十種神宝 中学国語の基礎・基本

稗田先生は、永く公立小中学校にお勤めでした。 その先生からお聞きした、 主に中学校の国語の教材のことなどを 書き留めました。

タグ:読解

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 指導の最後で取り扱うのは「主題を考える」授業です。

「主題」とは
 私たちは、文学的文章読解を行う際に、辞書的に「芸術作品などの中心となる思想内容」という意味で「主題」という言葉を使っています。説明的文章の場合は「要旨」です。

 語(語彙)が集まり文となり、文が集まって段落となり、段落が集まって文章が作られてることを、一年生の文法の授業で教えます。

 語(語彙)にはその一つ一つに単語としての意味があります。その語(語彙)が集まって文となったとき、一つのまとまった文としての意味が生まれます。そして文が集まると、一つの意味のつながりが生まれ、それが改行で区切られたとき更に大きな意味のまとまりとなります。

 意味のまとまりは、一つの方向性をもっています。ベクトルのようなものと考えてよいと思います。
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語彙という小さなベクトルの集合が文となり、文のベクトルが集まって大きな段落のベクトルとなるわけです。

 そして段落のベクトルを集めたものが「主題」になるのだと思います。

 説明的文章では、それぞれの語彙は互いに関連をもちながら意味的につながって段落の要旨に集まり、段落の要旨は相互に関連しあって文章全体の要旨として明らかになります。そして説明的文章の要旨はテキストにはっきりと書かれている点に特徴があります。
 ですから説明的文章の読解というのは、語彙や文、段落レベルのベクトルの方向を見定め、文章全体がテキストのどの部分に集約されているかを見極めることが一つの目的となります。

 ところが文学的文章の場合、「主題」はテキストには書かれていません。テキストの外にあるのです。
 大雑把に言うと、
 「主題」は、テキストの外の作者の中にあるというのが作家論です。ですから正解は作者しかわかりません。(作者だってわからないかもしれません。)
 逆にそのベクトルは読者の心の中にしかないと考えるのが読者論です。

 読者論の場合、文学作品を読んだ読者がどんな主題を設定しても読者の自由となります。しかしこれでは、単なる趣味の読書となってしまい、授業で取り扱う意味が薄れてしまいます。

 私たちが授業で取り扱うべきは、あくまでも指導要領に示される「論理的に考える力や共感したり想像したりする力」や「伝え合う力」です。感覚的・主観的な独りよがりの読解力を増長させるためではありません。
 きちんとテキストに書かれている内容を論理的に判断し、その判断に対して多くの他者が共感できるように説明相手の説明を理解する「伝え合う力」を育てるのが授業の目的です。

 そこで、文学的文章読解の授業では、それぞれの語彙、文、段落が指し示すベクトルの方向を論理的に吟味し、それが収束している「主題」を的確な文で表現する(認識する)ことに価値があると思います。

 文学作品は、因果関係に支配されています。一定のキャラクターをもった「登場人物」が「事件(イベント)」に出会い、その結果「心理」に変化がうまれ、それに従って「行動」します。そして新たに獲得した「心理」や「行動」が「登場人物」のキャラクターに加わり、更に新たな「事件」に出会い物語が展開します。(事件の前後で主人公の心理の変化がほとんどないのがラノベですね。だから学校で読むことが問題視されるのかな?)

 主題は、この「登場人物」の心理変化の中にあるのだと思います。
 そして主題を体現する心理変化をもった「登場人物」こそが主人公なのです。(ただしホウムズ物のような探偵小説はどうなんでしょうね……。ワトソン博士が主人公……じゃないよね。これが「探偵小説は文学としては微妙」と言われる理由なのかな?)

 文学作品の「主題」は、愛や憎しみ、友情や優しさなど様々あると思いますが、いずれも主人公が体現するものです、社会的にみると人間としての「価値」や「徳目」です。(主人公が「価値」「徳目」のアンチテーゼとして描かれる、反社会的・反道徳的な主題が描かれる文学はあります。しかし小・中学校の教材となることはまずありません。ですから「文学的文章」と呼ばれるのだと思います。)

  • 主題とは主人公の言葉や行動によって論理的に説明できる「価値」あるいは「徳目」である。
 これが、主人公の心情の変化を執拗に授業で読み取らせようとする理由なのではないでしょうか。

 ですから、主人公の心情の変化の読み取りの終着点として「主題を考える」場面は、文学的文章読解の授業には必要だと思います。

「盆土産」の主題

 ストーリーの展開に沿って、あらすじをまとめてみます。

 1日目。主人公は突然お盆に帰省する父親のために「父っちゃのだし」を送り盆のまでに間に合わせようと雑魚を釣りながら、盆土産であるえびフライとはどんなものだろうと考える場面で物語は始まります。

 この日の前日、突然父親がえびフライを持って帰省する速達ありました。えびフライにとはどんなものか、主人公にも姉にも見当がつきません。しかし祖母はわからないながらも「うめもんせ」と父親を信頼しています。主人公は祖母の言葉に納得し「父親の土産のうまさをよく味わう」ことを楽しみにします。

 父親の帰省の場面では、父親は八時間もの間ドライアイスを交換しながら帰省したことが述べられ、ドライアイスやえびフライに驚く子どもたちの姿を「満足そうに」眺める父親の姿が描かれます。

 その日の夕方では、隣の喜作も盆土産を喜んでいる姿が、夕飯の場面では、揚げたてのえびフライを食べる一家団欒の様子が描かれます。その中で、「父っちゃのだし」を心配する主人公と、次の日に帰省することを息子に告げられない父親の心理が語られます。

