十種神宝 学校の基礎・基本

公立の義務教育の学校に永きにわたりお勤めだった稗田先生の、若い先生方への昔語りです。学習指導要領や、それに伴って変わってきた先生たちの意識や授業のことなど、教育現場に起こってきた今や昔のことどもを書き記していきます。

 義務教育の現場に長くお勤めだった稗田先生からお聞きしたことどもを、拙いながらもまとめてみました。
 不易流行という言葉があります。この、教育の"流行"の中から、自分だけの"不易"を見つけていただければ、これに過ぎる慶びはありません。
                                   十種神宝 主人 太安万侶

 このブログで紹介した教材の学習プリントを作成しています。興味のある方はご覧下さい。https://kandakara.booth.pm/

中学

test100
動詞で教えることは多くはありません。
しかし、何回やっても、なかなか点数のとれない生徒がいるのも事実です。

学習には、
知らないことを知る段階と、
知っていることができるようになる段階とがあります。

動詞の学習でおさえたいことは、
  • 動詞は終止形がウ音となり、語幹と活用語尾に別れ、活用形により後に続く言葉が決まっている。
  • 活用形は未然・連用・終止・連体・仮定・命令の五種類である。
  • 未然形の「~ない」直前がア音なら五段、イ音なら上一段、エ音なら下一段、「来る」ならカ変、「する」ならサ変である。
  • 五段活用連用形には撥音便、促音便、イ音便及び可能動詞がある。
  • 自動詞と他動詞、可能動詞は似た意味を持っているが、活用の種類が違うので異なる単語である。
  • 述語を問われた場合、補助動詞を答える。
くらいのものだと思います。

しかし「なぜそうなるのか」という問いに答えることはできません。
もし真面目に答えようとするならば、大学以上で年間あるいは半期で講座を組む覚悟がいるでしょう。
「なるものはなる」としか教えようがありません。

しかも文法論はいくつかあって、学校で教えているものは「学校文法」と言われるものです。
大学に行ったら、他の文法論の勉強もしなきゃいけません。(文学部等へ進学したらですけどね。)

高校では古典文法をやりますが、学校文法がどのくらい役に立つかは疑問符がつきます。

なら、やらなきゃいいじゃないか、ということになりますが、
しっかり毎年高校入試に出題される以上、私たちも気合いを入れて教えなくてはいけないわけです。
ですから、2年生の定期テストでは一回につき10点以上の配点で文法問題を出すのですね。

話が少し横にそれました。

大切なことは、
「知っている」状態にしたら、「忘れてしまう」状態になる前に、
「できる」状態にまで高めること。
訓練あるのみなのです。

小学校で九九の学習をするとき、
最初は確かに仕組み等を教えますが、
仕組みがわかった段階で、小学校の先生達はひたすら暗記をさせます。
そうでないと、九九の知識は使い物にはならないからです。
それと同じです。

8割の生徒が、8割以上正解を出せるまで
毎日小テストを繰り返しましょう。

はっきり言って、各校で使っているであろう「文法ノート」等では問題数が少なすぎます。
「文法ノート」のおまけの小プリントではたかが知れています。
しかも、編集方針や難易度が本によってまちまちなのはご存じの通りです。

そこで私はこのような問題を作って、毎時間できるようになるまでやらせました。
また、ネットの中には、フリーの問題もたくさん転がっています。

文法はこのようなものがたくさんあります。
しかも、2年生に集中しています。
計画的に進めていく必要があると思います。

このような問題は、順次UPしていく予定です。
どうぞご利用ください。

入試直前にどうこうしようと思っても、
費用対効果が悪すぎる学習ですからね。

今のうちにしっかり身につけさせてやる必要があると思います。


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「今に生きる言葉」は、中学校最初の漢文の授業です。

指導内容としては、「ア 伝統的な言語文化に関する事項」の
  • 文語のきまりや訓読の仕方を知り、古文や漢文を音読して、古典特有のリズムを味わいながら、古典の世界に触れること。
が中心になると思います。

きちんと取り扱いたいことろですが、2時間扱い(作文も入れて3時間扱い)となっています。
とても厳しい時数です。

そこで、私は、以下のように指導しています

1時間目

最初にあるのが、故事成語の解説文です。
ポイントは「故事成語」の定義です。

教科書には
「中国の古典に由来する言葉」の中で
「歴史的な事実や古くから言い伝えられているたとえ話、エピソードなど、故事を背景にもっているもの」で
「故事から生まれた言葉」とあります。

これをおさえてから、
「推敲」「蛇足」「四面楚歌」や教科書に載っている「漁夫の利」を、生徒の興味関心をひくように話し、
「みんなも故事成語を一つ探し、もとになっている故事と、その言葉の意味を発表できるようにワークシートにまとめておこう。次の次の時間に発表してもらうよ。」と予告します。

「犬も歩けば棒にあたる」とか「アリとキリギリス」とか、
教科書の定義と違う慣用句やことわざを調べてくる生徒もいます。
このようなことのないように、しっかり釘を刺しておくと良いでしょう。

取り扱いに困るのは論語等にある「光陰矢のごとし」のような言葉です。
これらは中国の古典由来ですが、たとえ話やエピソードではないため、故事成語とは言えません。
しかし、ここまでいくと、生徒には見分けがつかないものもありますので、
私はそれでもよしとして、「これは故事成語とは言えないけれど……」と言い添えます。

このようなことを避けるために、
「図書館やネットで『故事成語』にはどんなものがあるか調べるといいよ」とアドバイスしておきます。

2時間目
矛盾1
「矛盾」の指導です。
ここは何度も音読させることで、文語のきまりや訓読の仕方を知り、古文や漢文を音読して、古典特有のリズムを味わいながら、古典の世界に触れさせるのがねらいです。

3時間目

生徒が調べてきた故事成語の発表を行わせます。

発表させながら「白文」と「訓読文」と「書き下し文」の指導を行います。

多くの生徒は、漢字による熟語を探してくるでしょう。
生徒が発表した故事成語に、返り点や送り仮名を付けて訓読文に直し、更に書き下し文にしていくのです。

単元末にある「漢文を読む」というコラムには
  • 漢字のみで書かれた原文(白文という)に送り仮名を補ったり、返り点や句読点を付けたりして、日本語の文章として読めるようにすることを訓読という。訓読のために付けるさまざまな符号をまとめて訓点という。
とあり、更に「送り仮名」「返り点」「句読点」「書き下し文」等の解説が載っています。

