手のポーズの見本帳」「心の動きの見本帳」と言い「弟子達の動揺」を表現していると言っています。

さらっと言っていますが、生徒には具体的にはわからないでしょう。

キリストを中心にして、右側に顔の出ている人物から見ていきましょう。

トマス(イエスの右隣)
聖書では、情熱はあるがイエスの真意を理解せず少しずれている人物として描かれています。イエスが復活した時も、他の弟子たちの言葉を信じないで、実際にイエスに会ったとき、ロンギヌスの槍でつかれたイエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んでその身体を確かめたとも言われていることから「疑い深いトマス」とも言われています。
右手の指を一本立てていますが、これは「裏切り者は一人だけですか」とイエスに聞いていると解釈されていますが、イエスの復活の際にわき腹の傷に指を差し込んだことを暗示しているとも言われています。

大ヤコブ(イエスの右二人目)
「雷の子」と呼ばれるくらい激しい性格とされる彼は、両手を広げ大げさな身振りで驚きを表現しています。隣のトマスの表情と比べてみると、その性格の違いがはっきり出ています。

トマス・大ヤコブトマスと大ヤコブ

フィリポ(イエスの右三人目)
胸に手をあてて「まさか私ではないでしょうね」とでも言うように、イエスに何か訴えかけています。

フィリポフィリポ

マタイ・ユダ・シモン(イエスの右四~六人目)
三人とも手のひらを上に向けています。この三人は互いに顔を見合わせ、何か話しています。イエスから一番離れた場所ですから、キリストの言葉がはっきり聞こえず「今、主は何とおっしゃったのか?」と問い合っている姿に見えます。

ヨハネ(イエスの左一人目)
聖書に「イエスの最も愛した弟子」とされている人で、「黙示録」を残しました。聖書で彼はイエスに寄りかかっており、彼が「この中に裏切り者がいる」と言ったとき「それは誰ですか」と尋ねたとされています。ダヴィンチの絵はこの直後の状態を描いたものなのかも知れません。隣のペドロが何か話しかけ、彼は両手を組み合わせています。ペドロの話を静かに聞いているようです。

ペトロ(イエスの左二人目)
ペトロは12使徒のリーダーです。彼は立ち上がり、左手でイエスを指さし、右手はナイフを持って腰にあてています。「裏切り者は殺してやりましょう」と言っているのでしょうか。彼はイエスが捕らえられるときに、追っ手の耳をナイフで切り落としています。

ユダ(イエスの左三人目)
裏切りがバレていることがわかったユダの右手には、裏切りの代償として受け取った銀貨三十枚を入れた袋が握りしめられています。
ペトロ・ユダ・ヨハネヨハネ・ペテロ・ユダ

アンデレ(イエスの左四人目)
両手を胸のあたりにあげた、驚きの手です。
ヤコブ・アンデレアンデレと小ヤコブ

小ヤコブ(イエスの左五人目)
左手を伸ばしています。ペトロに「ちょっと待て」と言っているようにも、ユダを指さして「こいつです」と言っているようにも見えます。

パルトロマイ(イエスの左六人目)
テーブルに両手をつき、立ち上がった姿です。イエスから遠い位置にいるのでよく聞き取れず思わず立ち上がったのでしょうか、それとも「なんだと!」と立ち上がったのでしょうか。

ざっと見てみましたが、これを教科書の挿絵をみながら解説させるより、生徒を13人並ばせてポーズをとらせ、どんな気持ちか説明させるのが手っ取り早いでしょう。

それまでの『最後の晩餐』は宗教画として聖書の説明のために描かれたものでした。
ですからここに描かれた十二使徒たちは皆キリスト教の「聖人」です。ダヴィンチは驚きや怒り、悲しみを持つ生身の人間として描こうとしたのです。
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言うまでもなく国語科は内容教科ではなく形式教科です。ですからこの教材の言っていることを理解させる指導をするのはどうかと思います。あくまでも次の指導事項を指導していかなくてはいけません。
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと。
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果、登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
  • エ 文章に表れているものの見方や考え方について、知識や体験と関連付けて自分の考えをもつこと。
これらを4時間に納めるのは至難の業です。