 2日目。墓参りの場面では、死んだ母親への家族の思いが、特に祖母と主人公を通して語られます。

 そして夕暮れ時、主人公が父親を見送る場面では、父親と主人公との交流とすれ違いが描かれています。

 この物語全体から俯瞰されるの主題は、父と息子との交流だけではありません。父が子へ、子が父や死んだ母へ、祖母が子(父)や孫(主人公と姉)あるいは夫(祖父)や嫁(母)へと、家族全体の双方向性のつながりが描かれていることがわかります。
 そしてその交流は、父親が東京へ働きに出ていて稀にしか帰省できない状態であることにより鮮明に浮かび上がってきています。
  • 父親が東京へ働きに出ている東北地方の家族の絆
 これが「盆土産」主題だと思います。

 この主題は、最後の場面で主人公が「えんびフライ」と言い間違えるところに象徴的に表現されていると思います。
 「えんび(フライ)」という言葉が登場するのは、冒頭部の主人公と姉との会話、墓参りでの祖母の言葉、そして最後の場面の主人公の言い間違いとしてです。

 主人公は、「いつもより少し」強めの父親の愛情表現で動転し「うっかり」「えんびフライ」と言ってしまいます。なぜ「えんびフライ」でなければならないのでしょう

 「えんびフライ」が単語として登場するのは、墓参りの場面です。
  • 昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか
 祖母が報告した「昨夜の食卓の様子」を「祖父と母親に報告」するとしたら、どのような内容になるのでしょう

  • 帰らないと思っていた「父っちゃ」がわざわざ墓参りのために帰ってきたよ。盆土産に珍しいえびフライを持ってきたよ。孫たちはとても喜んだよ。みんなで楽しく海老フライを食べたよ。…安心しておくれ。
 祖母が報告したのは、「昨夜の家族揃っての楽しい団らんのある食卓の様子」だったはずです。
 この象徴としての単語が、親しみのある方言を使った「えんびフライ」だったのではないでしょうか。

 そして「家族揃っての楽しい団らん」こそが主人公が希求する絆であったはずです。
 だからこそ主人公の「家族揃って楽しい団らんを囲みたい」という願いが、その象徴たる「えんびフライ」という言葉となってほとばしったのだと思います。 

 これは、文として生徒に教える必要はありません。なぜなら、この主題が正解であるかどうかはわからないからです。
 それよりも、この物語の主題を「文」としてまとめようと考えさせ書かせることこそが学習であると思います。

 これには、やはり1時間はかかるでしょう。


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 「盆土産」の指導事項は
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
です。
 指導事項アとイを中心に、登場人物に関する「内容の理解」を深め、授業では「根拠を明確にして自分の考えをまとめ」させ、発表させることでそれを確かめる授業となります。

 これをやるのにだいたい2時間はかかります。
 すべてきちんと取り扱おうとすると、確実に3時間以上になってしまって、指導時数を確実にオーバーします。
 この後、主題についての授業は是非やりたいところですので、生徒の様子を見ながら扱う場面を取捨選択して進めます。

 生徒は『盆土産』の作品研究の演習をするわけではありません。あくまで指導事項さえきちんと押さえてさえいれば、授業としてはそれで十分なのです。
 効率的・効果的に授業を進めることをかんがえましょう。


主人公
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 小学校3年生。8~9歳。分校に通っています。
 おそらく、物心ついた頃、母親をなくしました。

 川えびしか見たことがなく、伊勢エビやブラックタイガー等の知識がないため、父親が「海ではもっと大きなやつ(えび)も捕れる。長えひげのあるやつも捕れる」と言っても、冗談だと思っています。
 この時代の東北地方の寒村の小学3年生です。から、『ちびまる子ちゃん』のまるちゃんより知識量が少なくても仕方がありませんね。

 現在父親は東京に働きに出ていってしまって、さみしい思いをしています。

 ですから突然父親が帰省すると知ると、父親に振る舞うそばのダシをとるために雑魚をとり、夕食で父親がそれを焼いてどんどん食べてしまうと「はらはらして」「だしがなくならえ」と心配するくらい父親のことを思っています。

 父親のもたらした「盆土産」である「えびフライ」を中心に、久しぶりの家族揃って楽しい団らんを囲みます。
 小学3年生の主人公に、「えびフライ」と「父親」と「家族の団らん」という三つの語彙が強烈な関連をもってすり込まれるのです。

 迎え盆の朝、突然父親が東京へ戻ることを告げられ、昨晩の父親の雑魚の食べ方が「尋常ではない」理由を悟ります。

 夕方、「終バス」に乗る父親を「独りで停留所まで送って」いきます。帰りは当然暗くなりますから、父親は見送りはしなくてよいと言ったでしょう。しかし主人公はどうしても送っていきたかったのかもしれません。(他の研究によると、主人公が住んでいる集落と停留所までは相当の距離があるようです。)

 「村外れのつり橋」を渡った時、突然父親が「とって付けたように」「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」と語りかけます。
 父親が息子の悲しみを理解し申し訳なく思っていることを言外に悟った主人公は、「不意にしゃくりあげそう」になります。
 主人公の中で
  • 父親の愛情=えびフライ
という図式が成立していたため、
  • 父親が帰ってくる=楽しい家族の団らん=えびフライ
  • えびフライ=暑いのでドライアイスが必要=冬ならばドライアイスは不必要
という連想が浮かんだのでしょうか、「とっさに」「冬だら、ドライアイスもいらねえべな。」と言ってしまいます。

 つり橋を渡って、更に2人には沈黙が続きます。
 父親に似て口下手のようですが、小学3年という年齢を考えるとこの程度なのかもしれません。

 特に父親に頭をわしづかみにして揺さぶられるような、父親とのふれあいを楽しみにしています。
 別れ際、父親に「んだら、ちゃんと留守番してれな」と言われ、とっさに「えんびフライ」と言ってしまいます。