ただ読んだだけでは生徒には具体的にイメージできないかも知れません。
そこで、生徒が調べてきた故事成語をもとに、教師がそれを白文に返り点や送り仮名をふって訓読文に直してやり、更に書き下し文にしてみせるのです。

少し慣れてきたら、生徒にチャレンジさせてみてもよいでしょう。

また、これを端緒として、毎時間やる漢字テストで、熟語が出てきたら適宜指導していきます。
これによって、2年生で行う「熟語の構成」がスムーズに学習できること請け合いです。

「今に生きる言葉」の学習プリントを作成しました。
興味のある方はこちらへどうぞ。


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光村の指導書を見ると、
「古今和歌集仮名序」と「君待つと」を合わせて3時間で扱うことになっています。
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おいおい、ちょっと待ってくれ、
そんな短い時間で、教科書の載っている和歌を教えられるわけないじゃん、
と言いたいですね。

そこで、よくある指導は、
生徒に好きな短歌を調べさせ、発表させる、というものです。

しかしこの方法はなかなかうまくいきません。

自分の発表はそれなりにやりますが、人の発表はそんなに真剣に聞かないからです。
もしグループでやらせるとなると、
グループの誰かに任せてしまって、まったくやらない生徒も出てきます。
ダウンロード
一人一人にレポートを出させて、それをまとめようとしても、
この受験に向けて総合テストの対策に忙しいこの時期に、
やってられない、というのが3年生の気持ちでしょう。

私たちだって和歌の学習に何時間もかけてはいられない、というのが本音です。
3年生の気持ちであると思います。

そこで、私はこの単元を次のように指導しています。

1時間目

まず、教科書に載っている和歌を一枚の紙にまとめ、全部すらすら読めるまで音読させます。

次に「歌はもともとシャウト(感情のほとばしり)である」といい、
♡の気持ちがこもっている歌はどれだろう」と問い、一人一人に紙に印をつけさせてから、
グループ毎に話し合わせ、グループとしての見解をまとめさせます。

間違いなく上がるのは額田王「君待つと」、東歌「多摩川に」でしょう。

意見の分かれるのは防人歌「父母が」、大伴家持「春の園」、小野小町「思ひつつ」だと思います。

ここで「♡の歌」と言ったのは、
男女の恋愛を歌った歌と、親子の情愛を詠った歌とをわざとあいまいにするためです。

「♡の歌」に入れても良いものはどれか。なぜそう考えるのか、
これを言わせることを通し、
歌の理解を深めると共に、
生徒なりの「部立て」(和歌の分類)を行わせようというのです。

話し合いを進める中で
「♡は、恋愛の歌と親子の情愛の歌に分かれるんじゃないの?」と生徒は考えます。
出てこなかったら、こちらから言ってしまってもかまいません。

そして

「♡マークは、男女の恋愛の歌と、親子の情愛の歌に分かれたね。
では他の歌は、どのように分類できるか、次の時間までに考えてきてください」

と言って、一時間を終わります。

2時間目

2時間目は、生徒が考えてきた分類に従って分けていきます。

これは、原典に基づいた正式な「部立て」である必要はありません。
大切なことは、和歌で読まれた内容のおおよそを生徒が自力で理解していくことなのです。

和歌が単独で高校入試に出題されることは、あまりないと思います。
出題されるとすれば、歌物語として出題されるでしょう。

そこで、その対策として私は、かつて教科書に載っていた「伊勢物語」で指導をしています。
興味のある方はこちらからどうぞ。

生徒たちは、
  • 景色を詠んだ歌
  • 季節を詠んだ歌
  • ♡マーク以外の人情を詠んだ歌
などを考えてくると思います。
あくまでも生徒が考えたもので良いのです。

その中で、生徒の考える分類に従いながら、

「その通りですね。そこでプチ知識として~」と、正確な知識を与えていきます。

例えば
柿本人麻呂「東の」は実はヨイショの歌だったとか、
山上憶良「憶良らは」は宴会で場を盛り上げるための歌だったとか、
紀貫之「人はいさ」は冗談の言い合いの歌だったとか……。

これをやっていると、1時間などすぐに過ぎてしまいます。

そして最後の一時間は、和歌から連歌、俳諧、俳句に連なる日本文学史の復習と、韻文の技法の復習をやっておしまいにします。

時期的に言うと、
統一模試も佳境に入り、最後の総合テストも間近な時期でしょう。
生徒がなるべく受験に集中できるように、
そして一点でもたくさん点がとれるように指導していくのが功徳だと思います。

「君待つと」の和歌の解説を作成しました。
教科書に載っている和歌の具体的な解説です。
興味のある方はこちらへどうぞ。
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 説明的文章には、
 製品の取り扱い方を正しく読み手に伝えるための電化製品のマニュアルのような説明文から、
 筆者の頭の中にある考え(筆者の主張)を正確に読み手に伝える論説文まで、様々な種類があります。

 この「シカの『落ち穂拾い』―フィールドノートの記録から」は、
 研究論文といって、学術研究の成果を筋道立てて述べた文章です。

 実際、横書き二段組みに直すと、研究紀要に掲載される書式とそっくりになります。
 私は、そのように直したA4のプリントを作成し、それを教材としています。
 (欲しい方は、ご連絡ください。PDFでプレゼントします。)

 研究が研究であるためには、どのような条件が必要なのでしょう。
 私は、次の三つを備えていなくてはいけないと考えます。
  • 客観性・妥当性
  • 独創性・新規性
  • 一般性・普遍性
 更に、インパクトファクターが高いもの(評価の高い雑誌等に取り上げられたり、他の研究にたくさん引用されていたりするもの)ほど「良い研究」と評価されます。

 これは、「授業研究」や「研究授業」など、
 私たちの身の回りにある「研究」と名前のついたものはみんな同じだと信じています。

 さて、「研究」の条件をこのテキストは備えているのか
 生徒に考えさる授業が、単元最後の授業となります。

 まず、生徒に「『研究』であるための条件」を自由に意見を出させ、
 教師がそれをまとめて、上の3つの条件を説明するまでが導入となります。

〈学習問題〉
  • この文章は、研究と言えるだろうか。
客観性・妥当性の検証

 客観性・妥当性とは、
 研究の筋道が論理だっており、誰が読んでも正しい(間違いとは言えない)ことです。

 これまでの授業では、
 「考察」の結論部をスタートに、
 それを導き出した「仮説の検証」、
 その元となる「仮説」や、「仮説」を導き出した「観察からわかったこと」を検証してきました。