まず、生徒にとってわかりづらい「抽象的な概念を示す語句」をチェックしていきます。

1~4段落

それまでの絵画とは違う、全く新しいもの(第3段落)

二年生のこの時期ならば、「ルネサンス」という言葉は社会科の既習事項ですが、言葉だけ知っていても中身はまったく覚えていない、ということがあります。
ルネサンスな何かよくわからない生徒にとって、それ以前の中世キリスト教文化の中で描かれた『最後の晩餐』はどのような絵だったのか、知っているはずがありません。
当時の人々が見慣れた『最後の晩餐』とは、下の絵のように、聖書の文言を絵にして説明したものだったのです。
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「それまでの絵画とは違う、全く新しいもの」は、次の段落で「科学が生み出した新しい芸術」に言い換えられています。そして読者に、本物の『最後の晩餐』を直接見たら「どう思うだろうか」と問いかけ、自分は「なぜか『かっこいい』と思った」と述べています。

生徒はダヴィンチの『最後の晩餐』を見て、筆者のように「かっこいい」と「衝撃」を受けるでしょうか。まず無理でしょう。
生徒にとってダヴィンチの『最後の晩餐』が初めてであり、『最後の晩餐』と言えばダヴィンチのものしかないのですから……。

筆者は、それまで描かれてきた中世キリスト教文化の『最後の晩餐』の絵をたくさん知っていて、その上で当時の人々と同じ気持ちになって「かっこいい」と「衝撃」を受けたと書いたのだと思います。

そんな筆者の考えに、生徒たちは共感できるはずがありません。

評論文を正確に読解するためには、評論しようとする対象に対する知識がある程度ないといけない、ということですね。
例えばAKBのジャンケン大会についての評論しようとしても、AKBの知識もなく興味・関心もない人にとっては、何を言っているのかさっぱりわからなくなるのと同じです。
ダウンロード
ともあれ、この「『かっこいい』と思った」理由を「じっくりと分析する」ことによって解説しようとしている評論文だということがわかります。

第5~8段落

人物の構図から、そんなことが感じられる(第8段落)

『最後の晩餐』は文化祭の時に体育館のステージ上に描かれる絵よりも大きな壁画です。
この大きな絵の前に立つと「そんなことが感じられる」(第8段落)と言っています。

「こんなこと」とは直前の「何かが、起こっている」ことです。
何が起こっているかというと、8段落で述べている内容でしょう。

では「この絵の構図から」なぜわかるのでしょう。

この段落のまとまりは「この絵の人物の構図」という言葉に集約することができます。
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上の絵は『けいおん!』(©かきふらい/京都アニメーション)のイラストです。

右から二番目の女の子(平沢唯)が最も大きく正面を向いて描かれています。見る人にとっては、最も近くにいる彼女に見つめられているのです。
同時に彼女は、両端の二人の視線を集めています。これらのことから私たちは、この子が主人公であると感じ取ります。
また、この子と隣の黒髪の子は、ほうきをギターのようにして遊んでおり、よく見てみると他の二人も打楽器を叩いたりキーボードを弾いたりするまねをしていることから、このイラスト「学校」「遊び」「音楽」に関係する話だと、『けいおん!』を知らなくてもわかりますね。
images (2)

次の絵は『けいおん!!』のイラストです。

前の絵の唯ちゃんがV字型に並んだメンバーの中央に入っており、主人公であることがよりはっきりします。
そしてメンバーの持ち物は軽音楽に用いる楽器です。
V字型の配置は、何か目的に向かって進もうとしている5人であることを暗示しています。
このことから、この話は軽音楽関係で何かをやろうとしているんだな、とわかります。
(実際には、軽音楽でコンクールに優勝しようとかいうのではなく、ごくユルい話なんですけどね。)