 本人は「んだら、さいなら、と言うつもり」だったと述懐していますが、本当でしょうか。

 ひょっとしたら、父親との別れに際し「早く帰ってきてまた楽しい家族の団らんを囲みたい」「東京には行かないで欲しい」と言いたかったのだと思います。
 この気持ちが集約された語彙が「えびフライ」ではなく「えんびフライ」だったと思います。

 この日の夕方、墓参りの中で祖母の言葉に「そのときは確かに、えびフライではなくえんびフライという言葉を漏らしたのだ」と言っています。
 主人公にとって、父親の愛情や家族の団らんを象徴する語彙は、よそ行きのハイカラな「えびフライ」ではなく「えんびフライ」なのでしょう。

 まさに方言の力ですね。



 中学生。本校の中学校に通っています。
 弟に対して「お姉さん」らしく振る舞おうとしています。
 えびフライというのは「どんなものか」と答えられない質問を弟にされると、答えをはぐらかし「自分の鼻の頭でも眺めるような目つき」をして視線をそらすという、年相応のごまかし方を身につけています。
 また「えびは、しっぽを残すのせ」と言われても、食べてしまったことを正当化するために「歯があれば、しっぽもうめえや」と言うような、少し負けず嫌いなところもあります。
 これらは、弟の手前ということもあるかもしれません。いずれにせよ、姉らしく振る舞おうとしていることがわかります。

父親
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 「まだ田畑を作っている頃」とありますから、現在田畑は作っていません
 
 田畑を手放した理由はわかりませんが、妻(母親)をなくしたことによる労働力不足が理由だったのでしょうか。
 戦後の農地改革*1)の影響がなかったとは言い切れませんが、農地を取り上げられた地主階級ではありませんでした。この一家のお墓は共同墓地にあり「持ち土の上に、ただ丸い石を載せただけの」ものだからです。
 おそらく昭和30代後半のことです。

 その後、仕事を求めて単身上京します。
 当時東京オリンピック開催に向けての、高速道路や新幹線の建設等、インフラ工事が盛んでした。
 東京が大きく変化する時代で、工事現場の仕事が山ほどあった時代でした。

 父親は「今年の盆には帰れぬだろう」と言っていたにもかかわらず、なぜ今年の盆に帰ってきたのでしょう。

 えびフライを子どもに食べさせるため、と考えるのは無理があります。
 仏教では「一周忌」「三回忌」「七回忌」「十三回忌」「十七回忌」と、三と七の年度のお盆に法要を営みます。

 主人公の年齢から考えて、この年は妻の「七回忌」(6年目)にあたる年だったのではないでしょうか。

 「法要を営むことはできなくても、せめて墓参りがしたい」という気持ちで、急遽帰省を決めたのではないかと思います。

 とても家族想いのよい父親です。(ご存命ならば、おそらく90歳以上100歳に手が届く歳になるでしょうか。)

 そして、子どもたちがさみしい思いをしていることを十分理解しています。

 ですから、せっかく帰るのだからと、子どもたちの喜ぶ顔が見たくて、当時珍しかった冷凍のえびフライを上野アメ横で購入しました。その時、持ち帰るにはドライアイスが、そして「油とソース」が食べるまでに必要だと教わったのでしょうか。ドライアイスと共に寝台特急に乗り込みます。
 (アメ横で「淡い空色のハンチング」も買ったのかもしれません。けっこうおしゃれさんです。)

 8時間の道中、ドライアイスを補充した苦労も「こんなに大きなえびがいるとは知らなかった」と子どもたちは大喜びです。「満足そうに毛ずねをぴしゃぴしゃたたき」ます。

 そして、自分が帰ってしまうと、特に息子が悲しむだろうと、当日朝まで帰ることを告げません。
 しかし、息子が雑魚にこめた想いは十分にわかっていますから、帰京前日の夕食に「尋常ではない」スピードでビールのつまみにして食べてしまいます。

 とても口下手で、息子に対する言葉がけがうまくできません。
 このため、帰りの停車場まで、息子と2人で歩く道すがら、四言しか言葉を交わしていません。
  • 「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」
  • 「いや、そうでもなかべおん。冬は汽車のスチームがききすぎて、汗こ出るくらい暑いすけ。ドライアイスたら、夏どこでなくいるべおん。」
  • 「んだら、ちゃんと留守してれな。」
  • 「わかってらぁに。また買ってくるすけ……。」
 「村外れのつり橋を渡り終え」た時に「とってつけたように」語った「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」に父親の気持ちがこもっています。
 普通の文にすると、省略法が用いられていることがはっきりわかります。
  • 「今度の正月には、もっとゆっくり帰るから……。」
 この「……」の部分には、「そんなに悲しまないで欲しい」「それまで楽しみに待っていて欲しい」という言葉が入るのでしょう。これは生徒に考えさせたい部分です。

 この父親の省略された部分を感じ取った主人公は、父と別れる悲しみをこらえきれなくなって「しゃくり上げそうに」なります。

 停車場に着いて、「んだら、ちゃんと留守番してれな」と語りかけ、主人公の頭をわしづかみにして揺さぶります

 「いい子、いい子」となでなでするより少し乱暴ななで方です。「いつもより」と言っていますから、日常的にそのような接し方をして、息子に対する愛情を表現しているのでしょう。それが「いつもより少し手荒くて」とありますから、日常以上の愛情がこもっているのだと思います。

 これに対する息子の「えんびフライ」という返答に、「ちょっと驚いたように立ち止まって、『わかってらぁに、また買ってくるすけ……。』」と言います。
 残念ながら、父親は「えんびフライ」に込められた息子の気持ちを理解しきれなかったようです。