 その結果、「観察からわかったこと」から「考察」までの客観性・妥当性はあると考えられます。

〈学習課題1〉客観性・妥当性を主張するために、あと何があれば良いのか。

 答えは「もととなった観察があるという事実は、何によって証明されるか。」です。

 そのために「観察のきっかけ」の項があり、
 その中でフィールドノートの存在が示され、
 確実にそれがあることを証明するために、写真まで載せています。
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 「え、そんなこと必要なの?」と思うかもしれませんが、
 特に自然科学の研究の場合、これはとても大事なことなのです。

 小○方さんの「STAP細胞はあります」の騒動の例を思い出してもわかるように、
 フィールドノートのあるなしが、その研究の真正性を担保するものだからです。

 だから、このテキストの副題
  • フィールドノートの記録から
なのです。

 「フィールドノート」という言葉を発見させ、
 フィールドノートに研究の起点があることや、
 フィールドノートをデジタルでなく紙に書いて残す意味等を考えさせます。

独創性・新規性の検証

 独創性・新規性とは、
 その研究がオリジナルのものであり、今まで誰も主張したことがない新しい内容であるということです。

〈学習課題2〉この研究は独創的で、誰も主張したことがないものなのだろうか。

 この答えは「観察のきっかけ」に次のように書かれています。
  • その(「落ち穂拾い」の)詳細が検討されることは、これまであまりなかったようだ。
 この一文は、
 「『落ち穂拾い』についての細かな研究は、私が調べた限りでは、ありませんでした。」ということです。
 従って、「『落ち穂拾い』について研究したのは、私が初めてです。」という宣言です。

 「これまであまりなかったようだ」とは優しい言い回しですが、
 謙遜した言い方では「管見すると存在は確認できなかった」
 つまり、先行研究について詳細に調べましたが、発見できませんでした、という
 相当断定的な言い方になります。

 更に「考察」で
  • これまで、樹上で暮らすニホンザルと地上で暮らすニホンジカは、互いに無関係に暮らしていると考えられてきた。しかし、一連の調査によって、この二種の動物がつながりをもって暮らしていることがわかってきた。
と、ニホンジカを専門とする研究者がこう言い切っているのですから、
 シカの「落ち穂拾い」についてはほとんど知られておらず、
 この研究が最初である、と(すこしドヤ顔で)宣言しているわけです。

一般性・普遍性の検証

 一般性・普遍性とは、
 研究が特殊な条件でしかあてはまらない限定的なものではなく、いつでもどこでもそれがあてはまるものである、ということです。

 このテキストの結果だけでは、
 「シカにとってサルは、食物が乏しく栄養状態の悪い時期に、自力では獲得が難しい、しかも栄養価の高い食物をたくさん落としてくれる、ありがたい存在である」という結論に、一般性・普遍性をもたせることはできません。

 一般性や普遍性は、その方向や範囲をどこまで広げていくかがポイントです。

 では、何を研究すれば一般性・普遍性のある研究と言えるようになるのか
 生徒に考えさせてもよいでしょう。

〈学習課題3〉どういうことを研究していけば、一般性・普遍性をもたせることができるか。

 テキストには、
  • サルの行動がシカの生活に及ぼす影響の大きさがどの程度なのか
  • シカのほうがサルにあたえる影響について
を、今後「調べてみたい」としています。

 これは、テキストにある通り、シカの「落ち穂拾い」の実態の詳しい調査です。

 では、一般性・普遍性をもたせるためには、どんな研究をしたらよいのでしょう
  • シカがサルの「落ち穂拾い」をするのは、金華山だけか。岩手県ではどうか。日本中はどうか。世界ではどうか。
  • シカはニホンジカだけか。サルはニホンザルだけか。サルやシカの種類が違ってもいえるのか。
  • サル以外に、シカが「落ち穂拾い」をする動物はいないのか。
 これらを生徒に考えさせるのです。

 他に「シカが『落ち穂拾い』をする理由は、他にはないのか」という意見が出ると思います。
 これは「反証」といいます。
 仮説(結論)に適合しない事例は、その仮説の限界を示すことであり、その限界を超えない限り仮説は正しい、という証明となるものです。
 「よく気がついたね」と絶賛してあげましょう。

 この三つの学習課題は、一斉授業ではやりきれません。
 やはりここは、個人→グループ→全体発表というような、アクティブラーニングの形式で授業を進めるのがよいかと思います。

 「シカの『落ち穂拾い』―フィールドノートの記録から」というのは、
 取り扱いが難しく、軽くスルーしてしまいがちな教材だと思います。
 しかし、しっかり教材研究をして授業にのぞめば、それなりにやりがいのある授業ができると思います。

 がんばりましょう。


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「シカの『落ち穂拾い』」の学習プリントを作成しました。
興味のある方はこちらへどうぞ。

第3時 ただしく結論を導いているか


 仮説は次の二つです。
  • 一 春は、シカの本来の食物が不足している。
  • 二 サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い。
 この二つの仮説を検証するために、「仮説の検証」の項をもうけています。
 前時に、この検証の部分から、考察の結論部は導かれていることはわかりました。
 そこで、学習問題として、次のものを据えます。
〈学習問題〉
  • A 仮説を確かめるための方法として、二つの検証は適切なものか
  • B それぞれの検証の内容は正しいのか
ダウンロード

具体的には、次のような学習になります。

〈一について〉
  • 「春は、シカ本来の食物が不足している」という仮説を証明するために「イネ科の草の供給量の測定」を行うことは適切か。
  • 図2から「春は、シカ本来の食物が不足している時期なのである」と言えるのか
〈二について〉
  • 「サルの落とす食物のほうが、栄養価が高い」という仮説を証明するために「食物の栄養価の分析」を行うことは適切か。
  • 表2から「サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高い」と言えるのか
 生徒は「教科書に載っているので正しいに決まっている」という漠然とした考えを持っています。
 これは「印刷物になっていれば……」「ネットに載っていれば……」と、際限なく広がり、
 自分の頭で考えることを放棄してしまう危険性を帯びています。