構図とは、表現の要素を組み合わせて効果を出す手段、または画面の中の要素の配置のことを言います。
『けいおん』のイラストでは、登場人物やその動作・持ち物などの要素の組み合わせや配置を工夫することを通して、『けいおん』という物語を表現しているのです。

筆者の「この絵の人物の構図」とは、この絵に登場している13人の一人一人の表情や仕草、そして彼らの全員の配置を通して、キリスト教の「最後の晩餐」というドラマを表現しているのだ、ということです。

構図の目的は、見る人の視線がイメージ全体に行き渡るよう誘導し、絵を興味深いものにするということです。
絵の伝えたいことと見る人の目の動きが一致しているように各要素の組み合わせや配置を工夫することが大切なのです。
そして「何が言いたいか」がはっきり見る人に伝わることが最も重要なことです。

この「構図」については、第3段落の「解剖学」「遠近法」「明暗法」に含まれていません。
それまでの聖書の解説に過ぎない宗教画から、「構図」によって聖書に物語としての命を与え、教義を超えた解釈を盛り込んでドラマ化したという功績はこの「構図」によるものだ、と第19段落以降で筆者は述べています。

「解剖学」「遠近法」「明暗法」と言った「絵画の科学」は、絵の伝えたいことを観客にはっきりと伝えるための手段に過ぎないのです。
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高校入試で出題される文章は、大きく説明的文章と文学的文章に分かれています。
学習指導要領で求める、学力という言葉の代わりに登場した「資質・能力」は、説明的文章を非常に重視しているのはご存じの通りです。中でも高校入試等で扱われるのは評論文や論説文です。
PISAや全国学調などでも、同じ題材に対する異なった評論文や論説文を複数読ませて比較させる問題が多いようです。

説明的文章の中の「説明文」とは、あるものの使い方、あることの内容をわかりやすく書いたものです。電気製品のマニュアルなどが代表的な例です。
教科書で言うと一年生の「ダイコンは大きな根?」のダイコンの仕組みや二年生の「生物が記録する科学」のバイオロギングの効用を、ただ説明しようとしている文章ですね。

これに対し「論説文」は、筆者の頭の中にある考えを論理的に書いたものです。
二年生の「科学はあなたの中にある」のように「科学とは何か」や、三年生の「『批評』のことばをためる」のように「人間が成長するために必要なものは何か」という問いに対する答えを論理的にを説明しようとしている文章がそうです。随筆は文学的文章にウェイトがかかっているものと説明的文章にウェイトがかかっているものとがありますが、二年生の「言葉の力」などは、この論説文に近い文章でしょう。

「評論文」は、この説明文と論説文の中間にあたります。何か現実にあるものを批評し、それに対する自分の考えを説明する文章です。「何かの事柄」とは現実にあるものとは限りません。実際に起こった事件や事故など以外に他人の考えを評論することもあります。

この二年生の「君は『最後の晩餐』を見たか」が唯一の評論文ということになります。

「評論家」という言葉が、時として責任感がない傍観者で文句ばかり言う人の比喩で使われるのも、評論するには何か元になるモノがないとできないからのように感じます。
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学校では、説明的文章の読解として次の教材を使って指導しているところが多いと思います。(平成元年現在。説明的文章は教科書改訂毎に差し替えられることが多い。)

1年
  •   6月 説明「ダイコンは大きな根?」
  •   6月 説明「ちょっと立ち止まって」
  • 11月 説明「幻の魚は生きていた」
2年
  •   6月 説明「生物が記録する科学」
  •   7月 随筆「言葉の力」
  • 10月 論説「モアイは語る」
  • 11月 評論「君は『最後の晩餐』を知っているか」
  •   2月 論説「科学はあなたの中にある」
3年
  •   5月 説明「月の起源を探る」
  •   7月 論説「『批評』の言葉をためる」
  • 11月 論説「作られた『物語』を超えて」
  •   1月 論説「誰かの代わりに」

今の二年生は、今後「科学はあなたの中にある」「『批評』の言葉をためる」等を学習することになっていますが、現実問題としてどうでしょう。書写指導や文法の学習、修学旅行等の行事などに追われて、きちんと説明的文章の指導をしないまま総合テストや模擬テスト等に突入する危険があります。