 ポイントは省略された「……。」の部分です。「ちゃんと留守番してれな。」だったら省略する必要はないと思います。それ以上の気持ちが込められているからこその省略法でしょう。
 ここは是非生徒に考えさせたい部分です。

祖母

 夫(祖父)を早くになくしています。

 主人公に、えびフライトはどのようなものか尋ねられると「……うめもんせ。」と答えています。
 このことから、息子(父親)は孫(主人公)にウケ狙いのような変なものは買ってこない、と確信しています。
 歯がありません。明瞭な発音が難しいことから、入れ歯があっても不完全なものです。(ない可能性が高いと思います。)固いものを咀嚼し嚥下する力が衰えています。
 念仏を唱えることから、この家は浄土系の宗派です。

 迎え火を焚くとき「昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか」とあります。
 「えびのしっぽが喉につかえたこと」を抜かした「昨夜の食卓の様子」とは、楽しい一家の団らんの様子に他なりません。

 どのような様子だったか、生徒に説明させてもよいと思います。

母親

 なくなったのは「まだ田畑を作っている頃」とあります。主人公の年齢から考えて9年以内のことです。主人公におぼろげな記憶があるらしいことや、父親がこの年わざわざ帰ってきたことを考えて、主人公が3歳頃のことではないでしょうか。

喜作

 小学校4年生。主人公の隣に住んでいる。
 お盆を故郷で過ごすために父親が帰京している。
 「盆土産」は「派手な色の横縞のTシャツ」「連発花火」であろう。喜作はそれを見せびらかしたくて「独りで畦道をふらついていた。」



*1) 戦後の農地改革

 特に第二次大戦後、1947(昭和22)~50年にかけて GHQ の指令によって行われた日本農業の改革をさす。 不在地主の全貸付地と、在村地主の貸付地の保有限度(都府県で平均一町歩、北海道で四町歩)を超える部分を国家が買収し、小作農に売り渡し自作農化した。当時のインフレ等もあって、ただ同然の値段で買収・売り渡されたのである。

ご存じの方教えて下さい

 主人公の父親を「東京へ出稼ぎに行っている」と授業中に説明することがよくありますが、「出稼ぎ」は一般的に農閑期に寒冷地の農山村から都市圏の建設現場等に働きに出ることを指します。(「出稼ぎに出なくてもよい世の中」を作ろうとしたのが田中角栄ですね。)

 このブログでは、確かに
戦後
高度成長期に父親は東北地方から働き口を求めて都市圏の建設現場に出ていることを紹介しましたが、喜作のところも含めて、通年働きに出ているようです。もし正社員だったら「単身赴任」と言ってもよいと思いますが、少し違うような気がします。

 もし「出稼労働者手帳」を交付されているのだったら「出稼ぎに出ている」と言ってもよいと思うのですが、どうなんでしょう。
東北地方では、盆と正月にしか帰京しない場合も「出稼ぎ」と言うのでしょうか
 ご存じの方教えてください。



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 『盆土産』の指導事項は、光村図書の指導計画によると、いずれも「C 読む」領域で、次の内容となっています。
  • ア 抽象的な概念を表す語句や心情を表す語句などに注意して読むこと
  • イ 文章全体と部分との関係、例示や描写の効果登場人物の言動の意味などを考え、内容の理解に役立てること。
  • ウ 文章の構成や展開、表現の仕方について、根拠を明確にして自分の考えをまとめること。
 これらの力を生徒たちが身につける前に読解の障害となるのは、
 読解の基本となる「いつ(時間設定)」「どこ(空間設定)」「だれ(登場人物設定)」が生徒にとってつかみづらいものになっている点にあります。
 そしてそれ以上に、生徒自身が、自分の経験をもとに解釈してしまうため、よくわかっていないことを生徒自身が意識しにくい点にあります。

 ですから、生徒の素朴な疑問や教師の問いかけによって、
 実はよくわかっていないことを意識化し、正しい知識を与えた上で
 読解に役立ててあげなくてはいけません。

 それは教師の役割です。
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いつ (時間設定 何月何日の話か

 「盆土産」のお盆は「月遅れ盆」だと思います。
 これは、生徒も夏休み中にニュース等で「お盆の帰省ラッシュ」のお盆ですから、わかると思います。
 しかし、8月の何日かをしっかり把握していない生徒も多いのが現状です。この作品の場合は8月13日が迎え盆です。しかし毎年違いますから「今年の場合は」と断りを入れて指導しておきます。

 ちなみに一年生の「大人になれなかった弟たちに……」や、三年生の「挨拶」の授業を行う際に、終戦や原爆投下の年月日を言えない生徒が多いことがあります。夏休み中の話題から、終戦や原爆投下の年月日を押さえておくとよいでしょう。

 このお盆の日付をおさえた上で、この物語は8月の何日から何日の幾日間の物語かを考えさせます。
 実は、この日程を把握していない生徒が相当数います。
 たぶん、登場人物に注意が向いて、時間に関わる叙述にまで意識が向かないのではないかと思います。

 一覧表にまとめさせる等して、しっかり共通理解をもった上で読解を進めたいものです。

 次に、時系列にそった物語の概略を記します。

8月11日(迎え盆前々日)
 日暮れ 父親から速達が届く
 夜   父親、上野駅周辺で冷凍えびフライを買い、夜行列車に乗る。
8月12日(迎え盆 前日)
 朝   主人公、川で雑魚を釣る。
 昼   父親、帰省。
   午後  主人公、あぜ道で喜作に会う。
   夕食  えびフライを食べる。
8月13日(迎え盆)
 朝   父親、今日東京に戻ることを主人公に告げる。
   午後  家族で墓参りに行く。
   夕方  主人公、バス停で父親と別れる。