 特に、「図表や数値で表現されていればなんとなく正しいような気がする」という意識は払拭してあげたほうが、生徒の将来のためだと思います。

 検証の一と二を、いちいち一斉授業の中で取り扱っていると、1時間では収まりません。
 そこで、ワークシート等で一人一人にまとめさせ
 それをグループや学級で発表・検証していくアクティブラーニングを行います。

 検証するポイントは以下の通りです。

〈一について〉
ダウンロード (1)
○「シカ本来の食物であるイネ科の草」とあるので、
 仮説一の「シカ本来の食物」は「イネ科の草」と考えて良い。(ここまで疑うだけの知識はありませんからね。)

○図2から「春は、イネ科の草の供給量が不足している時期」と言っても良いのか。
  1. 縦軸の数字は何か。→1㎡あたりのイネ科の草の重さ。
  2. 調査した場所だけたまたま多い、少ないということはないのか。 →「刈り取りは毎月複数の場所で行った。グラフは、月ごとの草の平均値を示したもの」とある。統計的に誤差が出ないように工夫されている。(作為までを疑ったら、あとは自分で確かめるしかできませんからね。)
  3. イネ科の草の供給量が明らかに不足するのは、12月~4月(あるいは11月~5月)である。これを「春は、イネ科の草の供給量が不足している時期」と言って良いのか。 →イネ科の草の供給量が不足するのは冬から春にかけてである。従って「春は、イネ科の草の供給量が不足する」と言っても間違いとは言えない
 ポイントは、
  1. について……同じ意味の言葉による言い換え
  2. について……偶然性の排除=客観性の保障
  3. について……間違いでないものは正しいというレトリック
をきちんとおさえることです。
 特に3は、
 図2をしっかり見た生徒は
  • 「イネ科の草が少なくなるのは春と冬なのに、なぜ春と言っているのだろう」
という疑問を持ちます。
  • こういう言い方をして自分が導きたい結論にもっていくことがあるんだよ。この文章に悪意はないと思うけど、世の中にはわざとこういうテクニックを使ってみんなをひっかけようとする人がいるから、気をつけてね。間違ってはいないのだから、ひっかかったら負けだよ。」
と教えてあげます。
ダウンロード

〈二について〉

○仮説二とその検証方法は一致しているので、間違いではない。

○「サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高い」という結論は、正しいのか。
  • この結論は前文で「『落ち穂拾い』で採食した食物のほうが、一年を通して脂質やたんぱく質、炭水化物などが豊富で、食物にふくまれるエネルギーの量が多い」という表2の解釈をまとめたものである。このまとめは正しいか。
  • 「栄養価」とは何か。 →「脂質やたんぱく質、炭水化物など」と「食物にふくまれるエネルギーの量」の二つである。 →どこが違うか。 片方は「豊富で」とあり、もう片方は「多い」とある。「脂質やたんぱく質、炭水化物」は家庭科で学習する栄養素であり、他にビタミンやミネラルを加えて五大栄養素と呼ぶ。だから「など」と書かれている。一方五大栄養素の中で糖質・脂質・たんぱく質はエネルギー源になる栄養素であり、この三つが多ければ、当然「エネルギーの量」は多くなる。脂質・たんぱく質・炭水化物(糖質の一部)が多ければ、エネルギーの量が多くなって当然である。 →なぜ「栄養素」ではなく「栄養価」としたのか。 →「栄養素」は栄養の種類の豊富さを表現している。種類が豊富であっても微量であれば意味をなさないこともある。(ビタミンやミネラルなどは微量でも大丈夫ですからね。)そこでエネルギーとしての総量を明らかにした。だから「栄養としての価値」という意味で「栄養価」を使ったのだろう。
 ポイントは「栄養素」と「エネルギーの量」の言葉の使い分けです。
 「栄養価」にはこの二つの意味が含まれていることに気づかせます。
 そしてテストでは、記述問題としてこの二つがきちんと区別されているかどうかを見る問題が出題できます。


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「シカの『落ち穂拾い』」の学習プリントを作成しました。
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第1時 何の話で、結論は何か
  • 「何の話か、なるべく簡単に答えましょう」
 すると、ほぼ間違いなく「シカの『落ち穂拾い』の話」と返ってきます。
 題名がそうなっているからです。
  • 「シカの『落ち穂拾い』とは何ですか」
ダウンロード
 これは、定義文を考えさせる発問です。
  • 樹上の動物が落とした食物を地上の動物が採食するという行動
 多くの生徒は、この「落ち穂拾い」の定義文を答えてしまいます。
 しかし、発問に即してこの定義文を書き換えたものが正解です。
  • サルが落とした食物をシカが採食するという行動
 一年生ですから、こういう基本的なことからしっかり教えていきたいと思います。

 そして最後に中心の発問を出します。
  • 筆者が一番言いたいことは何ですか。一文で抜き出しましょう。
 説明的文章には、要旨が必ず書かれています
 それを発見させる発問です。

 「それはどこに書いてあるか」と言われると、文章の最初から探そうとする生徒がいます。
 そのような生徒がいた場合、「文章全体の中でどこらへんに書いてあると思う?言いたいことは最初か最後にあるよね。」と机間指導していきます。

 説明的文章には「頭括型」「尾括型」「双括型」の3種類があるという指導です。
 多くの生徒は、既にそのことに気づいていると思います。

 「筆者の一番言いたいこと」という発問によって、下のようないくつかの答えが出てくると思います。
 選んでくるのは、たいてい「考察」の中の一文です。
  • 第一段落「シカにとってサルは~ありがたい存在であると考えられる。」
  • 第二段落「しかし、一連の調査によって~わかってきた。」
  • 第二段落「私は今回の調査を通じて~感じている。」
  • 第三段落「動物たちにとってバランスのとれた生息環境を維持するために~喜びである。」
 どれが筆者がこの文章を通して最も主張したいことなのか、生徒に考えさせます。

 いろいろな意見が出てまとまらない場合は、文末表現を比較させます。
  • 「考えられる。」
  • 「わかってきた。」
  • 「感じている。」
  • 「喜びである。」
 すると、結果から導かれた結論は第一段落にあることに気づくと思います。
 「説明的文章では、文の結び方までしっかりおさえましょう」と念押しをし、
 最後に「では、この結論は本当に正しいと言えるのか、次の時間に確かめてみましょう」と言って、終わります。