確かに10月教材「モアイは語る」で説明的文章を扱っていますから、「最後の晩餐」は唯一の評論文とはいえ、サラッと取り扱っておきたい教材でもあります。
生徒にとって、ある程度の基礎知識がないと正確な読解は難しい文章ですが、チャレンジさせることも必要かも知れません。
(同じ時期にやる「走れメロス」はツッコミどころ満載の小説ですので、「走れメロス」の批評文を書かせるという指導をしたこともあります。)

この4時間扱いの教材を、より効率よく消化する方法を考えてみましょう。
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第4~5時 「幻の魚は生きていた」で何を書かせるか

14段落以降は、結論にあたる筆者の意見です。

筆者はまず「この西湖でクニマスがこれからも生き続けるためには、どうすればよいのだろう」(14段落)と問いかけ、
  • 一つには、産卵場所も含めた湖全体の環境を守ることが必要だ。~かつての田沢湖でのように、人と生き物とがつながり合った関係を維持すること、それがクニマスの保全にもつながるのだ。
とし、15段落でクニマスの「里帰り」に触れ、
  • クニマスの里帰りは容易ではない~現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない(16段落)
と結んでいます。

これらはすぐに読み取ることができると思います。

しかしだからといって、B 書くことのウ「伝えたい事実や事柄について、自分の考えや気持ちを根拠を明確にして書くこと。」をやらせようとするのは早計です。

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」は解決済み

筆者は
  • 産卵場所も含めた湖全体の環境を守ること
  • クニマスだけを過度に保護するのではなく、ヒメマスなどの他の生き物と、それらの生き物から生活のかてを得ている私たち人間とが、バランスを保って共存していくこと
が大切であると述べています。

これはその通りです。
しかもこれは西湖に限って言えば実現されていることです。

西湖は富士五湖の一つで、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の「富士山域」の一部として世界文化遺産の構成要素に含まれています。
ですから「人と生き物とがつながり合った関係を維持すること」は、日本が世界文化遺産を辞退しない限り可能でしょう。
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筆者が「西湖で」とわざわざ条件をつけたのには、そういう意味があるのです。

しかし、西湖以外の場所ではうまく行かないのが現実なのです。
例えば、有明海に面した諫早湾の干拓とか、沖縄辺野古埋め立てなど、大人の私たちでも簡単に解決できない問題が含まれています。

軽々しく「筆者の考えをもとに、自分の意見をまとめなさい」というような課題作文を出すと、
生徒は、筆者の細かい記述を読み飛ばして安易に「自然保護は大切」という一般化された主題にはまってしまいます。

『論語』にあるように、「学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」(為政第二の十五)です。深い考えもなく一度テキストを読んだだけでわかったつもりになり、それを自分の考えであるかのように錯覚してしまうことは危険だと思います。
別に私は自然保護に反対するわけではありませんが、生徒には自分の頭でしっかり考えるための、様々な知識を身につけて欲しいと願っています。

もう一つの問題点は、西湖にとってクニマスは、もともと西湖にいなかったのに人為的に田沢湖に持ち込まれた外来種に過ぎないということです。

外来種のすべてがいけないというわけではありません。地域の自然環境などに大きな影響を与える場合が問題なのです。

たとえばブラックバスやブルーギルの場合、
  • 口に入る大きさの在来の小魚、昆虫、エビなどを食べてしまう。
  • 稚魚は、在来魚が食べるミジンコなどのプランクトンを食べるため、餌の奪い合いになってしまう。
  • 漁師の漁獲対象の魚(ワカサギなど)を食べてしまう。
  • ブラックバスのひれには、鋭いとげがあり、刺さると危ない。
などの問題点があります。だからブラックバスとブルーギルがいる場所では、小型の魚は食べられてしまい、コイやフナの成魚のみが生き残り、小さな池などでは大きなコイとブラックバスとブルーギルしかいない状況がしばしば見られるそうです。