いつ (時代設定 いつの時代の話か

 この物語を一読すると、生徒は「現代の話ではない」ことに気づきます。
 しかし「いつ頃の話でしょう」と問いかけても、生徒にはわかりません。

 そこで、「どの部分が現代と違うと思いますか」と問いかけます。

 生徒からは「囲炉裏を使っている」「連絡に速達を使っている」(囲炉裏や速達を知らない生徒もいます)等、いろいろ出てくると思います。中には「夜行列車が走っている」(2015年のダイヤ改正により、上野発の夜行列車はなくなりました。)等も出ました。
 たくさん出てくる場合はページを区切って言わせると良いかもしれません。

 ここで大切なのは、生徒の「現代」の感覚です。本人が「現代と違う」と思えばそれで正解なのです。
 ですから、特に発言の少ない生徒を優先的に答えさせ「そうですね」と肯定的に受け止めてあげると良いと思います。

 この中で、当然「登場人物はえびフライを知らない」「えびフライが珍しい」という発言が出てきます。

 えびフライは明治時代から高級洋食としてありましたが、庶民は名前すら知りませんでした。
 えびフライが知られるようになったのは冷凍えびフライが普及して以降となります。
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 冷凍えびフライを販売したのは昭和37年(1962)、加ト吉水産(現テーブルマーク)が最初です。
 現在ではどこのスーパーでも売っている冷凍えびフライですが、発売当時は冷凍庫が普及しておらず、輸送技術も未発達だったので、とても珍しいものでした。

 このことから、この物語の舞台は、

 東京オリンピック開催に向けて高度経済成長のまっただ中、昭和40年前後の話

であることがわかります。

どこ (空間設定

 東北地方です。おそらく青森市周辺だと思われます。

 まず、台詞を教師が範読すれば生徒もわかると思います。是非読んであげてください。

 方言を使う地方に転校した主人公の疎外感が書かれている「花曇りの向こう」(1年)を想起させ、方言について触れることも授業の伏線として大切です。
 方言を使うということが、それまで「えびフライ」と言っていた主人公が父親にうっかり「えんびフライ」と言ってしまう理由を考えるヒントとなります。

 次に、ドライアイスの場面で
  • 東京の上野汚液から近くの町の易までは、夜行でおよそ八時間かかる。それからバスに乗り換えて、村にいちばん近い停留所めで一時間かかる。
という叙述からわかります。

 昭和40年前後、上野駅といえば東北地方の玄関口でした。(当然東北新幹線はまだ通っていません。)
 東北線は「握手」(3年)でルロイ修道士も仙台-上野間を往復していますから、きちんと押さえておくと来年役立ちます。

 上野駅から東北線で夜行列車に乗って八時間かかる場所は青森駅付近です。
 ですから舞台は青森県青森市周辺となります。(作者の故郷である八戸と考えるのが自然でしょう。)

 ちなみに当時東京-青森間を八時間で走った夜行列車は寝台特急で、父親が利用した可能性が高いものは上野21:00発-青森7:50着の「はくつる」か23:00発-9:30着の「ゆうづる」の2本です。
 ですから父親が降りた駅は、青森の手前に違いありません。
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寝台特急はくつる
 おそらく、その日の仕事を終えた父親は、昭和30年頃の8月11日の夜に、まだ閉店前の上野のアメ横でえびフライとドライアイスを買って上野郵便局で速達を出し、寝台特急に乗ったのでしょう。主人公が受け取った「伝票のような紙切れ」とはえびフライの領収書だったのかもしれませんね。


 ここまでで、だいたい2~3時間はかかります。


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 手の不自由な方が足で琴の演奏をするのを見たことがあります。その演奏は素晴らしかったのですが、その方は足の爪にマニキュアを塗りお化粧をなさっていました。
 「自分の足を見て欲しい」というお気持ちの表れだったのだろうかと思いました。

 自分の見て欲しいところに化粧をするというのは、人の自然な気持ちだと思います。

 文章も同じです。作家は読者に気をつけて読んで欲しいところに化粧を施すのではないでしょうか。それがレトリックです。

 学習指導要領に示される
 「文脈の中における語句の意味を的確にとらえ、理解する」
 「場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てる」
 「表現の特徴
 「語句の辞書的な意味と文脈上の意味との関係に注意し、語感を磨く」
とは、文学的文章の読解では、レトリックに負うところが大きいと思います。

 そこで、「星の花の降るころに」では、設定の理解が終わった教室の場面の後半からは
 レトリックの授業を展開することになります。

 レトリックは、『日本語のレトリック―文章表現の技法』(瀬戸 賢一 岩波ジュニア新書)では、詳しく分類整理されていますが、
 ここまでの知識はなくても、生徒にとって基本的な知識がないと、それをレトリックと認識することが難しいようです。

 そこで、私は二つの指導法を用い、レトリックとその効果の指導を行ってきました。

 一つは、簡単な例文によって主なレトリックの種類をしっかり教えてから、実際にテキストの「この部分では、どういうレトリックが使われているか。また、それはどのような効果や意味があるのか」を考えさるやり方です。

 もう一つは、テキストからどういう感想を持つか、その感想はどの叙述から受けるか考えさせて、レトリックを押さえていくというやり方です。

 後者の指導は、どうしても生徒個人の主観が入ってしまって、なかなかこちらが意図した叙述にたどり着くことは難しい場合が多いようです。

 そこで私はいつも、「花曇りの向こうに」や「詩の世界」の単元でレトリックの種類をまずおさえます。(文学的文章の読解にはレトリックの理解は必須だと考えているからです。)
 本単元に入り、設定の理解が終わると、もう一度レトリックの復習をしてから具体的な叙述を示してレトリックの種類とその効果をおさえ、レトリックに注意して読むことに慣らしました。
 そして、校庭の場面で、「私」の気持ちを考えさせ、それがどのレトリックから受けた感想か述べさせる授業を行いました。