第2時 結論はなぜ正しいと言えるのか

 この文章の結論は、「考察」の第一段落に書かれています。
  1. シカにとってサルは、
  2. 食物が乏しく栄養状態の悪い時期に、
  3. 自力では獲得が難しい、
  4. しかも栄養価の高い食物をたくさん落としてくれる、
  5. ありがたい存在である
 「考察」のまとまりの最初の段落に書かれていますから、「考察」の部分は頭括型の文章であることがわかります。
  • 文章全体では尾括型だが、意味段落に区切ると頭括型となることがある。
 教科書や入試問題などでは、字数の関係から、このような書き方をする説明的文章が多いことを、生徒に教えておいてもよいでしょう。

 この結論部をスタートとして、授業はこの文章を逆に読解していきます。

 この結論部分は、1~5のパーツに分かれています。
 そこで、各パーツを検証していきます。
  1. パーツ2 落ち穂拾いをするのは「食物が乏しく栄養状態の悪い時期」と言えるのか。
  2. パーツ3 落ち穂拾いで食べる食物は「自力では獲得が難しい」と言えるのか。
  3. パーツ4 サルは『栄養価が高い食物をたくさん落としてくれる』と言えるのか。
 パーツ2「食物が乏しく栄養状態の悪い時期」は、「仮説の検証 一について」の最後から言えます。
  • 「落ち穂拾い」が多く生じる春は、シカ本来の食物が不足している時期なのである
 これはすぐに出てくると思います。

 しかしこれだけでは「食物が乏し」い時期の部分しか対応していません。
  • 栄養状態が悪い時期」というのはどこからわかるのか。
と更に質問します。

 すると「さらに、興味深いデータがある。」出始まる部分の最後
  • 春先は、一年の中で、シカの栄養状態が特に悪い時期なのである。
という記述に気づきます。

 図3や岩手県の調査は、どちらの仮説の補足説明であるかを考えると、迷ってしまうことが多いと思います。
 それよりむしろ、この調査は、結論のどこと結びついているか、に視点をあてるべきだと思います。

 ここで指導したいことは、次のものです。
  • 結論部と検証部分は、必ず対応していなくてはいけない。「食物が乏しく」だけのデータしか示せなかったら「栄養状態が悪い」という結論まで導くことはできない。科学的文章ではなくなる。一字一句に注意し、勢いで納得してはいけない。
  • 結論部分に対応する検証部分は一箇所だけではないことがある。
  • 結論部分に対応する検証部分には、同じ意味の言葉(「乏しく=不足している」、「栄養状態が悪い=栄養状態が特に悪い」)が必ず含まれる言い換えに注意し、集中的にそれを探せば良い。
 パーツ4「サルは『栄養価が高い食物をたくさん落としてくれる』のか」については、すぐに「仮説の検証 二について」が出てくると思います。
  • サルの落とす食物は、シカ本来の食物よりも栄養価が高いのである
 問題はパーツ3「自力では獲得が難しい」です。これはどこから言えるのか、生徒は迷うと思います。
 「結論部と検証部分は、必ず対応していなくてはいけない」という鉄則に従い、「なぜそれが言えるのか」を考え、結論を導くのが生徒の学習です。
 生徒は、次のように考えるでしょう。
  • 「仮説の検証 一について」から「春は、シカ本来の食物が不足している」とあるから、当然「自力では獲得が難しい」といえる
  • 「仮説の検証 二について」から「サルの落とす食物は、シカの本来の食物よりも栄養価が高い」とあるから、落ち穂拾いで得る食物は「自力では獲得が難しい」ものだといえる
  • 「観察のきっかけ」のフィールドノートの絵からは、サルがいないと食物が得られないことがわかる。だから「自力では獲得が難しい」と言えるのではないか。
 これをまず考えさせ、その考えをノートに書かせ、それを発表させていきます。

 ここが、生徒が自分の考えを練り、それを出し合い、検証していく大切な場面となると思います。


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PISA型の「読解記述力」に惑わされてはいけない

 「シカの『落ち穂拾い』」を教えにくい教材だと思う方は多いのではないでしょうか。

 説明的文章なのですが、
 文章だけではなく、写真や図表が多く用いられ、なんだかPISAや全国学調の問題に似ています。
 ……だから、そいういう力をつけなくてはいけないのかな?

 これが教えにくいと感ずる原因の一つなのではないでしょうか。

 確かに、PISAや全国学調に見られるの問題は、文章と写真・図表等の複合テキストです。
 しかし、PISA等で測ろうとしているのは「読解記述力(複数のテキストから必要な情報を取り出し、解釈し、結論を表現する力)」です。

 そのため、PISAは文章・写真・図表等の複数のテキストが並立して提示されています。

 これに対し、「シカの『落ち穂拾い』」は、写真や図表はあくまで文章の補助としてしか用いられているに過ぎません。
 この教材は、あくまで「文章を読んで内容を理解する」ための教材であり、写真や図表は文章理解を助けるという役割しか果たしていません。

 PISAや全国学調を意識した授業はする必要がないと思います。

 このことは、上にあげた光村図書の「指導事項」や「言語活動例」から見てもわかります。
  • イ 文章の中心的な部分と付加的な部分事実と意見などとを読み分け、目的や必要に応じて要約したり要旨をとらえたりすること。(指導事項)
  • エ 文章の構成や展開、表現の特徴について、自分の考えをもつこと。(指導事項)
  • イ 文章と図表などとの関連を考えながら、説明や記録の文章を読むこと。(言語活動例)
 この教材では純粋に「読解表現力」ではなく国語科の考える「読解力」を身につける指導を行えばよいのです。

論文を読む力をつけよう

 この文章には、次のように、文章のまとまり毎にタイトルがつけられています。
  • 観察のきっかけ
  • 観察からわかったこと
  • 仮説
  • 仮説の検証
  • 考察
 これは、理科の自由研究の項立てとほとんど同じです。
 いってみれば論文と非常によく似た構成をもっています。

 この文章は、自然科学系の論文を視野に入れた書き方なのです。

 論文の価値は、次の観点から評価されます。
  • 客観性・妥当性(仮説を導く論理に飛躍や思いこみがなく、論理的に正しいこと)
  • 独創性・新規性(他の文献等に既に出ているものや似たものがなく、オリジナリティを主張できるものであること)
  • 一般性・普遍性(特殊な事象にしか通用しないものだと、高く評価されない)
 また、インパクトファクターが高いもの(評価の高い雑誌等に取り上げられたり、他の研究にどのくらい引用されるか)ほど「良い研究」と評価されます。