クニマスは本当に西湖の在来種に影響を与えたのでしょうか、与えなかったのでしょうか。
決して在来種には影響を与えないという確証を得てから持ち込んだのでしょうか。

「クニマスは絶滅したと思われていたから外来種であっても良い」というのは人間の勝手な理屈です。
「クニマスは外来種であっても外国産のものではないので良い」と言えるでしょうか。

突き詰めると、人為的に他の地域に生物を持ち込むことの善し悪しが問われてしまいます。

「クニマスの里帰りは容易ではない」はあたりまえ

テキストには「田沢湖の水はまだ酸性であり、クニマスのすめる環境ではない」とあります。
そして「元にもどすには、気の遠くなるような時間と労力が必要」であり「現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない」と、まるで『故郷』の最後の場面のようなことが書かれています。

「西湖でクニマスがこれからも生き続けるために」と同じように、「クニマスの里帰りは容易ではない」のは疑問の余地がないことです。

筆者の「現実をふまえ」とは、どういうことを言っているのでしょうか。

田沢湖の現実とは、テキストに以下のように書いてあります。
  • 一九三四年、東北地方を大凶作が襲うと、食糧の増産が人々にとって切実な課題となった。そこで、玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使うこと、また、電力の供給を増やすため、湖の水を水力発電に利用することが計画された。
玉川は上流に強酸性の玉川温泉があり、そのため、昔から魚が住めない「玉川毒水」と呼ばれていました。そのため農業用水はもちろん生活用水にも適さず、橋などにも被害を与え、水量は豊富でしたが流域の開発が遅れていました。昔から様々な除毒対策が繰り返されてきましたが、平成元年10月に完成した玉川中和処理施設の完成によって約150年間に及ぶ毒水排除の夢が実現しました。(玉川温泉参照)

1943年といえば昭和9年。戦争の足音が聞こえてきた時代です。
玉川の酸性水を湖に入れれば、魚は死ぬと漁師たちは分かっていました。しかし「食糧増産と経済発展が最優先された時代です。反対の声はかき消されたのでしょう。(「クニマスの地元・田沢湖、深い喜び 70年ぶり再発見」朝日新聞 2010.12.15)

結局、1940年(昭和15)に玉川の水は田沢湖に引き入れられましたが、田沢湖がどんなに大きな湖であったとしても、無限に流れ込む玉川の酸性の水を薄めることなどできるはずがありません。農業用水としては数年で使いものにならなくなりました。

水力発電用水としては現在田沢湖の周りに二つの発電所があります。一つは田沢湖発電所、もう一つは生保内発電所です。
田沢湖発電所は昭和33年に玉川にダムを造りその水をせき止めて田沢湖に流れこむようにしたものです。こちらはクニマスとはあまり関係がないようです。
一方生保内発電所は田沢湖をダム湖とし、1940年に運用が開始されました。現在、最大出力31,500kWの秋田県内で最大の出力を誇る発電所です。
obonai生保内発電所

「玉川の水を田沢湖に引き入れて酸性を弱め、それを農業用水として使う」のは、常識から考えて到底無理なことは少し考えればわかると思います。結局「電力の供給を増やす」ことが目的だったのではないでしょうか。
そして玉川の水を入れれば田沢湖の生物は死滅することを当時の田沢湖周辺の人々も十分わかっていましたが、国策に反対することはできなかったというのが実情だったのではないかと思います。

では当時の人たちはどうすればよかったのでしょうか。

昭和9年という時代に、漁業権を主張して田沢湖をダム湖とするのに反対する運動を、果たしてできたでしょうか。
もし私たちが当時そこに暮らしていたとして、反対の声をあげることができたと自信を持って言えるのでしょうか。