 レトリックとその効果をつなげていくと、主人公の心理の変化が浮き彫りとなります。
 ですから、授業の最後に主人公の心理の変化が、用いられているレトリックと共に一目瞭然となるような板書計画が必要となります。

 実際の授業では「そのとたん、私は自分の心臓がどこにあるのかがはっきりわかった。」以降の展開となります。(第3時)

  • T 「どきどき鳴る胸をなだめるように」とありますが、この部分ではどのようなレトリックが使われていますか。
  • S 「どきどき」は擬態法、「なだめるように」は「~ように」とあるので直喩です。
  • T なぜ「私」は「どきどき」したのですか。
  • S 夏実に話しかけようとして、緊張したからです。
  • T 「どきどき」したことは、他のどの部分からわかりますか。
  • S 「自分の心臓がどこにあるのかがはっきりわかった。」とあります。心臓がドキドキしているから、いつもは気がつかなくても気がついたのです。
  • T そうですね。
  •  では、その「どきどき」を「なだめるように」なにをしたのですか。
  • S 「一つ息を吸ってはきました。」
  • T そうですね。
  •  「私は夏実に話しかけようとして緊張した。その緊張を解くために一回深呼吸をした。」
  • と比べてどうですか。
  • S ……
  • T では、実際にやってみましょう。全員立って下さい。みなさんは「私」です。今、向こうから歩いてくる夏実に「一緒に帰ろう。またたくさんお話をしよう。」と言おうとしています。Yesの答えが返ってくると思いたいのですが自信がありません。無視されたらどうしよう……はい、今どきどきしています。心臓が激しく動いて、頭に血が上ってきました。ぼーっとし始めました。これはいけない。はい、一つ息を吸ってはいてください。どうですか。みなさん、落ち着きましたか。
  • S 微妙。
  • T そうですね。でも何か夏実に言わなきゃいけない。だから「ぎこちなく」夏実に向かって歩き出したんですね。
  •  このようにレトリックを使うと、登場人物の気持ちを生き生きと理解することができます。では、この場面で使われているレトリックと、それによってどういう「私」の気持ちが表現されているか、ノートにまとめましょう。

 この部分で注目させたい叙述は「音のないこま送りの映像(隠喩)」「騒々しさがやっと耳にもどった(隠喩)」「きまりが悪くてはじかれたように(直喩)」「色が飛んでしまったみたい(直喩)」「本当は友達なんていないのに。夏実の他には友達とよびたい人なんて誰もいないのに(反復法省略法)」です。
 ここで、夏実の「とまどったような」「すっと顔を背けた」を指摘する生徒がいます。
 「すっと顔を背けた」の「すっと」は擬態法ですが「顔を背けた」は慣用表現なので微妙なところです。
 しかしレトリックを発見することは手段であって目的ではありませんから、「よく見つけたね」と褒めます。そしてこれは「『私』から見た感想」なので夏実の気持ちはわからないことを教えておきます。

 ここで注意したいのは「きまりが悪くてはじかれたように」です。
 なぜきまりが悪かったのかと問うと
 生徒は直前の「唇が震えているし、目のふちが熱い」と答えます。
 重ねて「その顔に名前をつけるとしたら、何という顔になりますか」と問います。

 生徒がふざけて「変顔」と答えたらしめたものです。
 私はそんな時、実際に変顔をしてみせて生徒の笑いを誘い「本当に笑える顔をしていたと思いますか。」と問い返します。

 そして「みなさんも実際にやってみましょう」と言います。
 すると「泣き顔」という答えが返ってきます。

 この場面で「私」は泣いていたか、泣く寸前だったのだと思います。
 (本当はまだ泣いていなくて、次の校庭の場面の最後で初めて涙をこぼしたと考えるとロマンティックですね。)

 教室の場面後半と、校庭の場面で、だいたい2時間かかります。
 5時間扱いの授業だとすると、あと残り1時間となります。

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 物語は、基本的に架空の世界を舞台にしています。
 作者はリアリティを持たせるために、現実に近い設定をする場合がありますが、あくまでもこれは「設定」なのです。

 ですから読者は、この物語の舞台の「設定」を具体的にイメージしないといけません。
 そこで、授業ではまずテキスト全体を通読してから、物語の舞台設定を具体的に考えさせます。

 舞台設定とは、「いつ(時間設定)」「どこ(場所設定)」「だれ(登場人物設定)」の三つです。

 生徒にこの物語を一読させた後、ワークシート等にまとめさせると良いと思います。
 この時、「何ページの何行目の何という叙述からそれがわかるか」を必ず書かせます。
 それが学習指導要領に示される「筋道をたてて考える」力につながります。

いつ時間設定 回想部分を除く

 9月上旬のある日の午後の出来事
  • 最初の場面=4時間目終了後しばらくして(12:40~45頃)5~10分前後 4時間目は隣の教室は自習であった。
  • 校庭の場面=放課後
  • 公園の場面=放課後 下校中
 9月上旬であることはすぐわかるのですが、時刻を2時間目休みや給食後のことだと読み取っている生徒が多いようです。これは明らかな誤読ですので、きちんと押さえておく必要があると思います。

どこ場所設定 回想部分を除く
  • 最初の場面=教室内。「私」の席は教室後方窓側にある。
  • 校庭の場面=校庭の水飲み場付近。
  • 公園の場面=公園
 最初の場面の「私」の席は教室後方窓際であるというのは、次のことからわかります。
  • 「私」の机に前方から戸部君がぶつかってきたことから、給食配膳のことを考え、「私」の机は教室前方にあるとは考えにくい
  • 廊下に出た「私」を戸部君が見ている(廊下から自然に戸部君が見える)位置は、教室の廊下側とは考えにくい。
 これを読み取ることは難しいですが、実際に「私」が廊下に出て夏美とすれ違う寸劇を生徒にやらせ、教室の中からこの寸劇の一部始終が見えた生徒に挙手させればすぐにわかります。
 これをやると、けっこう盛り上がること請け合いです。