 この文章は、以上の評価の観点をとても上手にクリアしています。さすが京大の先生だと思います。
d54e72acb51459cd5422661fee58da0c辻大和先生のHPから
 論文は、次のポイントを押さえながら読むべきだと思います。
  • 何についての研究か
  • 結論は何か
  • 結論を導く論理に誤りはないか
 そこで、授業でもこの点に留意し、
 「より速く、より正確に」論文型の説明的文章を読解する力が身につくよう、
 全5時間の単元を進めていきます。

「シカの『落ち穂拾い』」の学習プリントを作成しました。
興味のある方はこちらへどうぞ。


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 「大人になれなかった弟たちに……」は、光村図書の指導事項によれば以下のことを指導するようになっています。

C 読むこと
  • ウ 場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てること。
  • オ 文章に表れているものの見方や考え方をとらえ、自分のものの見方や考え方を広くすること。
伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項
 イ 言葉の特徴やきまりに関する事項 
  • (イ)語句の辞書的な意味と文脈上の意味との関係に注意し、語感を磨くこと。

 4時間扱いの単元ですが、個人的にはもう1~2時間使いたいところです。

 しかし多くの学校では文化祭が9月末に控えています。またその前後に定期テストを行いますから、あまり時間をとることができません。

 そこで、より効率的・効果的な授業の展開を工夫しなくてはいけません。

 文学作品読解の基本は「いつ」「どこ」「だれ」です。

 「一つの花」や「ちいちゃんのかげおくり」等、既に生徒は学んでいますから、「いつ」はすぐ生徒にわかります。終戦の年とその前年です。

 「どこ」は、テキストに「福岡から南へ二十キロくらい行った、石釜」とあります。
 実在の土地です。ネットを調べればテキストにあるような自然に囲まれた風景が観光地として出てきます。

 この作品で指導計画に基づいておさえたい内容は、それぞれの場面にしっかりとあります。
 1時間目に範読・感想をもつ等で0.5時間使うとして、展開はおおよそ次のようになります。
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0005
第1時 後半 ヒロユキのミルクに関わる場面
  •  飲みたい「僕」とそれに対する「母」の気持ち
 これは、反復法省略法によって語られます。
 「繰り返すことによってどんな気持ちが読み取れるか」「どんな気持ちが省略されているか」考えさせます。
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0007
第2時 親戚で疎開先を断られる場面
  •  「そのとき(指示語)の顔」
  •  「強い顔」「悲しい悲しい顔(反復法)」「美しい顔」「母の顔」の関係
  •  「いつも」
 「『そのときの顔』はどういう顔だろう」が中心発問となります。
 「そのとき」というのを曖昧にとらえる生徒がいます。「その」が指し示すのは直前の「僕に帰ろう」と言ったその瞬間の顔です。
 このときの顔は、「顔」という言葉を反復することによって読者に意識づけようとしています。

 「強い顔」「悲しい悲しい(これも反復法)顔」「美しい顔」「母の顔」

 この四つの関係を考えさせ、母の、誰にも頼らず自分だけで子どもたちを守ろうとする孤独な覚悟を読み取らせます。
 
 そして「いつも」という語に気づかせ、作者は、この時の母の気持ちを、その後何度も思い出していることをおさえます。
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0013
第3時 母が泣くまでの場面
  •  「栄養失調です……。(省略法)」
  •  「白い乾いた道から」(情景描写=心理描写)
  •  「ヒロユキは幸せだった」と母は本当に思っていたのか
  •  「小さな小さな」(反復・漸層法)←「大きくなっていたんだね」
  •  「母は初めて泣きました」の理由
 「栄養失調です……。」の省略法では、どんな言葉が省略されているか考えさせることで「僕」の無念さに気づかせます。
 この時間の中心発問は「なぜそのとき、母は初めて泣いたのだろう」です。
 これについて気づかずスルーしている生徒もいますから、その場合は教師が注目させる必要があります。

 直接の理由は「大きくなっていたんだね」という母の気づきにあります。
 この母の気づきを明確に理解するためには、ヒロユキが亡くなってからの母の気持ちを逐っていく必要があります。

 「白い乾いた道~」の情景描写は母(及び「僕」)の虚無的な心情の表現であり、
 「ヒロユキは幸せだった」という母の台詞は、小さな子どもを守ることができなかったことへの、自己正当化の言葉です。
 そして「小さな」という言葉の繰り返しは、「大きくなっていたんだね」という母の気づきにつながる盛り上がりを演出していることに気づかせます。

 このあたりの展開は、生徒の気づきや発言をうまくとりあげ、誘導するよいでしょう。
 授業はライブであり、教師の出が重要なのです。 
大人になれなかった弟たちに…_PAGE0000
第4時 まとめ
  •  「忘れません」の意味(「忘れられません」との違いから意味を考えさせる)
  •  なぜ「ヒロユキ」とカタカナで表記されているのか
  •  なぜ「弟たちに……」という題名なのか
 これらを全てやることは、時間的にできません

 三つ提示し、好きなものをやらせ、最後の発表させても良いし、
 全体で一つのものを学習問題として与え、発表させても良いでしょう。

 ポイントは、自分が考えた内容を人に知らせる(発表する・聞いてもらう)前にきちんと書かせることが大切です。
 「○字以内で、○分間で」と条件を与え、原稿用紙に八割以上の生徒に書かせてから、発表させたり意見交換をさせます。
 そして最後にもう一度まとめさせ、感想を添えて提出させると良いでしょう。

 今後の高校入試や大学入試で求められる「書く力」の基礎となります。

 このように、この教材を4時間で扱うことを考えると、非常に駆け足で単元を進めなければいけないことがわかります。私の場合、どうしても1時間くらいオーバーしてしまいます。

 夏休みが明けてまだ残暑が厳しく、1年生は気持ちがゆるみがちの時期です。
 予習・復習をしっかりしておらず、前時の授業はもとよりテキストの内容すら頭に入れていない生徒が多くなります。

 しかし、私たちも生徒のことは言えません。

 これから一ヶ月以内に国語科としてやらなくてはならないことは何か、中間テストの範囲はどこまでか、
 しっかりと教科主任と相談しながら、あとで泣き言を言わないようにしなくてはいけません。