では現在、田沢湖に対してどうすればよいのでしょうか。

水力発電が見直され、電力不足が話題となる現在、田沢湖に流入する水を止め、田沢湖発電所と生保内発電所の運用を停止させることができるでしょうか。

現在玉川中和処理施設が稼働していますが、クニマスが棲める状態にまでphを回復させることはできないようです。これ以上の効果を出すためには更に強力な施設が必要です。これには膨大な資金が必要であり、それに見合うだけの効果がなくては予算はつかないでしょう。使われるのは私たちの税金です。費用対効果を考えるとどうでしょう。

更に、田沢湖が昭和9年以前の状態に戻ったとして、現在の田沢湖の環境に適合し生息している生態系は滅びてしまってもよいのでしょうか。

以上のことをふまえると
「在来の生物が生き続ける環境を守る」や「クニマスの里帰り」をテーマにして自分の考えを書けと言っても、生徒には難しすぎる問題だと思います。それに国語科としての指導を逸脱してしまう可能性もあります。

この教材で何を書かせるのか

そこで私は、まず序論を50字、本論を60字、結論を140字程度、合計250字程度で要約する課題を出します。高校入試でよくある要約文を書かせる課題です。

それが終わった生徒から、「根拠を明確にして」自分の意見を簡単にまとめるように指示します。「根拠を明確にして」は、具体的な事実をもとにして、自分なりの意見と整合性があるものならばよしとします。

これをやらせるだけでも2時間はかかります。

これで全5時間の単元は終わりです。

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第3時 黒いマス=クニマスの証明

9段落に「新たな展開があった」とありますが、ウィキベディアによると、次のように書かれています。
  • 2010年、山梨県の西湖にて生存個体が発見された。きっかけは、京都大学の中坊徹次がタレント・イラストレーターで東京海洋大学客員准教授のさかなクンにクニマスのイラスト執筆を依頼したことであった。さかなクンはイラストの参考のために日本全国から近縁種の「ヒメマス」を取り寄せた。このとき、西湖から届いたものの中にクニマスに似た特徴をもつ個体があったため、さかなクンは中坊に「クニマスではないか」としてこの個体を見せ、中坊の研究グループは解剖や遺伝子解析を行なった。その結果、西湖の個体はクニマスであることが判明したとし、根拠となる学術論文の出版を待たずして、12月14日夕方にマスコミを通して公式に発表された。
ダウンロード (1)

9段落には「地元の人の話では、ヒメマスの中にも黒いものがいるという」とありますが、これは、次のように書かれています。
  • 西湖の漁師には、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていたが、「ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていなかった。このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10尾に1尾程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」と再発見説を唱える者がいたという。産卵を前にして黒くなったヒメマスは不味であるとされることから、「クロマス」は釣れてもリリースされることが多かったというが、当然ながら「クロマス」を食する者もおり、伝承どおり、塩焼きにしてもフライにしても美味であったと語られている。
筆者の言う「黒いマス」というのは、さかなクンが見せたクロマスのことでしょう。
クロマスは「クニマス探しの運動」の時にはクニマスではない、と判定されていました。当時の分析技術ではしかたがなかったとも言われています。

筆者は「クニマス」「クロマス」「ヒメマス」と、似たような言葉が並ぶのを避けるためにクロマスをあえて「黒いマス」と言い換えたのかも知れません。

そして10段落以降は、黒いマス=クニマスの証明となります。
  • 「黒いマス」はヒメマスではない。産卵の時期と産卵する水深が違う。黒いマス=ヒメマスというのは「疑問である」(10段落)
  • 「産卵時期と場所はほぼ一致する」ため「黒いマスはもしかしたらクニマスかも知れない」(11段落)
  • 「(えらと消化器官が)全てクニマスの特徴と一致した」「遺伝子の解析を行い、黒いマスはヒメマスとは別の魚」(12段落)
「黒いマス」「クニマス」「ヒメマス」と似たような言葉が次々と出てくるため、何を言っているのかわからなくなる生徒がいます。
傍線を引かせるなり、表にまとめさせるなりして、上の内容をきちんと押さえさせる必要があるでしょう。
作業となりますから、ワークシート等を用意し、しばらく時間をかける必要があります。