 また、小学校から通う塾が複数近所にあることから、中小の地方都市であることが予想されます。

だれ(登場人物設定)
  • 「私」 中学1年 女子 夏美は小学校時代の友達。戸部君は小学校時代からの知り合いで現在同級生。図書委員会所属。主人公。小学校時代から戸部君に好意を持っているが、本人はそれに気づいていない。
  • 夏美  中学1年 女子 「私」は小学校時代の友達。現在クラスが違う。
  • 戸部君 中学1年 男子 「私」は小学校時代からの知り合い。現在同級生。サッカー部所属。「私」との関係について友達からからかわれており、本人も少しは「私」を意識していると思われる。
  • 戸部君の友達 中学1年 男子 「私」の同級生。戸部君と同じサッカー部に所属。
  • 掃除をしているおばさん デウス・エクス・マキナ*1)。作者の分身。
 物語文とは登場人物の心理の変化が語られる文章です。この物語は「私」の一人称で「私」の気持ちが語られていますから、主人公は「私」です。

 一人称小説であるが故に、読者にとって「私」と戸部君との関係がわざとわかりにくく書かれています。
 読み方によっては、まるで戸部君が「私」に好意を抱いているような錯覚を与えてしまいます。
 しかしこれは叙述トリック*2)による作者のミスリードです。
cb5724a879db1b9c2b26da35fb1ae8dc(原作:アガサ・クリスティ 制作:ITV)
『名探偵ポアロ』アクロイド殺人事件は有名な叙述トリックです。

 作者は「私」と戸田君は小学校時代から相当親しく「私」は戸田君に好意を寄せていることを巧妙に読者にわかりにくく書いています。

 例えば、最初の教室の場面で「なんで~」と反復法を用い読者の注意をひきつけてから「なんでサッカー部なのに先輩のように格好よくないのか。」と「私」に言わせています。
 これ以外の「なんで~」は小学校のころの出来事ですが、この一文のみ中学入学後のことと考えられます。(小学校に部活はありませんからね。)
 サッカー部員の先輩が格好よいのが仮に事実だとしても、戸部君が格好よくある必要はありません。戸部君に格好良くあってほしいという「私」の願望でしょう。

 また、校庭の場面で戸田君の声を「ずっと耳になじんでいた」と慣用表現を用いて記述しています。慣用表現を表現技法と考えるかは疑問ですが、小学校時代からずっと耳になじんでいたわけですから、「私」は戸部君を相当親しく感じていたと考えて間違いないと思います。

 このような「私」の気持ちを、周囲はうすうす知っていたのでしょう。だから物語の冒頭で、サッカー部の男子諸君が戸部君を「私」の方へ押しやるという行為をしたのでしょう。(「私」がいじめの対象でもない限り……。)

 そして、そういう噂を立てられていることを「私」も感づいていたからこそ「わかんない」とあえてその噂そのものを否定しようとしているのではないかと思います。

 このような経緯があるからこそ、校庭の場面で素直に戸部君の冗談の真意を悟って

  •  中学生になってちゃんと向き合ったことがなかったから気づかなかったけれど、私より低かったはずの戸部君の背はいつのまにか私よりずっと高くなっている。

という叙述が効いてくるのです。

 ここまでおさえるのに、だいたい1.5~2時間かかります。

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*1) デウス・エクス・マキナ(deus ex machina、羅: deus ex māchinā)
 「機械仕掛けから出てくる神」という意味の演出法の一つ。劇の内容が解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況を一気に解決に導き、物語を収束させるという古代ギリシアの演劇の手法。
 エクス・マーキナー(機械によって)とは、神を演じる役者がクレーンのような機械仕掛けで舞台(オルケストラ)上に登場したことによる。
 アリストテレスは、演劇の物語の筋はあくまで必然性を伴った因果関係に基づいて導き出されていくべきであるとし、行き詰った物語を前触れもなく突然解決に導いてしまうこのような手法を批判している。“夢落ち”もデウス・エクス・マキナの一つである。(他の誰が許しても、手塚先生はお許しになりませんよ。)


*2) 叙述トリック
 推理小説などで、ある事柄や一部の描写をあえて伏せることによって、読者に事実を誤認させるテクニックのこと。
 私たちは小説を読む時に、文章から与えられる情報によって、足りない部分をそれぞれ想像しながら読んでいる。その際にある程度思い込みや先入観がはたらくことを利用して、明示していない部分(=作者が隠匿している部分。時間や場所、人物など)を、読者が想像によって「勘違い」するように、意図的にミスリードを誘うもの。例えば真犯人は実は語り手だったというように、主にミステリー小説に用いられる。例えば「語り手」自身が犯人だった、というようなトリック。
 この作品前半の場合、戸部君はストーカー行為を行っていたとも読めるが、それは「私」が自意識過剰であったためであり、真犯人は「私」ということになりますね。

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 「星の花が降るころに」は、夏休み明けすぐに、5時間扱いで行うことが多い単元です。
 夏休みが短く8月末に始業式がある学校では、次の「字のない葉書」を先に学習するかもしれません。

 この教材は、光村図書の指導事項配列表によれば、次の内容を指導する教材として位置づけられています。

C 読むこと (1)
ア 文脈の中における語句の意味を的確にとらえ、理解すること。
ウ 場面の展開や登場人物などの描写に注意して読み、内容の理解に役立てること。
エ 文章の構成や展開、表現の特徴について、自分の考えをもつこと。

伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項 イ 言葉の特質やきまりに関する事項
(イ)語句の辞書的な意味と文脈上の意味との関係に注意し、語感を磨くこと。
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 つまりこの教材は物語文の読解力をつけるためのものです。

 ですから、よく「後日譚を書こう」という「B書くこと」を目的とした授業がありますが、ここではあくまで読解力をつけるための指導を考えます。

 物語文の主題は、あくまで読者の解釈に委ねられているものです。
 しかし、だからと言って、読者は好き勝手に主題を解釈してはいけません。
 あくまで主題はテキストを正しく読解した上での解釈でなくてはいけないのです。

 これが指導事項「ア 文脈の中における語句の意味を的確にとらえ、理解する」「ウ 場面の展開や登場人物などの描写に注意して」ということです。
 テキストを理解したり、叙述に注意したりすることの基礎になるのが、「エ 文章の構成や展開、表現の特徴」や「(イ)語句の辞書的な意味と文脈上の意味との関係」に関する知識や経験でしょう。

 授業では「星の花が降るころに」をテキストをもとに、知識や経験を積ませ、指導事項に示される内容を具体的に考える「考え方」を身につけさせたいものです。

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 「なんで題名が『挨拶』なの?」

 夏休み明けすぐに取り扱う「挨拶」の授業で、必ず生徒から出てくる質問です。

 作者の石垣りん(1920年(大正9年)-2004年(平成16年))は、東京都生まれの詩人。
 小学校を卒業した14歳の時に日本興業銀行に事務員として就職。以来定年まで勤務し、戦前、戦中、戦後と家族の生活を支えました。
 そのかたわら詩を次々と発表。職場の機関誌にも作品を発表したため、銀行員詩人と呼ばれました。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 『ユーモアの鎖国』(石垣りん 1973)で、作者は次のようにこの詩について説明しています。

 第二次世界大戦後、・・・。食糧も娯楽も乏しかった時期、文芸といった情緒面でも、菜園で芋やかぼちゃをつくるのと同じように自給自足が行われ、仲間うちに配る新聞の紙面を埋める詩は、自分たちで書かなければならなかった。実際、私も勤め先の職員組合書記局に呼ばれ、明日は原爆投下された8月6日である。朝、皆が出勤してきて一列に並んだ出勤簿に銘々判を捺す、その台の真上にはる壁新聞に原爆投下の写真を出すから、写真に添える詩を今すぐここで書いてもらいたい。と言われ、営業時間中、一時間位で書かされたことがありました。

  挨拶 原爆の写真によせて

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ

向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

 題名は、友だちに「オハヨウ」と呼びかけるかわりの詩、という意味で「挨拶」としました。
 あれはアメリカ側から、原爆被災者の写真を発表してもよろしい、と言われた年のことだったと思います。はじめて目にする写真を手に、すぐに詩を書けという執行部の人も、頼まれた者も、非常な衝撃を受けていて、叩かれてネをあげるような思いで、私は求めに応えた。どういう方法でつくったという手順は何もなく、言えるとすれば、そうした音をあげるものを、ひとつの機会がたたいた、木琴だかドラムだか、とにかく両方がぶつかりあって発生した言葉、であった。それがその時の空気にどのように調和し得たか。
 翌朝、縦の幅一米以上、横は壁面いっぱいの白紙に筆で大きく書いてはり出されました。皆と一緒に勤め先の入口をはいった私は、高い所から自作の詩がアイサツしているのにたまげてしまいました。何よりも、詩がこういう発表形式で隣人に読まれる、という驚きでした。

 今で言えば、職員が出勤した時にひっくり返す札の上に、
 初めて原爆被害者の写真がデカデカと張り出され、その隣にこの詩が書かれていたのですね。
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 「友」というのは、同じ職場に出勤してきた人たちのことを指します。
 しかし、こんなことを説明する必要なないと思います。作者が生徒に「友」と呼びかけているという認識で十分でしょう。
 朝、学校へ出てきて「オハヨウ」と言葉をかけあう「向き合った互いの顔」と、
 目の前に張り出された初めて見る原爆被害者の顔……
 この対比は、この作品を解釈する鍵となります。

 ですから、この詩が書かれた状況は、いつもきちんと説明しています。

 ただし、それを学習の前にするか、後にするかは、そのクラスに実態によります。
 その時、原爆被害者の方の写真を生徒に見せるかどうかは、それこそ、そのクラスの実態によります。
 見せた授業の方が、見せない授業より数は少ないのですが、より深い読解ができたような気がします。どうするかは今でも微妙です。

 この詩の指導事項は、以下の通りです。
  • ア 文脈の中における語句の効果的な使い方など、表現上の工夫に注意して読むこと。
  • ウ 文章を読み比べるなどして、構成や展開、表現の仕方について評価すること。
  • エ 文章を読んで人間、社会、自然などについて考え、自分の意見をもつこと。
 主題の
  • 原爆の危険は、常にある。油断してはいけない。
は、「顔」の分析ができると、生徒は容易に把握し文章化し、自分の意見をもつこともできます。

 詩は文学の一種ですから、私は「いつ」「どこ」「だれ」をまず押さえさせます。
 すると生徒は、この詩には「現在」と「過去」の二つの「いつ」が流れていることに気づきます。

 これをきっかけにして「顔」の分析に入ります。

 指導事項から、この詩における表現技法とその効果をきちんと押さえることは当然のことですが、
 「りつぜん」という単語の意味がわからない子がいます。
 きちんと理解させなくてはいけません。

 詩の成立背景を学習し、詩の分析を行い、主題をまとめていくので2時間で十分です。

 ただし生徒が休みぼけをしていた場合は3時間かかります。
 高校入試に向けてその状態ではいけませんから、気合いをいれてあげます。

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