 気持ちをひきしめて授業に向かわなくてはならないのは、生徒も教師も同じなのです。

この項目については、生徒用に解説したものがあります。
興味のある方は、こちらへどうぞ。

「大人になれなかった弟たちに……」の学習プリントを作りました。
興味のある方は、こちらへどうぞ。


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 「なんで題名が『挨拶』なの?」

 夏休み明けすぐに取り扱う「挨拶」の授業で、必ず生徒から出てくる質問です。

 作者の石垣りん(1920年(大正9年)-2004年(平成16年))は、東京都生まれの詩人。
 小学校を卒業した14歳の時に日本興業銀行に事務員として就職。以来定年まで勤務し、戦前、戦中、戦後と家族の生活を支えました。
 そのかたわら詩を次々と発表。職場の機関誌にも作品を発表したため、銀行員詩人と呼ばれました。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 『ユーモアの鎖国』(石垣りん 1973)で、作者は次のようにこの詩について説明しています。

 第二次世界大戦後、・・・。食糧も娯楽も乏しかった時期、文芸といった情緒面でも、菜園で芋やかぼちゃをつくるのと同じように自給自足が行われ、仲間うちに配る新聞の紙面を埋める詩は、自分たちで書かなければならなかった。実際、私も勤め先の職員組合書記局に呼ばれ、明日は原爆投下された8月6日である。朝、皆が出勤してきて一列に並んだ出勤簿に銘々判を捺す、その台の真上にはる壁新聞に原爆投下の写真を出すから、写真に添える詩を今すぐここで書いてもらいたい。と言われ、営業時間中、一時間位で書かされたことがありました。

  挨拶 原爆の写真によせて

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ

向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

 題名は、友だちに「オハヨウ」と呼びかけるかわりの詩、という意味で「挨拶」としました。
 あれはアメリカ側から、原爆被災者の写真を発表してもよろしい、と言われた年のことだったと思います。はじめて目にする写真を手に、すぐに詩を書けという執行部の人も、頼まれた者も、非常な衝撃を受けていて、叩かれてネをあげるような思いで、私は求めに応えた。どういう方法でつくったという手順は何もなく、言えるとすれば、そうした音をあげるものを、ひとつの機会がたたいた、木琴だかドラムだか、とにかく両方がぶつかりあって発生した言葉、であった。それがその時の空気にどのように調和し得たか。
 翌朝、縦の幅一米以上、横は壁面いっぱいの白紙に筆で大きく書いてはり出されました。皆と一緒に勤め先の入口をはいった私は、高い所から自作の詩がアイサツしているのにたまげてしまいました。何よりも、詩がこういう発表形式で隣人に読まれる、という驚きでした。

 今で言えば、職員が出勤した時にひっくり返す札の上に、
 初めて原爆被害者の写真がデカデカと張り出され、その隣にこの詩が書かれていたのですね。
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 「友」というのは、同じ職場に出勤してきた人たちのことを指します。
 しかし、こんなことを説明する必要なないと思います。作者が生徒に「友」と呼びかけているという認識で十分でしょう。
 朝、学校へ出てきて「オハヨウ」と言葉をかけあう「向き合った互いの顔」と、
 目の前に張り出された初めて見る原爆被害者の顔……
 この対比は、この作品を解釈する鍵となります。

 ですから、この詩が書かれた状況は、いつもきちんと説明しています。

 ただし、それを学習の前にするか、後にするかは、そのクラスに実態によります。
 その時、原爆被害者の方の写真を生徒に見せるかどうかは、それこそ、そのクラスの実態によります。
 見せた授業の方が、見せない授業より数は少ないのですが、より深い読解ができたような気がします。どうするかは今でも微妙です。

 この詩の指導事項は、以下の通りです。
  • ア 文脈の中における語句の効果的な使い方など、表現上の工夫に注意して読むこと。
  • ウ 文章を読み比べるなどして、構成や展開、表現の仕方について評価すること。
  • エ 文章を読んで人間、社会、自然などについて考え、自分の意見をもつこと。
 主題の
  • 原爆の危険は、常にある。油断してはいけない。
は、「顔」の分析ができると、生徒は容易に把握し文章化し、自分の意見をもつこともできます。

 詩は文学の一種ですから、私は「いつ」「どこ」「だれ」をまず押さえさせます。
 すると生徒は、この詩には「現在」と「過去」の二つの「いつ」が流れていることに気づきます。

 これをきっかけにして「顔」の分析に入ります。

 指導事項から、この詩における表現技法とその効果をきちんと押さえることは当然のことですが、
 「りつぜん」という単語の意味がわからない子がいます。
 きちんと理解させなくてはいけません。

 詩の成立背景を学習し、詩の分析を行い、主題をまとめていくので2時間で十分です。

 ただし生徒が休みぼけをしていた場合は3時間かかります。
 高校入試に向けてその状態ではいけませんから、気合いをいれてあげます。

 この項目については、生徒用に解説したものがあります。
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 指導の最後で取り扱うのは「主題を考える」授業です。

「主題」とは
 私たちは、文学的文章読解を行う際に、辞書的に「芸術作品などの中心となる思想内容」という意味で「主題」という言葉を使っています。説明的文章の場合は「要旨」です。

 語(語彙)が集まり文となり、文が集まって段落となり、段落が集まって文章が作られてることを、一年生の文法の授業で教えます。

 語(語彙)にはその一つ一つに単語としての意味があります。その語(語彙)が集まって文となったとき、一つのまとまった文としての意味が生まれます。そして文が集まると、一つの意味のつながりが生まれ、それが改行で区切られたとき更に大きな意味のまとまりとなります。

 意味のまとまりは、一つの方向性をもっています。ベクトルのようなものと考えてよいと思います。
imagesベクトル
語彙という小さなベクトルの集合が文となり、文のベクトルが集まって大きな段落のベクトルとなるわけです。

 そして段落のベクトルを集めたものが「主題」になるのだと思います。

 説明的文章では、それぞれの語彙は互いに関連をもちながら意味的につながって段落の要旨に集まり、段落の要旨は相互に関連しあって文章全体の要旨として明らかになります。そして説明的文章の要旨はテキストにはっきりと書かれている点に特徴があります。
 ですから説明的文章の読解というのは、語彙や文、段落レベルのベクトルの方向を見定め、文章全体がテキストのどの部分に集約されているかを見極めることが一つの目的となります。