そして「クロマスは本当にクニマスと断定しているが、反論はできないだろうか」と問います。
書かれていることを鵜呑みにせず、批判的に読むために大切な学習だと思います。

ポイントは「遺伝子的には黒いマス=クニマスと証明されていない」点です。クニマスの遺伝子は現存していないから確かめようがなかったからです。
ですから、黒いマスはクニマスやヒメマスの亜種かも知れないし、今まで知られていなかった新種だったという可能性もあります。

ウィキベディアによると、筆者はきちんした学術論文にする前にマスコミに公表してしまったようですね。

ここまでで、問題提起文の答えはすべて出そろってしまいました。
では次は何が書いてあるのか、生徒に問うて一時間を終わります。

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第2時 問題提起2の答えにあたる文を見つける

問題提起文2は「クニマスが、なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろう。」です。
前時に、問題提起文1で6段落までをやりましたから、問題提起文2の答えにあたる文は、7段落以降にあります。

生徒に黙読させ、「これは」と思う一文に傍線を引かせます。

中には文章の最後かも知れないと考え、全部読もうとする生徒もいるかも知れません。
机間巡視で否定せず、ゆっくりと見守ってあげます。

5分程度で、生徒は次の二つの文を中心にあげてくると思います。
  • この黒いマスはクニマスであった。(12段落)
  • 「幻の魚」は生きていたのだ。(12段落)
  • こうした偶然の一致によって、田沢湖で絶滅したクニマスは、遠く離れた湖底で脈々と命をつないでいたのだ(13段落)
正解のポイントは、前時に学習した
  • 問題提起文と対応しているか
がきちんと言えるかです。
これを考えると、13段落の文が問題提起文と対応していることがわかります。
  • クニマスがなぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろう。
  • こうした偶然の一致によって田沢湖で絶滅したクニマスは遠く離れた湖底で脈々と命をつないでいたのだ。
ダウンロード西湖

当然、これは生徒に発言させなくてはいけません。前時に学習したことなのですから、きちんと答えられる生徒になっているといいですね。

「偶然の一致」とは何か聞かれたら、どこに目をつけなくてはいけないのか

単純に「『偶然の一致』とは何か」と聞かないのは、国語科で大切なのは内容ではなく形式(読み方、考え方)だからです。

目をつけなくてはいけない場所は「こうした」です。
つまり「こうした」により指示される内容を的確に答えればよいわけです。

直近のものから順にあげると次のようになります。
  • 偶然の一致
  • クニマスが産卵して生存できる条件を備えていた
  • 田沢湖も西湖も、クニマスの産卵場所の周囲の水温は、四度だった
  • 田沢湖と西湖には共通点があった
ですから「『偶然の一致』とは何か」と問われたら、解答の条件に応じて近い順から正解を考える必要があります。

ここで「『命をつなぐ』とはどういうことだろう」と、筆者が考える命の意味について考えさせてもよいでしょう。

筆者は一匹のクニマスが生まれてから死ぬまでの、一匹の生命を言っているのではありません。
個体としてのクニマスが生きることではなく、種として子孫を残していくことを「命をつなぐ」という言葉から気づかせたいですね。

この13段落には筆者の意図的なミスリードがあります。
それは水深です。
田沢湖の水深と西湖の水深が異なるため「どうして浅い西湖で命をつないでいけたのだろう」と
筆者は問題提起をしています。

水深が異なるとクニマスが生息できないのならば、最初から西湖に放流はしていなかったのではないでしょうか。

ともあれ、この数値に幻惑されてクニマスが西湖で生き延びてきた理由を間違えてしまう生徒もいますから、テスト等に出題してみると良いかもしれませんね。

以上の内容は13段落にすべて書いてあります。
では、「7~12段落では、何を説明しているのでしょう」と問いかけます。

7段落冒頭「そのクニマスが、遠く離れた西湖で見つかった」とあり、
7~12段落はクニマスが見つかった経緯の説明です。

8段落は、クニマスが絶滅したと言われてから、クニマス探しが行われたことを述べています。
そして9段落以降が「西湖で捕れたという黒いマス」はクニマスであることの説明です。

これを理解させてから、
「次の時間は、黒いマスがクニマスであると、どのように証明しているのだろうか読み取ろう」と言って授業を終わります。

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「幻の魚は生きていた」は5時間扱いの単元です。
指導事項は、
B書くこと
  • ウ 伝えたい事実や事柄について、自分の考えや気持ちを根拠を明確にして書くこと。
C読むこと
  • イ 文章の中心的な部分と付加的な部分、事実と意見などとを読み分け、目的や必要に応じて要約したり要旨をとらえたりすること。
  • オ 文章に表れているものの見方や考え方をとらえ、自分のものの見方や考え方を広くすること。
となっています。

私たちは自然保護の大切さ等の道徳の授業や、魚の生態等の理科の授業をしているのではありません。
国語としてどのように展開していったらよいのでしょうか。
imagesクニマス

第1時 問題提起文の答えにあたる文の見つけ方

まず範読します。
2段落まで読み進めると問題提起文が二つあります。
  1. クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。
  2. また、絶滅したと思われていたクニマスが、なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろうか。
ここまで読み、
  • 問題提起文には答えにあたる部分が必ずあります。それはどこか、まず最初の問題提起文の答えにあたる部分を見つけなさい。問題提起1の答えにあたる文を発見しましょう。
と問います。
5分もせずに、6段落にあることがすぐにわかると思います。

6段落は次の二文で出来ています。

  1. こうしてクニマスは、人の手による環境の改変によって、他の多くの生物と共に田沢湖から姿を消した。
  2. そして、地元の人々の生活に根ざしていたクニマスをめぐる文化も同時に消えていった。

生徒は1.が答えに当たる文だということはすぐにわかるでしょう。

なぜ1.が答えにあたる文だと言えるのか
  • クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。(問題提起文1)
  • こうしてクニマスは人の手による環境の改変によって、他の多くの生物と共に田沢湖から姿を消した。(6段落第1文)
二つの文では、共に「クニマスは」とあり、問題提起文の「田沢湖で絶滅した」と①の「田沢湖から姿を消した」が対応しています。
そして「なぜ」に対応する部分は「人の手による環境の改変によって」です。
ポイントは、問題提起文と対応する文が答えにあたる文であることを生徒に気づかせるのです。

この仕組みは、教師から教えてしまったのでは定着しません。
いろいろ意見を出させる中で生徒自らが気づくように導いてやります。

そのためには、板書の仕方がポイントとなります。

更にこの活動の中で、
「人の手による環境の改変」の中身を知る手がかりは「こうして」が指示していることに気づかせます。

「人の手による環境の改変」とは、
「こうして」の直近にある「玉川の水は田沢湖に引き入れられた」ことであり、
その結果「酸性の水はクニマスをはじめとする田沢湖の生物に打撃を与え」たためです。
そしてこの目的は「農業用水」の確保と「水力発電に利用」することです。
これに傍線を引かせ、矢印で結ばせ
問題に特に指定がない場合は「こうして」に近い順に答えなくてはいけないことを教えます。

これでだいたい一時間が終わりますが、早めに終わった場合、②文の「クニマスをめぐる文化」について傍線を引かせるとよいでしょう。

答えは3段落の「出産祝いや、病気見舞い、誕生日祝いに贈られる」「地元の民話にも登場」ですが、
片方しか気がつかない生徒もいるようです。

「文化」とは「ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式」全般を言うようです。
ですから出産祝いや病気見舞いも文化なら、民話もカルチャー(文化)なのです。

これを機会に「文明」との違いをおさえておくのも良いかも知れませんね。
「文明開化」という言葉を例にとり、
「アニメ文化と言うがアニメ文明とは言わず、コンピューター文明と言うがコンピュータ文化とは言わないからね。文化は精神的な活動、文明は物質的な活動を主に指すんじゃないかな。」
くらいに押さえておくとよいでしょう。
細かくつっこむと、複雑な定義が諸説あるようですから、墓穴を掘らないように……。

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