 ところが文学的文章の場合、「主題」はテキストには書かれていません。テキストの外にあるのです。
 大雑把に言うと、
 「主題」は、テキストの外の作者の中にあるというのが作家論です。ですから正解は作者しかわかりません。(作者だってわからないかもしれません。)
 逆にそのベクトルは読者の心の中にしかないと考えるのが読者論です。

 読者論の場合、文学作品を読んだ読者がどんな主題を設定しても読者の自由となります。しかしこれでは、単なる趣味の読書となってしまい、授業で取り扱う意味が薄れてしまいます。

 私たちが授業で取り扱うべきは、あくまでも指導要領に示される「論理的に考える力や共感したり想像したりする力」や「伝え合う力」です。感覚的・主観的な独りよがりの読解力を増長させるためではありません。
 きちんとテキストに書かれている内容を論理的に判断し、その判断に対して多くの他者が共感できるように説明相手の説明を理解する「伝え合う力」を育てるのが授業の目的です。

 そこで、文学的文章読解の授業では、それぞれの語彙、文、段落が指し示すベクトルの方向を論理的に吟味し、それが収束している「主題」を的確な文で表現する(認識する)ことに価値があると思います。

 文学作品は、因果関係に支配されています。一定のキャラクターをもった「登場人物」が「事件(イベント)」に出会い、その結果「心理」に変化がうまれ、それに従って「行動」します。そして新たに獲得した「心理」や「行動」が「登場人物」のキャラクターに加わり、更に新たな「事件」に出会い物語が展開します。(事件の前後で主人公の心理の変化がほとんどないのがラノベですね。だから学校で読むことが問題視されるのかな?)

 主題は、この「登場人物」の心理変化の中にあるのだと思います。
 そして主題を体現する心理変化をもった「登場人物」こそが主人公なのです。(ただしホウムズ物のような探偵小説はどうなんでしょうね……。ワトソン博士が主人公……じゃないよね。これが「探偵小説は文学としては微妙」と言われる理由なのかな?)

 文学作品の「主題」は、愛や憎しみ、友情や優しさなど様々あると思いますが、いずれも主人公が体現するものです、社会的にみると人間としての「価値」や「徳目」です。(主人公が「価値」「徳目」のアンチテーゼとして描かれる、反社会的・反道徳的な主題が描かれる文学はあります。しかし小・中学校の教材となることはまずありません。ですから「文学的文章」と呼ばれるのだと思います。)

  • 主題とは主人公の言葉や行動によって論理的に説明できる「価値」あるいは「徳目」である。
 これが、主人公の心情の変化を執拗に授業で読み取らせようとする理由なのではないでしょうか。

 ですから、主人公の心情の変化の読み取りの終着点として「主題を考える」場面は、文学的文章読解の授業には必要だと思います。

「盆土産」の主題

 ストーリーの展開に沿って、あらすじをまとめてみます。

 1日目。主人公は突然お盆に帰省する父親のために「父っちゃのだし」を送り盆のまでに間に合わせようと雑魚を釣りながら、盆土産であるえびフライとはどんなものだろうと考える場面で物語は始まります。

 この日の前日、突然父親がえびフライを持って帰省する速達ありました。えびフライにとはどんなものか、主人公にも姉にも見当がつきません。しかし祖母はわからないながらも「うめもんせ」と父親を信頼しています。主人公は祖母の言葉に納得し「父親の土産のうまさをよく味わう」ことを楽しみにします。

 父親の帰省の場面では、父親は八時間もの間ドライアイスを交換しながら帰省したことが述べられ、ドライアイスやえびフライに驚く子どもたちの姿を「満足そうに」眺める父親の姿が描かれます。

 その日の夕方では、隣の喜作も盆土産を喜んでいる姿が、夕飯の場面では、揚げたてのえびフライを食べる一家団欒の様子が描かれます。その中で、「父っちゃのだし」を心配する主人公と、次の日に帰省することを息子に告げられない父親の心理が語られます。

 2日目。墓参りの場面では、死んだ母親への家族の思いが、特に祖母と主人公を通して語られます。

 そして夕暮れ時、主人公が父親を見送る場面では、父親と主人公との交流とすれ違いが描かれています。

 この物語全体から俯瞰されるの主題は、父と息子との交流だけではありません。父が子へ、子が父や死んだ母へ、祖母が子(父)や孫(主人公と姉)あるいは夫(祖父)や嫁(母)へと、家族全体の双方向性のつながりが描かれていることがわかります。
 そしてその交流は、父親が東京へ働きに出ていて稀にしか帰省できない状態であることにより鮮明に浮かび上がってきています。
  • 父親が東京へ働きに出ている東北地方の家族の絆
 これが「盆土産」主題だと思います。

 この主題は、最後の場面で主人公が「えんびフライ」と言い間違えるところに象徴的に表現されていると思います。
 「えんび(フライ)」という言葉が登場するのは、冒頭部の主人公と姉との会話、墓参りでの祖母の言葉、そして最後の場面の主人公の言い間違いとしてです。

 主人公は、「いつもより少し」強めの父親の愛情表現で動転し「うっかり」「えんびフライ」と言ってしまいます。なぜ「えんびフライ」でなければならないのでしょう

 「えんびフライ」が単語として登場するのは、墓参りの場面です。
  • 昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか
 祖母が報告した「昨夜の食卓の様子」を「祖父と母親に報告」するとしたら、どのような内容になるのでしょう

  • 帰らないと思っていた「父っちゃ」がわざわざ墓参りのために帰ってきたよ。盆土産に珍しいえびフライを持ってきたよ。孫たちはとても喜んだよ。みんなで楽しく海老フライを食べたよ。…安心しておくれ。
 祖母が報告したのは、「昨夜の家族揃っての楽しい団らんのある食卓の様子」だったはずです。
 この象徴としての単語が、親しみのある方言を使った「えんびフライ」だったのではないでしょうか。

 そして「家族揃っての楽しい団らん」こそが主人公が希求する絆であったはずです。
 だからこそ主人公の「家族揃って楽しい団らんを囲みたい」という願いが、その象徴たる「えんびフライ」という言葉となってほとばしったのだと思います。 

 これは、文として生徒に教える必要はありません。なぜなら、この主題が正解であるかどうかはわからないからです。
 それよりも、この物語の主題を「文」としてまとめようと考えさせ書かせることこそが学習であると思います。

 これには、やはり1時間はかかるでしょう。

この項目については、生徒用に解説したものがあります。
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